不調の原因
「それじゃー佐藤さん。そろそろあがりますねー」
「・・・・」
「?? 佐藤さん? 大丈夫ですか?」
お昼時間帯のアルバイト・吉瀬さんに顔を覗き込まれて、私はハッとして我に帰った。
「はっ! お疲れ様です!」
「具合でも悪いんですか? 今日度々、ぼーっとしてますけど」
吉瀬さんは私よりも年上の35歳。今年この辺りにある旦那さんの実家の敷地に家を建て、越してきたらしい。今年度小学生に上がったお子さんが居て、14時半には子供が帰ってくるらしく、それまでのお小遣い稼ぎなんだそうだ。はきはきした感じの明るい性格の彼女が、ちょっと心配そうに眉を曇らせたのを見て、私は慌てて取り繕う。
「だ、大丈夫です! ちょ、ちょっと考えごとをしてて・・ほらまた来月から食品類値上げするって、ニュースでやってましたし!」
「はぁ、そうですか。大丈夫ならいいですけど。確かにずっと値上げ値上げで、大変ですよね。この状況なら多少値段あげても文句出ないんじゃないですか? 皆大変なの分かってるだろうし」
「そ、そうですよね! ちょっと考えてみます・・!」
吉瀬さんがお店を後にした頃、ランチを求めるお客さんはほぼ居なくなっていて、束の間の休息とも言える時間が訪れる。私はカックンと膝を折り、腰掛けへと座り込んだ。
「はぁ・・」
自分の様子がおかしい事は、自分でも分かっている。これから約2時間後の16時には────御影君がやってくる。
"今日の俺達ってお似合いだったりしますかね?"
気を抜くとすぐに頭をよぎる
"奈緒子さん、俺が欲しいのは・・"
昨日の御影君との謎の会合。彼のその表情や・・
"俺の服を着てる奈緒子さんが可愛いすぎて"
セリフが何度も頭の中をぐるぐると────・・
"これ以上部屋に居られるとヤバそうだったので"
「いや────!」
昨日の別れ際に彼が囁いたセリフを思い出して、私は思わず顔を覆った。
(ヤバそうって何! どういう事!? 可愛いから部屋に居られるとヤバそうって、それってつまり・・)
私は御影君にとって・・『女』としてアリって事なのだろうか・・?
「いやいや待て待て。何かの嫌味かもしれないよ? それかまた私をおちょくって、一人で舞い上がって右往左往してる姿を見て笑っているのでは? 被害妄想かもしれないけどなんか御影君て、私を下に見てる感あるもんなぁ・・」
────昨日あれからずっと、そんな事ばかり考えてる。頭の中は寝ても醒めても、御影君一色。もう30近いオバさんが、高校生に揶揄われて何をこんなに狼狽えているんだか、本当に情け無い。ここは昨日の事なんか全っ然気にしてませんよ的なそぶりで、平常心、平常心────。
精神を統一し、食材へと意識を集中させる。私はプロの料理人だ。全ては美味しい料理を作るため、ビーフシチュー用の牛塊肉の筋を取り除くべく、包丁を滑らせる。取った筋はコンソメスープの方でお出汁になってもらおう。
「お疲れ様です、奈緒子さん。昨日は付き合ってくれてありがとうございました」
「こちらこそありがとうね御影君。今日もよろしくね」
「はい、よろしくお願いします」
いつもの通りに笑顔で声をかけ、彼もいつもの通りに返事を返し、颯爽とバックヤードへ鞄を置きに入ると、すぐにエプロンをつけて戻ってくる。そしてお客様の少ない今日、彼は私の隣へ寄ってきて、仕込みを手伝いましょうかと声をかけてくる。全てがいつも通りだ。よしっ、平常心でいい感じのスタートを切ることができたぞ。この調子で・・
「奈緒子さん────今日も可愛いですね」
!?!?
包丁を握る手元の力加減が狂い、肉に弾き返されるように包丁を取り落とした私。カラーンという乾いた音が、人の居ない店内に異様なほど響き渡った。
かっ・・かわ・・可愛!? 今日《《も》》!?
「・・・・奈緒子さん」
御影君の両手が、優しく私の両肩を掴んだ。
(な、ななななに・・)
ドキドキしながら息を飲んだ私。彼はそんな私を見下ろしてニコッと笑うと、私の肩を押して、後ろにあった腰掛けにグッと座らせられてしまった。
「さすがに包丁を取り落とすのは危ないので・・ここに座って、ちょっとクールダウンして貰っていいですか」
「え」
ク、クールダウンって・・確かに顔真っ赤なんだろうけど、誰のせいでそうなってると・・
「だ、大丈夫だよ全然! なんてことないよこんなの!」
「指でも切ったらどうするんです。大丈夫ですよ。隣で見てて筋の取り方くらい、もう覚えましたので」
彼は私の反論をサラっとやり過ごすと、包丁を手に取り、牛肉の赤身へスッと刃を入れた。その手つきが意外にも迷いがなく危なげないものだったので、私はつい、彼の手により筋が取り除かれていく光景に見入ってしまった。
・・悔しい。御影君て本当に、何でもそつなくこなすよな。いつでも余裕そうな涼しい顔で、私の事だってこんな軽くあしらっちゃってさ。お前とはそもそもモノが違うんだと見せつけられている様な気がして、私はつい嫌味がましい事を言ってしまった。
「すごいね御影君は。見てるだけで何でもすぐに出来て。料理だってちょっと練習したら私なんかより上手になるんじゃないの」
我ながら可愛くない物言いだ。だけど・・
「俺に奈緒子さんの代わりは出来ませんよ」
彼は牛肉の筋取りを続けながら、言った。
「他と何が違うかと言われるとはっきりとは表現できないけれど、気がつけばまたここに足を向けている・・奈緒子さんの料理にはそういう、不思議な魅力があります。小説や漫画でよく「料理は真心だ」という表現が出てくるのですが、もしかしてそれは本当なのではないかと、奈緒子さんの料理を食べて初めて、そう思いました。レシピ通りに作っても、多分同じ味には出来ません。唯一無二だと思います」
「御影君・・」
私は嫌味を言ったのに・・そんなに褒められたらもう何も言えないよ。御影君って本当に大人だ。こうやってなんでも、上手くやり込められてしまう。
「ごめんね。変なこと言って」
益々悔しいような想いで下を向いた私の方へ、御影君は牛肉へ向けていた視線を外して振り向いた。ニヤニヤとした笑みを浮かべて────・・
「いいえ。奈緒子さんの不調の原因が俺なら、ちゃんと責任とらなきゃいけないですから」
な────やっぱり笑って!?
「べ、別にっ、御影君のせいとか、そんなんじゃ!」
「はいはい。そういう事にしといてあげます」
「なっ、何その言い方! いつも思うけどねぇ、もうちょっと大人を敬った方がいいよ? 最近の若い子はほんと、生意気なんだからっ・・」
「怒った顔も可愛いですね」
「み・・御影君!!」
彼はいつものようにちょっと意地悪そうな目の色で私を見下し、クスリと笑った。
それを見たとき思ったんだ。この先私はこの子に一生、勝てないんじゃないかって・・。




