どういうつもりで4
しっかし、すごいお家だなぁ・・
あり得ないくらい天井が高い。一面本棚って雑誌とかでは良く見るけど、実際は見た事なかったなぁ。本棚には難しそうなタイトルの分厚い本や、英語で書かれた背表紙もちらほら見受けられ、それすらもお洒落に見える。
「フィボナッチ数列と黄金比・・、フェルマーの最終定理・・?って聞いた事ある気がするけどなんだっけ。数学が好きなのかな・・?」
さいたま市内でもこのエリアは飛び抜けの一等地。坂の上で水害に強く、昔から富裕層の住んでいる高級住宅地なので治安はすこぶる良い。駅も近いし学力レベルも高い文京地区で人気が高く、地価は都内中心部にも劣らぬ水準で、もう少しランクの劣る私の家の辺りですら、親の代からの土地持ちでないと、ちょっと手が出ないお値段なのである。そんな一等地でこれだけ大きくて立派なお家、かなりの金額であろうことは間違いない。呆けたように部屋の中を眺めていると、カフェオレを載せたお盆を手にした御影君が、戻ってきた。
「ありがとう。すごいお家だね、御影君ち。ご両親は何やってる人なの?」
「父は財務省の官僚、母は国際弁護士です」
引くほどのサラブレッド! これで頭が良く生まれない訳がない!
「そ、そっかぁ・・さすが御影君のお父さんとお母さんて感じだね。なんか世界が違うって感じ?」
だけど御影君は何故か暗い顔をした。
「金銭的には余裕があると思いますが・・「家庭」として良いかどうかはまた別だと思います。父も母も忙しいので、もちろん食事も別々ですし、顔を合わせるのは朝家を出るときくらいです」
「えっ・・そうなの?」
「はい。下手したら何日も顔を見ない事もあります。小さい頃は家事も俺の面倒も、家政婦さんが見てくれていましたし」
「そ、そうなんだ・・それはまた、凄いお家だね・・」
その時ふと思った事。
御影君が毎日バイトしてる理由・・もしかして、一人きりのこの家に帰るのが、嫌だとか・・?
「淋しかった・・?」
ただのバイト先の雇用主である私が、そこまで踏み込む様な内容では無いと思ったけど、ついそう聞いてしまった。だけどその問いに対する御影君の答えは、意外なものであった。
「・・うちは変わってるとは思っていましたが、単純に淋しいかと言われると、一概にそうとは言えないかなと思います。特に母は昔から、理屈っぽいというか厳しい人で・・子供心に俺は、母に会うのが怖いと感じていました。家政婦さんは優しい人でしたし、どちらかと言えば彼女と二人の方が、気が楽だったのは事実です」
「そ、そうなんだ・・」
御影君が怯えるほど、厳しいお母さん・・家政婦さんとの方が気楽だなんて、確かに変わっている。なんて声をかけたらいいのかわからなくて、私はまた微妙な事を言ってしまった。
「頭の良い御影君が論破されるほど理屈っぽいんだ。きっと物凄く、頭の良い人なんだね」
へらっとした笑みを浮かべてそう言った私を、御影君はしばらく見つめた後・・また優しい笑顔でクスリと笑った。
「そうですね。俺は少し、苦手ではありますが・・。奈緒子さんは母とは正反対というか、純粋で優しくて、見てるとほっとします。もし家族になるなら────奈緒子さんみたいな人がいいなって思います」
「え────・・」
それを聞いたとき、なんとなく分かったような気がした。
普通の雇用主とアルバイトの関係よりも、少し近い距離感。こんな風に休日にまで十も上のオバさんを、わざわざ誘ってくれる意味。
(御影君────もしかして私に、お母さんとかお姉ちゃんとか、そういうものを求めてるの・・?)
淋しいんだ。きっと本音で甘えられる人が、この子には居ないんだ。
「そっかぁ。御影君が居心地良いなら、私も嬉しいよ。頼りないとは思うけど、淋しい時はいつでも甘えてね」
「・・・・」
なんだ。そっか。
私は・・「お姉ちゃん」なのか────。
「あ。でも毎日バイトしてくれるのは凄く助かるけど、無理はダメだよ。御影君ならご飯だけ食べに来たって全然いいんだから、大変なときはちゃんと休んでよ? お金の面で大変なわけじゃないでしょ?」
「ええ、まぁ・・でも大丈夫です。欲しいものがあるので」
「へぇ、こんなにお金持ちなのに、ちゃんと自分でお金稼いで買うんだ。偉いねぇ。何が欲しいの?」
「・・ジャンケンで俺に勝ったら、教えてあげます」
「え?」
こ、今度はジャンケン・・? やたら勝負が多いけど、これも甘えてるって事なのか?
「いいよ。ジャンケン・・ポイ!」
少し戸惑いながら私が出したのは、グー。
御影君が出したのは、パー。
「ま、また負けた・・」
頭が良いと勝負まで強いのか? すると御影君はふっと吹き出した。なんとなくだけど、明るい笑顔ではなく・・
「本当に弱いですね奈緒子さん。・・残念です」
「え?」
ざ、残念・・。大人の癖に残念だよなやっぱり・・擬似お姉ちゃんに就任して早速、幻滅されている?
「あはは・・ほんと、大人の癖に御影君に何も敵わないなぁ。残念だよねぇ」
苦笑いで頭を掻いた私。
だけど────。
「そういう意味じゃないです」
床に置いていた手の上に、もう一つの手が重ねられた感触。
びっくりして、思わず隣の御影君の方を見ると、そこには意外と近くに、御影君の整った顔がこちらに向けられていて────?
「・・奈緒子さん。俺が欲しいのは・・」
(続く)




