立ちはだかる障害6
世界最低レベルの初対面────。
助けてくれ御影君。私にはこの場を穏便に収められそうにない・・。
「・・貴方の為に言ってるのよ」
私の啖呵を受けて尚、響子さんは声を荒立てる事なく、冷たい目を私に向けてくる。常に冷静な全てを見透かす視線は私に畏怖の念を沸き起こさせる。まるで常に私の言動の粗を探している様な・・。
「10も年下の子供と付き合っても、貴方にとって良い事など一つも無いでしょう。女性にとって今の貴方の年齢は結婚適齢期・・その大事な時期を無駄に浪費して、後で後悔しないと言えるかしら」
「わ、私達はその・・先程申し上げたとおり、真剣な気持ちで交際をさせて頂いております。私も今だけという訳ではなく、将来長きに渡って彼と一緒に過ごして行きたいと考えておりまして・・も、もちろんそれは、お母さんとお父さんのご了承を得た上の事とは思いますがっ・・」
内心ビクビクしながら、なんとかそう返した。息子を誑かしただとか、雇用主としての良識はないのかとか、そんな罵詈雑言をぶつけられるのを覚悟していた私にとって、次に響子さんの口から紡がれた言葉は少々意外なものだった。
「残念ながら『息子は良い子だから一生貴方を大事に出来る』とは言い切れないのが現実よ。人格の素晴らしさと愛情が冷めてしまうのとは、全くの別問題なの。私は弁護士をしていてね。私の専門では無いけれど、事務所には日々多くの泥沼化した離婚裁判の申し立てが行われている。今はどんなに純粋な気持ちであっても・・人の心は変わるものよ」
・・あれ? この人・・
「今は良くても10年後はどうかしら。20年後は? あの子が男盛りの40歳のとき、貴方はもう閉経するような年齢ね。あの子が他で女を求めても、貴方はそれが許せるかしら?」
この人、顔はニコリともしないし冷たそうで凄く怖いけれど・・?
確かに私は、彼と別れる様に諭されている。
だけどただ別れさせたいだけであれば、もっと私の罪悪感を煽ったり、罪を問うような言い方をすればいい。弁護士ならば尚更、「訴える」と脅せばいいだけの事。なのにこの人は先程からずっと、私の将来についての懸念を話しているだけなのだ。
「あの・・」
彼女の話をただ静聴していた私が声を上げると、彼女は言葉を止め、手で発言を促した。
「どうぞ」
「お母さんは・・本当に私の将来を心配してそう言って下さってるんですね。ありがとうございます」
彼女の眉根が僅かにぴくりと動いた。どうやら反論は無いようなので、私は話を続けた。
「でも、ご心配には及びません。・・その事は彼と付き合う前に、もう死ぬほど考えましたから」
そう。そんな事はもう何百回と考えた。
でも彼の熱意に心を打たれて付き合って、でもそれでも最初は、やっぱりどこか不安はあったけれど、今は・・
「彼が真剣に想ってくれてるからとか、そういう事じゃありません。これは私の覚悟の問題で。
彼の優しさに心を癒されて、彼の笑顔に元気を貰って・・幸せなんです、彼と過ごすこの日常が。今までの人生で一番じゃないかってくらい、愛しいんです」
響子さんの鋭い洞察の前に晒されていても、自然と、笑みが溢れた。彼との幸せな日々を思うだけで、心が優しさで満たされていく。
「だからこの先どんな結果になっても────彼を恨むことはしません。高校時代っていうこの大事な青春の時期を私に捧げてくれた彼に、ちゃんと・・私は感謝できると思います」
まるでやっと見つけた宝物のように、私の中でこの恋は輝いている。その光が一瞬の輝きなのだとしても、得るべき価値のあるものへと育ってしまっている。
だから多分、大丈夫。
例えこの先彼が私の元から去ってしまったとしても・・この奇跡のような幸せをくれた彼に、きっと私は「ありがとう」と言おう。恨み言ではなく心からの感謝を送ろう。それが憎しみという苦悩から逃れる為の────私が決めた『覚悟』なのだ。
響子さんはしばらく、じっとその洞察の目で私の目を見つめていたがやがて、ふう、と小さく溜息をついた。
「・・そう。そこまでの考えがあるなら、もう止めないわ。ごめんなさいね、余計な口を挟んで。出来れば息子の離婚裁判なんて、担当したくないもので」
え・・? 意外とあっさり、認めて貰えた・・!?
「とんでもない! むしろ事前にこちらからお話にあがらなければいけなかったのに、今まで申し訳ありませんでした!」
これで全てが丸く収まったなら良かった。だけど響子さんの話はそれに止まらなかったのだ。
「・・だけどね、それなら尚更、伝えておくわ。晴人、先の中間テストで成績を落としたみたいなの」
「え・・?」
「あの子は自信があるみたいだけど、受験はそんなに甘くないわ。あの子と同じ成績上位者も今まで以上に勉強に励むのは当然だし、下位の子の中にも死物狂いで巻き返してくる者もいる。あのままじゃあの子、失敗するわね。それにね・・貴方は知っていた? あの子が志望学部を文系に絞っていること」
「文系?」
御影君は数学が好き。
だから何となく、理系に進むものと思っていた。
そしてこの後響子さんが口にした言葉は、私に一番の衝撃を与えるのだ。
「私の読みではそれは多分────貴方の年齢が関係してるわね」
────え・・?
「どういう事ですか? 詳しく教えてください!」
(続く)




