知将は外堀を埋める
店の軒先の看板のランチメニューをカフェメニューへと切り替える為に、看板を反転させる。その時に手に触れた冷たさと、吐く息の白さに、師走の冬を感じる。
今日は12月29日。年内最後の営業日です。
常連さん達は皆、ドアを出ていく前に「良いお年を〜」とひと声かけてくれる。そんな中、一人の客がドアの鐘を鳴らした。
「奈緒子〜! 久しぶり〜」
ベビーカーを手に押す女性・・同級生のミカだ。
友達の顔を見つけた喜びよりも、身構える気持ちの方が勝ってしまった。何故なら私の左の薬指には、御影君から貰った指輪がはめられていたから。それにミカが気づかない訳がない。この事を聞かれたら私は、今度こそ嘘をつかずに、彼との関係を話さなくてはならない。
"さすがに犯罪かぁ〜"
以前ミカが口にした言葉が、私の心を鉛の様に重くしている。だけどそのとき────。
「ミカさん! こんにちは」
そう彼女に声をかけ、彼女がベビーカーで入りやすい様にドアを押さえに飛んで行ったのは、御影君だった。ミカは彼のその対応に、へにゃっとした笑顔に顔を破壊させた。
「ありがと〜♡ 御影君〜」
「いえ。お越し頂きありがとうございます。今日もチーズケーキとコーヒーでいいですか? 俺、奢りますよ」
「えぇ〜♡ うそぉ、でも悪いよぉ〜」
「いえいえ。その節は大変お世話になりましたので。子育てでお忙しい中、ありがとうございました」
・・・・え?
なんだ・・? この親しげな感じは・・?
すごく置いてけ堀感があるんだけども・・
「・・・・えっと・・・・二人はそんなに、仲良しさんだったっけな・・?」
私が作り笑顔を顔面に貼り付けたまま首を傾げると、ミカはニヤニヤと揶揄う様な笑みを浮かべた。そして二人はやっぱり仲良しさんな様子で顔を見合わせると、揃って私にピースをして見せた。
「うふふふふ♡ なんで御影君が奈緒子の指のサイズを知ってると思うんですか?」
え・・・・
その時、ふと思い出した記憶。少し前にミカから電話がかかってきて、旦那さんとか子育ての愚痴とか、世間話に花を咲かせていたところだった。
「はぁ。それになんか最近年のせいか、甘いもの食べるとすぐ太るしさ。結婚指輪なんか超食い込んじゃって抜けないし。指太るって結構末期じゃない? 奈緒子はどうよ? 前は確か私と同じ7号だったよね。変わってないサイズ?」
「うーん、最近指輪とか買ってないからどうかなぁ。でも昔のがまだ入るから、変わってないと思うよ?」
「うそぉ。私なんか服もサイズ上がっちゃったよ・・」
────アレか・・!
「え? でもなんで御影君がミカの連絡先を・・」
「飯塚君から電話貰ったのよ。今お前の家の前にいるから、ちょっと出て来いって」
するとそこには飯塚君に連れられた御影君がいて、ミカにこうお願いしたらしい。
「奈緒子さんにプロポーズしたいので、指輪のサイズを探って貰えませんか」と・・
「えぇ〜? とか思うじゃん? 高校生がプロポーズとか、いじらし過ぎてきゅんきゅんしちゃって、顔もカワイイし一瞬意識遠のいたしね。これが尊死ってヤツかって。これはもう協力するしかないじゃ〜ん?」
顔がカワイイのは関係ない・・。でも彼らの間でそんな事があったなんて・・
私が少し戸惑った視線を御影君に送ると、彼はニコッと笑顔になった。
「俺チーズケーキ用意してきますね」
彼がキッチンへと去っていった後、それをキラキラした瞳で見送っていたミカが、私を引き寄せ、こう耳打ちしてきた。
「で。もうやっちゃったの? 御影君とは」
────は!?
私は真っ赤になった。
「そっ、そっ、そんな事、するわけないっ・・!」
「え? なんだぁ、そうなの? つまんない」
「つまんないって・・! まだ高校生だよ!? ミカだって言ってたじゃない、犯罪だって・・」
するとミカは・・何故か鬼を降臨させた。
「当たり前でしょ、あんなにカワイイ高校生男子をたぶらかして自分好みに育てようとか、源氏物語かよ! 羨ましい・・羨ましいよぉ・・女達の怨みを買って、呪われてしまえばいいのに・・」
「情緒がおかしいよ!? 何か辛いことあった!?」
「私もきゅんきゅんする恋がしたいよーー! うわーーん」
ミカとそんな漫才を繰り広げていると、そこへ再び来客を知らせる鐘の音がした。するとそこへ顔を出したのは、なんと飯塚君だった。
「おー! 佐藤に吉岡! お疲れさん!」
飯塚君はそう挨拶をくれるなり、視線を落とした。私の左手の方へ・・
「おぉ〜。なるほどこれが、例のアレ、ね・・」
恥ずかしすぎる!!
「あ・・う・・その・・」
真っ赤になってモジモジしていると、ミカのチーズケーキとコーヒーをお盆にのせて御影君がやって来た。彼はミカのテーブルへとそれを置く傍ら、飯塚君に輝くばかりの愛らしい笑顔を向けた。
「いらっしゃい飯塚さん。お陰様で、上手くいきました。全部飯塚さんのお陰です」
「そっかそっか、良かったなぁ《《晴人》》! お前もビーフシチュー食うか? めでたいし俺の奢りだ!」
「ほんとですか? ありがとうございます!」
「えぇー、いいなぁ。私にも奢ってよ飯塚君」
「吉岡のも!? う・・まぁいいか。佐藤! ビーフシチュー三つな!」
・・・・・・。
晴人って・・いつの間にそんな仲良くなったんだ・・。何だろう・・ものすごい勢いで、外堀を埋められている・・?
それにそもそも彼が結婚の話を持ち出したのはもっと前で、そういう意味ではプロポーズ自体は既に終わっている。それなのに御影君は、わざわざ二人に連絡して「プロポーズしたい」と相談した。それは何故か・・
(私達が結婚の約束をするほど真剣に交際している事をアピールし、二人を味方につける為・・)
彼はこの指輪を、私を他の男から護るための護符の様なもの、と言っていたけれど、もしかして法的に護るという意味も含まれているのだろうか。もしも万が一、私が雇用主の立場を利用して彼に関係を迫ったと疑われるような事態が起きても、こうして彼らを巻き込んでおけば、むしろ御影君からプロポーズしたのだという事実を第三者から証言してもらえる。そこまでの事態にならなくとも、地元の知人友人間で私達のことが知れ渡り悪評が立っても、少なくともこの二人はこの件を美談として擁護してくれるのは間違いないだろう。
(なんて・・抜け目ない子なんだろう・・)
最初から私が敵わないわけだ。唖然として彼の方を見ると、その私の視線に気がついたのか、彼は私へ向けてニコリと愛らしい笑顔で笑って見せた。
「皆さん協力的な良い方達で良かったですね」
「う、うん・・」
(続く)




