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「きゃぁぁぁぁぁぁぁあぁぁぁぁぁあぁぁぁあ!!」
「ぐっ!!」
ジャンプした桃園はビルにあと一歩の所で届かずフェンスを掴んでいた米田は体を前に出し桃園の手を掴んだ。
ブラン……とビルの壁にぶら下がる米田を見た刈谷は、すぐに走り出し米田と桃園がいる隣に着地した。
「刈谷!」
「ほら、手伸ばせ!!」
「うぅ……」
なんとか刈谷が手を掴み一気に引き上げた事で桃園はビルに上がることが出来た。
それを見ていた佐藤は青ざめ、上司をグイッと前に押す。
「行って」
「なに……」
「私は飛べないと思うから、先に行って」
腕をギュッと握って体重いから、と言った佐藤に上司は前を見据えた。
「……向こうで待ってる……3人とも離れてくれ!」
「課長!?」
桃園の腰から紐を外している途中にしっかりと助走距離をとった上司は一気に走り出した。
タッタッタッとそのフォームはとても綺麗で、佐藤は呆然とその姿を見送った。
両足で踏み切り高く、そして遠く体をしならせてジャンプしたその姿は見たことがある。
「………………陸上の、幅跳び……」
「私は、学生の時はずっと陸上部だ」
息を弾ませながら振り返った上司はしっかりと隣のビルに移動していて、米田達よりも距離を飛んでいた。
「…………すげ……じゃねぇ!佐藤!!早く!」
刈谷は上司を見てから、ハッとして佐藤を見る。
しかし、苦笑して首を横に振った。
「私、そこまで飛べないよ」
「大丈夫だ!ちゃんと捕まえるから!」
「私の体重舐めちゃダメだよー」
諦めたように笑って佐藤は首を振る。
チラッと扉を見たら5階にいた人達は屋上にきていてゾンビがそのすぐ後ろにいる。
もう間に合わないし、なにより飛びきらずビルから落ちるだろう。
「みんな死ぬより私を置いていった方がいいよ!早く行って!安全な所に!」
「最初に言っただろ!佐藤さんが必要なんだ!」
「ごちゃごちゃ言ってねーで飛べ!」
「早く!佐藤さん!」
「飛ぶんだ!」
4人で必死に手を伸ばすのを目を見開き見ている佐藤の後ろには今まさにゾンビが手を伸ばしていた。
走るゾンビが2体。そいつらが肩に手が触れる瞬間。
「「走れ!!」」
叫び声に釣られるように佐藤は足を動かした。
今までの中で1番早く走っているんじゃないだろうか。
走る度にふるんっと揺れる体を感じながらも真っ直ぐに手を伸ばす4人へと佐藤も手を伸ばしビルの端を全力で蹴りジャンプした。
「っっ………………うぅぅぅ」
「よし、捕まえた!!」
「大丈夫だ、大丈夫。落ち着け、大丈夫」
片足がギリギリビルの端に着くくらい佐藤すら予想外の跳躍力を見せた。
米田がなんとか手を掴み引っ張ると、ぐらりと体が前に倒れ米田と刈谷に支えられ床に倒れ込む。
刈谷を下敷きにうつ伏せに倒れた佐藤はカタカタと震え、フーフーと息を吐くとそのまま上半身を起こした刈谷は佐藤を落ち着かせる為に背中を優しく撫でた。
「よく飛んだな、佐藤さん。大丈夫だよ」
「佐藤さん、よかったぁぁぁ」
上司と桃園も頷き安心した時、何人かが同じくビルを飛びこちらに向かってきていた。
「か、刈谷!佐藤さん!立って、ぶつかる!!」
「おわっ!!」
「ひゃ!」
慌てて立ちあがると、刈谷にグイッと引っ張られギュッと抱きしめられたまま避けた佐藤は、まだ荒い息のまま顔だけで振り向くと、3人の人が連続でこのビルに来ていた。
「…………た、助かったのか」
「うわぁぁぁぁぁ」
「あぁ、町田部長が……」
ビルを越えれなかった男性が地上に落ちていくのをこちらに飛んできた女性と男性が顔を青ざめさせて見ていた。
