第三章|神の視点と幽霊の牙
1
バチッ、と青白い火花が散った。
トウコの視界が、TVの電源を切ったようにプツリと暗転する。
直後、脳髄を焼き鏝で直接撫でられたような、絶叫すら許されない激痛が走った。
(あ、が……ッ!)
肉体というハードウェアが、過剰な電流と情報量に耐えきれず、悲鳴を上げて崩壊していく感覚。
──死ぬ。
トウコは直感した。これが死だ。
暗くて、冷たくて、重たい泥の中に沈んでいく。
マキナさんの怒鳴り声も、チグサさんの銃声も、もう聞こえない。
(ごめんなさい)
結局、私は役立たずのバグだった。お弁当の味も、コーヒーの温かさも、返すことができないまま──。
ふと。
泥の底が抜け、トウコの意識が「裏側」へと滑り落ちた。
重さが、消えた。
痛みが、消えた。
あれほど緩慢で、もどかしかった「時間」の澱みが、一瞬にして拭い去られる。
──『接続』。
世界が反転する。
暗闇だった視界に、奔流する光のラインが走った。
見える。
瓦礫の陰で弾切れを起こし、歯噛みするマキナの表情が。
義手から火花を散らしながら、必死に盾を支えるチグサの背中が。
そして、彼女たちを蹂躙しようと迫る、無数の敵意の赤色が。
(……見えます)
トウコは呟いた。物理的な声帯はもう動かない。けれど、その意思は光の速さで伝播した。
(もう、待たなくていい。……10秒なんて、いらない)
2
「クソッ、弾切れよ!」
マキナは空になったマガジンを放り捨てた。敵の包囲網はすでに五メートル先まで迫っている。
キィィィィン……。
耳鳴りのような高周波音が戦場を支配した。
敵のドローンが、兵士たちの通信機が、そしてマキナが装着していた旧式の戦術ゴーグルが一斉に悲鳴を上げた。
ノイズが走る。
赤い警告表示が明滅し、そして──透き通るような「青」に塗り替えられた。
System Message: Operator "TOKO" Online.
マキナの視界に、無機質なシステムログが浮かび上がる。
そして、脳内に直接響く声があった。
『……聞こえますか、マキナさん、チグサさん』
それは、いつもの自信なさげなトウコの声ではなかった。
鈴を転がすようにクリアで、神託のように静謐な響き。
マキナの視界(AR)に、信じられないほどの情報量がオーバーレイ表示された。
敵兵の位置。装甲の厚さ。
壁の向こう側にいる敵のシルエットまでもが、青いワイヤーフレームで透けて見えている。
『マキナさん、私が「目」になります。……反撃しましょう』
視界の中に、一本の青い予測線が引かれた。
それはマキナの銃口から伸び、目の前の瓦礫に当たり、そこから鋭角に跳ね返って、遮蔽物に隠れた敵兵の頭部へと繋がっていた。
『右舷15度。跳弾による処理が可能です』
「……無茶苦茶なナビね」
マキナは口元を歪めた。凶悪で、歓喜に満ちた笑みが戻ってくる。
「でも、嫌いじゃないわ」
彼女は隠し持っていた最後の小型拳銃を抜き、迷いなく引き金を引いた。
タンッ!
弾丸は計算通りに鉄骨に当たり、火花と共に跳弾。壁の裏の敵兵を正確に撃ち抜いた。
3
『チグサさん』
『わっ、トウコちゃん!?』
『チグサさんの義手の制御リミッター、私がハッキングして解除しました。出力係数を120%まで引き上げます』
『え、マジ? 壊れない?』
『壊れる前に、終わらせます。……30秒だけ、持ちますから』
ブォンッ!
チグサの右腕が、赤熱した鉄のように輝き始めた。
『行ってください。あなたの通る道は、私が作ります』
チグサが地面を蹴った。
さっきまでの獣のような動きではない。今の彼女は、推進剤を積んだロケットだった。
「うおおおおお!」
チグサが真正面から敵陣へ突っ込む。
兵士たちが慌てて射撃しようとするが、トリガーが引けない。
『敵火器管制システム、掌握。トリガーロックをかけました』
無防備になった敵兵の群れに、灼熱の義手を持ったチグサが激突した。
ドォォォォン!!
爆発音。
強化外骨格を着込んだ兵士が、ボーリングのピンのように宙を舞う。チグサが腕を振るうたびに、鋼鉄の装甲が紙屑のように引き裂かれ、溶解していく。
戦場は混沌を極めた。
いや、一方的な蹂躙だった。
『左翼、増援が来ます。……ですが、無駄です』
トンネルの奥から現れた増援部隊。
しかし、彼らが足を踏み出した瞬間、床が抜けた。トウコが地下構造図を書き換え、足場の強度を崩壊させたのだ。
悲鳴と共に、増援部隊が暗い穴の底へと消えていく。
残された指揮官が、震える声で叫んだ。
「ば、化け物……! 何なんだ貴様らは!」
マキナが、瓦礫の上に立って指揮官を見下ろした。
その瞳には、青いARの光が宿っている。
「ええ、幽霊よ。でもね」
マキナは銃口を指揮官に向け、静かに告げた。
「今の私たちには、最強の女神がついているの」
──全敵性反応、沈黙。
戦闘が終了するまで、トウコがダイブしてからわずか三分足らずの出来事だった。




