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前編

前編で2万字、後編で1万字ほどの中編小説となります。

サクッとは読めませんが、宜しければお楽しみください。

中華風ファンタジー戦記の裏側話みたいなストーリーとなっています。




 わたしの兄は弑君簒奪(しいくんさんだつ)の悪逆の徒なのです。


 わたしが産まれた時には、兄である孫達(そんたつ)は既に(れん)国に人質として送り出されていました。


 

 わたしの生国は(しゅう)国。

 変わった名の国なのですが、初代国主であった孫恵公が若き頃、物乞いのみすぼらしい姿に扮して、街道で腹を空かせたと往来に(こいねが)っていた夏蘭朝皇帝鐸董(たくとう)に持っていた干し肉を全て渡して、名も名乗らずに去っていったという話から、正体をあかした皇帝陛下より、所領を賜り、干し肉を表す「脩」の国名もまた賜ったのだとか。


 そんな建国より500年もの時も過ぎ。


 王朝の権威が揺らいでいく中で、諸公たちは王を詐称することが当たり前となり、ついには夏蘭王朝に仕える諸公たちの中で領土争いが頻発するようになりました。

 

脩国はわたしの産まれる前、隣、蓮国との戦に敗れたのです。


 領土の一部を割譲し、更には賠償の支払いも決まると、賠償が終了するまでの保険として、国主に連なる者を人質にと要求されたのです。

 


 そうしてより10年、わたしが6歳を迎えた頃、兄は帰って来たのでした。


 


 ~~



 兄が人質となったのには両国の思惑の一致があったのだと、そして、それにより兄の人質生活は過酷なものになったのだとは、兄本人より聞きました。



 

 「そもそも、脩と蓮とのあいだの戦は国境沿いの水利を巡る小競り合いが拗れたことだったんだ」


 元々、仲の良くなかった両国が我が国の河川改修で堤防をつくったことで、境としている川が蓮国側にはみ出したとの抗議から揉め出したということなんだそうで。


 「お互いに領土を奪いあおうと機会を窺っていた中で、水害からの補修を名目に敢えてはみ出させたんだよ。元から解決する気のない議論は其々の地方の兵を巻き込む形で徐々に大きな戦へと変貌し、そして、愚かな事に仕掛けた形のうちが負けてしまった」


 そうして、我が国は賠償を求められ、その支払いの保証に兄を人質にとられたのですが。


 「蓮国としては、人質にとった王族を冷遇し、最悪は事故に見せ掛けて殺してでも、脩との戦の口実が欲しかったのさ」


 戦時の賠償だけでは物足りないと思った好戦派は人質が冷遇され、死んでしまえば、責任を問い、敵討ちにと脩が挙兵すると考えたそうで。


 「ただな、うちの親父たちもそれには気付いたわけだ。だから俺を選んだ。ご丁寧に王の寵妃の子だなんて、でっち上げの触れ込みつきでな」


 当時の兄は立場がとても弱かったそう。

 末の弟というだけでなく、兄の母親は父が気紛れに手をつけた女官で、後宮の姫ですら無かったそうで。

 女官は身籠ったことが発覚すると、後宮に召し上げられたそうだけれど。


 「何の後ろ楯もない、ただの女官だった女だ。姫たちの嫌がらせや陰惨な苛めに心を病み死んだ。自死だったのか殺されたのかはしらん。何せ物心ついてより、一度も会ったこともない。如何に王子でも後宮にはおいそれと入れん。何の力もない母では俺を側に呼ぶことも出来ん。呼ぼうと思ったかも定かではないがな。まぁ、そんな、厄介なだけの要らん王子だ。蓮国にくれてやるつもりで人質に出した訳だ」


 「当然、蓮国もそれは調べがつく話。試しに蓮国の王子の従者にして、こき使ってみたが、脩からは『大事な王子を従者に据えるなど、賠償の減額を要求する』と、俺を奪還すべく挙兵するどころか、賠償の減額を迫られる始末」


 面白そうに笑う兄ですが。


 「それでは人質生活は相当に過酷だったのでは」


 「こっちにいた時から針の筵だったのだ。そうたいして変わらんさ」


 「まぁ、何の価値もない捨て置かれた王子など、害にもならんからな、こちらにいた頃は命の心配はする必要はなかったが、その点は諦めきれん好戦派が仕掛けてくる分、人質の頃の方が命がけだったがな」


 そのお陰で様々に力をつけられたと皮肉たっぷりに宣う兄の顔は迫力にみちていました。



 ~~~




 この国に戻ってから、兄は急速に力をつけていきました。とはいえ、上の兄たちや父上にはバレぬようにしながら、放蕩息子を演じては王宮の外に繋がりを作っていったのです。

 そして、あらゆる手を使い兄たち、そして父上を殺害、そうして血塗られた玉座に座ると上の姉たちを政略の駒に使い、国内に粛清の嵐を吹かせました。



 その頃から、わたしは兄にある教育を施されるようになったのです。



 「いいか、鄭施(ていし)。決して笑うな。お前が笑う時は計算された肝心の場面のみだ」  


 兄は隣国で立太子したかつての王子、兄が人質時代に従者の屈辱を味合わされた祐玄(ゆうげん)に復讐する機会を伺っているのです。

 そして、わたしを何れ、祐玄が蓮国国王に即位した暁に、その後宮に送り込むつもりなのです。


 「わたしは祐玄に気に入られなければならないのでしょう。ならば、愛想よく笑っている方が良いのではなくて、お兄様」


 「わかってないな、鄭施。権力者の周りなど愛想よく調子のいい顔でおべっかを使う愚物が群れるものだ。そんな者には食傷気味にもなろう。あの男はな、人を見下すわりに執着心が強い。俺を見下していた癖に玩具としての俺に最も執着し、帰国する俺を引き留めようとしたもんだ。皆が渡りを得ようとあの手この手と自らを売り込む中で、さも興味もないと無表情の者がいれば目立つし、幸いにお前は美貌に長けている。その上にこの俺からの献上品と来れば、必ず食い付く。あとは折を見て笑って見せては執着させてやるのさ」


 そんな言葉のもと、わたしは表情を徹底して管理する術を叩き込まれ、あらゆる知識を教え込まれたのです。


 「よいか鄭施、権謀術数渦巻く中で、自らの位置を確保し、相手を思うままに操るには知ることが大切だ。だが、祐玄には愚かな末姫の振りをするのだ。何も知らん、苦労知らずの世間知らず、後宮に献上されたことを不満に思い、立場も弁えずに不満を顕にする愚か者であれ、あいつが思う儘に見下し、優越感に愉悦を覚え、それでいて思う儘にその心を射止めることの出来ぬ焦れったさに遊戯に更けるよう仕向けるのだ。なに、上手くいかんでもいい、策は幾らでもある。お前の役割はその中のひとつだ。上手く運べば、それがより有効になるという話。まぁ、頼んだぞ、可愛い妹よ」


 「はい、お兄様」


 そう答えるわたしに兄は満足そうに頷くのでした。



