第79話 心配
「参りましたねぇ……」
クレイスがフルコンプリートの事務所で呟く。
郷間武が捕らえられた後、直ぐに監視は解かれている。
人質をとった以上、もう必要ないという事だろう。
そのため、彼女はこうやって自由に動ける様になっていた。
「あの……蓮人さんにはどうしても連絡がつかないんですか?」
相手の目的は明白だった。
エギール・レーンとの接触だ。
郷間武は、そのための人質の様な物である。
まあ本人がやらかした結果連行されているので、それを誘拐とは言い難いが。
「はいぃ。蓮人さんはぁ、ちょっとあれなのでぇ……戻って来るも来週以降になっちゃいます」
クレイスはアクアスと連絡が付く。
そのため蓮人の状態をきちんと把握していた。
「来週……なんとかなりませんか?」
鉄針は去り際。
来週には日本を去ると凛音に告げている。
そしてその際は、郷間武も中国へ移送するとも。
もし中国まで連れていかれれば、取り返すのがより困難になるのは目に見えている。
だから今週内に蓮人になんとかして貰いたいと、凛音は願っていた。
「それはぁ……どうしようもなくてぇ。ごめんなさい」
現在蓮人は魔王の生み出したダンジョン内で、限界を超えた状態の更に先の限界突破を魔王に強制されている最中だった。
魔王は、ダンジョンが二週間は維持されると蓮人に告げていた。
それは魔王が、蓮人の強化にはそれぐらいの時間がかかると想定しての物である。
まあ1日2日は猶予を持たせているかもしれないが、それを考慮しても蓮人が戻って来るのは来週以降だった。
強さや力に関して、魔王の判断が狂う事はない。
そしてそれを早める術もない。
それが分かっているため、アクアスから事の顛末全てを聞き及んでいるクレイスは蓮人が間に合わない事を確信していた。
だから凛音に懇願の目を向けられても、その事に関しては途方に暮れる事しかできないのだ。
「やっぱり駄目ね」
その時、隣室で電話をしていた神木沙也加が戻ってきた。
彼女は何とか日本政府の働きかけで郷間武を解放できないかと、祖父である姫宮剛健へと連絡を取っていたのだ。
「大使館随員を襲った証拠があるから、流石におじい様でも難しいそうよ。一応、働きかけはしてくれる見たいだけど期待はするなって……」
姫宮グループの、日本国内における影響は絶大だ。
その総帥である姫宮剛健が動けば日本政府が動くほどに。
だが今回は余りにも相手が悪かった。
中国が相手では、余程の事が無い限り日本側の要求が通る事はまずない。
「参ったわねぇ。まさか監視してたのが中国大使館の人間で、しかもレベル6の人間とかち合うなんて。完全に誤算だったわ」
本来の神木沙也加なら、郷間の計画には載る事はなかっただろう。
それどころか、冷静に諫めきっていたはずである。
だがパトーナーであるクレイスの危機(?)を何とかするという、魔法少女っぽいシチュエーションに酔ってしまったのだ。
そのため判断力が鈍り、今回の行動に乗ってしまった。
その痛恨のミスを噛み締め、神木沙也加は額を抑える。
「お兄ちゃん……」
蓮人とは連絡がつかず。
しかも政府に強い影響力を持つ人物でもどうしようもない。
その状況に不安を覚え、凛音が俯く。
「大丈夫よ。エギール・レーンを呼び出すのが目的なら、きっとそんな酷い目に合わせられる事はないでしょうから。なにせ大事な人質な訳だし」
「そ、そうですよぉ。サーヤの言う通りですからぁ」
神木沙也加とクレイスがそんな彼女を慌てて慰める。
「ひょっとしたらぁ、蓮人さんが早めに戻って来る可能性もありますしぃ」
「最悪、中国に連れていかれても殺される様な事はないはずよ。人質としての価値がある訳だし」
郷間を殺して得られるものが、中国側にはまるでない。
そう考えた場合、仮に中国に連れていかれても、エギール・レーンに完全に見捨てられたりでもしない限り殺される心配はないと言えるだろう。
「そう……ですよね。」
「ええ。郷間さんは図太い神経してるから、今頃お腹がすいたって騒いでるに違いないわ」
「ふふ、確かにお兄ちゃんならやってそう」
凛音が笑顔を見せるが、それが無理をして作った物である事は一目瞭然だった。
命の危機は少ないと分かってはいても、今現在兄がどんな目に合わされてるかと思うとやはり気が気でないのだ。
そんな妹の気持など知らず、当の本人は――
「うおお、めっちゃくちゃうめぇな。これが本場の中国料理って奴か。あ、お茶のお替り頼むわ」
「やれやれ、どこまでも厚かましい男だな」
――のんきに食事をとっていた。
神木沙也加の言葉通り、腹が減ったと騒いで鉄針に用意させた物を。
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