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この作品には 〔残酷描写〕が含まれています。
苦手な方はご注意ください。

平凡

作者: ひまわり。

何者かになりたかった。

自分はきっと特別で、人より他人よりすごい何かを手に入れられると思っていた。 

平凡、普通なんて嫌だった。自分の生きる意味、ステータスがほしかった。

なぜだろう。

一体私は、何者になりたかった?

中学校入学。

茶髪に染めた髪、父に無理を言ってあけたピアス。

短く切ったスカート、幼い顔に似合わない濃い化粧。

周りの普通の中学生が物珍しそうな顔で見てくる。合わせない目線が私を優越感に浸らせた。

次の日からは、学校にも行かず毎日友達や先輩と遊んでいた。この間までランドセルを背負って居た私にとっては刺激的な毎日だった。

先生に追いかけ回される日々。

毎日のように補導され、母に連絡がいく。

「帰ってきなさい。」そういう母に反抗し、何度も何度もぶつかり合った。

自分の居場所ができ、知らない世界を見てきっとあの頃の自分は何者かになれて居たつもりだったんだろう。

怒る父と呆れる母、「産んでくれなんて頼んでない」

大人は、自分のことを理解してくれない。わかってくれない。何度も両親に言葉のナイフを刺し続けた。

幼い私には、言葉のナイフが刺さった両親から血が流れているのを見ることなんてできなかった。

もっともっと、自分は特別になれるはず。

そう思い足を踏み込んだのは夜の世界だった。

その頃の私はまだたった15歳だった。


夜の街はキラキラしていた。

酔った千鳥足のおじさん。客引きする外国人。

キャッチをしているホスト。

ただ、その場所にいるだけで歩いているだけで

自分は何者かになれた気がした。

友達の働いていたラウンジでアルバイトするようになった。それがやってもいいことなのかどうかなんてその頃の私に善悪の判断なんてできるほど大人ではなかった。飲めないお酒を必死に飲んで大人びて見られるためにいろんな努力をした。いつの間にかそれが自分の中での 普通 になってしまい売り上げを作りその当時の年齢では多すぎる札束を毎日遊ぶために使った。


16歳になった。

高校なんて行きたくない。そういうと母は、泣いた。

泣いてる理由なんて分かるはずもなかった。私の人生だ。自分で決めて生きていくんだ。そう思った。

今思えばこの時の私に一体何ができるのだろう。

一体何者になったつもりだったのだろう。

その時、ずっと仲が良かった親友が死んだ。

死ぬ理由もないけど生きる理由がないからと死んだ。

このまま、生きてたら私もこうなるんだろうなと、頭の中に彼女の残像が過った。

なんとなく地元の誰でも入れる高校に入学した。

母は、ほっとした顔で入学式に着いてきた。

高校は、思ったより楽しかった。友達もでき毎日遅くまで遊んで、夏休みはみんなで集まって。

でもすぐに飽きてしまった。こんなところで留まって私は一体何ができる?と。高校は辞めた。

母は、悲しそうな顔で「それもあなたの個性」と笑ってくれた。なぜ悲しそうな顔で笑っていたのかそんなこと考えたくもなかった。


17歳になった。

ラウンジからキャバクラに転職した。酒も飲めるようになった。おじさんに平気で愛想を売れるようになった。嫌悪感や罪悪感そんなものはいつの間にか自分の中から消えてしまっていた。それどころか自分は特別な人間なんだと優越感にさえ浸っていた。

この頃は、クラブに毎日通っていた。夜の世界で出会った本名も住んでる場所もわからないような友達とその場限りの楽しい事に時間を使った。

大きな音で何も聞こえない世界。本当は誰なのかも何者かもわからない人たち。そこでカッコいいなと思う人と出会い、善悪もその人が自分にとってどんな影響がある人かもわからず好きになった。毎日毎日会いたくてクラブに通った。まるで恋人のように接してくれた彼には、いつの間にか綺麗な彼女が居た。初めて泣いた。そして気付いたらクラブには行かなくなっていた。私にとってそれくらいの価値にすぎなかったんだろう。