 ~~~



 わたしは兄ほどではありませんが、よく似た境遇ではあったのです。

 老境に差し掛かって尚、性欲の衰えを知らなかった父上が最後に産ませた末の姫。

 わたしの母は後宮の序列が低く、本来なら渡りなど望めない「賑やかし」のような存在でした。序列上位の姫たちの世話を担う侍女のような役割を持ち、皇帝の後宮に倣って、少しでも規模だけ、体面のために数だけは揃えたいとの思惑で各国が行っている「数合わせ」に加えられているだけの女。

 それでも、後宮に入るために教育を施され、渡りは無くとも、後宮にいた事が箔付けになりますから、悪いことではありません。

 わたしの母も裕福な商家がゆくゆくの縁談のため、王家との繋がりで家業をより栄えさせるためと賄賂を積んで押し込まれた少女だったそうで。

 裕福な家庭ゆえ、教育には余念がなく、母は商家の娘とは思えぬほどに美しかったのですが、それが反対に災いしたのです。


 懐妊を機に序列を押し上げられた母は生家との繋がりを断たれ、親しくしていた下級仲間の友たちと離され、あまり交流の無かった中位の姫たちを侍女としてつけられました。

 大切なお子に何かあってはいけないという名目ですが、敢えて孤立させようとしたのは明白です。

 わたしの母もまた、わたしが物心つく前にはこの世を去りました。生家の父親は娘の幸せを願って大枚を叩いた筈がと嘆き暮らしたと聞きます。


 父上は子供には露ほども興味を示さぬ方ですし、対して政略の役にも立たない末の妹を兄たちも無いものと扱いました。

 ややもすると親子ほどに歳の離れた妹に姉たちは露骨に嫌悪感を持ち、気色悪いと罵詈雑言を浴びせるばかり。

 わたしには味方など王宮にいなかったのです。


 ある日、産まれてより、存在は知ってはいても、会ったことの無かった末の王子が帰って来ました。

 わたしと兄は上の兄姉と違い母親似で父上にはまったく似ておりませんでした。

 その事もまた、上の兄姉たちがわたしたちを軽んじる所以でもありました。本当に父の子なのかと。

 ですから、6歳を迎えて、それまで会ったことの無かった兄の姿に、わたしはどうしても兄とは思えなかったのです。美しい相貌に逞しさを兼ね揃え、涼やかな美貌の青年に、幼いわたしは恋をしたのです。


 それでも、兄が上の兄姉同様にわたしを遠ざければ、その想いはすぐに霧散したことでしょう。

 ですが、兄はわたしを可愛い妹として、大切に扱ってくれたのです。

 初めて知る家族からの温かい愛情と、内心で幼い恋心を秘めたわたしの想いは育ってしまったのです。


 思い返せば、わたしを復讐の駒として利用するために人身掌握に長けた兄が、その心のうちまで見抜いて騙したのだとわかります。

 わかった上で、兄のためなら利用されても構わないと思ってしまう程に慕ってしまっているのです。


 兄は放蕩を演じる中で、わたしの母の生家に行き、王宮で放置されている事を逆手にとって、祖父と孫の邂逅を果たしました。

 このような事をいくつか為しては母の生家を始めとし、王宮に不満や恨みを持つ者たちの旗頭へと秘密裏に成り上がっていったのです。

 ですが、これもわたしを出汁に有力な民を引き込むためだったといって、事実、わたしとお爺様を引き合わせてくださったのです。

 亡き娘にそっくりだと喜んだお爺様がわたしを優しく抱き締めて、可愛い孫のためにあれこれと甲斐甲斐しく世話を焼いてくれた出来事は、いらない子として育ったわたしの心を穏やかに癒してくれるものだったのです。


 恩義と恋心を抱えて、歪んでしまった妹。わたしは兄と添い遂げることは出来ませんが、その期待に答える事は出来ると、叶わぬ願いのやり場をそうして作ってしまったのです。




 ~~~



 兄が帰国して4年、血塗られた玉座で戴冠し王となり、それからまた5年。

 わたしが15歳となった時、ついに兄の待望の日が訪れました。


 蓮国王太子祐玄が先王が没し王の座を得て、遂に即位する事となったのです。


 

 「よいか鄭施、祐玄は問題ない。未だに宰相を続ける菅伯棹(かん・はくとう)だけには気を付けろ。あれは俺を最後まで殺そうと画策していた男だ」


 即位の祝いの品のひとつとして送り出される前に、わたしは兄と二人で話しておりました。

 実の兄妹、仲睦まじいと言われることもあるわたしたち。冷酷無比な王は妹だけには甘いとも噂され、それが蓮国に政略に出されることに、やはり王は王だったと口さがない者は言いますが、兄と即位される祐玄の仲については双方が「友だ」と公言していることから、巷では人質生活の中で友を得て、将来の元首同士が良好な関係を結んだのは奇跡だと、美談として伝わっております。

 故に、わたしの後宮入りもまた、妹の幸せを願い、友に託したのだと表向きには噂が流れるよう仕向けられているようです。


 「お兄様を殺そうとされていたなら、好戦派だったのですか、先王の前より、此度で三代の王に仕える老宰相だったと記憶していますが」


 「教育の賜物だな。よく知っているが、残念ながら外れだ。あれは俺が祐玄にも蓮国にも、祖国にすら復讐心を燃やしていると気付いていた。後々の禍根を断つために親父たちに密書迄送って俺を始末し、その上で蓮国と王家に塁が及ばぬようにしていた。まさしく忠義の男だ」


 「如何にしてお兄様を亡き者にしようとも、実際に死んでしまえば、責は問われるのは避けられないのでは」


 「だからこそ、小飼の人間だけを実行犯とし、独断で行った事だと己の首ひとつでおさめられるように手配していたのだ。親父たちには己の首で事をおさめてくれれば、賠償を大きく減じる措置を準備していると約束迄してな」


 なぜ、其処まで兄を殺す事に拘ったのかとも思いますが、その後の我が国での顛末や、これから兄が成そうとされている蓮国滅亡への策謀を思えば慧眼と言わざる得ないのでしょうか。

 ですが、兄はそれらの工作を全て独力で切り抜けてしまわれた。確かにそんな怪物が屈辱への復讐を内に秘めていると知れば、まだ芽の小さいうちに摘んでしまおうというのも納得しますし、結果として兄の成長を助けてしまったことは忸怩たる思いでしょうね。


 「どうした。随分と可笑しそうに笑うじゃないか」


 「いえ、どうしても殺したい相手の成長を促すなんて、お優しい方だなと」


 そう言ったわたしに、兄は可笑しそうに呵呵大笑されたのです。


 「俺を殺せさえすれば、自分の首も安いと請け負った男だが、結果として殺せなかったことで自身も死にきれなくなった。それが蓮国一の将軍の死を招いたのだからな、皮肉なものだ」

 

 死ななかったとはいえ、兄の殺害未遂は複数に及び、その事実は覆せるものでもないとなれば、誰かが責任を負うことになります。そうして、自ら割腹して果てたのが羣儺(ぐんな)将軍であり、それを見届けた配下には悔しさから憤死した者もいたとか。

 将軍の家族もまた、連座であると、男は自ら腹を切り、女子供は服毒して果てたと言います。


 「蓮国王家と武家のあいだの確執は続いているし、教育係として口煩かった宰相を祐玄は嫌っている。付け入る隙は幾らでもある。忍ばせている間者の援助もある。王宮を盛大に掻き乱して来い。どうだ、こんな兄を嫌いになったか」


 お慕いしていますとは言えない。言うわけにはいかないことを知って訊いてくる兄はクツクツと笑って。


 「ことを成した後はお前を手元に置いて愛でたいものだ。愛しい妹よ」


 そんな事を言うのです。卑怯な兄を慕うわたしを嘲る貴方に、結局はそれすらも仄暗く悦んでしまう。

 そう作り上げられてしまったことを悔やむ気持ちも無いことが、悔しくも誇らしいのでした。




