仔うまの章
仔うまは、棘のある梢の下に、友達のこうもりをそっと横たえました。
梢の向こうには、ふたりを見守るように、青い星が輝いていました。
◆◇◆
仔うまは箱の鍵のありかを求めて、たずねまわりました。
行き会った伝書鳩に、道行くかえるの兄妹に、へんくつなやまねこに、もの知りといわれる山羊に、鍵のありかをたずねました。
だれひとり、宝石箱の鍵のありかを知るものはいませんでした。
「もうあきらめなさい。お前が愛するこうもりのそばに居てやりなさい。」
山羊がそう言いましたが、仔うまは耳をかしませんでした。
もの知りの山羊は、その実、本当に大切なことは何も分かってはいないのです。
山羊の言うように、仔うまがそばに居てやることでこうもりが元気になるなら、仔うまはいくらだって、いつまでだって、こうもりのそばに居たことでしょう。
でも、それではこうもりが元気になることはないのです。
宝石箱を開けること。
それが、あの子の生きる全てでした。
そのことを考えると、仔うまは悲しくて寂しくて……そんな宝石箱のことなんか、後ろ足で蹴っとばして、谷底に落っことしてやりたいくらいでした。
けれど、仔うまはそうはしませんでした。宝石箱の鍵を探し続けました。
ひとりだった頃には近づく気にもならなかった、おそろしく乾いた砂漠や、氷を踏み割ってしまったらひとたまりもない凍った湖の上を歩きました。
足がすくんでしまう時、仔うまは、こうもりのことを思い出すのでした。
ちょっと図々しくて、望みにまっすぐな、背中の上の小さな友達のことを。
いつか、宝石箱の鍵を見つけだしたなら、友達のこうもりは、きっと元気を取りもどして笑うでしょう。
その想像だけが、仔うまの心に、勇気の灯をともすのでした。
仔うまは、けっしてあきらめませんでした。
◆◇◆
空をとべない仔うまが行ける場所は、限られていました。
大地のすべてで、宝石箱の鍵をさがし尽くした仔うまは、ついに自分がおもむくことのできる、最後の地へとむかいました。
そこは、地を駆けるけものならば、けっして近付くことのない、底なし沼があちこちにある、きけんな場所でした。
もしも、その場所にも鍵がないのならば……海をこえる手だてを考えなければなりませんでした。
仔うまは、だれも近付かないはずのその場所で、いきものと出会いました。
それは、一頭の年老いたワニでした。
仔うまは、かみつかれないくらい遠くから、宝石箱の鍵の話をしました。
老いたワニは言いました。
「やあ。もっと近くへおいで。大丈夫、かみついたりしないから。」
うそだ。と仔うまは言いました。
老いたワニは、仔うまにこう言いかえしました。
「うそじゃないよ。でも、みんな近寄ってくれないんだ……大昔に、あの子だけが、ぼくの頭の上にのって話をしてくれた。若いミミズクの、あの子だけが……そう、あの子も、宝石箱の話をしていたんだ。」
仔うまは一歩だけ、老いたワニに近寄りました。
もしかしたら老いたワニは、そのミミズクから宝石箱の鍵のありかを聞いていたのかも知れませんでしたから。
けれど、老いたワニは言いました。
「鍵のことなんて知らないよ。あの子はね、宝石箱に入れるものを探していたんだ。鍵のことなんか一言も話さなかった。世界一うつくしい箱に入れるのにふさわしい、世界一すてきなものを探していたんだ。全部おぼえているよ。あぁ……あの子は見つけたんだろうか。もどって来てはくれないだろうか。また、ぼくの頭の上にのって、旅の話を聞かせてはくれないだろうか――」
聞くに耐えなくなって、仔うまはそこを後にしました。
まるで、自分とこうもりのことを聞かされているように感じたのです。
仔うまは、勇気の灯が消えかかっているのを感じていました。
宝石箱の鍵なんて見つからないのではないか、こんなことなら、山羊の言っていたとおり、こうもりのそばにいて励ましてあげた方が、ずっと良かったのではないか。
そんなことばかりが、ぐるぐると頭をめぐりました。
こんな時、友達のこうもりなら迷わずに飛び立つでしょう。振り返らずに。
でも、自分には……。
こうもりのことを考え、自然と早足になっていた仔うまは、いのちにかかわる失敗をしてしまいました。
底なし沼の中に、踏み入ってしまったのでした。
◆◇◆
棘のある梢の下で、こうもりは目をさましました。
