地方領主はセンシティブ配慮ができない
地味目令嬢からの続き話その3なので、そちらから読んでいただきますとありがたく思います。
夏が来た。バカンスの季節だそうだ。
お貴族たちは6月から9月にかけて、皆一斉に北の方の涼しいリゾート地に移動する。
神聖西トラスフィッシュ帝国である。
帝国は首都トラウトサーモンを中心に、大陸西半分を統治している。聖なる魚の骨を信仰する宗教国家である。
現皇帝イエロウテイル3世は文武両道、まだ弱小だった″トラスフィッシュ国″を10代半ばで継いだそうだ。
その後一代で見渡す限りの国を併呑し、ついに帝国皇帝の名乗りを上げた。そんな傑物も今年で齢70歳。
跡取りの皇子も覇気凛々として、帝国も安定かと思いきや、まさかの離反である。
帝国領の東半分を分捕り、まだ現皇帝が存命だというのに、東の帝国皇帝を名乗り出してしまった。お家騒動だ。
とはいえ、結局のところは身内争い。
一時は騒然とした帝国民ではあったが、すっかり慣れて飽きた。今お貴族の間で最もホットな話題は、今年のバカンスどうするう? これである。全く呑気なものである。
……わたくしツナ高原に行きますの……。おじさまの別荘がありましてね……。
……まあわたくしも。湖で一緒に散策しましょうね。夫は山登りに夢中で相手にしてくれませんのよ。
……ツナ高原の駿峰トロ山脈! 今年こそは登頂しますぞ。リベンジです。
……若いですね侯爵、テントやアイゼンなんかの道具はどこの店のものを?
新入りの、辺境の、なにの旨みもない草原の地方領主が俺である。特産物は羊毛と馬。あと草原、それから草原。
ツナ高原に負けず自然は豊かなはずだ。俺の領地がツナ高原のなにに劣っていると言うのか。登山なんかクソ喰らえである。
パーティ会場の片隅で悲しみと憤りに染まっていた俺がふと気づくと、隣に知り合いの地味な令嬢がいた。驚異的ステルス機能を搭載している。上手く使えば国を取れそうな気もするが、それを行う才覚は多分ない。
「田舎もん。どうせボッチなんでしょ。うちの領地に招待してあげてもいいのよ」
ボッチはお前だろがと思いつつ、紳士な俺は穏やかに、お嬢の領地はどこなんですかねえーと返した。何度聞いてもこの令嬢の名前が覚えられないのである。
「ツナ高原……」
「えっ、マジですか!?」
俺はちょっと興奮した。
「……ツナ高原の奥の、奥ツナ地方よ」
俺は解散した。正真正銘の田舎の匂いしかしない。
「……これは私の知り合いの話なんだけど」
めげない令嬢が婉曲的自分語りを始めた。
婉曲的。だがこのボッチ令嬢、そもそも俺以外に知り合いがいるのだろうか?
考えるほど悲しくなる。深い相互理解が本当に人間を幸福にするとはとても思えない。
俺は最近哲学に目覚めつつある。
「知り合い、お茶会にクラスメイトを呼ばなかったから、いじめだって国から追放されちゃったのよ」
それだけで若い女の子が国から追放されちゃうの凄くない?
バイオレンスな学園生活である。
まあ今はひとまずこのボッチ令嬢に実在する知り合い(クラスメイト?)がいたことを寿ぎたい。
「実は私もそのお茶会に招待されて参加してたの。……なんで泣いてるの?」
「神の愛をかんじています。ハレルヤ」
「意味わかんない……。まあともかく、お茶会は招待されたら招待しなきゃならないのよ」
「待ってください。いい話で終わるのかと思ったのに、不穏な話を続けないで」
「……クラスメイト15人招待状送ったんだけど……。不思議ね、みんな当日……」
「黙って! もういいです黙ってください!」
「……揃って身内に不幸が……」
「あなたのご実家領地素敵ですねぜひ行かせてもらいましょうワーアリガタイナー!!!」
ノンブレスで俺が承諾すると、令嬢は安心したように笑った。
「よかった。お父様に友人を連れてこいって言われてたのよ」
友人
友人………。
友人……………………?