 ~~~



 蓮国王太子祐玄の国王即位より半年の時が過ぎ、諸々の準備を終え、我が国より祝賀隊が派遣されることとなりました。

 隊の代表は脩国国王陛下の代理人が立つのでは無く、陛下である兄が自ら立ちました。

 友の即位を自ら祝いたいという名分と、同じく大切な妹の輿入れを見守りたいという理由でしたが、どちらも表向きの理由です。ですが、この表向きの理由も当面は両国が友好であると錯覚させるために大切なものでした。


 我が国を出立する祝賀隊はこの日のために揃えた見目よく、脚も強い名馬たちの曳く王家に相応しい荘厳にして威容に圧倒される程の美しい装飾と、職人の技の粋を尽くした技巧が惜しむこと無く使われた馬車や荷車へと多くの品を積み街道を進みます。


 沿道を埋め尽くす観衆たちに手を振る祝賀隊の衛士たちは、実力もさることながら、見た目も良い者が選抜され、王家の世話役として帯同する侍女もまた、見目麗しい者が選りすぐられています。


 馬車の中から手を振る侍女すら、可憐で美しい少女たちなのです。そして、先頭で指揮を執り、国内を抜ける迄は馬上で悠々とその姿を晒しているのは、兄その人です。


 兄の治世となってより、賦課(ふか)を改め、納められる税は大きく減じられました。

 王家に係わる予算が大きく減じられたことが理由のひとつでしたが、兄によって粛清された王家は事実として頭数を減らしましたし、兄は好色な父により肥大した後宮を縮小し、予算を大幅に減らしました。

 そうしても、わたしや兄に充てられる予算はむしろ増えたのですから、笑ってしまいますが、わたしも兄も贅沢を好む訳ではありませんでしたから、民からすれば好色で浪費の酷かった先代を滅ぼし、民に還元した英雄に早変わりです。

 初めは親殺し兄殺しの悪鬼と呼んでいたと言うのに手のひら返しがお得意なのです。


 にも拘らず、こんなお金をかけた祝賀隊には「戦の禍根を越え、友情を結んだ両国の架け橋である」と手放しに受け入れて、馬上の兄へと花を降らせて万雷の拍手と喝采を贈るのですから、やっぱり笑ってしまいます。


 まぁ、馬上の兄は逞しい身体に磨き上げられた甲冑を纏い、その上から羽織った外套を翻す姿は様になってまして、凄味のある整った面差しは英雄と呼ぶに相応しいですから。それは聴衆受けも良いと云うものです。


 試しにわたしも馬車から手を振れば、こちらも受けが良いようで、幸いにして美貌に長けていると称されたことは満更でもないようで安心いたします。


 脩と蓮を東西に結ぶ桃華街道を往く旅は問題なく進み、道中は兄も馬車へと入りました。

 蓮国国境へと差し掛かると、関の向こうには蓮国の歓迎隊が待ち構えており、その隊主は即位したばかりの祐玄陛下本人でした。



 「やつが出迎えに出てくるとはな。爺の入れ知恵か」


 馬車の中、先触れに走った伝令の報を受けた兄が呟きました。


 「爺ですか」


 「あー、伯棹のことだ」


 わたしの疑問に端的に答えた兄に更に問います。


 「宰相閣下の提案ということですか」


 「やつ、祐玄は俺を下に見てる。態々出迎えになんて来る筈もない。だがな、先代では負けたとは言え、うちと蓮は朝廷の臣としては同格だ。いくら王朝が名ばかりになったとして、それはそれ、先に即位した同格の国主が即位の祝賀に自ら赴いたというのに、出迎えに代理を出せば、諸国からは蓮は脩を侮っていると捉えられる。例え友だなんだと言っても、礼は失してはならんのが(まつりごと)というもんだ。あの時、貴国は我が国を軽んじ侮辱した、なんて難癖つけて開戦するのが、今の戦乱の世なら当たり前なんだ」


 成る程とは思いましたが。


 「ではお兄様は口実が欲しくて態々来られたのですか。として、宰相を嫌っているとお兄様は仰いましたが、祐玄は言うことを聞くのですか」


 「其処は年の功ってやつだ。どうせ、人質風情が国主として我が国に大物顔で来るのです。侮られないためにも、出迎えに自ら赴き器の違いを見せねば笑い者になりますぞ、なんて言ったんだろう」


 「そんな言葉に乗りますか」


 「やつは馬鹿じゃない。心情として俺を下に見ていても、同格の国主、それも先に即位して数年は在位している俺を表面上は立てねばならんことも内心はわかっている。そういったあたりを説き伏せるのが爺は上手いんだ。だが、それが勘に障るという所もある。それでも渋々は従うだろうがな」


