理想の家族の過ごし方4
その声にハッとしたのは当然だ。それは毎日家で聞いている、お母さんの声。だけどそれ以上に私をハッとさせたのは、御影君が繋いでいた私の手をパッと離した事だった。
「・・と御影君、よね? どうしたのそんな所で。話し込むくらいなら上がってもらえば?」
どうやら移動販売の豆腐を買いに出ていたらしいお母さんは、つっかけにビニール袋を手に下げていた。普通にそう声をかけてはいるけれど、休みの日に珍しく出かけて行った私が御影君と一緒にいるこの状況を、内心窺ってはいるだろう。だけど御影君は、やっぱり狼狽えた様子もなく、いつもの大人びた笑顔で愛想良く母へこう返事を返した。
「いえ。ありがたいですがもう遅いですしこれで失礼します。奈緒子さん、今日は俺の用事に付き合わせちゃってすみませんでした。それじゃまたお店で」
私が母に追求されても、御影君の用事に同行して欲しいと頼まれたのだと言い逃れができるように、そんな事を言ったのだろう。私が母に────御影君と交際している事実を言い辛いだろうと思って。
私は彼に、色々無理をさせている。
それは全部私が弱いせい。なのに一言も責めないんだね。10も年下の高校生である彼にこんなに気を使わせて・・私はそんな自分が大嫌いだ。
立ち去ろうと踏み出した彼の腕を捕らえた。
驚いて振り向いた彼をこちらへと引っ張るように繋ぎ止め、私はついにお母さんに、こう宣言した────。
「お母さん私・・御影君と、付き合ってるの」
何と言われようとも絶対に別れない────まるでそんな気負いをぶつける様に、母を睨んでそう言い放った。
だけど母は驚きに口元に手をやり、こんな声を漏らした────。
「うっわ・・うらやまっ」
・・・・。お母さん?
「じゃあ尚更お茶でも飲んで行ったらイイじゃないの! おとーさーん! おとーさんちょっとたいへーん!!」
母は大慌てで玄関へと駆け込んで行った。それを見送った御影君が、隣でクスッと笑ったのが聞こえた。
「良かったですね。歓迎して貰えそうで」
「あ、うん、そだね・・。あ。ごめん時間大丈夫だった?」
「はい。俺は全然」
良かったけどさ・・
相手高校生なんだけど。
それでいいのか・・? お母さん・・
◆◇◆◇◆◇◆◇
結局お母さんがあれやこれやと食べ物を出してきて、御影君は半ば強制的にうちで夕飯を食べさせられて、解放されたのは22時近くとなっていた。テンションの上がったお父さんがみんなでトランプやろうとか謎の提案をし始めたので強引にお開きにさせた。
「ごめんね遅くまで引き留めちゃって!」
「いえ、こちらこそ急にお邪魔してすみませんでした。お父さんとお母さんにもどうぞ宜しくお伝えください」
先程の父と母の張り切りぶりが思い出されて、私はまた申し訳なさで一杯になった。高校生が彼女の家族と交流とかめんどくさいに決まってる。大人になっても嫌がる人多いもんなぁ。
「ごめんねほんと・・お父さんもお母さんもすごい張り切っちゃってさ。多分私が彼氏を紹介するのとか初めてなもんだから・・」
「え? 初めてなんですか!?」
・・ん?
御影君が珍しく、めちゃ驚いてる。そうか。この年で彼氏連れてくの初めてとか悲しい話だよな。私が付き合ったのって今までで三人しかいないし。しかもそのうち二人はたったの数ヶ月で二股発覚して別れたし、つまりまともにカウントできるのって、いつの間にか結婚してた元カレくらいだし。自分で言ってて泣きそうになってきた。
「あ、あはは・・すいませんモテなくて・・」
でも御影君は────嬉しそうに笑って・・?
「ヤバ。それはめっちゃ、嬉しすぎる」
────ヤバ。それはめっちゃ、可愛すぎるって御影君。
今日何度目かと言う、ずきゅんとハートを射抜かれて私は思わずギュッと胸のあたりの服を掴んだ。きゅんとすると胸が苦しいと言うけど、アレ本当なんだな。
「あ、もうここでいいですよ奈緒子さん」
「え? いいよ別に、散歩がてら」
「でもこれ以上行くとまた送り返さないといけなくなって、無限ループしちゃいますから」
「え。そ、そうか。じゃあ、ここで・・」
実はもうちょっと一緒に居たかったなぁ。なんて、丸一日一緒に居て何を子供みたいな事を・・
だけどその時、突然────御影君は私の背中に腕を回し引き寄せた。自分の胸の中へと・・
「ありがとうございました。彼氏だと紹介してくれて。・・すごく嬉しかったです」
一瞬だけギュッと抱きしめられて、彼はすぐに私から離れた。彼の顔を見上げると、彼はあの愛情溢れる優しい目で私に向けて微笑んだ。
「それじゃ。また明日お店で、奈緒子さん」
世界が────まるでキラキラ輝いている様に見える。
手を振って去っていく彼の後ろ姿を私は、彼が路地を曲がって見えなくなるまで見送っていたんだ。
御影君。
もう一瞬だけのハグじゃ足りないよ・・。
もっともっと御影君のことが知りたいよ────・・
確実に御影君への想いを大きくしていっていた私。だけどその近い将来・・そんな私達の前に、大きな障害は立ち塞がる。
「随分帰りが遅いのね」
御影響子────国内で四本の指に入る大手弁護士事務所に所属する、主に企業の海外進出・M &Aを手掛ける海外法務のスペシャリスト。国際業務に携わる弁護士は、海外出張も多い上に時差の関係で夜間に働かざるケースも少なくはなく、かなりの激務なのだという。
普段は彼女が帰宅する前には家に戻り、自室に籠るようにしている御影君。この日は私の家族に引き留められた事と、彼女の帰りがいつもより早かった事が災いした。
「また理玖君のところ? 先方の迷惑も考えなさい。まさかいつもこんなに遅くまで入り浸ってる訳じゃないわよね」
「・・理玖のところではないです。春休みに入ったばかりなので、少し羽目を外しました。すみません」
「では何処へ?」
「高校からの付き合いなので、お母さんの知らない子達ですよ。さすがにもう中学以外のコミュニティくらい俺にもあります」
「・・そう。でも貴方も今年は受験でしょう。基本的に進路は貴方に任せてはいるけれど・・すべり留めのつまらない大学へ行くくらいなら、海外留学でもした方が余程有意義よ」
「心配しないでくださいお母さん。難関大学のどこかには入れるようにはしますから」
御影君は母親にそう謝罪をし、いつもの通りに自室へと引きこもった。後々考えると、これが事の発端だったのかもしれない。私はこの数ヶ月後、あの御影君ですら「理屈ぽくて苦手」だというこの人物の鋭い追及の前に唐突に晒され、彼との関係を《《詰められる》》事になるのだが────・・
「高校からの付き合い・・微妙な言い回しね。
『高校の友達』では無い、ってことかしら・・?」