「お嬢は俺の名前知ってますか?」
「知らないわ」
遭難した人が言ってたけど、モノの固有名詞って1人ぼっちだと新たに作る必要がないんだそうな。
だからなにって言われると困るが、令嬢の人生につまり友人的なものが他にいないから名前という識別用名詞の必要がががもういいやめよう。無知の知無知の知。
「それでなんのために友人が必要なんです? 儀式の生贄?」
俺はまだ混乱している。令嬢は不可解そうな顔をしつつも言った。
「国にセンシティブな問題が起こったので、都の人に意見を求めたいそうよ」
俺はそれなりに生きてきたので、令嬢の国元の人が意見を求めたいのは、生粋帝都貴族の若い女性であることを察した。が、令嬢にそれを求めるのが酷なのも同時に察したので黙っておいた。
「結婚したいんだって。布団叩きと」
「何ですて?」
「領民の人が、長年愛用の布団叩きの棍棒と籍を入れたいんだって」
「OH……」
さすが令嬢の国の人である。いつも予想の斜め上を行くウ。
「その、お嬢がどうこうとかでなく、トラスフィッシュの教義はどう言っているんです?」
「うちの宗派の最大の骨子は一つよ。一度神に誓ったことは違えないこと。布団叩きと結婚するなとは言ってないからいいの」
知れば知るほど深いなトラスフィッシュ教。まあどんな宗教でも布団叩きと結婚するなとはわざわざ書いとらんだろうけど。
「私はまあ好きにすればいいと思うんだけど」
「お嬢は認める派ですか」
「てか人の恋話とか興味ないのよ。知ったこっちゃないのよ、好きにしなさいよ、私の見えないとこでやってよ、こっちは独り身なのよ誰に相談してるのよふざけんななのよ」
「果てしない私怨はやめてください」
「ただ大きな問題があるの」
令嬢は俺の真っ当な意見を無視してため息を吐いた。
「問題は、人間の方はいいとして、布団叩きの方の同意が確認できないことなのよ……」
「ワアー……」
何ということでしょう。
俺の地元では主な産業は遊牧と狩であった。
皆年頃になると自前で弓を自作する。俺は器用な方だったのだが、それに輪をかけて凝り性でもあった。人より倍の時間をかけて弓を作った……。出来栄えも良く、誰よりも遠くまで矢を飛ばすことができた。俺の生涯の相棒。そんな弓だったのだ。
しかしある日、従兄弟がそれを借りた。そしてヒョイと軽い引きで矢を飛ばした。俺よりもなお遠く。なお正確に。俺が……俺がこの世に生み出した、俺だけの相棒が、まさかのぽっと出の従兄弟とのほうが、遥かに相性がいいなんて……。
世の中は……思ったよりたくさん、知らないままにした方が幸せなことがある……。
「さっきからなに言ってるのかさっぱりわからないわ。気は確かなの?」
殺意が湧くってこんな時なんだナア……。俺は天窓から空を仰いだ。
やかましいわクソが! お前に振られた話の一から十まで意味わかんねえのはこっちのほうなんだよ!
「ともかく布団叩きの意思なのよ。ここは帝都よ。無機物と意思疎通できる魔法使いがいないとも限らないわ」
「あんた俺の意見聞いてましたァ!? もういいです、俺がそいつにきっちり引導渡してやりますよ。さあッ? どこへでも連れてきなさい!」
俺がキレ散らかしていると、令嬢は、分かったわよ何怒ってるのよ田舎もんはこれだから嫌なのよ、とぶつくさ言いながら日時を指定してきた。
「お父様に頼んで馬車回してもらうから、あったかい格好できてよね」
「あったかい格好!? バカンスのお誘いじゃなかったですか? 避暑でしょう?」
「うちは山よ」
「でしょうね。そんな気はしてます」
「トロ山脈は4980mの年中雪冠を維持する駿峰よ。夏場は良く登頂アタックする物好きが来るわ」
「さっきの偉そうな伯爵がそんなこと言ってましたね」
「うちはその山の先の奥ツナよ。まずここを越えてもらわなきゃ話にならないわ」
「なるほどなるほど」
「間違いなく涼しいから安心して。お父様なんて、お客が来たらいつも、凍らないで起きてきてくださいねってジョーク言うのよ。ばかねえ。そんな人年に3人くらいしかいないわよお」
あっはっは、と笑う令嬢に。俺もおかしくなって笑った。ワアー令嬢おもしろーい。
それから俺はおもむろに令嬢に向かって言った。
「ところでお嬢。まっこと残念なんですけど、その日身内に不幸が起きそうな気がしてきましてね」