 「見てきたように仰いますね」


 本当に見てきたように言う兄にそのままの言葉を返せば、にやりと笑った兄は嬉しそうにわたしの顔を覗き込みました。


 「言うなー。あー、確かに想像だ。だが、昔と変わってないなら、かなり確度の高い想像だ。やつが変わったかどうか、この目に焼き付けてやるさ」




 ~~~




 「よくぞ来てくれた。忙しいだろうに態々自ら出向いてくれるとは、持つべき者は友と言うものだ」


 桃華街道、国境の関。晴啗(せいたん)門の手前にて、兄は馬上の人となり、衛士の先導で門を潜ると、待ち構えた若い男は待ちきれないとばかりに声を掛けて来たのです。

 馬車の中のわたしにも二人の会話は届きます。


 「随分と見た目だけは立派になったもんだな」


 兄は軽口を叩きますが、言われている祐玄は嬉しそうにしています。その姿からは兄を見下している様子は感じず、むしろ、本当に友のように感じました。

 ただ、その装束は不遜の極みといって過言でなく、柔和そうな顔との差異が激しいためにわたしは祐玄という男を計りかねてしまいます。


 王朝の皇帝のみに許された禁色、紫は天より与えられた子のみが袖を通すことを認められます。

 赤は所領の領主の色、今は王を詐称する事が茶飯事となった諸侯たちの色です。

 兄の纏う袖無しの外套は深紅に染め上げられ、まさしく領主たるものの出で立ちですが、兄より年上の筈が、背が低く、やや幼くも見える男が纏うのは青を混ぜたやや紫に見えなくもない外套です。

 諸公たちの間で王朝を侮り、禁を敢えて破ることが流行っていると聞いた事はありましたが、実際に赤と言い張れば赤ですが、紫にも見える外套を羽織る姿には、正直なところ愚かさしか感じません。

 わたしが祐玄陛下に最初に抱いた感想は見栄をはって友と呼ぶ兄に張り合う滑稽な男、という散々なものになったのです。


 ですが、その表情はとても穏やかで、祝いに来てくれた兄を心から歓迎しているように見えます。何故、あのような礼を失した色を纏いながら、言動には一切の不遜さがないのか、不自然に感じたのはわたしだけでは無いようで、馭者や侍女、衛士たちも戸惑っているように感じましたが、歓迎隊の案内のもと、わたしたちは蓮国王都、穂寛(すいかん)へと向かうのでした。


 

 ~~~



 蓮国王都穂寛は元々の大河、龍走(りゅうそう)大川を起点とした運河による水運と、広大な平地に麦と綿花畑が広がる農地を有し、工業、農業に、物流の拠点でもある大都市です。


 龍が地を走り、その溝にできたとされる大川から恵みを得たとされ、この地は天龍山脈より伸びる龍脈がその膨大な力を溢れさせる龍穴の上に王宮を建立したと言われているのです。


 山脈の裾野から続く広大な平地に縦横無尽に運河が伸び、豊富な水源と土地が、一面の美しい畑を作り出す。海からは遠い蓮国ですが、広い大河によって河魚などの漁獲も盛んで、綿花や山脈から産出される鉱石を使い工業も盛んなのです。


 王都中心に近づくにつれて、物流の中心としての商業都市の趣が強くなっていきます。

 

 「とても栄えてるのね。お父様たちは何で勝てると思ったのかしら」


 ふと口についた疑問に向かいに座っていた兄は静かに笑っているのでした。


 

 蓮国国境から穂寛へと至る日程は15日ほどを要しました。その中で、兄は祐玄の外套の色について教えてくれたのです。


 「貝紫を使うことは禁じられているが、そもそも、一枚の外套を仕立てるのに数千の貝を必要とする高級品、その上に舶来品だ。今では張りぼてになった朝廷では新調するのも難しく、代々の品を使い回している始末。諸公たちはそれをあげつらって、赤に青を混ぜた代用品を纏って見せ、皇帝をバカにしているが、これはお飾りの皇帝がいつまでも古い権威にしがみつき、自らの力で新品を用意できない無能という嘲りと、偽王と言われる自分たちは、いつでも朝廷に取って変わることができるという脅しだ」


 「なぜ、そんなものを放置しているのです」


 「放置せざるを得んだろう。今の皇帝など、本当に形だけの権威しかないのだ。それでも、歴史の厚みだけは覆せるものではない。たとえ形だけでも権威が必要なこともある。諸公たちはその権威の後ろ楯が便利だから朝廷を生かしている。朝廷は諸公たちの顔色を窺って、支援してもらうことで生き長らえている。双方の利害の一致の産物だ。それでも、諸公たちとて、無駄に金ばかり無心されれば嫌にもなる。それでも、単独で皇帝を屠り、玉座を奪えば、天子殺しの名目で他の諸公は一致団結してくるだろう。無駄な争いを避けて、お互いの領土を政治的に奪い合い均衡を保っているんだ」


 「では……祐玄も朝廷を虚仮にしているだけと」


 「形だけの権威を慮る諸公たちのあいだで、それが通らんのは賢いお前ならわかるだろう。格下相手に戯れに禁色を纏って見せるのは冗談として、諸公たちのあいだで度々行われて許容されているが、同格や格上相手に行えば、流石に流して貰えることではない。まして、これは祝賀のための正式な来訪だ。言外に敗戦国であり、元は人質で従者だった俺に下につけと命じているに等しい行為だ。その自覚は無いだろうが、元より俺を下に見ているからこそ、無意識に行ったんだろうな。まぁ、爺には無断でやったのは間違いない。あいつとしては口煩い爺への意趣返しと、俺への無意識の牽制だろうさ」


 説明されると、そんなものかと腑に落ちますが、富国強兵を成し、周囲に強国、大国と思われて久しい蓮国の国主が、代替わりしたばかりとは言え、そうも愚かなものかと頭を捻りたくなってしまいますが。


