第2話
なに、今の!
唐突に聞こえた声に驚き顔を上げた私は更に驚くものを目にして固まった。
何と、巨大蜘蛛の動きが止まっているのだ。それも襲い掛かっている途中の不自然な体制で。まるで強制的に動きにストップをかけられたように。それだけじゃ無い、先程まで風が吹く度に聞こえていた草木のザワザワとした音も聞こえない。
そして、そう。なによりもはっきりと先程までとは違う事がある。一目見てすぐにおかしいと思う事が。―――――――――――――――――――景色が、白黒なのだ。
全てがモノクロ。一体どういう事なのだろう。訳が分からなくてもう一度周りを見渡し、ふと下を向くと…………。
わ、私も白黒になってるー!?
な、なな何これ大丈夫なんだよね?まさか一生このままとか無いよね!?
理解出来ない事ばかりでアワアワとパニックに陥っていると、視界に靴が映りこんだ。―――――靴?
バッと顔を上げるとすぐ傍に男の人がいた。こ、この人一体何処から…?大体、こんなに近くに来られて気付かないなんて……。
自分と同じく白黒の彼を唖然として見上げていると、彼は屈んで私と目線を合わせた。そして、それはそれは美しく微笑んだ。
「私と契約するのならば、貴女をあの蜘蛛から助けましょう。」
この声、さっきの!
助けてくれるって、でも……
「契約?」
私が聞き返すと彼は笑みを深めた。
「そう。契約です。」
落ち着いたテノールで彼は答える。
あぁ綺麗な声だなぁ、とこんな状況だというのに聞き惚れかけていた自分に気付き、慌てて問い返した。
「そ、その契約の内容は?」
私の至極当たり前の問いに、しかし彼はこう答えた。
「それは教えられません。」
そんな、内容が分からないのに決められるわけがない。
「そんなの契約になりません!それじゃあこちらがあまりにも不利じゃ無いですか!!」
これでは、例えここで助かったとしてもその後どんな目に合わされるか分からない。
「おや、ではここで命を捨てますか?私はそれでも構いませんが。」
その言葉に何も言い返せなくなった。そうだ、私の力ではどうあがいてもあの巨大蜘蛛には勝てないだろう。疲労困憊の今の体では逃げることすら絶望的だ。
今此処で人生を終えるか、助けられた後どうなるか分からないが生きる事を選ぶかの二者択一。
「さぁ、どうしますか?」
それしか選択肢がないのだと分かった後は簡単だった。私が望んでいるのは―――――――――――
「分かりました。貴女と契約をします。」
私が望んでいるのは、生きること。
「一度結んでしまえば、私が解かない限り続きます。構わないのですね?」
丁寧な言葉遣いなのに、その目だけは獲物を狙う野獣のようで、背筋にゾクリと寒気が走る。でも、
「はい。」
迷いなく私は答えた。生き延びるためならば、どんなことでもしようと既に決意は固まっていた。
それでは、と彼は私の顔に手をあて、近かった距離を更に縮めてきた。
「あ、あの何を……むぅッ!?」
彼が何をする気なのか理解できず、問おうとした言葉の最後は声になることなく彼の口内へと消えて行った。
そう、キスをされたのだ。
「ヤメッ…ふっ……ん…ンン…」
驚き、口を閉じる前に侵入してきた彼の舌が隅々まで這わせられる。
そして、身体の中心から何かが吸い取られるような不思議な感覚を感じた後、また身体に力が入らなくなった。
「契約成立。」
彼はそう言った後、クタリとした私の身体を抱き上げてその場から少し離れた所にあった木にもたれさせるように私を降ろした。
景色が白黒になってから、少しだが回復していた身体はどういう訳かまた上手く動かないし、何だかとてつもなく眠たい。こんな状況で眠るな、と首を振り、元の場所に戻った彼の方を向けば彼はあの巨大蜘蛛に指を向けていた。そして。
指を弾くような仕草をしたあと、そこにいた蜘蛛は塵と化していた。
本当にもう、理解の範疇を超えた事ばかりだ。分からないことの方が圧倒的に多い。
服に飛んだ塵をはらった彼はこちらに来てまた私を抱き上げた。
「さぁ、もう大丈夫ですよ。」
サラサラと私の髪を梳きながら彼は言ったが先程の光景のせいで一切安心出来なかった。
何だかもう聞きたいことがありすぎて何を言えばいいのか分からなくなったので、取りあえず一番気になっていたことを聞くことにした。
「…貴方は一体何なのですか?」
クスリと笑った彼は今度はきちんと質問に答えてくれた。
「私?私は――――――――――悪魔ですよ。」
聞かなければよかったと心底後悔したが。