第二章|亡霊たちの復活と、壊された日常
1
シャッターが完全に巻き上がるまでの数秒間、世界はスローモーションのように静止していた。
トウコはカウンターの影で息を殺し、その隙間から外を覗き見た。
店の前には、装甲服に身を包んだ「ケルベロス」の兵士たちが、半円状の包囲陣を敷いていた。
先頭に立つ指揮官らしき男が、ハンドシグナルを送る。
一斉に向けられる銃口。そのすべてが、店の中に立つ二人の女性に向けられている。
『最終勧告だ。検体を出し、両手を上げて出てこい』
指揮官の外部スピーカーが吠えた。
「随分と躾のなっていない犬ね」
マキナの声が、冷たく響き渡った。
彼女は両手に構えた二丁の大型拳銃──45口径の旧式カスタム──をだらりと下げたまま、瓦礫の山となった店の前に悠然と歩み出た。
その背後で、チグサが軽い足取りで続く。彼女の右腕、無骨な義手が、低い駆動音を奏でている。
『……女? 民間人か?』
指揮官が困惑したようにバイザーを揺らした。
「民間人、ね」
マキナは口元だけで笑った。
その笑みは、氷点下の刃物のように鋭かった。
「ええ、今はそうね。……ただの善良な店主と、大飯食らいのアルバイト。ただ」
マキナが、耳元の通信デバイスを指先でタップした。
チグサもまた、ニヤリと笑って首元のインカムを起動する。
ザザッ……。
敵部隊の全員が傍受可能なオープンチャンネルに、ノイズ混じりの音声が割り込んだ。
『こちら、アンダーテイカー1。および2』
そのコールサインが響いた瞬間、指揮官の動きが凍りついた。
それは、都市の裏社会や軍属の人間ならば、誰もが一度は聞いたことのある「都市伝説」の名。
『葬儀の時間だ、クソガキども』
2
轟音。
マキナの両手から放たれた初弾が、指揮官の両脇にいた兵士のメインカメラを正確に撃ち抜いた。
ガラスの砕ける音と共に、悲鳴が上がる。
「──排除せよ! 撃てッ!」
指揮官の絶叫と共に、銃撃戦が始まった。
無数のマズルフラッシュが闇を切り裂く。流れ弾が、周囲のシャッター街を無差別に破壊していく。看板が落ち、ガラスが砕け、逃げ遅れた誰かの悲鳴が上がる。
「おっそーい! あと、そこゲンさんの店! これ以上壊すな!」
チグサが飛び出した。
彼女は敵兵を掴むと、それを盾にしながら、わざと敵の射線が誰もいない壁側に向くように立ち回っていた。
暴れているように見えて、彼女は無意識に周囲への被害を抑えようとしている。
その光景を、物陰から覗き見ていた闇市の住人たちは、信じられないものを見る目で凝視していた。
「うわあああ! なんだあの女! 義手一本でパワードスーツをねじ切ったぞ!?」
「化け物だ! あいつら、本当にただの店員か!?」
いつも店の前でポテトチップスを食べていた、能天気な看板娘。
常にしかめ面で電卓を叩いていた、ケチな美人店長。
その二人が今、企業の精鋭部隊を相手に、人間離れした暴力で舞っている。
「す、すげえ……」
「『葬儀屋』だ……都市伝説の、幽霊だ……!」
誰かの呟きが漏れた。
助かった、という安堵。だがそれ以上に、彼らの目には濃い「畏怖」が浮かんでいた。
企業の兵隊も怖いが、それを素手で引き千切る彼女たちは、もっと恐ろしい「異物」に見えたのだ。
その視線の変化に、トウコだけが気づいていた。
彼女たちが戦えば戦うほど、彼女たちはこの「日常」から乖離していく。
戦場という、別の世界に生きる住人なのだという残酷な事実が、トウコの胸を締め付けた。
3
だが、現実は非情な「数」の暴力を突きつけてくる。
「予備隊、投入! 相手はたったの二人だ、圧殺しろ!」
地下鉄のトンネルの奥から、新たな増援が現れた。
重機関銃を搭載した自律歩行ドローンまで引き連れている。
圧倒的な火力の前に、マキナとチグサの快進撃が鈍り始めた。
「チッ……!」
マキナが舌打ちをし、空になったマガジンを捨ててリロードする。残弾は少ない。
轟音と共に、店の看板だった『MILKY KIOSK』のネオンサインが撃ち落とされ、粉々に砕け散った。
破片がトウコの足元に転がってくる。
(私の、せいだ)
トウコは唇を噛み締めた。
このままでは、二人は死ぬ。
かつて都市を救った英雄たちが、こんな汚い地下の掃き溜めで、たった一人の「バグ」を守るために、無意味に命を散らしてしまう。
トウコの視界の端で、チグサの義手から黒煙が上がるのが見えた。
マキナが最後の予備弾倉に手をかけるのが見えた。
その動作の一つ一つが、トウコにはスローモーションのように、残酷なほど鮮明に見える。
──いやだ。
トウコの中で、何かが弾けた。
(あの美味しいお弁当も、泥みたいなコーヒーも、もう二度と味わえなくなる)
(そんなのは、いやだ)
トウコは這うようにして店の奥へ戻った。
目指すのは、店の裏側にある古い配電盤。
彼女は懐から、自作の接続端子を取り出した。
生身の人間が直結すれば、脳神経を焼き切る激痛が走る。最悪の場合、心停止する。
それでも。
「……マキナさん、チグサさん」
トウコの小さな呟きは、銃声にかき消されて二人には届かない。
それでも彼女は、祈るように告げた。
「回線、開けておいてください」
トウコは躊躇なく、冷たい端子を自身の首に突き刺した。




