第78話 証拠
「ふむ……誰かと思えば、フルコンプリートの郷間武か」
凛音を拘束している男が口を開く。
足の長い痩身のその男は口元を隠すマスクをつけており、その禿げ上がっった頭部からは、一房の髪が編み込まれた状態で背後に垂れていた。
辮髪と呼ばれる特徴的な髪型である
「その声……それにその髪型……柳兄弟の……」
郷間武が鑑定を行うと、相手の素性がハッキリする。
彼の口にした通りの人物。
――柳鉄針。
レベル6の、中国人の能力者だ。
その能力は針を生み出し飛ばすという微妙な物だが、幼い頃より常軌を逸した訓練と薬品による体質改善によって、その戦闘能力はレベル7に匹敵するほど高い。
そして彼にはもう一つ、兄であった毒指と同じ毒を操る能力があった。
ただし、それは普段から身に着けている鑑定系を阻害するアイテムによって隠されているが。
そのため、今現在の郷間武の鑑定にもその能力は表示されていない。
「いったい何のつもりだ……妹を離せ!」
郷間武は軽くパニックになっていた。
当然だ。
誰もいなかったはずの場所に急に高レベル能力者が現れ、自分の妹が取り押さえらてしまう。
実戦経験の乏しい彼がそんな場面に直前すれば、そんな状況に冷静に対応できる訳もない。
だから明らかに勝ち目のない相手に殴りかかってしまう。
「くだらん」
その先に待っていたのは、手痛い反撃。
柳鉄針は凛音を拘束したまま、突っ込んできた郷間をその長い脚で蹴り飛ばす。
「がっ……ぐぅぅぅ……」
咄嗟に結界を張った郷間武だったが、その鋭い蹴りは結界を突き破り悶絶させる程の威力を叩きだした。
「お兄ちゃん!」
「ぐ……くぅぅ……く、くそ……」
そのまま気絶してもおかしくない一撃だったが、郷間武は歯を食いしばって起き上がって来る。
「辛そうだな?まあ俺も鬼じゃない。話せるようになるまで少し待ってやろう。此方も介抱してやらねばならないからな」
鉄針が凛音を解放する。
そして倒れている、先ほど郷間が殴り倒した者を介抱へと向かう。
「お兄ちゃん大丈夫!?」
解放された凛音が、苦しそうにしている兄を心配して駆け寄った。
「こ、これぐらいどうって事ねぇ……それより、凛音の方こそ大丈夫か?」
「う、うん。私は大丈夫だよ」
少しして鉄針に介抱された男が起き上がる。
そのタイミングで郷間兄妹へと彼は声をかけた
「さて、さっきいったい何のつもりと聞いたな?急に表れて、人の友人を襲った暴漢の台詞とは思えん」
「だ、だれが暴漢だ!こいつは人の家を監視してやがったんだよ!だから成敗してやっただけだ!」
自分に正義がある。
そう郷間武が口にするが……
「彼はただ夜の景色を楽しんでいただけだ。そこをいきなりお前に襲われた。どう考えても正義は此方にあると思うが?」
「ふ、ふざけんな!デタラメ言うな!」
「証拠はあるのか?」
「スキルで確認した!」
「第三者に示せない物が証拠になると」
監視をしていたのは間違いない事実だった。
だが、それを示す証拠はない。
全ては能力での確認だ。
そのため、法の下に照らすのなら、間違いなく郷間達の方が暴漢と言う烙印を押される事になるだろう。
「う……」
その正論に郷間武が言葉を詰まらせる。
「そもそも……このマンションの屋上は立ち入り禁止だぞ。不法侵入者の自分勝手な話を誰が鵜呑みにすると?」
マンションなどの屋上部分は、通常出入りを禁止されている事が殆どである。
当然今郷間達が今いる場所も同じだ。
「そ、それは……てか!それはそっちも同じだろうが!」
「我々はちゃんと管理会社の許可をとっている。そちらと一緒にしてもらっては困るな」
「な……」
これは事実だった。
見張りをするに当たって、彼らはこの場所を合法的に確保していた。
金の力で。
因みに、部屋を借りて見張りを立てると言う行動をしなかったのは、日本では簡単に物件を賃貸できないからだ。
しかも都合の良い場所を抑えるとなると、相当難しい。
「さて、状況を纏めようか?フルコンプリート所属の能力者である郷間兄妹がビル屋上部分に侵入し……そして私の知人である《《大使館随員》》の周浩然を突如襲った。偶々知人に会いに来ていた俺はその場面に出くわし、弓矢を構えていた妹の郷間凛音を無力化。そこに郷間武が襲い掛かってきたので反撃して対応した」
柳鉄針が、淡々と事実だけを並べていく。
その中に証拠を提示できない監視の部分は当然含まれていない。
「ちょっと待て!?大使館随員!?」
大使館随員と言う言葉に、郷間武が大きく反応した。
随員はざっくり言うと、外交官の補助を担う立場の人間である。
国の要職ではないが、それを支える人員を日本人が襲う様な真似をすれば、中国も黙ってはいないだろう。
間違いなく外交問題になる。
郷間武が強く反応したのは、その事に気づいたからだ。
「ふ、ふざけんなよ!そんな奴が何でこんな場所で見張りなんてしてるんだよ!嘘つくな!!」
