はちどりの章
あるところに、一羽のはちどりが暮らしておりました。
はちどりは金の鳥かごに住み、甘い花の蜜を飲んで暮らしておりました。
はちどりは鳥の仲間のうちでもたいそう美しく、鳥たちはみな、はちどりのことが好きでした。
母親の鷹は、はちどりの母であることが誇りでした。
また、妹の雲雀は、はちどりを讃える歌をうたいました。
けれど、はちどりの関心は自分の美しさでも、仲間たちへの思いやりでもありませんでした。はちどりは、たった一つのことに夢中だったのです。
はちどりが住む、金の鳥かごの横には、箱が置かれていました。
ただの箱ではありません。真っ白い貝殻をけずった板を組み、色とりどりの宝石をあしらい、金銀の細工をほどこした箱でした。
はちどりが住む金の鳥かごよりも、ずっときらびやかな箱でした。
このすばらしい箱の中には、なにが入っているのだろう。
外がわの箱がこんなにきれいなのだから、中に入っているものは、もっともっと、そう、世界でいちばんすてきなものにちがいない。
毎日、はちどりはそればかりを考えておりました。
そしてある日、いてもたってもいられなくなったはちどりは、自分で金の鳥かごを開けて、箱の前に下りたったのでした。
けれど、箱は開きませんでした。
箱には鍵がかかっていて、開けて中をたしかめることは叶わなかったのです。
はちどりは、あきらめませんでした。
箱の鍵をさがすため、もっと遠くへ飛びたって行ったのでした。
◆◇◆
はちどりは、箱の鍵のありかを求めて飛びまわりました。
行き会った伝書鳩に、道行くかえるの兄妹に、へんくつなやまねこに、もの知りといわれる山羊に、鍵のありかをたずねました。
だれひとり、宝石箱の鍵のありかを知るものはいませんでした。
「もうあきらめなさい。お前を愛する者が待つ家にかえりなさい、はちどりよ。」
山羊がそう言いましたが、はちどりは耳をかしませんでした。
そうして飛びわるうちにはちどりは、はちどりでなくなっていきました。
はちどりはいつしか、みにくいこうもりに姿を変えていました。
はちどりだったこうもりは、甘い花の蜜が口に合わなくなっていました。
こうもりは、虫けらをとらえてたべました。
こうもりは、自分の姿がみにくくなっていることを、少しばかり悲しみましたが、それだけでした。
こうもりにとって、一番たいせつなことは宝石箱を開けることで、それ以外のことは自分もふくめてあまり重要ではなかったのです。
こうもりは、そうしているうちに自分がかつてはちどりだったことすら、忘れました。毎日虫けらをとらえてたべ、箱の鍵をさがしました。
こうもりは、箱の鍵のありかを求めて飛びまわりました。
やはり、鍵のありかを知るものはいませんでした。
◆◇◆
飛びつかれたこうもりは、草原であそぶ黒い仔うまの背中に下りました。
あたたかそうで、いごこちが良さそうだったのです。
黒い仔うまはおどろきましたが、こうもりを追い払ったりしませんでした。
このちょっと図々しい新しいともだちを、黒い仔うまは見捨てませんでした。
仔うまも鍵のありかを知りませんでしたが、鍵をさがす手伝いをしたのです。
こうもりと、こうもりを乗せた仔うまは、世界中を歩きました。
暗くふかい森をふたりして、おっかなびっくり歩きました。
むせるような、こいみどりの山を越えました。
青くきらめく、海原を見ました。
面白いかたちの雲を見上げました。
とげのある梢に守られて、ふたりで眠りました。
そうして、歩いて歩いて……。
やがて、黒い仔うまはつかれて歩けなくなりました。
宝石箱の鍵は、まだ見つかっていませんでした。
こうもりは、仔うまの背中から飛びたちました。
仔うまはさびしそうに、飛びさって行くこうもりを見上げました。
こうもりは、一度も振り返りませんでした。
◆◇◆
こうもりは、さらに遠くへ遠くへと旅をつづけました。
いくつも谷を越え、海をわたり、飛びつづけました。
こうもりの周りにはもう、いきものはいなくなっていました。
枯れ木と、氷と雪だけがありました。
こうもりは、その大地の果てでようやくいきものと出会いました。
それは、一羽の年老いたミミズクでした。
こうもりは、老いたミミズクに宝石箱とその鍵の話をしました。
老いたミミズクは言いました。
「あの箱には、なにも入っていない。」
うそだ。と、こうもりは言いました。
老いたミミズクは、こうもりにこう言い返しました。
「うそではない。あの箱はもともと私のものだった。あの、すばらしい箱……。
あの箱にしまうのにふさわしい宝物をさがして、私はずっと旅をしていた。
しかし、あの箱よりもすばらしいものは、ついに見つからなかったのだ。」
うそだ。と、こうもりは叫びました。
あの宝石箱が空っぽだなんて、信じられませんでした。
あの箱には、世界で一番すてきなものが詰まっているのにちがいないのでした。
「そこまで言うのなら、こうもりよ。あの箱はおまえにやろう。
私はもう老いて、つばさはおとろえ、箱のもとへは帰れない。
おまえが箱を開けるのだ。箱の鍵は、金の鳥かごの中にある……。」
こうもりは、むかし自分がはちどりであったことを思い出しました。
追い求めていた宝石箱の鍵は、金の鳥かごの中に最初からあったのです。
◆◇◆
こうもりは、ふるさとの金の鳥かごと宝石箱をめざして飛びました。
あまりにも、遠い旅路でした。
こうもりは、吹雪の中を飛びました。
嵐の中を飛びました。
雷がからだのすぐ横をかすめ、雹が羽根を打ちすえました。
そうした時、こうもりは黒い仔うまのことを思い出しました。
あの、あたたかい背中を。
ひとりでは怖くて動けない時、ふたりで進んだ、あの旅を。
いつか置いて来てしまった、ともだちを。
こうもりは、けっしてあきらめませんでした。
そうして、ながい旅のすえに、ぼろぼろになったこうもりは、ふるさとの金の鳥かごにたどり着いたのでした。
こうもりがそこにたどり着いたとき、金の鳥かごは閉ざされていました。
はちどりではないこうもりには、金の鳥かごに入ることはできなかったのです。
こうもりは、それでもあきらめませんでした。
こうもりは宝石箱の鍵を求め、金の鳥かごのまわりをぐるぐる飛びました。
それを見て怒ったのは、はちどりの母親の鷹でした。
鷹は大きなつばさで、みにくいこうもりを打ちはらいました。
こうもりはついに力尽き、金の鳥かごの下に落ちて、動かなくなりました。
◆◇◆
鷹に雲雀をはじめとした鳥たちは、空っぽの金の鳥かごを見てなげきました。
遠いむかしに出て行ったきりもどって来ない、可愛いはちどりのことを思い出しては泣きました。
だれも、鳥かごの下に打ちすてられたこうもりを気に留めませんでした。
ただ、黒い仔うまだけが、こうもりのために泣きました。
仔うまにとって、ともだちのこうもりは出会った時からずっとこうもりだったのです。仔うまは、はちどりのことなんか知らなかったのです。
黒い仔うまは、動かなくなったともだちを背中に乗せて、ひとりぼっちでとぼとぼと歩いて行きました。