人喰い鬼
冬のある日、山奥の旅館(といっても、ただのボロ屋敷だが)に、男が訪れた。
男は、自分は旅の者だと名乗った。
旅館の主人は困り果てた。
なにせ、客などここ数年訪れた事がなかったのだ。
ボイラーはすっかり錆び付き、客室にはカビが生える始末だ。
しかし、ここでこの男を追い返すと、男は外で凍死することになってしまう。
それで警察などに来られたら、もうおしまいだ。
何故、今日に限って…?
まさかバレたのか?
…いや、それはありえない。
大丈夫だ。
何も臆する事はない。
主人はしぶしぶ男を中へ招き入れた。
男を一番豪華で汚れの少ない部屋へ通した。
「旦那様、風呂を沸かしてまいります。
その間、どうぞごゆるりとなさってください」
主人は男がわずかに頷くのを認めると、そそくさと襖を閉めた。
そして、ゆっくりと息を吐いた。
---大丈夫だ。
そう自分に言い聞かせ、主人は風呂を沸かせるために勝手口を開いた。
そこから少し先にある小さな物置をちらりと確認し、薪を取りに物置とは反対側へと向かった。
「御主人、この辺で人喰い鬼が現れるという噂を聞いたのだが、何か心当たりはあるか?」
男を風呂に呼びに行くと、いきなりそう聞かれた。
主人は、心臓が飛び上がりそうになるのを堪えながら
「さぁ… 私は見たことございませんなぁ。
しょせんは人の噂話でござまいます。
どうぞ安心なさってください」
そう言い、男を風呂へと案内した。
---なるほど、人喰い鬼か。
男が風呂に入っている間、主人はこっそりと物置へと向かった。
そして、まだ腐る手前の"肉"を手に取った。
---埋めてしまおうかと思っていたが、確かに、食べてしまえば足もつかねぇ。
そしてそれを持って、物置を出た。
勝手口に足をかけ、ふと辺りを見回した。
---大丈夫。
今日を乗り切れば、きっと全ては闇へと葬られる。
主人はもう一度周囲を見回し、中へと入った。
「御主人」
主人が台所で"肉"を調理していると、男に呼ばれた。
「な、なんでしょう」
少し慌てた主人を、男は気に留めた様子もない。
「いや、飯はまだかと思って。
邪魔して申し訳ない」
男がそう言うと、主人はほっとした様子で
「それなら、今用意しております。
お客様など久しいので、申し訳ありませんが、自分の分しか準備をしておりませんでした。
あとしばらくお待ちください」
男はそれを聞くと、浴衣に手を入れ、腹を掻きながら部屋に戻った。
主人は大きな溜息をつき、"肉"の調理にとりかかった。
「お客様、大変お待たせしました」
そう言って、主人は男の前に"肉"を並べた。
それは鍋でじっくりと煮込まれ、箸で切ることができるほど柔らかくなっていた。
「ほぅ… うまそうだな。
御主人、あんたが作ったのか?」
箸を手に取り、男が尋ねる。
「カミさんに逃げられちまったもので」
主人は苦々しく言って、苦笑した。
「金の切れ目は、ってやつですかねぇ」
男はそれを聞きながら、"肉"を口に入れた。
「ふむ、うまい。
いや、たいしたもんだ。」
主人はそれを聞き、安堵の溜息をもらした。
「変わった味付けをしているなぁ。
御主人、これは何の肉だい?」
その問いに対して、主人はただにやりとだけ笑った。
次の日、男は宿を後にした。
主人は昨日の残りの"肉"を食べた。
---残った"肉"は、薫製か煮干しにでもしようか。
物置の中を思い出しながら、主人はそう考えた。