第2章改修
ある日、私はお義兄ちゃんと共に宮廷の改修工事の視察を行なっていた。
私の宮廷の中心には大きな池があり、その北には私が生活している興慶坊という建物がある。
これに対して南西には2つに建物があり1つは政治に利用し、1つは皇族の居住に利用される事になっている。
昔はお義兄ちゃんと私が暮らしていたが現在は利用者が居ない。
そこで今回は、居住者がいない事を好機として大規模な改修工事を行なっていた。
私は工事の様子を眺めながら言った。
「お義兄ちゃん。結構、建物の老朽化が進んでたみたいだね。」
私の言葉にお義兄ちゃんは少し考えた様子で答えた。
「そうですね。板がところどころ腐っていますし、今もここで暮らしていたとしたら危なかったかも知れなかったですね。」
私はお義兄ちゃんの言葉が少し寂しかった。
なんだか、二人で暮らせなくなって良かったというような意味に聞こえたからだ。
だから私は言った。
「そうかな。でもあの日々がずっと続くなら私はそれでも良いかな。たとえ建物が崩れて死んでしまっても死後の世界でお兄ちゃんと一緒に居られるなら。私はそれで満足だから。」
するとお義兄ちゃんは驚いた表情を見せた。
しかし直ぐに優しい笑顔を浮かべると言った。
「そんなに働きたくないのですか。困った方ですね。」
いつもこうだ。
私が皇帝になったあの日から。
お義兄ちゃんは私の気持ちに気付かない振りをする。
私の気持ちを家族愛に置き換えてしまう。
でもしょうがない。
きっとお義兄ちゃんがそうするのは私のためだろうから。
だから私は言った。
「働きたくないね。でもやっぱり死ぬのも嫌だなー。長生きして皇帝として許される贅沢の限りを尽くしたい。」
私の言葉を聞くとお義兄ちゃんはどこか安心した様子で答えた。
「前向きなのは悠基様の良いところですね。」
前向きか。
確かにそうかもしれない。
私は基本的に悲観的にならない。
その様な感情は無駄だからだ。
もっともお義兄ちゃんのことだけは例外だが。
私が少し考えた様子を見せていると、お義兄ちゃんが言った。
「そういえばこの建物の名前は決められたのですか?たしか以前は悠基坊となっていましたが、皇帝の名を冠する事は問題であるとして改名する事になっていたと思いますが。」
私はお義兄ちゃんの質問に静かに答えた。
「決まってるよ。花蕚楼にしようと思う。」
お義兄ちゃんは少し意外な様子で答えた。
「こんなに仕事が早いのは珍しいですね。それで。どの様な意味なのですか?」
お義兄ちゃんの言葉に私は口ずさむ様に答えた。
「常棣の華 蕚不韡韡たり」
これは古来から伝わる詩の一説だ。
華の花弁ががくを中心に一つに集って美しく咲いている様に、兄弟がそれぞれ支えあって国を大きく栄えさせていくという思いが込められている。
お義兄ちゃんは私の言葉を聞くと深く感心した様子で言った。
「そうですか。良い名ですね。今後ここに住む事になる皇族の方と皇帝陛下が互いに支えあって国を治めて行く。そうなってくれればこれ程嬉しい事はありません。」
私はなんだかしみじみとした気分になり言った。
「そうだね。長い歴史を見ても皇族と皇帝が険悪な事は珍しくない。だけど今後はそういう事はないようにしたいね。」
そして私は加えてお義兄ちゃんに言った。
「ねえ。実はもう一個意味があるんだ。分かる?」
するとお義兄ちゃんは少し考えた様子で言った。
「分かりません。なんでしょうか。」
私はお義兄ちゃんを真っ直ぐ見つめて答えた。
「この家はね。私とお義兄ちゃんが出会い、共に育った場所なんだよ。そしてお義兄ちゃんはあの頃からずっと私を支えてくれている。だからね。これはお願いなんだ。私は本当はそれじゃ満足できないけど、大切なのはお義兄ちゃんの気持ちだから我がままは言わない。だから、せめて兄としてこれからもずっと私の事を支え続けて欲しい。」
皇帝になってからずっと考えていた事だ。