働いていた店の店長が飛んだ。きっと彼も何者にもなれなかったんだろうな。


18歳

キャバクラで出会った友達が死んだ。

殺された。そう警察から連絡が来たあとしばらくして

ニュースで見た。本名も年齢も私が知っているものとは全然違っていた。彼女は一体誰だったんだろう。

なんとなく、地元に戻り介護職で就職した。同じ高校に通ってた友達は沖縄に修学旅行に行っていた。楽しそうだった。初めて虚無感を覚えた。

母は、喜んでいた。父も、笑っていた。いつぶりだろう。2人の笑っている顔を見るのは。

彼氏ができた。友達の紹介で出会った平凡な子。

いままで遊んできた子とは全然タイプの違う普通の子。真っ直ぐに愛をくれて大事にしてくれた。普通のデートをした。半年くらい普通に恋愛をした。

ある日、高校生の頃に仲良かった男友達から連絡が来た。「お前の彼氏と俺の彼女が浮気してる」

そうなんだ。としか思わなかった。所詮私にとって彼はその程度の存在だった。恋愛ごっこのように大事にされることで私の承認欲求を満たしてくれているだけだったんだなと。彼とはすぐにお別れをした。

そして、そのことを私に告げた彼とまた遊ぶようになり知らない間に彼氏になっていた。

それまで、彼氏ができたことは何度かあったがもしかしたらこれが初恋ではないのかなと思うくらい私は盲目になっていた。彼に全てを捧げたい彼の全てを捧げて欲しい。

彼は、私に手をあげた。

それが、愛と捉えていた。

彼と一緒にいるようになってもう2年が過ぎようとしていた。私の全てが彼に染まっていた。

母は、別れなさいといった。

父は、声を荒げて怒った。

家を出て行くと告げた。母は何も言わなかった。何も言わずに荷物をまとめる私にお弁当を渡した。

彼の家に着く前に1人で車で食べた。なぜだか、涙が止まらなかった。

彼と一緒に過ごすようになってしばらくし父から連絡が来た。「話したい」と。短気ですぐに声を荒げる父が冷静に連絡をしてきたことに驚いた。近くの喫茶店で話した。ただ一言「いつでも帰ってきていい」それだけ父は言って帰って行った。

彼が浮気をして、問い詰めた私にまた手をあげた。私はその夜、荷物をまとめて彼の家を出た。情けない気持ちになりながらも実家に帰った。

父と母は、何もなかったように「おかえり」と言った。


19歳。

普通に介護士として働き時々友達と遊んだりし過ごしていた。別に何もなかった。このまま私も平凡に暮らしていくんだろうなと思っていた。また彼氏ができた。ロマンチストの彼だった。私の両親にも挨拶をしにくるようなとても紳士的な彼。20歳の誕生日を大きな船の上で花束と一緒に祝ってくれ私をまるでお姫様のように扱ってくれた。些細なことで喧嘩してお別れをした。彼には自分よりもっとふさわしいひとが居るんだろうなと心から思った。


20歳。

何気ない友達の誘いで、BARに飲みに行くことになった。

この、出来事がまた私の人生を大きく変えることになるなんて知らずに。別に意味もなく毎日通った。オーナーに恋をした。そこで働いていたバイトの子に

「僕にしてください」そう言われた。あの時あなたを選んでいたら私の人生は変わっていたのかな。

世間がクリスマス一色に染まる頃オーナーと、酔った勢いでシてしまった。お正月になりみんなで初詣に行き成人式も迎えた。体調が悪くてなんとなく妊娠検査薬をしてみた。2本の線がくっきりと浮かんだ。

すぐに病院に行くと、8週目だった。小さな心臓が私のお腹の中で動いていた。彼に話した。意外にも「産んで欲しい。結婚しよう」そう言った。

両家に話した。みんな複雑そうな顔をしていた。

悪阻が始まり働けなくなった。何もできなくなった。

そんな時、ウイルスのせいでBARを営業できなくなった。店を潰し彼は働き始めた。借金は3桁になっていた。妊娠6ヶ月の時に2人で家を借り住み始めた。

毎月足りないお金に悩んだ。悩んでも仕方ないのに悩んだ。そんな日の夕方お腹が痛くて痛くて母に連絡しすぐに来てもらった。間隔的にくる痛み、おかしいとすぐに病院に連れて行ってくれた。

