炎の一軒家
黒煙が噴き上がり、炎が舞う。火災の勢いは、もはや手の着けられない事態となっていた。
幸いあらかじめ施されていた結界術のおかげで、小屋の周囲以上に延焼する心配はなさそうだが。これまでラスベンが保管していた魔導器などの貴重な宝物類は、すべて灰燼と帰しただろう。
呆然と一同が為す術もなく立ち尽くしていると、陽炎のように揺らめく人影がこちらへ近づいてきた。
小柄なその体躯は全身煤まみれではあるものの、おそらくあのゴブリン隊長――ググだろう。
あの爆発の中で、よく生き残っていたものだ。
ググは数歩さらに覚束ない足取りで進んだあと、ついに力尽きたのか倒れ伏した。急いでルシアが駆け寄り、怪我の具合を看ている。カーソンも興味に駆られ、彼らの傍へ寄る。ググは全身に大火傷を負っており、今も息があるのが不思議なほどだ。
ルシアは《活力賦与》と《治癒促進》の秘紋をググの体に刻印し、治療に当たっている。他者もしくは自身の肉体や物質に魔術的な強化を施す――付与術が彼女の専門なのだろう。昼間の負傷も、同じようにして治したに違いない。そういえば、ルシアは付与術師の属する“白の衣”一派らしく、雪白に近い色合いの上着を纏っていることに今さらながら思い至った。
「わ、わしの一軒家が……」
ラスベン老師は盛大に燃え上がる我が家を前に、何やら思案顔で見守っていた。
「――く、くふっ……ざ、ざまあ……」
「これだけ大きな火種になっておるのであれば、あれをやらねば勿体ないのう」
老師が長杖を振るうと、どこからともなく大きな麻袋が現れた。その中から大ぶりな長芋を取り出すやいなや、未だ火勢の衰えない小屋へ向かって次々と放り投げ始める。
「ふむふむ。夜食に焼き芋というのも、なかなかオツだのう。これは焼け具合が楽しみだ」
「みてないゴブーー!!」
せっかく治療を受けていたというのに、老師の反応が相当ショックだったのか。絶叫に近い悲鳴を上げると、そのままググは気を失ってしまった。あれだけ悪態を吐けるのであれば、死ぬこともなかろう。
十分に焼き上がったとみるや、老師は長杖を振るい、《物体浮遊》の秘紋を使って次々と芋の空中移送を始めた。高等魔術をこんな風に使う秘紋魔術師は、カーソンも今までお目にかかったことはない。
「カーソンや、焼き芋ができたぞ。ほれ、小腹も空いたろう。お前さんも食え」
「あそこには魔導器も一杯あったと思うんですけど。回収する努力とか、しなくていいんですか?」
渡された長芋をしっかりと受け取りながら、老師に訊ねた。
「まあ、焼けてしまったものは仕方あるまい。形ある物はいつかは滅びるというものよ。それよりも、明日からどこを寝床にするか。そちらの方が問題だのう」
結構な値打ちのある貴重品であったり、思い出の品だったりするのではないかと感じたが。ラスベンは飄々とした態度で気にした様子もない。それ以上は話題にすべきではないと判断し、芋の始末に取りかかった。
旨そうに夜食を頬張るカーソンの姿を、ラスベン老師は微笑ましく眺めていた。
「これだけの高火力で一気に焼き上げたのだ。美味であろう? やはり、焼きたてが一番よな」
多くの財物を代価とした焼き芋である。ある意味、贅沢な逸品と言えた。老師に同意しつつ、さらにおかわりを要求する。まともな朝食にはありつけそうにないため、今はとにかく腹に貯めておきたかった。
「お父様、私も一ついただけますか?」
応急処置を終えたルシアも、カーソンたちの元へ来ていた。彼女は肌着一枚の姿になっており、何事かと思えば外套をググの掛け布に代用していた。夏場とはいえ、山地の早朝は冷えるであろうに。とことんお人好しな性格のようだ。魔術師にとっては身分を表す象徴でもあるローブを、ゴブリンのような妖魔に自ら与えるなど聞いたこともない。この親子は、やはり相当な型破りである。
「そんな格好だと、風邪を引くよ」
肩留めを外し、ルシアへ無造作にマントを投げた。彼女の頭上にマントが被さり、少し驚いた表情で見つめ返してくる。
「まあ、色々とご馳走になったしね。それに、ルシアの作ってくれた料理は美味しかったし」
「あ、ありがとうございます……」
長旅ですり切れた粗末なマントだが、彼女は嬉しそうに両腕で抱え、カーソンに礼を述べた。