立ちはだかる障害7
私はお店を出た後、響子さんと共に御影邸を訪れた。理由は・・御影君と話をする為だ。
「晴人。ちょっといいかしら。・・話があるの」
彼の部屋の前でノックをしてしばらくの間のあと、部屋のドアが開いた。するとそこに母親と一緒にいる私の姿を確認した彼はかなり驚いたのだろう、はっと息を飲む声が聞こえた。
「奈緒子さん・・?」
彼は言うなり、私ではなく響子さんの方へ視線を動かした。私には決して向けることのないような、冷たい目で・・
「俺に断りもなしに彼女のところへ行ったんですか?」
こ、これは────怖い。めちゃくちゃ怒ってる。
「ち、違うの御影君! お母さんは御影君を心配してて! それに私は自分の意思でここに話に来たんだよ!」
慌てて間に入ると、彼は再び私の方を見た。
「御影君、成績が落ちてるって聞いて・・だからバイトは一旦辞めて受験に専念した方がいいと思って。後で後悔する様な結果になったら私もやりきれないし、それに・・学部のことも・・もしも私のことで本当の希望を曲げるようなことがあるなら、もう一度ちゃんと考えて欲しいな。今までそういう話した事なかったから、ちゃんと話し合いたいなって、そう思って・・」
────あの後、響子さんが私にした説明はこうだ。
「難関大学の理系学部に進んだ学生のほとんどは、大学院に進むのがセオリーなの。じゃあ大学を出た後更に大学院へ進むとなると、ここから7年近くかかってしまう。そのとき貴方の年齢はどうなっているかしら。結婚して子供を儲けるにも、高齢出産は母体と子供どちらにとってもリスクだし、それでは遅いと考えたんでしょう」
「そ、そんな・・じゃあ御影君は私の為に・・」
「それだけ晴人は貴方との事を真剣に考えているんだろうし、貴方達の仲を無理に裂こうとは思わないわ。でも今はあの子が受験に専念できるようバイトは辞めさせたいの。それと学部の件についてはもう一度よく考えるよう、貴方から晴人に話して貰えないかしら。あの子、私の言う事には取り合わないから・・。もしかしてあの子は受験なんかどうでもいいと思っているのかもしれないけれど、あの子はまだ子供だもの。この先本当にやりたい事が見つかったとき、学歴の問題で叶わないこともある。たった一年足らずの努力の差が、ずっと尾を引くことになりかねないの。あの時何故親の言う通りにしておかなかったのかと後悔する気持ちは、貴方の年齢ならば理解は出来るでしょう」
「は、はい・・私も、そう思います・・」
────私は彼のそんな状況に、微塵も気付いていなかった。これは二人の問題なのに、全部彼に任せきりで・・響子さんが教えてくれなかったら、私は何も気が付かずに全部スルーしてたんだ。彼の事が大好きだなんて言っておいて、私は・・
恥ずかしい想いで私は下を向いた。だけどそんな私の様子が、益々彼の怒りを増幅させてしまったのだろう。
「彼女に何言ったんだよ」
はっとして顔を上げると、彼は母親へと隠しきれない怒りの感情を向けていた。今まで積もり積もったものが堰を切ったように、彼は母親への悪意をぶつけたのだ。
「今まで何もしてこなかったくせに・・今更母親面して余計な口出してくるなよ。
俺は進路を曲げてなんかいない。俺の唯一の望みはな、彼女と結婚するなら『こんな家にはしたくない』・・それだけだ!」
御影君が怒鳴るのを初めて見た。
彼は私の手を捕まえて強引に玄関へと引いて行き、そのまま家を後にした。ドアを出る間際に後ろを振り返ると、響子さんはそのまま、彼の部屋の前で立ち尽くしていた。背中を向けていたから、彼女がどんな顔をしているのかは分からなかったけれど。
「御影君、待って・・一旦止まって、落ち着こう?」
私の手を引いて歩き続ける彼に、私は静止を求めた。珍しく感情的になっている彼を、とりあえず宥めなければいけない。すると彼は突然歩みを止めて、私の方を振り返るなり私の身体を抱きしめた。
「ごめん。あの人に何言われた?」
ぎゅっと抱きしめる彼の腕に力がこもる。
「ごめんほんと。年齢なんか気にせずに付き合えって迫ったくせに、結局俺の歳のことで嫌な思いさせて・・」
