第11章雪女衣の特訓(太極拳編)
ある日、高力士の元へ李林甫が訪れた。
李林甫は怪訝そうな様子の高力士に言った。
「高力士殿。本日はお願いがあってまいりました。」
すると高力士は李林甫を睨み付けて言った。
「珍しい来客ですね。そしてあまり歓迎できない観客だ。」
それを聞くと李林甫は笑みを浮かべた。
「私の事は嫌いですか? 残念ですねえ。私は高力士殿の事を気に入っていますのに。」
高力士は言った。
「私の本業は魔を討つ事です。そしてあなたは種族が人間であるだけで内面は魔の類だ。もし私に権限が有るのならば、あなたを殺していますよ。」
李林甫は言った。
「それは残念ですね。友達になれるかと思ったのですが。」
高力士は李林甫の言葉を遮ると言った。
「無駄話は結構です。それで。何の用事ですか? さすがに友好を深めに来たわけではないでしょう。」
それを聞いて李林甫は残念そうに答えた。
「せっかちですねえ。無駄話も一つの醍醐味でしょうに。今回の用事は陛下のお使いです。陛下が雪女衣に合気道を教えてほしいそうです。」
高力士は鋭い目で言った。
「その伝言を李憲殿ではなく李林甫殿が来たのですか。」
李林甫は言った。
「はい。それでお返事はどうなのですか?」
高力士は少し考えた様子で言った。
「申し訳ないですがお断りします。彼女の努力は認めますが、合気道は封魔教の教えに関連する武術です。封魔教において凶鳥とされている跂踵に封魔教の教義を教えることは出来ません。」
それを聞くと李林甫は言った。
「それは残念ですね。では、もう一つの用事です。こちらの資料をどうぞ。」
李林甫は幾つかの書類を取り出した。
その内容は、封魔教の不正の証拠及び跂踵が凶鳥ではなく吉鳥である旨の古文書の記載だった。
それを見ると高力士は李林甫をにらみつけた。
「李林甫殿。これはどういうつもりですか。私に封魔教を裏切れと仰るのか。」
しかし、こういう駆け引きにおいては李林甫は一枚上手である。
怒る高力士には動ぜず平然と答えた。
「あなたは李憲殿と約束したはずです。教団の言うままではなく自分の頭で考えると。これはそのための資料です。しっかり目を通して下さい。その結果、私の渡した資料が全てが虚偽だと判断したとしても構いません。」
高力士は平然とした李林甫の様子に少し押された様子で言った。
「この資料は国としても極秘かつ重要な資料ですよね。これを私に渡せといったのは誰の判断ですか?」
李林甫は笑みを浮かべて答えた。
「陛下ですよ。陛下が私に命じられました。また李憲殿の了承を得ていないため李憲殿には内密にお願いいたします。」
そして李林甫は去って行った。
高力士は厳しい表情でこの資料を見つめていたのだった。
☆☆☆
次の日、高力士は鍛錬場で雪女衣と訓練を行なっていた。
雪女衣は、気合の入った表情で言った。
「まさか、本当に教えていただけるとは思いませんでした。ありがとうございます。」
それに対して高力士は答えた。
「いいえ。気にしないで下さい。一度は断ったんですがね。少し色々あって体を動かしたくなりました。今日は最後まで付き合ってもらいますよ。」
そして高力士と雪女衣の特訓が始まった。
まず二人は地面に座り込んだ。
「良いですか。今からあなたに教える技は寸勁と言います。この技を使いこなせれば非力なあなたであっても林雄に対して大きな衝撃を与える事ができるでしょう。」
雪女衣は言った。
「はい。頑張ります。それではなぜ座っているのですか?」
高力士は答えた。
「寸勁において利用するのは我々の体内に存する勁です。しかし、体に余計な力が入ってしまうと勁の動きが妨げられ円滑に技を繰り出す事ができません。そこでまずは座った状態で全身の力を抜くという鍛錬をしていただきます。」
雪女衣は当然ながらこれまで太極拳の訓練を受けたことがない。