「子宮内感染が起きています。もしかしたらこのまま産まれることになるかもしれません。」とつげられたまだ、たった31週だった。いろいろなリスクを説明された。点滴の副作用が辛くて何日も何日も泣いた。しばらくしなんとかお腹の中で持ち堪えてくれたがこのまま正期産に入るまでは入院することが決まった。

初めての入院。辛くて辛くて何度も泣いた。

ウイルスのせいで面会も誰ともできず辛い治療にも耐えた。でも、赤ちゃんのためと思ったら自然と頑張れた。無事に臨月に入り退院した。入院費が思ったよりかかってしまいまた現実に戻ってきたような気がした。実家に里帰りする予定だったので退院後そのまま実家に戻った。子宮内感染症の原因は性病だった。

きっと彼は浮気をしていたんだろう。誰にも話せなくてそっと心の中に秘めた。そんなストレスや現実が積み重なり、退院して3日後息苦しさで再入院した。私のストレスで赤ちゃんの心拍が下がっていると告げられ このまま誘発分娩で出してあげましょうとたった1人で出産した。初めて見た我が子は何よりも可愛く何よりも愛おしかった。

何者にもなれなかった私を母親にしてくれた。


21歳

無事に里帰りを終えて我が家に帰ってきたがやはり毎月毎月お金が足りず誰にも相談できず1人で悩む毎日。

大晦日の日、突然息ができなくなって救急車で運ばれた。検査をしたけど特に気になることはないと落ち着いたのでそのまま帰宅した。

そこから一週間何度も何度もそんな発作が起きた。母に連れられたのは心療内科だった。下された診断は

パニック症候群、不安障害 だった。その日からしばらく実家で子育てを手伝ってもらいながら自分の体調を整えるために療養した。母も父も何も言わずに助けてくれた。辛く当たってきた私を受け入れて見離さずに居てくれた。

しばらくして体調が少し改善されたので旦那の待つ家へと帰った。そんなある日母から「話があるから帰ってきて」と連絡が来た。次の日実家に帰り母から告げられた話はこうだった。「旦那が、私が入院中に夜の店で遊びその女の子を妊娠させたから慰謝料300万円を請求されたらしい。それを彼の母が建て替えたから、私と旦那2人で返してほしい」と向こうの母から連絡がきたと。

離婚しようと決意した。

彼は泣いた。なぜ泣いているのか理解できなかった。

父は彼に怒った。本当に私のことを大切に思ってくれる人が誰なのか初めてわかった気がした。

彼は、心から反省し子どものために養育費を払うと決めてくれた。それが彼の償いだと思った。半年後にはその養育費も振り込まれなくなった。私は何者にも父親になれなかった彼を心の中で同情した。


何者かになりたい自分は特別で居たい。その欲求だけが先走って私はいつも自分のことを大切にしてくれる人を不幸にし続けてきた。

特別でも何者でもなくても 平凡で普通に生きるということがどれだけ難しくどれだけ幸せなことなのか幼い私には理解ができなかった。

娘を連れて2人でアパートを借りて少し落ち着いてきたある日娘を見ながら、いろいろなことを思い出して私は泣いた。娘は、私に笑いかけた。遠回りをしたけどこれでよかったんじゃないかなと思えた。


22歳

半年後毎日、子育て仕事に追われる私に毎日何故か会いに来てくれる人に出会った。

彼は、時間をかけてゆっくりと私の心の中に入ってきた。養育費を支払ってくれなくなり生活が少し厳しくなると彼は何も言わずに私を助けてくれた。

母や父と同じように、自分を犠牲にしても私を愛し包み込んでくれた。そして私と同じように娘を命をかけて守ってくれた。娘が繋いでくれた大切な家族になれた。


私は、何者にもなれなかった。


たくさんのものを失ってしまったけど

娘が母親にしてくれた。両親が愛された娘にもしてくれた。夫がかけがえのない人の妻にもしてくれた。

幼い頃なりたかったものなんてもう覚えてない。


平凡とは、幸せだと思う。

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