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勝手に決めないで

 ハンバーグ。


 誰もに愛される洋食店の花形とも言えるメニューだ。家庭で作ったものも十分美味しいのではあるが、わざわざお店で、となると皆が期待するのはやはり、泉の如く溢れ出る肉汁だろう。家庭料理では何故そうはならないのかと言うと、理由はいくつか考えられるが、最もありがちなのは焼く前に肉の脂が溶けてしまっているという事。とにかく肉の温度を上げない、これが重要だ。

 その為にはまず、肉の旨味を吸収し留めてくれるパン粉を、肉と混ぜる前にしっかりと牛乳でふやかしておく。飴色になるまで炒めた玉葱もしっかり冷ます。これらを混ぜ合わせ下準備を終えるまで、肉は冷蔵庫で冷やしておかなければならない。肉をよく塩と共に捏ねる事も肉汁を逃さぬためには重要であるが、ここでも温度を上げないため、捏ねる前には手を冷やし、氷水で冷やしながら行うのがポイントだ。整形は手早く美しく。ひび割れているとそこから肉汁が流れ出てしまう。




「俺、やりましょうか?」


 大きなボウルで肉と格闘していると、いつものように御影君が寄って来て、そう声をかけてくれる。しかしハンバーグのこの行程だけは、他の仕込みと違ってデリケートな作業なのである。


「ありがとね御影君。でもこの捏ね作業は、肉の温度を下げずに手早くやるのが肉汁を閉じ込めるポイントなんだ。これはいいから、他のことはよろしく。中断したくないもんで」


「へぇ・・そうなんですね」


 御影君は興味深げに、私が度々氷水を投入しながら大量の肉を捏ねる様子を眺めていた。やがてお客さんがドアに付けられた鐘を鳴らすと、彼は颯爽とキッチンから出て行った。





 ────夏休みも終わり、蒸し蒸しとしていた暑さはいつの間にか、カラリ乾燥した暑さへと変わっている。季節は秋へと移り変わりつつあった。


「私の誕生日を祝いたい」と言った彼の申し出を断ったあの後、御影君はいつもの通り、バイトを続けてくれている。ただ・・店仕舞いを見計らって迎えに来ることも、好意を匂わせる意味深な発言も────夏のむせ返る様な暑さと共に、露と消えた、というだけだ。




 そこから夕食を求める客は少しずつ増えていき、六時過ぎには満席となり、忙しない時間が始まった。そして七時には最も忙しい、夕食時のピークを迎える。その客がお店のドアをくぐったのは、そんな頃だった。



「こ、こんにちは・・」



 濃いめの化粧と金までいかない明るい栗色の髪。一度家に帰ったのだろう、学校の制服ではなく私服で現れたのは、御影君のクラスメイトの亜美ちゃんだった。



「あれ? 竹脇さん。今日は外食?」


「う、うん。お母さん夜出掛けるらしくて。お父さんは食べてくるらしいし、ウチの分だけ作るの大変だしさっ」


「そうなんだ。何にする?」


「えーと、じゃあ・・ハンバーグ定食でお願いします」



 その後もドアをくぐる客は後をたたず、私はいつもの通り、一心不乱に料理を作り続け、御影君はそれを運び、片付け、お会計をし・・忙しくしている中、亜美ちゃんはカウンターで黙々と、ハンバーグ定食に箸をつけていた。そしてようやく客足が落ち着いた頃、御影君の帰る八時を迎える。


「お先に失礼します。お疲れ様でした」


 御影君が私にそう挨拶をくれて、お店のドアを出ようと客席の中を通り過ぎようとしたときだった。亜美ちゃんが立ち上がり、こう声をあげたのは。


「ご馳走様でした!」



 ・・そっか。御影君の退勤時間に合わせて夕食を食べに来たんだね。


 そう悟ったのは私だけではなかった。


 御影君は動きを止めて、亜美ちゃんの方を振り返り────彼女へ向けて微笑んだ。




「すぐそこまでだけど、一緒に帰る?」


「う、うん!!」



 彼の言葉に亜美ちゃんは、目に見えて瞳を輝かせると、慌てて肩にかけたポシェットから財布を取り出し、カウンターの上に勢いよく千円札を置いた。


「店長さん、ご馳走様でした! いつもお世話になってるのでお釣りいらないです!」


「え、でも・・」


 私の制止を振り切って、彼女は御影君のいるドアの方へと駆け寄って行く。最後にこちらを振り返り会釈をした彼女の表情は、幸せそうな笑顔で頬を蒸気させていた。カラン、という鐘の音を鳴らして、お店の外の世界へと二人は消えて行った。





(続く)



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