女性はズルズルと座り込みバクバクと鳴る心臓をギュッと抑える。
男性はそのまま地上を見ていたが、集まってきたゾンビが群がってきているのに意識が無いのが声が出ない状況なのか、はたまた既に死亡しているのか。町田部長と呼ばれた人は声を上げることはなかった。
そのあと、また数人の男女が逃げてきたが残りは既にゾンビに襲われ地面に倒れ込み悲鳴を上げている。
「うぁぁぁぁ…………やめろ……ああぁぁぁ」
「……お母さぁ……たすけ……」
「……………………………………」
襲われ噛まれ喰われ、肉が引きちぎられ血飛沫が飛ぶ。
クチャクチャと音を鳴らして何処も彼処も赤いその様子に桃園は気持ち悪くなり、涙が溢れグッとこみ上がってくる吐き気を両手で口を覆う事でなんとか我慢した。
しかし桃園とは違い我慢が出来なかった男性がいたのだろう、慌てて走って行く男性の後ろ姿が視界の端に捉えた。声が微かに聞こえてくる。
「…………酷い……」
誰だろう、呟いた言葉に視線を向けることが出来ないくらいに米田達は疲弊していた。
あれから数時間がたった。
空が暗くなってきていて肌寒くなってきた佐藤は腕をさすっていた。
しかし、ビルの中の状況がわからなく安易に扉を開けられないのだ。
「…………寒くなってきたね」
「佐藤、大丈夫か?」
「うん、ありがとう」
隣に来て首を傾げながら聞いてくる刈谷に頷き答える。
そんな様子を桃園はニヤニヤと見ながら米田の腕を肘でついている。
こら!と小さい声で言われるが、桃園のニヤニヤは止まらない。
「…………楽しい事考えないと、もう、辛いんだもん」
そう言ってチラッと見た先にはゾンビが蔓延っていた。
元々いたビルの屋上にはもう誰も生きている人はいないだろう。
喰われ叫び、助けを求めていた人たちが既に屍となり同じように蠢いている。
そこまでの過程を米田達はただ呆然と見るしか出来なかった。
「…………わかるけどな……ほら。見てみろよ」
米田が指さした方はここなら離れたビルだった。
そこには6~7人くらいだろうか、体を寄せあって屋上にいる人達の姿。
皆一様に扉を見つめているようだ。
「…………たぶん、もうそこにゾンビがいるんだろうな」
「…………あの人たちも私達も、これからどうなるんだろう、このまま死ぬの……?」
そっと近付いてきた上司が桃園の手をギュッと握った。
「…………なんとか、なんとか生き伸びたいな」
「…………っはい!」
「………………なぁ、起きろ、起きろ米田!!」
「んぁ…………なんだ?」
「見ろ!ヘリが!!」
あれから一夜を明かした米田達は5人かたまり身を寄せあって眠った。
ゾンビの呻き声と動く衣擦れ音にビクリと体をすくませ、たまに走るゾンビがこちらの物音を聞き走ってきてビルから落ちたり、ライトの光に反応して一斉にこちらを見て心臓がキュッとなったり。
どうしようもない恐怖に晒され震える夜を過ごした。
気付いたら眠っていた米田は、体が揺すられ刈谷に起こされる。
寝ぼけながら目を覚ましたが、言われた言葉を反復した後飛び起きて空を見上げた。
いつの間にか肩に寄りかかっていた桃園はその動きにトサリと床に倒れ込んでいる。
「へり……へり…………ヘリ!?」
「あぁ!!ヘリだ!!」
丁度ビルの真上にとまっているヘリはこちら伺っているような様子が見られる。
自衛隊のヘリのようで救助に来てくれたのだろうか。
泣き笑いをする米田の横には目を擦りながら起き上がる桃園と、眩しそうに目を細めヘリを見上げる上司。
肩を揺すられ、まさに今起きた佐藤は刈谷に腕を引っ張られて立ち上がった。
[こちら自衛隊です、救助に来ました。感染者は居ませんか?]
