第88話 ごめんなさい
「あれがエギールの正体……勇気蓮人じゃ無かったのか?いや、勇気蓮人が姿を化けているのか?」
エギールの肉体が崩れ、中から出てきた魔法少女姿に意表をつかれて驚きつつも、柳鉄針はそれが勇気蓮人の偽装した姿だと結論付けた。
「え、いや……あれ、クレイスちゃ――むごご」
的外れな柳鉄針の結論に郷間武が別人である事をつたえ様としたが、神木沙也加が素早くその口を手で塞いで黙らせ、小声で注意する。
「余計な事は言わないで下さい」
鉄針の勘違いは、クレイスを知らないが故の物だ。
まさかあれだけの強さを持つ者が別人であるなどと、考えもしないだろう。
なので余計な情報をいちいち相手に伝え、エギールが偽物であると気づかれるきっかけを避けるため、彼女は郷間武の口を塞いだのである。
引き渡し条件がエギールである以上、偽物である事がばれていい事など何もないのだから。
「鉄針さん。シェン様の様子が少しおかしくはありませんか?」
「む……」
鉄針の横にいた、以前郷間に伸されたレベル4の男が疑問を口にする。
クレイスを注視していた鉄針は、視線をシェンへと移して眉根を顰めた。
何故ならシェンはクレイスを見つめる形で目を見開き、口を半開きにした状態で体をかすかに振るわせていたからだ。
「どういう事だ?シェン様がこの程度の事で動揺されるはずがない。精神攻撃……いや、あのお方にそんな物が通じるはずがない」
明らかに動揺しているとしか思えない姿に、一瞬エギールによる精神攻撃を疑うがすぐに頭から追い出す。
シェンの丹薬には、精神力も回復する効果があるためだ。
異常を感じたなら、瞬時にそれを取り込み回復させていたはずである。
「美しい……」
そんなシェンからポツリと。
そう、ぽつりと場にそぐわな言葉が零れ出た。
そのかすかな声が聞こえたのは、目の前のクレイスのみ。
彼女は目の前の相手から出た言葉に軽く首を傾げる。
「ふ、ふはははははは!」
クレイスが怪訝な顔で見つめていると、唐突にシェンの高笑いが始まった。
その意味不明な行動に、彼女は更に「んん?」となる。
「気に入った!気に入ったぞ!その強さ!そして美しさ!お前こそ我が妻に相応しい!俺の者になれエギール!」
唐突なプロポーズに、その場にいた全員があっけにとられ固まる。
先程まで殴り合いをしていて、鎧が失った瞬間求婚したのだから当たり前だ。
もはや狂ったとしか思えない発言である。
シェンの一族は強さのみを追い求める、ある意味狂った一族と言っていい。
そのため、婚姻はただ強い血を残すためだけの選定作業でしかなかった。
それはシェンにも当てはまっており、彼は30を超える年にもかかわらず誰かを好きになった事がなかったのだ。
だがそんなシェンの心を強く揺さぶり、その心をがっちりと掴む存在がついに現れた。
現れてしまったのだ。
しかも相手は強さまで併せ持つとなれば、彼が即座に求婚するのも無理ない話である。
つまり――これはシェンにとっての初恋だ。
因みに、クレイスは今幼い少女の姿をしているが、シェンには別にロリコンの気などはなかった。
クレイスは可愛らしい顔をしてはいるが、その体型は女性としては大柄で筋肉質だ。
だがそれにもかかわらず、笹島霧矢や郷間武は彼女に対し強い好意を瞬時に抱いている。
そこにはクレイスの持つ、土の精霊としての特性である強い母性が大きく影響していた。
分かりやすく言うと、男を強く引き付けるフェロモンの様な物が彼女にはあるのだ。
そしてシェンもそれにコロリとやられた訳である。
「あのー、お気持ちは凄く嬉しいんですけどぉ……わたしぃ、そういう気は全然ないんでぇ。他の方を探して下さいぃ」
クレイスは精霊である。
勇気蓮人の分身に憑依しているため人間っぽく見えるが、根本的に別の生物。
いや、そもそも生物ですらないのだ。
当然、求婚されたからと言ってそれを受け入れる訳が無かった。
「へっ!俺のクレイスちゃんがお前なんか――もがもが!?」
郷間武がシェンを煽ろうとしたので、それを神木沙也加が再び口を押さえて制する。
心の中で頼むからもう口を開いてくれるなと祈りながら。
「私からの誘いを……断ると言うのか?」
「はい。ごめんなさいぃ」
シェンが信じられないという気持ちで投げかけた問いに、クレイスが謝る形で答えた。
「……」
こうしてシェンの初恋は、秒で散るのだった。
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