シャンパンよりも高い感情を知った。
急ぎ足で戻ってきたボーイが莉子にカードを返しシャンパンのボトルを開ける。
弾ける泡の音が、緊張と沈黙を包み込んだ。
「乾杯しましょ?」
「はい」
自分のグラスに注がれたシャンパンを見つめる。
飲めないことはわかってる。けれどそれでも、この瞬間に参加したかった。
燈さんがグラスを掲げる。
私も少しだけ躊躇ってから、同じようにグラスを上げた。
「乾杯」
ふたりのグラスが、やわらかく触れ合う。
燈さんが一口、シャンパンを口に含む。
「ん……やっぱりこれ、美味しい」
私はグラスを唇まで持っていって――すん、と香りだけを吸い込んだ。
「私は……飲めないのでわからないです」
「知ってるわよ。無理して飲まなくていいの、ありがとね」
嬉しそうに笑う燈さんを見れただけで300万なんておまけに思える。
一本100万なんて燈さんの価値に値しない...もっと高くてもいいのに。
「私が頼んだお酒で、赤姫さんがちょっとでも笑ってくれるなら私は満足です」
その言葉に燈さんの表情がほんの少しだけ、陰を落とす。
「……莉子は本当にそれだけでいいの?」
「それだけって?私は充分です...」
私の回答に満足いかなかったのか、燈さんは手元のグラスを揺らしながら少しだけ視線を落とした。
「……そういえば莉子に伝えてなかった事があるの」
「何ですか?」
「ふふ...莉子はきっと喜ぶと思うわ。私も嬉しいかったもの」
「...??」
莉子はーほんの一瞬だけ、燈に視線を合わせる。
その目は真剣だった。
「あのね、莉子が前貢いでくれた」
そのときだった。
「やっと入れた、赤姫次のテーブル移動するぞ」
不意に割って入る、軽い声。
莉子の横顔が、ピリッと強張る。
「武士さん...来てくれたのは嬉しいんですけど今はこの子が拗ねちゃうから...少しだけ待っていてもらえる?」
困ったように微笑む燈さんの横顔を、莉子はじっと見つめていた。
その視線の熱に気づいたのか、武士という名の男は莉子と燈の顔を交互に眺めふっと納得したように頷いた。
「ふーん、そういうことか。赤姫さんのオキニでしょ?その子。すげぇ可愛いもんね」
「...ええ。とっても」
燈さんは笑みを崩さないまま短く返す。
けれど胸の奥では、わずかな違和感がくすぶっていた。
武士さんは普段から優しくて沢山お金を使ってくれる上客だけど、今は莉子を優先したい気持ちがあった。
それと同時に莉子の容姿を褒められるのは少し不快に思う。
彼女に近づいて欲しくないって思う。
「そんな顔しないでよ~俺は赤姫に会いに来たんだからさ」
「ええ、すごく嬉しいわ。でも」
「あー...待つのは別にいいんだけど、この後用事あってさ今じゃないと無理なんだよね...どうする?」
「っ...」
やられた。
上客でもある彼を逃すのは痛手になる。
今月の売り上げを維持するにも彼の力は必要になる。
無下にはできない...でも
「ボーイさん」
近くに控えていたボーイを呼び莉子はカバンに手を伸ばす。
再びカードをボーイに差し出しながら、わざと大きな声で。
「追加で3つお願いします」
「莉子?」
追加で3本今日の合計で600万使うことになる。
莉子の表情は真剣そのもので、どちらかというと苛立ちが募っているようにも見える。
「話終わった?終わったんならどっか行って。私は早く赤姫さんにシャンパンを開けたいの。うだうだ言ってるんなら早く帰れば」
「ん?誰?お嬢さんがいる場所じゃないよ」
ホストが鼻で笑いからかうように莉子を見下す。
だが、莉子は怯まない。
さらに吠える。
「シャンパン1本すら開けてないくせにネチネチうるさいのよ。ただの迷惑客って理解できないのかしら...今の赤姫さんは私の時間よ。他の誰かに渡せるつもりはないわ」
「口が悪いね。最近の子は...ボーイ、この子何本頼んだの?」
「えっと、今で6本です」
「...は?嘘言うなよ...ガチ?」
明らかに動揺したホストが、目線を逸らして何かを考え込む。
そんな彼を一瞥して、莉子はあざけるようにため息をついた。
「はぁ...ここのハエは煩いわね。ねぇ赤姫さんまだまだ頼んであげるからいっぱい飲んでね?」
その言葉と同時に、莉子の手が燈の肩を引き寄せた。
ぐいっと引かれた体。顔が、近い。
思わず息を呑んだ。
(ちかい、ちかい!!顔綺麗って何考えるの私)
燈は全力でポーカーフェイスを保つ。
けれど内心は大混乱だった。
それでも、肩に添えられた手の熱は簡単には無視できなかった。
赤姫の中で、莉子の存在がどんどん“ただの客”ではなくなっていく。