そのため、もっと実際に体を使った激しい鍛錬を予想していた。
そして、高力士の予想外な内容の特訓に少し驚いていた。
高力士は雪女衣の横に座って座禅を組み言った。
「全身の力を抜いた楽な体勢で、意識は呼吸だけに向けて下さい。そして私に合わせて呼吸を行って下さい。」
そして高力士は目をつぶり独自の呼吸法により呼吸を始めた。
それは、雪女衣に呼吸法を教えている様でもあり、自らの心を落ち着けている様でもあった。
また雪女衣もそれに合わせて胸を膨らませ呼吸をしていた。
そのまま一時間が経った。
すると高力士は静かに起き上がり言った。
「今の感覚を忘れないで下さい。これから次の鍛錬に入りますが、慣れないうちは無駄な力が入り易いので、力が入ってきたらまた座禅を組みますよ。」
そして次の鍛錬が始まった。
次の鍛錬は軟体である。
様々な方法で身体を不安定にし、その状態で体の重心を探って行く。
「身体が不安定ですから転ぶ事もあります。それは問題ありません。ですが、怖がって筋力でむりやり安定させては駄目ですよ。あくまで力を抜き、体の重心を意識するのです。」
そういうと、一定の時間毎に次々と姿勢を変えていった。
雪女衣もそれを見ながら一生懸命真似をして姿勢を作っていった。
「痛い。」
もっともしばらくやって行くと、集中力が途切れてきたのか転ぶ事が多くなって来た。
そのため一度、座禅を組みなおしたが集中力は戻らず、再開後も転倒が続いた。
そしてついに高力士が言った。
「今日はこれ位にしましょうか。」
すると雪女衣は悲しそうな顔で言った。
「下手くそですみません。」
すると高力士は笑って言った。
「初めてにしては上出来ですよ。俺も始めは上手く出来ず良くお師匠様に同じ事を言っていました。でも大丈夫ですよ。続けていればすぐに上手くなります。」
雪女衣は言った。
「はい。頑張ります」
そこで高力士は気付いた。
今、自然と雪女衣の姿に修行を始めた頃の自分を重ねてしまった事に。
それは本来ならばあってはならないことだ。
雪女衣は跂踵であり、自分が倒すべき存在であるからだ。
すると雪女衣が心配そうに高力士に言った。
「大丈夫ですか。なにか考え込まれていたようですが。もしかして体調でも崩されたのですか?」
高力士は雪女衣の様子にさらに自分の信念が揺らいでいくことを感じていた。
尊敬する師匠のことを信じ、悪を倒して世の中を救うためにこれまで厳しい鍛錬を積んできた。
しかし、いざ出会った悪は、健気で真っ直ぐで誰よりも優しい心を持っている美しい鳥である。
さらに、李林甫が高力士に渡した資料には自分が今まで正義だと思っていた教団の暗部が詳細に記載されていた。
利発な高力士にはあれが虚偽でない事は容易に判断できた。
しかし、義理堅い高力士には自分を今まで育ててくれた教団が悪であると断ずる事も出来なかった。
そして思い余った高力士は言った。
「我々封魔教はあなたを一方的に凶鳥に認定し、迫害して来ました。我々を憎んでいないのですか。」
すると雪女衣は優しい目で答えた。
「憎んでなんかいませんよ。教団の皆様は世の中の人々を救うために私の迫害を決めました。私自身が人間の皆様と共存できない事は寂しいですけど、世の中の人々を救いたい、幸せにしたいという思いは共通ですから。」
高力士はふと自分の身の上を思い出した。
両親に捨てられ、その時、自分を拾い育ててくれたのが師匠であった。
師匠は自分に居場所を与えてくれたのである。
そして思った。
昔の自分の様な人間に居場所を与える。
それこそが最初に自分が志した正義ではないかと。
それなのに今はこの孤独な跂踵に居場所を与えるどころか、迫害し命さえ奪おうとしている。
高力士は自分のその様な態度に何とも言えないやるせなさを感じたのだった。