私はお義兄ちゃんの恋人になりたい。
お義兄ちゃんと結婚したい。
そのために私は皇帝になった。
私にとってお義兄ちゃんほど大切なものはない。
でも、私は皇帝だ。
もしかしたら、お義兄ちゃんは皇帝の私を、義妹の私をただ愛すことは出来ないのかもしれない。
それならばせめて一緒に居たかった。
離れ離れはいやだった。
だから私はお義兄ちゃんにこのようなお願いをしたのである。
するとお義兄ちゃんは何かを言おうとした。
しかし、喉になにかがつかえている様に。
お義兄ちゃんはなんの言葉も発する事が出来なかった。
お義兄ちゃんの事を苦しめてはいけない。
苦しむお義兄ちゃんの様子を見た私はそう感じ、先ほどの発言を取り消そうとした。
しかし、私の言葉は突如響いた大きな叫び声にかき消された。
「なんという事だー。なぜです? なぜ陛下が幼少期を過ごされた文化財というべきこの建物を。私になんの相談もなく立て替えているのです。」
野生の変態だった。
私は呆れた様子で言った。
「相談もない理由か? それはお前とは何の関係もない話だからだ。工事の邪魔をするな。李林甫。」
すると李林甫は真剣な表情で私の前に傅き言った。
「陛下。仰る事は分かりました。では立て壊した木材は全て私にくださいませんか。」
壊した木材が欲しい?
一体なんに使うのだろうか?
私は全く想像がつかず言った。
「そんな物を一体なんに使う気だ?」
すると李林甫は照れた様子で言った。
「それはさすがに申し上げられませんね。いくら私と陛下の仲とは言えやって良い事と悪いことはありますから。」
私は不満な点が多すぎてどこから文句を言って良いか分からなくなった。
取り合えず、私とこいつが仲の良い友人でもあるかの様な言い分は大変不満だった。
そこで私は言った。
「駄目だ。」
私の言葉に李林甫は驚いた様子で言った。
「何故です?腐りかけの木材ですよ。要らないでしょう。」
私は言った。
「普通要らないものをそれ程欲しがるからきみが悪いんだ。」
すると李林甫はなんと私の前で土下座をして言った。
「お願いします。この通りです。なんでもしますから。」
この変態には誇りというものがないのか。
そしてどうして私はこんな変態を抜擢し重用しているのか。
私の頭には様々な疑問が巡った。
するとお義兄ちゃんが言った。
「李林甫。随分元気そうですね。大変良いことです。どうですか? それ程元気であるならば共に鍛錬をしませんか?」
李林甫はしばらく考える様子を見せた。
おそらく自己の欲求とお義兄ちゃんとの鍛錬に対する恐怖を天秤にかけているのだろう。
その後、李林甫は決断した様子で言った。
「仕事を思い出しました。失礼します。」
そしてどこかへ走り去って行った。
私は走り去る李林甫を眺めながらお義兄ちゃんに笑顔で言った。
「ありがとね。李林甫はしつこいから助かったよ。」
するとお義兄ちゃんは真剣な表情で言った。
「気になさらないで下さい。それで。先ほどの返答なのですが」
私はそこでお義兄ちゃんの言葉を制し言った。
「変な事言っちゃってごめんね。冗談だから気にしないで。」
私がそう言うとお義兄ちゃんは鬼気迫る様子で言った。
「そんな事を言わないで下さい。私は悠基様を悲しませたくはない。」
そしてゆっくりと言った。
「悠基様の問に頷く事は出来ませんでした。それは私の偽らざる思いです。ですが信じて下さい。それは悠基様が大切だからです。大切だからこそ。私はあなたの望みに応じることが出来ない。」
大切?
大切って何だ?
なぜそんな曖昧な言い方をするのだろう。
私はもうどうして良いか分からなかった。
だけど、動揺しては迷惑をかける。
だから私は笑みを浮かべて言った。
「ありがとう。今はそれで十分だよ。」
お義兄ちゃんはそんな私の言葉に笑みを浮かべて。
でも何処か悲しそうに。
静かに頷いたのだった。




