第6章義兄と杏仁豆腐
私は引き続き、楊ちゃんと杏仁豆腐を楽しんでいた。
「美味しいね」
私が言うと楊ちゃんが言った。
「本当だわ。お爺さんも可哀想ねえ。途中で出て行かなきゃいけないなんて」
「そうだね」
私がそう言うと、悠々がやって来た。
「ミー。ミー。」
悠々は私達が杏仁豆腐を食べていることに気付き鳴きだした
私は楊ちゃんに言った。
「何て言ってるの?」
楊ちゃんは言った。
「この猫は是非、私にも杏仁豆腐を下賜して頂きたいって言ってるわ。生意気ねえ。甘味は人間以外食べちゃいけないのよ。」
私は猫に杏仁豆腐はまずいんじゃないのかと思った。
私が昔調べた情報によると、動物の胃は人間と異なっており、消化できないものがあるらしい。
そのため、悠々に杏仁豆腐をあげる事は出来ないと思った。
私は言った。
「悠々。すまない。お前は猫だから、これは与えてやれない。分かってくれ。」
私がそう言うと誇り高き猫である悠々はおとなしく頷き、私に背を向けて涙を流した。
「ミー。ミー。」
その泣き声を聞くと楊ちゃんが言った。
「畜生のやることとはいえ、なんだか可哀想になって来たわねー。」
そして、楊ちゃんは、金木犀のお酒を一気に飲み干すと、立ち上がって言った。
「一つ、舞を披露しましょう。」
楊ちゃんは楽、歌、舞、全てに秀でている。
そのため、即興でそれらを披露する事も珍しくなかった。
今回は杏仁豆腐と酒で気分を良くしたのと、悠々のために舞うことにしたらしかった。
私は、金木犀のお酒を飲みながら言った。
「良いぞ。舞え。」
私が手拍子を叩くと、楊ちゃんはそれに合わせて舞った。
それはとても美しく、楽しげだった。
名づけるのなら、「杏仁豆腐の舞」が相応しいだろう。
すると、それを見た悠々が鳴きだした。
「ミー。ミー。」
私は言った。
「お前には舞の良さが分かるのか素晴らしいな。」
私は悠々を撫でた。
すると楊ちゃんが言った。
「どうしたの猫。入ってきなさいよ。一緒に踊りましょうよ」
それを聞くと猫は鳴いた。
「ミー。ミー。」
私にも何を言わんとしているのか分かった。
気高い猫である悠々は、自分の不慣れな舞を皇帝である私に見せることに抵抗があるのだ。
だから私は言った。
「良いか。悠々。舞に大切なのは技術ではない心だ。今のお前の心を私に見せてくれ。」
それを聞くと悠々は納得したのか、楊ちゃんの下へ歩き出した。
そして楊ちゃんの近くで、足を痙攣させながら二本足で立ち、上下に跳びながら、喜びを表現した。
私はその様子を見てふと、お義兄ちゃんの顔を思い出した。
私は昔から、祭りや、祝い等楽しい事が大好きだ。
でも、小さい頃の私の世界は凄く閉ざされていて、今みたいに自由に色々な事を楽しむ事は出来なかった。
そんな中、私に楽しい事を持ってきてくれるのがお義兄ちゃんだった。
私が頼むと、色々なものを準備してくれて、一緒に色々な事をした。
2人で美味しいものもたくさん食べたし、楽しい事も沢山した。
私達は全ての喜びを共有していたのだ。
しかし、私が皇帝になってからは、残念ながら距離を感じるようになった。
楽しい事は増えたがお義兄ちゃんとそれを共有できない事も増えた。
皇帝と家臣という立場である以上仕方がないことであるが、私は少し寂しい気持ちだった。
私がそんな気持ちで楊ちゃんの舞を見ていると、突然、私の部屋に誰かが駆け込んできた。
お義兄ちゃんだった。
お義兄ちゃんを見ると楊ちゃんは一度舞いをとめて言った。
「舞の最中に入ってくるなんて相変わらず無粋な男だわ。」
お義兄ちゃんは楊ちゃんを無視すると私の前に跪いて言った。
「悠基様。申し訳ありません。宋璟の件は上司である私の責任です。どうか宋璟はお許し下さい。」
私はそもそも、突然お義兄ちゃんが現れ、その顔を見ることが出来ただけで泣きそうだったが、その言葉を聞いて天にも昇る心地だった。
お義兄ちゃんが反省している。
これはわがままを聞いてもらえる好機である。
私は本当の気持ちを悟られないように厳しい口調で言った。
「宋璟のやったことは重罪だ。それを許せだと。随分偉くなったものだな。李憲。」
お義兄ちゃんはそれを聞くと更に腰を低くした。
するとそれを見た楊ちゃんがなぜか寄って来て、お義兄ちゃんの頭を踏んで言った。
「いい気味ね。ほら。もっとみっともなく命乞いをしなさい。場合によっては私も謝ってあげないこともないわよ。」
楊ちゃんは自慢の尻尾を激しく振っていた。
多分、凄く嬉しいのだろう。
私は言った。
「李憲。お前は私に謝罪をしにきたのだろう。どんな事をしてでも罪を償うそう言った覚悟は有るか?」
お義兄ちゃんは真っ直ぐに私を見つめて言った。
「はい。勿論、ございます」
そこで私は言った。
「じゃあ、私の横の席に座って」
お義兄ちゃんは案の定戸惑って言った。
「しかし、臣下である私が悠基様の横に座るというのは」
私は厳しい目で言った。
「何でもするのではないのか?」
私がそう言うとお義兄ちゃんは観念したように椅子に座った。
私は当然のようにお義兄ちゃんの膝の上に座って言った。
「よし。一緒に杏仁豆腐を食べながら、楊ちゃんの舞を見るぞ。」
お義兄ちゃんは私の意図が分かったのか観念した様子で言った。
「分かりました。でも他の家臣には内緒ですよ。皇帝がこれでは示しがつきません。」
私は言った。
「分かった。秘密にしよう。それよりも杏仁豆腐だ。すぐに持ってこさせるが、甘くて美味いぞー。特に蜂蜜をたっぷりかけて食べるのが最高だ。」
するとお義兄ちゃんが言った。
「悠基様は昔から甘いものが好きですね。ですが食べすぎは禁物ですよ。体に差し障ります。それに舞いもやりすぎはいけません。楽しい娯楽も過度のものは心を壊します。」
私は思い出した。
お義兄ちゃんはいつだって娯楽を完全には楽しまない。
こうやって遊んでる最中に説教が入って、邪魔をするような所帯じみた事を言う。
そして、そういうお義兄ちゃんの説教に逆らって食べる甘味や、遊ぶ遊びはいつだって、普通よりもずっと、美味しく楽しく感じるのだ。
だから私は言った。
「李憲。命令をするな。私は皇帝だぞ。料理人。ありったけの蜂蜜を持って来い。楊ちゃん、悠々、派手に舞え。今日は宴だ。」
私の言葉を聞いてお義兄ちゃんは少し呆れた様子でため息をついたのだった。