 「鄭施、そう深く考えることもない。仕掛ける相手が腑抜けなら、仕事も楽というものだ」


 おどけて言う兄に、わたしは思わず笑ってしまうのでした。



 ~~~~



 穂寛へと辿り着いたわたしたちは旅装を解き、その疲れを癒すため、到着より離宮のひとつ、歓待を目的とした殿へと通されました。


 旅塵を落とし、歓迎の席へと案内される手前、わたしの元に訪れたのは年若い女性でした。


 「あなたが、奴婢(ぬひ)王の妹なの。見た目だけは立派じゃない。王をたぶらかした賤民の子の分際で、今度は陛下をたぶらかすつもりなのかしら、従者のくせに王を名乗る兄共々、さっさと国にお帰りになったら」


 随分な言いように固まってしまったわたしでしたが、後ろから兄の声が聞こえて、我に帰りました。


 「此方ではそのような諧謔(かいぎゃく)が流行っておるのかな」


 振り返り見れば兄は旅芝居の役者さながらに両の手を広げて、周囲の従者や案内の者に問い掛けるように、溢れんばかりの笑顔で此方へと歩を進めています。


 「たしか梨美(リーメイ)といったか、白髯殿の孫とは言え、そのような戯れ、許されるとお思いか」


 (ほほひげ)が見事で老境で白く、また更に毛深くなった白髯から、宰相の菅伯棹をそう呼ぶ者もいるそうなのですが、この目の前の女性が、まさか名宰相と吟われる菅宰相の孫とは。


 「許されなければ、どうするのかしら、祖国でやったように、墓石の下敷にでも為さりますの。祝賀の前に刃傷沙汰なんて、なさりませんよね」


 そう言った彼女と、その侍女たちが笑っていましたが。


 「確かに血の海は不味いな」


 そう言った兄は傍らの従者に合図をし、杖を手に取ると、わたしの横へと進まれて、そのまま目の前の彼女に向けて横一閃とばかりに振ったのです。


 破砕音が響くと、彼女の髪飾りは砕け散り、纏められた髪は見る影なく無造作に放たれてしまいました。


 「奴婢どころか、乞食のようだな。俺を従者と罵ることも戯れなら、そなたのような家臣の子など、炉端の物乞いがお似合いだ」


 顔を赤くして憤慨するものと思ったのですが、梨美と呼ばれた彼女は薄く微笑み兄の首に閉じた扇を当てて、恐ろしいことを口にします。


 「一思いに首を跳ねれば宜しいものを。遠慮なさる必要は無いわ、慮外者をひとり処分したところで、今更揺らぐほど両国の関係は脆くも無いでしょう。明星(あけぼし)の一族を根絶やしに処刑したところで、何も問題無かったのだから」


 ちらりと横目に兄の顔を見上げれば、面白いものを見たといった風情で笑っております。


 「羣儺将軍の系譜にはそなたの許嫁もいたんだったか、なんぞ、その怨みでも晴らすつもりか」


 扇を兄の口元に添えるように引き上げた彼女は妖艶に笑いながら答えました。


 「祖父の計略が頓挫して、かわりとばかりに目障りだった一族を追い落として、その犠牲となったのです。貴方を恨むのは筋違いでしょう」


 微笑む彼女の瞳には深い洞穴を見るような空虚さが滲み、わたしは恐ろしくなりました。


 「いい加減にしないかっ、孫達公、我が孫が大変な無礼を、如何様に処罰をくだされても結構、本当に申し開きの余地もない」


 彼女たちの後方から声と共に現れたのは、立派な髯をした矍鑠とした老齢の男性であり、見目の特徴から管宰相その人であろうと推察される人物でした。


 「これはこれは老師、(おきな)殿の孫に無礼などと言うほど狭量では無いさ。なに、ただの戯れ、処罰などと大袈裟に言わんで結構。そんな事を宣えば、今度は月光の一族を滅ぼすことになる」


 「孫達公の寛大さに感謝致します」


 深々と頭を垂れた管宰相に兄は朗らかに語りますが、顔には出ない愉悦がわたしにはわかりました。


 「老師、ここ蓮で俺に様々なことを与えてくれた恩を忘れたことはない。子供だった俺の師であり親だったのは貴方をおいて他にいない」


 顔を上げた管宰相は恐縮したといった様子ですぼらしく身を縮込ませ。


 「過ぎた言葉です。私は何一つ孫達公にもたらすことはありませんでした」


 返す言葉もへりくだっているものの、こめかみのあたりに血管が浮いてきて、握り込んだ手が僅かに震えているのが見てとれますから、相当に堪えているのは間違いないのでしょう。


 そんな様子を楽しそうに見ていた兄は、唐突な話題で周りを驚かせました。


 「老師、梨美は成婚前に相手がいなくなってしまった訳だが、後は用意されたのか、まさかまだ未婚という訳ではあるまい、それにしては夫人の装いでは無いが」


 わたしは彼女をかなり若い、わたしとそう変わらない年頃だと思っておりましたが、兄の言うように顔の幼さもあるのですが、そもそもが未婚の女性がする化粧に装束なのです。

 ですが、話の流れからすれば、彼女はともすれば兄と近い年齢の女性のように思います。


 「孫には中々と良縁がございませんで」


 言い淀んで、声の張りが悪い宰相に、彼女が吐き捨てるように溢しました。


 「ただの子供を悪鬼羅刹のように恐れて、国をあげて殺そうとして反対に食い殺されては世話がないと吹聴して回ったんですもの、誰も私を娶りたいなんて思わないでしょうね」


 すぼめたままの扇を軽やかに回しながら鈴がなるようなコロコロとした声音で嘲るように語る彼女に、管宰相は今度ばかりは堪えきれない様子で何ぞか言おうとしましたが、兄に機先を制されて押し黙りました。


 「ハハハッ、それは都合がいい。先代のやらかしに財政立て直しのためにと後宮を廃止したんだが、簒奪者の嫁になりたい気概のあるものがいなくてな。まだ妃が決まらんで困っていた所だ。翁殿の孫なら申し分ない。どうだ、俺の妻になる気は無いか」


 いきなり過ぎる兄の提案に誰もが困惑しますが、髪留めを失い、サラサラと流れる髪を一振りで背中へと払いながら愉しげに兄を見上げた彼女は妖艶な美女のようにも、無垢な少女のようにも見える万華鏡さながらの溌剌とした笑み顔で兄に答えるのでした。


 「良いわね。ここに居てもつまらないし、簒奪者の華になってあげるわ」

 

 いよいよ、呵呵大笑した兄は、堪えきれないといった風情で息を切らして笑ったあと。


 「毒も棘もある華ほど美しく魅力的なものだ。せいぜい、その毒にやられんように気をつけるさ。血塗れの王に侍るのが、蠱惑の毒花というのも絵になるさ、宜しく頼む」


 高らかに宣言したのでした。

 兄の思惑もわからぬまま、式典は何事なかったように行われ、わたしは蓮国の後宮へと入り、兄の帰国を追うように、姉となることが決まった梨美様もまた、脩国へと旅立っていったのでした。



 〜〜〜〜〜




 それからの日々は此方については特に特筆すべきことも無く過ぎて行きました。

 故国では兄が盛大な婚礼式典を上げる準備をしたのち、梨美様との婚儀を執り行いました。その際にはわたしは一度、呼び戻されて式典に参加しましたし、蓮国国主として、祐玄も式に参列しました。


 無表情で祐玄の横に侍り、人目のある所では聴衆に微笑みかけ、手を振るわたしを見て、兄は満足そうでした。


