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悲鳴が聞こえる。
助けて、死にたくないと悲鳴が響いている。
逃げ惑う人が逆側からも走ってきたから、正面にも襲いかかる人影に気付き足を止める。
来た道を戻った方がいいだろうと振り返ったときにはもう遅かった。
「がぁぁぁぁ……」
「ああぁぁぁぁ」
濁った声を上げながら背中に伸ばされた手に捕まり倒れ込んだ男性は3人に群がられ血飛沫が上がった。
「ぎゃぁぁぁぁぁぁあ!!!」
「ひぃ!!」
外と同じように叫ぶフロア内にいる職員はガタガタと震えだし振り向いた。
フロアの扉に走りより息を荒げながら、その人は扉に耳を当てて静かな廊下の様子を探ろうとしているが、静まり返っている為今は何も聞こえない。
「…………まさか、本当にゾンビだっていうのか」
上司が呟くと、向かいのビルの入口をこじ開けようと集まるゾンビの集団。
中のエントランスには慌てて鍵を閉めたのだろう男性が震えながらエレベーターに乗ろうとした所で入口の窓が破られゾンビが中になだれ込んでいった。
エレベーターに乗った男性は、閉まる前に押し寄せるゾンビに顔色を悪くしているのだが、2回のフロアの窓からはそこまでは見えなった。
「…………このビルも、入口は窓ガラスだ……」
誰かが呟くと、一気にザワザワとしだした。
「ここに居ても大丈夫なの!?」
「2階だよ!?もっと上に行った方がいいんじゃないか!!」
「ぶ、武器……なんか武器……」
「よ、米田……やべぇぞ」
「う、上行く?ねぇ、上、行く?」
先輩は米田の肩を叩き、桃園が米田の腕を強く握る。
すると、上司がスマホや充電器などを急いで鞄に詰め込みしっかりと抱えてから扉に向かった。
「皆、ここは逃げた方が良さそうだ。」
既に他のビルにもゾンビは侵入していてこのビルにもいつゾンビが入ってくるか分からない状況だ。
米田はグッと唇を噛み締めて自分の鞄を握り締めた。
「行くの……?」
「桃園、ここに居てもいつかああなるぞ」
指を指し今まさに喰われている人だったものを見て桃園はゴクリと生唾を飲み込んだ。
慌てて鞄をギュッと握りしめ頷くと、先輩もすぐ後ろに立つ。
「……まさか、映画みたいな事がマジで起きるなんてな」
そう言った時だった。
下で何かが割れる音がして悲鳴が上がる。
桃園はビクッ!と体を震わせ恐る恐る声を上げた
「……ま、さか……入ってきた?」
「いそげ!!」
上司がドアを開けた事でフロア内にいた職員は一斉に走り出した。
悲鳴が轟きひしめき合っている。
押し合いでなんとか前に進んではいるが、逃げてる途中で怪我をしているのか痛みに呻く声も聞こえてくる。
「よ、米田君まってぇ……」
「桃園!?」
人並みに押されて桃園が離れそうになった時、後ろから響くゾンビの呻き声に周りは一気にパニックになった。
後ろに居たはずの先輩の姿も見当たらない。
「桃園、捕まれ!!」
「う、うん!」
なんとか指先で繋がった手を引っ張り、しっかりと握りしめた後は離れない様に走り出した。
上へと続く階段をひしめき合いながら登ると、武器なのか、箒を持っている集団がテーブルでバリケードを作ろうとしているようだ。
その隙間を縫うようにして上に行けた米田は立ち止まり振り返る。
「っ…………」
登ってくる同僚達の後ろには血塗れのゾンビがいる。
まだ変異してないのか、助けてと声を上げる人も沢山いるようだ。
その中には先輩の姿も…………。
「あ、ああぁぁぁ……」
「せ、先輩………………」
「こんな事って……」
米田のように立ち止まりテーブルの隙間から逃げて来た人達を見る同僚。
知り合いや、職場内恋愛をしている人を見つけて泣いている人が沢山いる。
そして、出来上がったバリケードを通れずテーブルの前で何度も叩く人たちの姿。