放送のように響く声に、屋上にいた人達は皆起き助かるんだ!と声を上げた。
我先にとまだ上空にいるヘリを見上げて声を張り上げている。
「いない!助けてくれ!!」
「早く!ヘリに乗せて!!」
かなり大きなヘリで救助に来てくれたのだろう。
上空から見ていたヘリからまた声が響いた。
[これから着陸します、離れてください]
全員が後ろに下がりヘリが着陸する場所を作る。
ここの屋上が広くてよかった、と安堵して下がる人達の真ん中くらいに居た米田達も大人しく後ろに下がっていった。
バラバラバラバラと降りる度に大きくなる音と風圧に皆で体を支えあっている時だった。
微かに聞こえるくらいの声が後ろから聞こえてくる。
「なぁ、お前本当に大丈夫かよ?顔色悪いぞ?」
「……大丈夫よ、風邪引いてるって言ってたじゃない……屋上で寒い中寝たから……悪化してる……のよ」
「……そうか?……なぁ、噛まれてないんだよな?」
「噛まれてないって言ってるじゃない!!」
「!?」
聞こえた言葉にバッ!と振り向くと、たまたま顔を上げたその女性を見た。
青白い顔に赤く染まっている瞳、服の上から右腕を掴んでいる。
服に何か変わりは無さそうだが、よく見ると見えている指先が青筋をたっていた。
ギクリと体を跳ねさせた米田はすぐ隣にいる刈谷に顔を寄せ耳打ちした。
「やばいぞ、後ろに居る女、感染者だ」
「!?」
チラッと後ろを見ると明らかに様子がおかしい。
先程米田が見た時より動きが緩慢になり、呻き声が聞こえてきている。
隣にいる男性もおかしいと、数歩下がると女性はゆっくりと手を伸ばした。
「……うぐぅ……なんで……えぇ……はな れ……うぅぅ……」
「お、お前!噛まれてんのか!?」
丁度着陸してプロペラが止まった時だった為、男性の声は無風の屋上にいやに響いた。
全員が振り向き俯きダラりと両手を下げて立つ女性を見る。
綺麗に結んでいたのだろう髪もこの騒動でボロボロになりその見た目は異様だった。
刈谷は佐藤を自分の後ろに下げ、米田も桃園の手を掴んだ時だった、女性は一気に顔を上げる。
「うわぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!!」
白い目が赤く血走っていて、大きく口を開け吠えるように声を発した女性は一気に動き出した。
走り出し1番近くにいた男性に掴みかかり首に噛み付く。
盛大に血が吹き出し叫ぶ男性を見向きもせず皮膚に歯を立て食い破るその姿は、すぐ隣にあるビルの屋上のゾンビと同じだ。
「ぎゃぁぁぁぁああああ!!」
一気に叫び逃げ惑う。そんなに人数がいる訳では無いのでみんなバラけて逃げるのだが、数人はすぐ近くで喰われているその様子から目離せられずブルブルと震えている。
ブシュ!と音を立て肩を喰い破られた男性は叫びながらビクビクと痙攣して倒れ込んだ。
そしてその後絶命したのだろう、動かなくなった男性は数秒後に指先をピクリと動かす。
「課長!!」
バラバラに逃げていた米田は先程桃園の手を掴んだ時上司の手を掴み損ねていた。
伸ばした手は逃げる男性の体で遮られ掴めなかったのだ。
逃げながらも上司を目で追っていた米田は目を見開き声をはりあげた。
「よね…………ぐっ……ああぁぁぁぁ!!」
噛まれて増えたゾンビは三体になっていて、そのうちの一体が物凄いスピードで走り上司の腕を掴み噛み付いた。
ぐじゅり……と音を立ててまるでトマトに齧り付くように簡単に腕の肉をむしり取る。
「あ……あぁぁ、そんな……」
桃園は口を抑え押さえつけられている上司を見ていた。
逃げようもなく噛みつかれ倒れた上司は片腕がもがれた事で目の前に落ちた鞄を見る。
そして、苦痛に歪んだ顔を上げて米田達を見た上司は無理やりに笑ったのだ。
「…………に、げろ……はやく……そして……いき……」
米田と桃園になんとか伝えると、ゾンビは上司の頭を鷲掴みにして顔面に向かい大きく口を開けた。
真正面から見る残酷なこの様子は、本当に現実なのだろうか。
だらりと垂れた上司の腕を見て、体がビクリと跳ねた。
「っ!!」
泣き叫んでいるはずの桃園の声が何故か聞こえない。
無意識に桃園の腕を掴み、必死に足を動かし銃を撃っている自衛隊の隣をすり抜けヘリに向かう米田は、すで着いていた刈谷と佐藤の絶望の顔を見ながらヘリへと乗り込んだ。
隣には無事な桃園がヘリに乗り込み泣き声を上げている。
あまりにも酷い惨状だった。
人が人を食い破り、化け物になるなんて。
そんな映画みたいな事が現実に起こっている。
これは、全世界に蔓延していくゾンビとの戦いの幕開けに過ぎなかった。
米田は呆然と空に飛び立ったヘリの中で、束の間の安楽を感じながら、眼下に広がる地獄のような様子を黙って見ているしか出来なかった。
いつかまた、平和な世の中に戻る事を夢見て。