 此方に来て半年ほどが過ぎ、祐玄は始めはあまり、わたしの所へは来ませんでした。お付になった侍女や、警護につけられた者の中に脩国からの間者がおり、内情の確認も含め、不便なく過ごしてはおりましたが、このまま祐玄を落とせずでは兄に顔向け出来ないと焦りだしたころ、祐玄がわたしのもとに訪れるようになりました。


 兄の言いつけを守り、殊更興味がない風を装い、不機嫌でも上機嫌でもなく、ただ炉端の石を眺めるかのように振る舞い続けるわたしに、祐玄はあの手この手と機嫌を取るようになっていきました。


 「お見事です、姫様。陛下はいまや姫様の手の中で転がされる駒同然、数ある後宮の姫君たちが、渡りを得ようと媚び諂う中で、さも無価値であると冷めた目の姫様のご様子に、何とか気を引いてやろうと躍起になっております」


 目の前で話すのは女官長を任ぜられている年増の女性ですが、この方は脩国の間者ではなく、純粋なこの国出身の臣下の家柄の女性です。

 どうやら、兄の策謀のひとつにはなれたと安心しますが、流石に女性には見抜かれているようで、敢えて関心の無いふりをしているのも手練手管だと看破されたようです。

 幸いに、その裏の企みまでは気取られず、ただ寵愛を得るためのものとして、むしろ好意的に捉えてくれていて助かりました。

 兄と祐玄が無二の友だという触れ込みや、兄が蓮国宰相の孫娘を娶って、国主としては異例のただ一人を寵愛していることも相成って、わたしの存在も好意的に迎えられていることもあります。

 すべては兄の長大な謀略の一欠片にすぎませんが、それらが噛み合い嵌まり込むように組み上げられている結果として、常にわたしのもとには安寧があることに、兄の愛を穿って期待してしまうのは、わたしの悲しい性なのです。


 その憂いが僅かに顔に出たのでしょう。


 「もう、陛下は姫様に首ったけです。心配なさらずとも、ここでの暮らしも安泰ですよ」


 侍女長は優しい笑顔でそう言い、わたしの前からさがっていきました。



 〜〜〜〜〜〜

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 久方ぶりにあった友は随分と美丈夫へと変貌していた。

 そう言えば此の国を出る頃には背丈を抜かれていたかと思い出す。


 初めて会ったのはもう20年近く前だ。

 まだ、8歳だった俺の前に人質として連れて来られた友は2つ下の幼子であったが、最初に見た時はもっと小さな子供だと思った。

 貧相な身体つきで、骨張った体は首元に見える鎖骨に肉がなく、骨と皮といった風情であったし、夜闇を纏うかのような青味がかった黒髪は腰元まで伸びて、女人のような(かんばせ)で、儚げな少女のようであったが、切れ長の美しい目の中で、鋭く射抜くような瞳だけが狼のような獰猛さで周りの者を威嚇していた。


 突然に人質として他国に送り込まれ、警戒しているのだろうと、可哀想でもあり、微笑ましくも思えた俺は、弟が出来たような心持ちで嬉しかったのを覚えている。


 自国に戻り、粛清の嵐を吹かせて簒奪の末に王位についたと聞いた時は驚いたが、賠償が完了するまでの人質生活の中で、一度たりとも本国からの支援も音沙汰すら無かったのを知っていた。

 体よく要らん王子を人質に送り厄介払いしたついでに賠償を減額するための駒としか扱われなかったことを鑑みれば、致し方ないのかもしれんと納得したものだ。


 父王が没し、太子である俺の即位が決まると、友が祝賀式典への列席を報せてくれる。

 

 (じい)が丁重に(もてな)すようにと釘を刺されるが、云われるまでも無く歓待するつもりだ。


 爺からすれば、警戒するのは当然だが、俺とすれば、久方ぶりの友との再会であり、友が溺愛していると聴く妹姫が輿入れしてくるのだ、喜ばしいに決まっている。

 と言って、弑君簒奪の顛末を知れば、確かに此処に居た頃より、どれだけ顔が笑っていようと、その目には憎悪の火が揺らめいていることも儘あったのも事実だ。

 どうか、俺が友と信ずるように、彼奴の中にあっても、俺が友であって欲しいと、遠く脩国へと想いを馳せるのであった。



 〜〜〜〜〜

 〜〜〜〜〜


 「そなたは貼り付けたように同じ顔をしておるな」


 祐玄がわたしのところをよく訪れるようになり、口癖のようになった繰り言がこれでした。


 それから暫くすると、祐玄は道化師や講談師、曲芸師などを引き連れ、芸事や滑稽話などで笑わせようとしました。

 それが失敗すると、今度は女官に男装させるばかりか、文官や武官の男性に侍女の格好をさせて、わたしのところへと伴ってくるようになりました。


 それでも不快な顔をするのみで笑わないわたしに、祐玄は苛立つどころか、逆に好奇心を掻き立てられるように悪戯を過剰にしていったのです。


 練兵場にて兵の訓練を視察するという祐玄に連れ出されたわたしは、祐玄の隣で訓練を見ておりました。

 よく訓練された精鋭たちの動きは、素人のわたしが見ても素晴らしいものでした。


 しかし、そこに突然と暴れ馬が乱入したのです。

 訓練の一環かとも思いましたが、踏みつけられた兵もおり、場は混乱し、必死に取り押さえようとする兵たちで騒然となりましたが、横にいる祐玄は焦る様子もありません。

 そこでわたしは、これも祐玄の悪戯なのだと気付くと、敢えて僅かに吹き出して嗤ったのです。


 「おー、そなたでも笑うことがあるのだな」


 このような場で笑うなど、叱責されるべきところです。ですが、喜色を纏う祐玄は嬉しそうに笑った笑ったと踊り出さんばかり、無事に回収された馬が引き摺り出されるのを確認すると、兵に声もかけずに練兵場を後にしたのです。


 わたしは兄の策謀の一端の意味を悟りました。愚かで、分別のない女の気を引こうと、自らも其処に降りていくことで、然程、有能では無いと言われていても、問題ない能力を有して、治世が不安視されることのない祐玄が、自らその信頼を失い、人心が離れるように仕向ける。まさしく傾国の役なのです。

 ただ、兄の策謀の通常と異なることは、色香によって惑わし、思う儘に操って贅を尽くし放蕩の限りで国庫を燃やすのではなく、傾国本人の意図の外で、勝手に自滅したように見せ掛けることです。


 「ここまで計算してわたしを仕上げたのですから、やはり兄は恐ろしい人です」


 一人、ぼそりと吐き出した言葉に、何故かわたしは誇らしい気持ちになっていました。


 

 それからも、笑ったり笑わなかったりするわたしに、壺は何処にあるのかを探るように、祐玄は様々な仕掛けを繰り出して行きました。

 当然に迷惑を被る者も増え、苦言を呈す者もまた、増えて行きます。現状はわたしは巻き込まれた被害者の1人のように思われていますが、それでも、わたしのせいでもありますから、快く思わない者も増えているのです。

 そんな折、庭園に掘られた広い溜池に舟を浮かべ、祐玄と2人、舟遊びをすることとなりました。

 池には鯉などもおり、庭園の風景と共に中々に風情があります。と言って、祐玄がただ舟遊びをしようとしているとは思っておりませんでした。

 案の定、池の中程まで来ると、祐玄はわざと舟を揺らし始めたのです。


 正直に言えば、流れもない溜池で、底もたいして深くはありません。最も深いだろう中心でも立てば胸より上は出るだろうと思える程度、水連をしたことのないわたしでも恐怖を感じることはありませんが。


