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サク/チル

作者: 水無飛沫

木花咲耶姫を題材に。







いと尊き血筋の御君。


この地を平らけく治めるために遣わされた御君と、我が父の間で行われた取り決めですから、私には不自由な婚姻だったのですけれども、あなた様に選んでいただけたのですから、私は幸福の只中におりました。

私の名の示す通り、まるで四季折々の花が同時に咲き乱れるかのような、そんな心持ちでございましたのよ。

あなた様の腕に抱かれてから幾晩を経て、あなた様の御子を胎内に宿したと知った時、私は本当に嬉しくて嬉しくて、天にも昇るようでしたの。

喜ぶあなた様のお顔、産まれてくる御子、太平の安寧を想っては早くこのことをあなた様にお伝え申し上げたい。

そう思う日々でございました。


ですから私の喜びを聞き及んだあなた様から、よもやそんな言葉が出てくるだなんて、思ってもおりませんでした。


「それは真実(まこと)に吾が子か」


初め、あなた様の仰った言葉の意がよくわからず、どうして喜ばないのだろうと思いました。

次第にこめかみの辺りが震えて、私の頭に血が集まっていくのが感じられました。


真実に吾が子か、ですって?


天よりのお役目のあるあなた様でしたから、それはお忙しかったのでしょう。

私をお娶りになってすぐに去ってしまわれたのですから、私があなた様に抱かれたのは確かに一晩だけでしたが、よりにもよって、私の不貞を疑うなどと。


山の民の貞操をお疑いか。

私の純潔は、ただあなた様のために散らされて、

私の貞操は、ただあなた様のために捧げられているのに。


これまでの喜びから一転、私は名誉を傷つけられた怒りと苛立ちの頂きへと突き落とされたのです。


あなた様がどこで誰と子を為そうが、私はとやかく言うつもりはありません。

けれども私のことをお疑いになるのであれば、為すべきことはただ一つにございます。



――誓約(うけい)



あなた様の祖母おばあ様がかつてそうなさいましたように、

あなた様の御父上がそのようにしてお産まれになられましたように、

私もあなた様にひとつ誓約をいたしましょう。


()妊身(はら)みし子、もし不名誉な子であるのならば妾が身とともに(まか)るべし。

もし天津神の御子であるならば、(さき)くあらむ」


この激情には炎こそが似つかわしい。







産屋の戸を土で塗り固め、出産の折には火を放つよう命じる。

やがて時が来て陣痛に襲われると、私の呻き声を聞いた者たちが、私の命を実行する。

すぐにパチパチと音が聞こえたかと思うと、周囲が黒い煙に包まれた。


痛みの只中にこそいたけれど、不思議と焦りはなく落ち着いていた。

これは誓約であるからこそ、この炎が私に降りかかることはない。

そう確信していた。


轟々と燃え盛る炎の中で、産婆もなく私は子を産み落とす。

それは玉のような男児であった。


――愛しい我が子。


充足した思いで掻き抱く。

ぎゃあぎゃあと泣く声が炎の中に響き渡る。


こうしてはいられない。私は体を起こす。

周囲は激しい炎に包まれていたが、私の進むべき道にだけは炎が回っておらず、倒壊しかけた産屋から外に出るのは難もなかった。

気を抜けば倒れてしまいそうだったが、それは心地よい疲労だった。


「吾が子よ」


私に差し出された赤子を、御君が心底嬉しそうに抱きしめる。

それから私に向き直り、心底申し訳なさそうに頭を下げた。


けれどそんなことで私の溜飲は下がらない。


「その子は火の中から出ずりました。火火出見(ひひでみ)と名付けましょう」


御君が首を縦に振る。

その子を世継ぎにするといいでしょう。


「天より参られた御君よ。

よくよく覚えておいてください。

あなた様の妻として、私は生涯貞操を貫くことでしょう。

けれど、私はもう二度とあなた様にお会いすることはありません」



私の山に、邇邇芸命(ににぎ)が入ることを決して許しはしない。






木花咲耶の生涯暮らしたその山は不邇山(ふじやま)と呼ばれました。



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