そんな立場の人間が、見張りの様な雑用をする。
普通ならありえない事だろう。
が、今回は特別だった。
中国の大物が密かに来日し、エギール・レーンとの早期接触を求めていたから。
そのための見張りであり。
それを外部の適当な人間に任せる訳にもいかず、大使館は随員を見張りとして働かせていたのだ。
そしてそんな人間を、そうとしらず郷間武は襲ってしまった。
「嘘かどうかは、大使館に行けば直ぐに分かる事だ」
「大使館に行けばって……」
「こんな真似をしておいて、まさか拘束されずにそのまま帰れるとでも?当然大使館へ連行させて貰う」
「ふ、ふざけんな!そんな権利がお前らにあるかよ!」
「ふむ……俺は日本の法律にはそこまで明るくはない。が、このままお前達を解放するなど論外だ。祖国に対するテロリストの可能性があるのだからな。権利があるかどうかは大使館についてから確認すればいい。まあ仮になくとも……随員を襲った相手を此方が確保した事について、日本政府が強く出て来る事はないだろうが。それをすれば……自分達が主導したと取られかねないのだからな」
「そ、そんな勝手が……」
「通るさ。大義名分とそれを通す力は此方にあるのだから。因みに証拠はちゃんと残しているぞ」
鉄針が胸ポケットから小さな機械を取り出した。
それを指で操作すると――
『盗み見なんてしてんじゃねぇ!』
『なにっ!?』
『クレイスちゃんラブパンチ!』
――その機械から郷間武の声が流れ出す。
それは郷間が凶行を働いた事の、自白と取れるやり取りだった。
「ちゃんと録音しておいたからな」
鉄針は慎重で、頭の回転の速い男だった。
この場に居合わせたは完全に偶然だったが、一瞬で状況を察知し、きちんと証拠をとっておいたのだ。
証拠がなくとも、力押しで主張を通す事は可能だ。
だが、証拠があった方が話はスムーズに進むことを彼は知っていたから。
「ふむ、両方を捕縛して連行するのは手間だ。連れて行くのは片方だけにしておこうか。さて、どちらを連れていくか……」
通常なら両者ともに拘束すべきだろう。
だが鉄針はそうしない。
何故か?
それはエギールへのメッセンジャーを務めさせるためである。
両方とも連れて行ってしまったのでは、情報が伝わるのが遅くなってしまう。
それを嫌っての行動である。
実は彼とその主は、来週には中国に返る予定だった。
だからエギールへの情報伝達を早める必要があったのだ。
「まあこういう場合、女と相場が決まっている訳だが……」
「ふざけんな!凛音には指一本触れさせねぇ!連れて行くなら俺を連れていけ!」
「そうか。まあ俺も、どちらかと言えば女より男の方が好きだからな。そちらの方が楽しめるという物だ」
「ひっ!?」
目元を歪めてそう言う鉄針の言葉に、郷間武は思わずおしりを押さえて悲鳴を上げる。
「くくく、冗談だ。そっちの趣味はない」
「ぬ……く……」
そんな彼の反応をみて、鉄針が楽しげに笑う。
どうやら悪趣味な冗談だったようである。
彼は見た目のわりに、実は砕けた性格をしている様だ。
「まあ俺も、女を連れて行くのは忍びないと思う気持ちぐらいはあるからな。お前の望み通り妹の方を解放してやろう」
鉄針が郷間武に近付き、その両手を縛る。
彼の能力で生み出された針を束にした、針の縄だ。
それは驚くほど固く、更に柔軟性を併せ持っているため、余程の力が無ければ外す事は難しい。
「お兄ちゃん!」
「おう、俺の事は心配すんな」
内心、不安でいっぱいだった郷間武ではあったが、何ともないかの様に明るく振舞う。
妹に余計な心配をさせないために、兄としてのやせ我慢である。
「心配しなくとも、手荒に扱ったりはしない。安心しろ。それと……エギール・レーンが身元引受人になるのなら、直ぐに解放してやろう」
「結局それが狙いかよ」
「何のことかな?俺の主は彼女と会いたがっている。それが叶うのなら、お目こぼしをしてもらえると言うだけの事だ。ああそれと……主は来週には国へ帰る予定になっている。その場合この男も本国送りになるかもしれないから、引き受けをしたいのなら早めにする事をお勧めするぞ」
事実上の時間制限。
一旦中国まで送られてしまえば、簡単に取り戻すのが難しくなるのは目に見えていた。
だからそれまでに連れて来いという事である。
「では行くぞ」
「お、おい!そんな強く引っ張んなよ」
「神木さんに連絡しないと」
鉄針達が郷間武を連れて行く。
残された凛音は、慌てて神木沙也加へと連絡を取った。
クレイスではなく彼女だったのは、彼女も現在大使館随員かもしれない相手を制圧しているからだ。
早く止めなければ、最悪彼女まで連れて行かれかねないという心配から。
拙作をお読みいただきありがとうございます。
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