「開けろ!!早く!!」
「なによこれ!!早く行ってよ!!」
「ぎゃぁぁぁぁぁぁあ!いたい!痛い痛い!!」
「やだ、こっちに来ないでぇぇ!いやぁぁぁ!!」
まるで地獄絵図だ。
「いそげ!逃げるんだ!」
上司の声がこだまする。
無意識に米田は桃園の手を掴み走り出した。
バリケードが作られたこの場所もいつ突破されるかわからない。
あぁ…………なんでこんな事になったんだ。
なんて事ない一日の始まりだったじゃないか。
米田は顔を顰め泣きそうになりながらも唯一感じる手の温もりを離さないように上の階へと走り抜けた。
「…………はぁ」
ばぁん!!と音を響かせて開いたのは5階への扉。
走り抜け乳酸が溜まった足はパンパンだった。
なんとか膝に手を置いて荒い呼吸を繰り返すと、かなり減った人数に気付く。
「…………いつの間に、こんなに減ってたんだ」
確かにバリケードで塞いでいたはずだったのに。
「何人かが……はぁ、疲れて走れなくなってたのを、見た、よ」
桃園がそう言うと、上司はそっと階段に続く扉をまた開けた。
中を覗き込むと座り込んで肩で息をしている人が何人もいたのだ。
幸いゾンビは上がってきてはいなかったが、下の方では何やら騒がしい。
ゾンビが上がってくるのも時間の問題だろう。
ふくよかな女性は、顔を上げて見上げると上司と目が合う。
まだ強い光が宿っていて、立ち上がり駆け出した。
それを見た同僚たちもなんとか立ち上がり上を目指す。
それから数分後の事だった。
轟く悲鳴がビリビリと体に伝わるかの様な叫びが米田と桃園の体をビビらせる。
「山崎課長……」
「……来たぞ」
隣に並び下を見ると、走って上がってくるゾンビの姿に桃園は小さな悲鳴を上げた。
「し、閉めてくれ!早く!!」
「こっちに来るぞ!!」
「まって!まだ人が!」
「待ってたらやられるぞ!!」
閉めろと叫ぶがこちらには来ようとしない米田達の後ろにいる職員。
年配も多く役職持ちなのだろう、命令しなれている人も複数いるようだ。
「っはぁはぁはぁはぁはぁはぁはぁ!!」
「待ってくれ!閉めないで!!」
必死に駆け上がる人々を上司は苦痛に歪んだ顔で見据えている。
「……あと、少し……」
あのふくよかな女性がドアに手が差し掛かる。
桃園はバッ!と手を差し伸べ、女性はそれを掴んだ。
「あ、ありがとう!!」
比較的上にいた女性はなんとか間に合った。
それから数名扉をくぐったが、ゾンビが迫り来ると、苦渋の選択をする。
「……すまん」
上司はゆっくりと扉をしめた。
米田もそれに手を添えて閉める手助けをする。
「ま、まってくれ!!」
「もう着くだろ!まって!!」
「いやぁ!来ないで!やだやだや…………ぎゃぁぁぁぁぁぁあ!!」
下の方に居た女性が喰われている。
それを見た人々は青ざめた顔をして登るが、扉までまだ距離があり、上司や米田達は待てなかったのだ。
閉められた扉は防火扉となっていて他よりも頑丈だった。
締め切った扉からはもう何も聞こえなくて、しっかりと鍵を閉めたこの扉はかなりの時間を保ってくれる事だろう。
はぁ、と息をついて座り込んだ米田の隣に桃園も座り込む。
同期はまだ居たはずなのに、この場にはもう居ない。
仲の良かった先輩も、血塗れになって泣いていたの思い出す。
きっと今頃は……………………
「……なぁ、下はどうなっているんだ?」
「…………………………」
急に聞こえた声に顔を上げると心配そうに水を差し出す男性の姿。
まるで知らない人で、きっと別会社の人だろう。このビルは複数の会社が入っていたから。
他にも数人が飲み物を手渡し窓から外を見ている。
「…………わかんない、わかんないよ!何がどうなってるのかわかんないよぉぉ!!」
桃園は顔を覆い泣き出すと、それに触発されるように他の女性も泣き出す人が出てきた。
上司は優しく桃園の背中を摩り困ったように見つめていた。