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薔薇の花の送り主

「じゃあ、お疲れ様でした。お先に失礼します、奈緒子さん」


「うん、今日もありがとう御影君! また明日もよろしくね」


 奈緒子さんはそう挨拶を返した後、ススス…と俺の方へ近寄り、コソッとこう耳打ちしてきた。おそらく店内には、まだ食事中の客が結構残っていたからだろう。


「御影君、今日は店終わりに迎えに来なくても平気だからね。寒いし、学校も始まったから大変でしょう?」


「分かりました」


 彼女がこんな事を言うのは俺を煙たがっているのではなく、単純に俺の事を心配してのことだ。


「・・でも、どうしても会いたくなって来ちゃうかもしれません」


 コソッと耳元でそう囁くと、彼女はまた、分かりやすく頬を赤らめた。どうしたら三十手前でこんなに純粋でいられるのだろう。可愛くてつい、もっと困らせてやりたくなってしまうが、今日は客も多いしこのくらいで許してやろう。




 年が明けて以来俺は、英語のリスニングをしながらこのあたりを彷徨いて、一時間後にまたここへ戻ってきて、奈緒子さんを家まで送り届ける。彼女は俺の勉強時間を侵食しているのではと気にしている様だが、どの道英語のヒアリングは毎日欠かさず行っているので丁度いい。こればかりは日々の積み重ねがものを言う。


 俺が店から出ると、一月も下旬に差し掛かろうとしているこの頃、夜はかなり冷え込んで、吐く息ははっきりと白く夜を染めてみせる。その向こうで、人影が不自然に動いたのを見つけて、俺は目的のものを見つけた事を悟った。店前の路地から商店街の中通へと消えて行った人影を追って通りへと出ると、人の往来する中を早足で歩いていく、黒いダウンジャケットにキャップを被った男の後姿が見えて、俺は確信を深めた。何故なら手にはあの、一輪の薔薇の花が握られていたからだ。


 近頃俺が毎日奈緒子さんを家まで送り届けるのには理由がある。年始に店前に置いてあったというあの薔薇の花・・年末にも店前の通りで花を手にした男を見かけた気がしたからだ。その時はさほど気にしていなかったが、薔薇の花を持った男などそういつも歩いているものではないし、偶然とは思えない。年末は俺が一緒だったから奈緒子さんに声をかけられず、年始は店が休みで薔薇の花だけを置いて帰ったと、そういう事なのだろう。こうして店から人が出てくる度に逃げ出す様な気弱な人間であれば、気づいていないだけでもっと来ているのかもしれない。俺は男を追う足を早めた。



「すみません。貴方、年始にあの店の前に薔薇の花を置いた方ですよね? あの店に何かご用ですか」


 俺がそう声をかけると、男は驚いて俺の方を見た。目深に被ったキャップの奥から覗いていたのは、威嚇というよりは恐怖の色の浮かんだ目。いかにも気が弱そうな感じの、小柄で若い男だった。ただ気弱そうだから危害を加えないかというとそういう訳でもない。過去凶悪事件を起こした人物のほとんどは、至って普通の外見をしているのだから。俺は男から距離をとったまま、刺激しないよう丁重に問いかけた。


「あ、俺は警察とかではなく、あの店のスタッフです。少し気味が悪かったもので、警察に届けるか検討していた所です。大事にする前に直接事情をお伺いできるなら、その方がいいと思いまして」


 実際は花が置かれていただけでは警察は動かないだろう。せめて脅迫文くらいは届いていないと被害届すら出せはしないから、できる事ならこの機会に解決しておきたい。俺がそう言うと、男は狼狽えながらもしばらくの後、下を向いてこう答えた。


「す、すみません・・。俺・・何か危害を加えようとか、そういうつもりじゃ・・」


 とりあえず話はちゃんと通じそうだし、突然ナイフで斬りかかってくるような相手ではなさそうだ。


「少し話しませんか? 俺もできれば大事にしたくはないので」


 この男を警察に突き出す必要があるかどうかは話の内容次第だ。俺がすぐ脇にあった自販機でホットの缶コーヒーを買って男に差し出すと、男はやはり戸惑いながらも、会釈をしておずおずと、それを受け取った。





(続く)


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