────御影君・・
私を気に病ませないように、何も話してくれなかったんだね。そうやって全部一人で決めて・・
なんだかどうにもやるせない気持ちになった。
「違うよ御影君・・私何も、お母さんに嫌なことなんか言われてない。お母さんはちゃんと御影君の変化に気付いて、心配して私のところへ来たんだよ。気付いてなかったのは私の方。御影君が成績下げたことも、どうして文系学部に絞ってるのかも・・あんなに毎日一緒にいるのに、何も気付かなかったのは私の方なんだよ」
10歳も年上なのに、彼に気を遣わせて守られてばかりいる自分がどうにも情けなくなってきて、彼を宥めなきゃいけないはずの自分の方が感情的になってきてしまって。
「謝らなきゃいけないのは私だよ。でもなんで御影君も、何も相談してくれないの? そんなの嫌だよ。私の歳の事で御影君に本当にやりたい事を諦めさせてたりするなら、そんなの・・そんなの嫌だよぉっ・・!」
溢れた気持ちと一緒に、だ────っと涙が溢れ出してしまった。
嫌だよ。私って・・貴方の重荷にしかなれないの? そんなのって・・
するとそれを見た彼は、ぎょっとして慌てて私の手をぎゅっと掴んだ。
「違うんだって! 本当に無理してる訳じゃないんだ! 俺は確かに数学に興味があるし、奈緒子さんに出会わなければ数学科を選択してたかもしれないけど・・でもそれは単に、他に興味のある事が無いから、消去法だったっていうか」
私が泣き出したことに本気で動揺しているのだろう。いつもの敬語はなりを顰め、おろおろと困った様な表情で彼は私を見た。
「今の俺にはちゃんと目標があって、それは『奈緒子さんとの幸せな日常を長続きさせたい』って事。だからその為になるべく残業の少ないホワイト企業に入りたい。もともと数学で食べてける人間なんてほぼいないし、じゃあメーカーとかで開発がやりたいって訳でもないし。だから無理してるとか、本当にそういう事じゃないんだ。・・って、何でまた泣くの!?」
相変わらず健気な彼の言葉に感動してしまって、またまた涙を吹き出した私を見て、驚いた彼は慌ててポケットをまさぐり、でも部屋着だったからハンカチなんて入ってなくて、彼は自分のTシャツを捲り上げて私の頬を拭った。こんな時でも珍しく慌ててる彼の姿が可愛いくて、涙腺が少しだけ落ち着きを取り戻す。ぐすっと鼻水をしゃくりあげ、やっと私は口を開く事ができた。
「・・でも、理系に進んだらホワイト企業狙えない訳じゃ勿論ないよね。せっかく勉強する機会なんだから、自分の好きな事を学んだ方が良くない? お母さん言ってたよ。大学で本当にやりたい事が見つかるかもしれないし、後で悔やんでも遅いから、二人で話し合ってもう一度しっかり考えた方がいいって。あの子が後悔のないよう、協力してあげて欲しいって・・」
ズビッと不細工な音を何度かあげながらもそう伝えると、彼はちょっと驚いた顔をした。
「あの人がそんな事を・・?」
「うん。御影君のお母さんは・・ちゃんとお母さんだよ」
「・・どうだか。奈緒子さんの人となりを見て、そういう言い方をした方が響くと思っただけかもしれませんよ。あの人はプライドだけは高いから、息子には難関大学に行って貰わなきゃ困るってことじゃない?」
「・・御影君て、ほんとにちょっと捻くれてるよね・・」
「悪いですか? 俺は性格悪いって前から言ってますよね。それに奈緒子さんはあの人のこと大して知らないからそんな事が言えるんです。プライド高くて高圧的で、人の気持ちなんかちっとも考えないんですから」
「ま、まーまー・・でも私は今回のこと、お母さんに感謝してるよ」
10の歳の差のある私達。普通とはちょっと違うからこそ、この手を繋ぎ続ける為には一方だけの努力じゃなくて、お互いの協力が必要だ。そんな想いを込めて私は彼の手をきゅっと握り返した。
「もう一回ちゃんと考えよう。これからは他のこともちゃんと、相談して欲しいな?」
「・・分かった」
彼が神妙な感じでそう返事を返したあと、私達は目を合わせて────お互いにふふっと笑った。
(続く)