ぼんやりと空を見上げると、梢の間から、青い星が瞬いていました。
こうもりは、身体に痛みも疲れもかんじませんでした。
自分はすっかり元気を取りもどしたのだと、こうもりは思いました。
寝起きに、うんと羽根をのばしてみたとき、こうもりは驚きに目を見開きました。その目に映ったのは、血管が透けて見えるような、みにくいこうもりの羽根ではありませんでした。エメラルドの羽毛に覆われた、うつくしい、はちどりの羽根でした。
こうもりは、昔のはちどりの姿にもどっていたのでした。
◆◇◆
今までみにくいこうもりの姿だったはちどりは、大いに喜びました。
うつくしい姿を取りもどせたから、ではありません。
はちどりの姿であるなら、金の鳥かごの中に入れるからです。金の鳥かごの中にある、宝石箱の鍵を手にすることができるからです。
夜明けを待って、はちどりは梢の下から飛び立ちました。
目指すのは、ふるさとの金の鳥かご。
その道行きで、もの知りの山羊が、はちどりを見上げて言いました。
「はちどりよ。わしの忠告を聞いて家にかえるのだね。それで、わしにあいさつをして行こうというのだね。うむ、感心なことだ。感心なことだ……」
はちどりには、全くそんなつもりはなかったのですが、もの知りの山羊はひとりして満足げにうなずいていました。
はちどりは……、山羊の言うことはもっともだな、と思いました。
もう、宝石箱の鍵は手にしたも同然なのですから、これまでの旅の中で、お世話になった者たちには、一言くらいあいさつをしても良いと思いました。
とくに、いつか置いて行ってしまった友達――黒い仔うまには。
はちどりは、旅の途中で会った者たちを求めて飛びまわりました。
行き会った伝書鳩に、道行くかえるの兄妹に、へんくつなやまねこに、宝石箱の鍵が見つかったことを、いくらか自慢げに言ってまわりました。
みな、ぽかんとして、はちどりを見ていました。
でも、一番に教えたかった黒い仔うまだけは、どこにも見あたりませんでした。
仔うまはどこに行ってしまったのだろうと、初めて、はちどりは気にかけました。
あちこちを飛びまわったはちどりは、地を駆けるけものならば、けっして近づかないという、底なし沼だらけの場所へと向かいました。
仔うまなら、ぜったいにそんな所に行くはずはないと願いつつも――。
◆◇◆
――沼地に足を取られた仔うまは、自分がここをぬけ出すことができないことを、すでに悟っていました。
なにせ、一歩ふみだそうと力を入れれば、その分だけ身体が沈んで行くのです。
心のこりは……いくらでもありました。
まだ、宝石箱の鍵を見つけていませんでした。
なら、友達のこうもりはどうなってしまうのでしょう。
せめて、最後に一目、こうもりに――。
――その時、仔うまの背中に、ふわりと小さな何かが舞いおりました。
仔うまの背中に舞いおりたのは、見たこともないような、うつくしいエメラルドの羽根の小さな鳥でした。
助けがきた。仔うまの心には一瞬だけ希望が湧きました。
底なし沼にはまって、今にも沈んでしまいそうだから、どうか引っ張り上げて。
そう頼みたいのは、やまやまでした。
けれど、この小さな鳥にそんな力がないことは、見ればわかることでした。
だから、仔うまは今の自分にできるたった一つのことをしました。
「……きれいな羽根の小鳥さん。宝石箱の鍵のありかを、知っていますか」
エメラルドの羽根の小鳥は――はちどりは、こたえて言いました。
「……知っています。宝石箱の鍵は、金の鳥かごの中にあるのです」
仔うまは自分の心に、勇気の灯がともるのを感じました。
本当は――、
助けを呼んで。ここから引っ張り上げて。
どうかもう一度、こうもりと会える機会をください。そう叫びたかったのです。
けれど、仔うまは最後の勇気をふりしぼって、言いました。
「おねがいです。棘の梢の下でこうもりに会ったら、そのことを伝えて下さい。宝石箱の鍵のありかを……どうか、こうもりに」
はちどりは、じっと仔うまの目を見つめていました。
やがて、はちどりは言いました。
「……約束します。必ず伝えます。こうもりに」
それだけ言うと、はちどりは仔うまの背中から飛びたちました。
はちどりは、碧く輝く星のように、空へと駆けあがって行きました。
仔うまは満足そうに、飛びさって行くはちどりを見上げました。
――はちどりは、一度も振り返りませんでした。