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立ちはだかる障害8

 その数日の後────私達は響子さんに会う為に、改めて御影邸を訪れていた。初めて入った御影君のお家の二階にあるリビングは凄く広くて、羨ましくなるほど大きなオープンキッチンにダイニングテーブル、高級そうな革張りのソファ。でもどれも生活感がなく、モデルルームみたいな印象を受けた。こんなに素晴らしいキッチンをほとんど使っていないなんて、なんて勿体ないんだろう。買うお金はあるけど働きすぎてそれを使う暇も無いとは、彼が何よりホワイト企業に勤めたいという気持ちも分かる気がしてしまう。幸せって本当に難しい。



 お茶を出されたテーブルで、私達は並んで響子さんと対峙していた。二人で決めた事を彼女に報告するためだ。



「バイトは辞めて、勉強に専念してもらうことにしました。でも毎日の夕食はうちのお店で食べるということにしたいんです。全く顔も見れないというのはストレスですし、コンビニで済ませてばかりでは栄養も偏りますし。あと、学部の事はもう少し考えて、模試の結果なども踏まえて柔軟に検討していきたい、と」


「貴方達二人でそう決めたのなら、私の方では特に異論はないわ」


「ありがとうございます・・! 良かったね、御影君っ」


「はい。奈緒子さん」



 彼はいつもの優しい笑顔で私に微笑みかけた。だけどそのあと響子さんが彼に「奈緒子さんの為にも頑張りなさい」と声をかけると、彼は憚ることなくムッとした表情を見せた。



「言われなくても俺は元々そのつもりです。お母さんが勝手に騒ぎ立てただけでしょう。養って貰っている身の義務として、どこかしら聞こえの良い大学には引っかかってみせますから、もう余計な口を出さないで貰えますか」



 ・・どうやら彼はお母さんが勝手に私に会った事を未だに怒っているらしい。そんな風に言わなくてもいいのに、と思うけど、この親子には私には知り得ない17年の遺恨みたいなものがあるのだろう。






◇◆◇◆◇◆◇



 ────幼い頃、子供扱いされる度に例えようもない苛立ちを覚えていた。


 後に響子さんに電話で呼び出され、二人で入ったカフェにてコーヒーが湯気を立てる夕暮れ時。彼女は私にそう語った。



「人は常に高いレベルに身を置いた方が成長できる。私はそう思っていたの。だから子供だからといって甘やかさずに接していたのよ。食べ物を溢したり周りを気にせず駆け回ったりする度に行儀が悪いと叱りつけ、ゲームなんかも容赦なく負かしたわね。何が敗因か改善点を指摘して、あの子が涙ぐんだりしたら男らしくない、しっかりなさいとね。

ある頃からあの子があまり食事に手をつけなくなったのに気がついて、家政婦さんに聞いたの。あの子はどこか具合でも悪いのかしらって」


 その時、家政婦さんが恐縮しながらも意を決した様に彼女に進言した内容は、彼女に衝撃を与えたのだという。


『恐れ入りますが奥様・・晴人君は、奥様に叱られるのが怖くて、奥様の前では食事を取らないようにしているんだと思います。躾は大事だとは思いますが・・幼児にはまだ、どう頑張っても出来ない事もあるんです。誠に失礼ながら、奥様のなさりようは保育現場では虐待ととられかねないと思います』




「────ショックだったわ。私のやっている事は虐待だったなんて。それからは育児書を読んだり勉強もして、私なりにあの子と距離を縮めようとしたのだけど・・ある日幼稚園のお遊戯の発表会を見に行くために苦労して休みを取って、あの子に見に行く事を伝えたの。そしたらあの子その後、腹痛を起こして病院へ担ぎ込まれてしまって・・」



『特に異常はないですね。精神的なものかと。何かストレスに感じるものはありませんでしたか』



「私が観に来たらまた駄目出しをされると思ったんでしょうね。あの子にとって私って、身体に変調をもたらす程のストレスなんだって思ったら、なんだかすごく焦燥感を覚えたわ。その頃の私は仕事も精一杯で、苦労してスケジュールを調整したのにあの子には迷惑でしかないなんて、虚しさしかなくて・・私はあの子から逃げたの。そのうち成長して話が通じるようになったら私の考えも理解してもらえるかもしれないなんて、都合の良い理由をつけてね。

当然だけどそんな日はやって来なかったわ。成長したあの子は、私に他人行儀な愛想笑いしか向けなくなってしまった。驚くかもしれないけど、あの子が怒った所を見たのなんて、あの時が初めてだったのよね・・」



 逆に感慨深かったわ、と響子さんは言った。私の両親や姉の前でニコニコと愛想の良い御影君を思い出して、この人の前でもそうしているのだと思ったら、確かにそれは家族としてはよそよそしい関係なのだろう。先日ムッとした表情で母親へ嫌味を言った御影君は、もしかするとようやくその心の壁を壊し始めたのかもしれない。



「これから少しずつ分かり合えるといいですね」


「・・ありがとう。奈緒子さん」



 相変わらずニコリともしないけれど、下を向いてそう言ったのはちょっぴり照れているのかもしれない。なんだか自分の中で親しみのような感情が芽生えるのを感じながら彼女を見つめていた私に、彼女は顔を上げて目を合わせたあと、今度は頭を下げたのだ。





「晴人のこと、どうぞ宜しくお願いします」




 響子さん────・・



 どんなにすれ違ってはいても、彼女はやっぱり、ちゃんとお母さんなのだ。私も慌てて、彼女に頭を下げ返す。




「こちらこそ宜しくお願いしますっ!!」





 これでお互いの親公認の仲となった御影君と私。これ以上の障害など現れないものかと思ったけれど・・それは一瞬で覆される。響子さんがそこで思い出したように口にした言葉は、とんでもないものだった。




「そういえば貴方達、まだセックスはしてないのよね?」



 ────へ?



「えっ・・、あっ、はい。そ、そう・・です」



 ここはカフェだ。周りには他の客もいる。私は声の音量を極限まで小さくしてそう答えたのだけれど、響子さんは全く、意に介した様子もない。



「それなら悪いけど、受験が終わるまではセックスするのは控えてもらえるかしら。貴方は大人だしちょっと辛いかもしれないけれど」


「そっそんなことは・・でもそれは、その・・というかお母さん、ちょっとお声が・・」


「高校生の性欲は猿並みだなんて言われてるもの。受験目前にセックスなんか覚えたら、頭の中そのことだけになるわよ」


「・・・・は、はい。分かりました、お母さん・・」




 この人何回セックスって言うの。もう恥ずかしくて真っ赤になってそう答えた。御影君の誕生日には店を休みにしてくれとまで言われているのに、でもここは彼がなんと言おうとも、保護者の言う事を聞かざるを得ないだろう。


 10歳年下の高校生との恋愛はやはりそう易々と、『身も心も繋がる』という訳にはいかないらしい────・・




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