居候始末記
夕方。仕事を終えて帰宅したアヤは、脱衣所から出てきた“知らない少女”と鉢合わせした。
「……誰?」
少女は、ぬれた髪をタオルでふきながら、無表情でアヤを見つめる。何も言わない。
「カナメーーーッ!!!」
アヤの怒号が家中に響いた。
*
「で、説明してもらおうか」
リビング。カナメは土下座寸前で、アヤに頭を下げていた。
「拾ったっていうか、放っておけなかったっていうか…」
「警察には?」
「……いや、あの、まだ」
アヤは頭を抱えた。そもそもその少女──ユイは、一言もしゃべらない。身分証もなければ、何かのメモもない。名前すら、リュックに縫い付けてあった「YUI」からとったにすぎない。
「この子、何者かもわかんないのよ?うち、余裕ないのわかるよね?」
「わかってる。でも……この子、ただの迷子じゃないと思う」
その目に、カナメは確信めいたものを宿していた。
*
それから数日。
ユイは何も話さず、何も求めなかった。ただそこにいて、誰かの話を聞いている。ミナが学校の愚痴をこぼせば、黙ってうなずき、アヤがパートのストレスをぶちまければ、無表情で聞いている。
それだけのはずなのに、なぜか心が軽くなる。
朝の食卓では、ミナがパンにチョコを塗りながら「今日の給食、カレーなんだ~」と話しかけ、ユイはゆっくりとまばたきを返す。
帰宅後、ミナがランドセルを放り投げると、ユイはそれを無言で整える。アヤは「やっぱ女の子って気がきくわねぇ」と感心するが、ユイは目を伏せるだけだった。
アヤはある日、気がついたらユイに向かって
「もう無理。職場の新人がさ、私のこと“おばちゃん”って──」
と話しかけていた。
ユイは、黙って聞いていた。
それが妙に、心地よかった。
*
夕食時。
「で、ユイのこと、どうするの?」とカナメが言った。
アヤはご飯をよそいながら、当然のように答えた。
「え? もううちの子でしょ」
「いや、しゃべったことすらないんだけど」
「だからこそよ。“聞いてくれる”って今いちばん貴重なんだから」
ミナ「ねー、お兄ちゃんのぐちもちゃんと聞いてくれるし!」
「私の話も一言も否定しないし!あんたたち、もっと見習いなさいよ」
カナメ「いやそれ、ただの無言だから……」
一同の視線がユイに集まる。
ユイは、みそ汁をすすりながら遠くを見ていた。
完全に現実逃避中。
「……疲れてるよね?」とカナメ。
ユイの眉がほんのり下がる。うんざりというより、あきらめの表情だった。
「じゃあユイお姉ちゃん、あとで私の作文も聞いて~!」
ミナの笑顔に、ユイは静かに目を閉じた。
──その表情は、悟りを開いた仏に似ていた。
その夜、風呂上がりのユイが、ドライヤーの前で無表情のまま静電気と格闘しているのを見て、アヤはぽつりとつぶやいた。
「……この子、たぶんうちの救世主だわ」
ユイは、ぴたりと手を止めて天井を見つめた。
──明日もまた、聞くだけの一日がはじまる。