 「祐玄様、おやめくださいまし、舟から落ちてしまいます」


 わたしは必死に縁に掴まる振りをして、怖がっているように演じました。


 「おーおー、そなたでも怖がることもあるか、大丈夫、落ちはせんし、舟が転ずることもない」


 そう言って、祐玄はさらに揺らします。わたしは好機だと捉えて、怯えている振りをし、涙を流してやめてくださいと、声を張り上げました。


 池の周囲には万一の護衛や侍女たちが控えています。揺れが大きくなった瞬間、わたしは堪らずと祐玄に抱き着き止めてくれと泣き付く素振りで、体勢を崩したように見せ掛け池へと落ちました。


 あっ、という声を背景に大きな落水音で入水したわたしは、息をひたすら吐き出して、藻掻く振りをしながら水底へとわざと沈みました。

 息を吐き切ると口を固く閉じて水を飲まないようにして、あとは気を失った振りをして、浮かぶのに任せたのです。


 護衛の方かと思われますが、わたしは抱き上げられ、池のほとりへと引き上げられたのです。

 横になり、目を閉じていたわたしに女官たちの悲鳴のような声が響いておりましたが、暫くすると慌てた様子の祐玄の声も遠くより此方へと向かって来ました。


 目を開けた私を見て、手を取った祐玄は泣きそう顔をして、と云うより、本当に涙を流して。


 「良かった、無事で良かった。すまない、落ちるとは思っていなかった。すまない」

 

 頭を下げ、ひたすらに、良かった、無事で良かったと。


 「祐玄……様」


 一言呟く私に、抱き着くと、すまないと繰り返す祐玄が、わたしには何故か、何処か可愛らしく思えたのです。



 この一件は、わたしの思ったとおりに、わたしの評判を一変しました。医務所へと運ばれたわたしは、それから数日は熱を出し、薬を服用し、部屋で休むことになりましたから、舟の上で怯えていたことも含めて宮中に話が広まれば、それまで悪感情を抱いていた方も、大方は同情を向けるようになったのです。

 なにせ、下手をして悪戯が元で死にかけた訳ですから、わたしが理由で祐玄が暴走していると言っても、わたしには何の責任もないと、改めて認識されたのです。


 心配があるとすれば、これで反省した祐玄が悪戯をやめることだったのですが、暫くは大人しくして、わたしを心配していた祐玄は、わたしが心を開いたように感じると、ややあって、悪戯を再開したのでした。

 わたしに害の及ばないように注意して、驚いたり怯えたりするのを、愉悦するようになるのです。


 それが、宮中の人心を潮が引くように遠ざけているとも知らずに。



 〜〜〜〜〜

 〜〜〜〜〜




 「首尾は……良くないようじゃな」


 脩国より後宮の側室の1人として献上された、脩国前領主の末の姫。その監視役に任ぜた者の報告を受け、儂は嘆息する。


 「申し訳ありません、宰相殿」


 平身低頭と頭を垂れ、そのまま地に擦り付けんばかりに額づく男に、もう良いと手を振る。


 「報告をせよ。頭など、いくら下げても何も解決せん」


 はっ、と短く答えつつも上体を起こした男は、報告を再開した。


 「日に日に陛下のお遊びが悪化していく中、要因の排除に邁進しておるわけですが」


 やや口籠りつつ口上を述べる男に補足して訊く。


 「毒は効かなんだな」


 またも、はっ、と短く答えたのち、話し始める。


 「毒見もおるゆえ、飲食物に直接入れることはしておりませんが、刺繍の刺針や食器類、戸棚の取っ手などに、毒を塗りましたが、今のところ効果はなく」


 忌々しいと胆汁を飲む思いで苦り切る。


 「あの小悪鬼め、甘やかしとるなんぞと噂を流して、妹姫に耐毒訓練をさせとったのだろう、小賢しい。何も知らん出来んの小娘のような振りをしとるが、小悪鬼の妹だけはある。あれも小賢しい鬼子だ。違いがあるとすれば、兄は自らの意思で動くが、小妹鬼のほうは人形じゃな。すべて仕込まれたんじゃろう、あの性悪な鬼にな」


 確かに美しい娘ではあったが、後宮には美女なら腐る程いる。領主となった祐玄陛下が友だと言って憚らん脩国の簒奪者の妹といって、友の妹として目にかけても、寵を受ける程になるとは想定していなかった。


 歳も離れ、見目は美しくとも、末姫として、あの性悪に大層大事に育てられ、性格に難はないものの、取り立てて秀でるところは無いと聞いていた。

 それでは、すぐに飽きられるだろうと警戒しておらなんだ。


 「凡愚ではあっても、愚かでは無かったのだ、国主として、脇に支えられて、国の舵を取るくらいは問題なく出来たはずが、此処まで腑抜けになるなど」


 怨み言が延々と吐き出される様相を呈し始めると、報告者の男は、遠慮がちに儂の言葉に割り込んで来た。


 「事故に見せ掛け排除しようともしたようですが、企みの段階や、実行の手前で全て阻止されているようで、陛下に連れられ、遊山に随行したさいには族に見せ掛け襲撃しましたが、それも敢え無く全て倒されまして、……無論、倒された者たちはその場で毒を食み自害いたしましたが」


 報告に頭が痛くなる。


 「何処の世界に、強盗に失敗したからと自害する族がおるんだ。口を封じるにしても、やりようがあるだろう」


 そう言われて、小刻みに震えながら、目を泳がす男に、用済みだなと心で墨をつける。


 「くっ、脩から帯同しておる侍女に宦官が2名づつおったが、随分と優秀なようだな」


 「宦官については、孫達公に身命を賭す程に忠義を誓っているようでして」


 男は皮肉を皮肉と分からずに返答する。そのくらいは知っておる。


 「お主も、陛下の為なら腐薬を呑むか? 」


 そう訊けば固まって返答に詰まっておる。嘘であっても首を縦に振るより無いじゃろうに、気概も無いのならと、下がらせる。


 宦官として帯同したのは兄弟だという。

 脩国に古くから使える武門の家柄だが、先の我が国との戦で敗れた責を全て負わされ、長らく礼遇されていた家だったという。

 先代を弑した主君が、家の名誉を回復し、幼い頃より、妹の世話役、護衛役にと目を掛けられて、育てられ、主君、妹姫共に恩義を持って忠義に厚いと聞く。


 後宮には領主を除けば、男は入れず、許されるのは宦官のみと聞いて、護衛や側仕えのために帯同するため、態々、他国より、呑めば男根が根から腐り落ちるという劇薬を取り寄せ、迷いなく呑むと、七日七晩、高熱で転がり回ったのちに、見事に不能となり、宦官として此の国に赴任したという。


 「そこまでの忠節を得るほどに慕われておるのじゃな」


 女児(おなご)のような顔をして、獣のような視線で警戒しておった幼子を思い出すと、何とも言えん気持ちで上を見る。


 「願わくば……」


 言いかけた言葉を飲んで、儂は(かぶり)を振って墨をつけた、儂の心の奥底に。



 〜〜〜〜〜

 〜〜〜〜〜



 わたしが蓮へと嫁ぎ、すでに一年が経過しておりました。舟遊びでの一件から、祐玄は後宮においてはわたしのところに来るのが常となっており、時折、別の側室の元に行くものの、正室の座はほぼ、わたしで決まりと言っていい状態でした。

 ただ、現状ではまだ、正室と正式に認定された姫はいなかったのです。理由としては祐玄の即位から此処まで、まだ嫡子はおろか、姫の一人も産まれていなかったことが原因です。

