第1章:二つのフォーマットの物語
王城の作戦会議室は、通夜のように静まり返っていた。 集まっているのは、生き残った将軍や大臣たち数名。誰もが顔面蒼白で、テーブルの上に広げられた地図を、まるで死刑宣告書のように見つめている。
俺、久条湊は、アイリス女王の隣に立っていた。 この世界の「クジョウ」という男は、どうやら王宮に仕えるしがない歴史学者だったらしい。魔導の才能もなく、剣も握れない。ただ、古代の召喚儀式を研究していた変わり者。その肉体に、現代のマーケティング学者の魂が宿ったというわけだ。
「……では、総員玉砕覚悟で突撃し、女王陛下を逃がす時間を稼ぐ以外にないと?」
白髭の将軍が、悲痛な声で唸る。 典型的な精神論だ。昭和の経営会議かとツッコミを入れたくなる。
「待ちたまえ」
俺はテーブルを軽く叩き、全員の視線を集めた。
「誰だ、貴様は。学者の分際で……」 「新しい宰相だ。文句は後で聞く。今は現状分析が先だ」
俺は地図の上にある駒を指差した。
「なぜ、我が軍は負け続けている?」
「見ればわかるだろう! 魔王軍の圧倒的な魔力と、アンデッド兵団の物量だ! 我が国の誇る重装騎士団も、奴らの魔法の前では紙切れ同然だった!」
将軍が唾を飛ばして叫ぶ。 俺は冷静に頷いた。
「その通り。『紙』だ」
「……は?」
「あんたたちの戦い方は、フォーマットが古いんだよ」
俺は懐から、先ほど図書室からくすねてきた羊皮紙の束を取り出し、テーブルに投げ出した。
「我が国エルデナは、伝統的な騎士の国だ。重厚な甲冑、名誉ある一騎打ち、物理的な城壁。これらはすべて、出版業界で言えば『紙の書籍』だ。重厚で、格式があり、所有欲を満たす。だが、コストがかかり、流通(行軍)に時間がかかり、場所を取る」
俺は次に、窓の外を指差した。 空には、魔王軍の放つ紫色の魔法光が飛び交っている。
「対して、魔王軍はどうだ? 奴らの主力は、物理的な実体を持たない霊体や、遠距離からの魔法攻撃、そして恐怖心という精神攻撃だ。これは『電子書籍』だ。実体がなく、コスト(魔力消費)が低く、瞬時に広範囲へ拡散(攻撃)できる」
大臣たちがポかんと口を開ける。彼らには「電子書籍」という言葉の意味はわからない。だが、概念としてのニュアンスは伝わるように言葉を選んだ。
「市場――いや、戦場のルールが変わったんだ。あんたたちは、Kindleストアで紙の本を売ろうとしているようなものだ。物理的な重さと厚さ(装甲と城壁)を誇っている間に、敵はデジタルの速度(魔法と恐怖)で読者(国民)のシェアを奪っていった。これが『市場のパラドックス』だ」
俺は地図上のエルデナ領土を指でなぞる。かつての大国は、いまや虫食い状態だ。
「2024年の日本の出版市場を知っているか? ……知らないだろうな。紙の市場は縮小し続け、電子市場だけが成長していた。この国も同じだ。物理的な国土(紙市場)を守ろうとすればするほど、リソースが枯渇し、ジリ貧になる」
「では、どうすればいいと言うのだ! 魔法を使えぬ我らに、勝ち目はないと!?」
将軍が机を叩く。
「勝てる」
俺は断言した。
「ただし、剣で勝つのではない。『物語』で勝つんだ」
俺はアイリス女王を見た。彼女は不安そうな瞳で、しかし真っ直ぐに俺を見つめ返している。
「女王陛下。国民がいま、最も求めているものは何だと思いますか?」
「……平和、でしょうか。それとも、パン?」
「いいえ。それは『表層のニーズ』です」
俺は指を一本立てた。
「国民は疲れている。長引く戦争、見えない未来、飢え。彼らは『思考』することを放棄しかけている。彼らが真に求めているのは、『タイパ(タイムパフォーマンス)』と『コスパ(コストパフォーマンス)』の良い救済だ」
「たい……ぱ?」
「『短時間で、確実に、自分たちが救われると信じさせてくれる分かりやすい希望』のことです」
俺は地図上の王都を囲む赤い駒(敵軍)を睨みつけた。
「敵は強大だ。だが、魔王軍にも弱点がある。奴らは『恐怖』という単一のジャンルしか持っていない。ホラー一辺倒だ。だが、読者は飽きっぽい。恐怖による支配は、長期的にはエンゲージメント(忠誠心)を下げる」
俺は将軍たちに向き直り、宣言した。
「これより、エルデナ国は事業転換を行う。軍事国家から、コンテンツ国家へ。我々が売る商品は『領土』ではない。『物語』だ」
「具体的には何をせよと?」
「まずは、ターゲットの再設定だ」
俺は地図の端、隣国の大国・アルカディアを指差した。
「この国は中立を保っている。だが、彼らもまた、魔王軍の脅威には気づいているはずだ。しかし動かない。なぜか? それは、エルデナを助けることに『メリット(ROI)』を感じていないからだ」
「アルカディアの王子には、何度も援軍を要請した! だが、無視されたのだ!」
「頼み方が悪い。『助けてください』という悲劇のヒロインムーブは、今のトレンドじゃない。読者(他国)は、もっと刺激的で、かつ打算的な『ウィン・ウィン』の関係を求めている」
俺はアイリス女王の手を取り、その場に立たせた。
「陛下。あなたには今から、『契約結婚』のヒロインになってもらいます」
「け、契約……結婚……?」
女王の顔が真っ赤に染まる。 俺は構わず続けた。
「ロマンス市場における最強のアルゴリズムの一つだ。愛のない政略結婚から始まり、やがて真実の愛が芽生える……という建前で、アルカディアの軍事力を引き出す。タイトルはそうだな……『没落寸前の女王ですが、冷徹な隣国王子と契約結婚して魔王を論破します』。これで行こう」
室内に静寂が落ちた。 全員が、こいつは狂ったのかという目で俺を見ている。
だが、俺の頭の中では、すでにカチリと音がしていた。 ベストセラーの方程式が、この異世界で組み上がり始めていた。
「さあ、執筆開始だ。締め切り(滅亡)まで時間がない。大至急、アルカディア王子への『ラブレター(事業提案書)』を作成する。筆記具を持て!」
俺の号令に、呆気にとられていた文官が慌てて羽ペンを走らせる。 こうして、国家存亡をかけた、史上最大にして最凶のマーケティング・キャンペーンが幕を開けた。