 嫡子を産み、公太子母となれば、それだけで正室として扱われるのは必定ですし、わたしが子を為せない可能性も含めて、何人かの側室たちと保険的に関係を持つのは当然でした。

 ですから、わたしの立場を安定させているのは若さと出自、そして祐玄自らの態度によるものでした。


 後宮の役割は勿論のこと継子をもうけること、領主一族の私的な住居である内宮の脇にある後宮、または掖庭宮(えきていきゅう)は王朝の宮殿を参考として、各公主たちが、その権力を示す見栄のために競い合い、その規模、質を維持しておりますが、はっきり言えば、ただの金食い虫なのは言うに及びません。


 ですが、裏を返せば、無用の用というものもあります。継子を産むという大義名分のもと、無駄に肥大化している諸侯たちの後宮ですが、だからこそ、領主に仕える臣下たちの娘にとっては大切な雇用先でもありました。


 生国の脩では、兄により旧政権の派閥に与した者の多くは不正を理由に粛清され、財政健全化のためと、領主にまつわる公金制度も廃止や縮小がなされましたから、段階的な後宮の縮小や廃止も可能でしたが、側室の不義密通を防ぐ目的で、外部に赴くにも複雑な手続きと申請を要し、男子禁制、全ての業務を専属の後宮女官と、一部の上級宦官のみで賄う後宮はひとつの小さな町といって差支えないのです。


 後宮に入るには、側室の姫として入った場合は、公主のお子の生母となるか、26歳を過ぎて、側室から外され、後宮女官のうち、後宮の仕切りを任される各役長の候補として働くかとなります。

 見栄ために数合わせで、市井から見目の良い女性を買い加える領主もおりますし、賄賂を積まれて加えることもあります、わたしの父のように。

 本来であれば、どんな形であれ、後宮入りした女性は機密保持のため生涯を後宮で暮らすことになりますが、養い切れるものでもありませんから、側室をつとめることの出来ない年齢になり、役をこなせる能力のない者は退職金を与えて放免となることもあるのですが、数合わせだけの形だけの側室など、機密に触れる機会もないと捨て置かれているからでもあります。

 

 元より後宮女官として、事務方や、場合によっては警護などの武官として雇われて後宮に入る場合もあります。

 元々、従卒の家柄の娘などが、主家の紹介で入る場合などが多く、優秀な人材が集められます。


 女人の働く場所が限られる中で、政略的に縁談相手などに恵まれないと、貴族家の娘というのは身の振りがとても難しくなります。

 いくら裕福でも、領内の商家や豪農に嫁がせるとなれば、恩賞などの相応の理由が無ければ、金欲しさに娘を売った家と謗られることになりますし、といって、貴族や公主家との間で縁を繋ごうにも限りがあります。ですから、雇い先、嫁ぎ先として間口が広く開かれている後宮は一定の社会的意義を、王侯の社会において持っているのです。

 幸いにして、わたしの父とその執政を担った方々と違い、色欲と見栄にかまけて無駄に肥大化していた生国の後宮と異なり、各国と比べ見劣りしない程度の規模で運営される蓮の後宮には市井から招集された側室はいませんでしたが、だからこそ、側室たちには死活問題な部分もありました。

 

 優秀な宦官や後宮女官が様々な役割を熟して成り立つ後宮では、家柄により姫として側室となった女性たち、特に嫡子の生母となった正室や、お子を産んだ側室は大切にされます。

 逆を言えば、寵を得られず、渡りもない側室は立場が弱くなりますし、それに加えて、実務的な能力が皆無か、そこまで云わずとも能力に乏しければ、その後の後宮内での立ち位置も確保が難しくなります。

 側室として迎えられた方の中には、始めから後々に後宮女官として、なんらかの役職で立場を得ることを考えて、励む方も少数ですがおりますが。

 お子さえ産めば、後宮の奥に生涯にわたって部屋を用意され、年金も多く貰えて、働かずとも安定して暮らせますから、何としても渡り得よう、そして、たった1度の逢瀬でも子を成そうと、惚れ薬やら、懐妊を促す薬やら、呪いに香と怪しげな物も流行ります。

 人生をたった1度の好機で逆転できると全力を尽くす方たちの中におりますから、足の引っ張り合い、ともすれば殺し合いにも巻き込まれます。


 「はー、また、ピリッとした」


 ため息がでます。棚の取っ手口の金具に触れた途端、指先にかすかに痺れが走りました。

 兄によって、内服、外服違わず、様々な毒に慣らされて育ちましたゆえ、そう死ぬことは無いと思いますが、体調は崩しますし、痛みや不快を感じるのは常です。


 

 紅葉を見つつ、狩りに参じようと祐玄に連れ出さた際には、族に扮した襲撃を受けましたが、脩に居た頃より、兄の忠実な臣下だった赤穂兄弟のお陰で助かりました。

 麦や稲の穂のように逆立った髪をしており、あまり手入れをしていない蓬髪は赤味を帯びて、兄より赤穂と呼ばれていたのですが、何故か分かりませんが、兄弟揃って大喜びで渾名を気に入り、感涙して名を賜ってしまったものですから、呼び名が赤穂兄、赤穂弟で固定してしまったのは不思議な想い出です。優秀な方なのは間違いないのですが。

 

 大柄で、筋骨隆々としていて、顔立ちも整ってはいるものの、強面な兄弟ですから、護衛には持って来いなのですが、わたしの輿入れに帯同するため、自ら宦官になり、志願したと聞いた時は驚きました。


 祐玄の悪戯に困らされる中で、誰とはなしにわたしを狙う者の悪意から身を守りながら、立ち回る毎日に、兄の幼少期もこうだったのだろうかと。

 いえ、きっと味方もいなかった上に幼かった兄の苦労はこんなものの比ではなかったのでしょう。そう思えば、弱音を吐く気持ちも失せました。


 何より、悪戯をしてはわたしの反応に一喜一憂する祐玄を、わたしはかわいいと思い始めていたのです。

 隣国の姫と言って、一回りも下の、見目を除けば秀でるところも無いと下に置かれる筈の小娘。そんなわたしを笑わせたい、驚かせたい。その変化する表情を見たいと、無様に遊興に耽る哀れさに、何故か、わたしは安堵し、本当に笑いかけるようになっていたのです。

 調略の相手が愚鈍で助かった、そういった意図での安心は確かにありました。ですが、祐玄が言う程に愚かでないことも、此処で知りました。肌で感じる部分でも調べた事柄でも、祐玄は無能ではないのです。

 なので、調略が上手く行き安堵した気持ちもあるのは間違いないのですが、それとは別に、これまで、権謀術数の海千山千の猛者と渡り合うこと、特にその筆頭たる兄の元で、内心の見えない人型をした鬼や魔物と生きて来たのだと気付かされたのです。

 取り立てて秀でたところも、殊更に劣ったところも無い凡夫たる男が、裏もなく、ただわたしを笑わせたいと愚かな遊びに興じて、わたしと共に笑っている。

 そんなくだらなく、何の意味も無いことが、わたしの心にとっては、張り詰めた糸を解すための、ぬるま湯の中に浸るような、日溜まりの日向ぼっこのような、柔らかな救いだと…… 


 そうして、調略しているようで、絆されてしまったような、温く甘い関係の中で、祐玄は取り返しのつかない事態を引き起こすのでした。




 




 



 

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