第3章義兄の怒り
私の治世は決して順風満帆でない。
私には大きな政敵が二つ存在する。
まずは貴族達である。
広大な官僚機構と臣民の義務の一つである庸により徴兵された軍隊を従えた皇帝と、荘園と私兵を持ち独自の勢力を形成している貴族は長らく権力を巡って対立してきた。
そして私も例外では無い。
特殊な形で即位した私は特に、貴族達から目の敵にされていた。
さらにたちが悪いのが、門下省の存在である。
代々、名門貴族達が支配している門下省という機関は、皇帝と官僚で協力して政策を決定する機関である尚書省が作成した政策に対する拒否権を持っている。
そのためお義兄ちゃん達が考えた素晴らしい政策が、幾つも廃案となり、また、骨抜きにされた。
昔から存在する制度だが、お義兄ちゃんの白髪の原因となっているため、私はいつか機会があったら、門下省は尚書省に編入してやろうと思っている。
次に私の明確な政敵として李弘が居る。
私の実弟であり、本来皇帝になるはずだった男だ。
この男は私やあの両親と血がつながっているだけあって、性根が腐りきっている。
私達兄弟は国中で有名なくらい、仲が悪い。
そして李弘は貴族達を手を組み、皇帝の座を虎視眈々と狙っているのである。
私はこれらの政敵に足元をすくわれない様細心の注意を払いながら内政を行なっている。
そして、常に策をめぐらし、敵の隙をうかがっている。
恐らく李弘と貴族達も同様だろう。
私達の体には権力闘争の術が染み付いているのだ。
しかし、私は目下、それ以上に重要な問題を抱えていた。
それはお義兄ちゃんの猫嫌いである。
私はあの後、悠々を飼い始めたのだが、すぐにお義兄ちゃんにばれてしまった。
そしてお義兄ちゃんは現在、猫を飼う事に反対していた。
私はお義兄ちゃんに言った。
「お願い。お義兄ちゃん。どうしてもこの猫をうちで飼いたいの」
するとお義兄ちゃんは言った。
「悠基様は既に、面倒な狐を飼っておられるではないですか。その上、今度は猫とは。どうしてこう、自由気ままで信頼の置けない動物を選ばれるのですか。まだ狗の方が主人に忠実な分ましですよ。気をつけてください。猫や、狐は飼いならせない生き物です。自分の気が向けば平気で主人を裏切りますよ。」
お義兄ちゃんは真面目な性格通り、忠実な生き物を好む。
狗がその典型例だ。
勿論、私も狗は好きだ。
でも私は猫や狐の様な、ままならない生き物が好きなのである。
そしてその様に生きたいとも思っている。
私はそこでふと思った。
悠々は誇り高い猫である。
お義兄ちゃんの猫を馬鹿にした言葉で怒らないのだろうか?
そして私はお義兄ちゃんの説教を聞き流しながら、目で悠々を探した。
すると悠々はお義兄ちゃんの足元でごろごろ言いながら、頬をお兄ちゃんの足に摺り寄せていた。
私は思った。
(あの雌猫。私と男の趣味が一緒なんだな)
そして言った。
「ねえ。本当に飼っちゃだめ?お義兄ちゃんにもなついているみたいだし、ちゃんとしつけするから。」
するとお義兄ちゃんは言った。
「そうですね。じゃあ、狐を捨てるというのはどうですか?動物は一匹で十分でしょう」
それを聞くと、勝手に私の寝台で寝そべっていた楊ちゃんが言った。
「良いわけないでしょ。なんで私が猫ごときのために出て行かなきゃいけないのよ。でも、動物は一匹で十分という意見には賛成だわ。あの猫を捨てましょう」
すると、楊ちゃんの発言が気に障ったのか悠々はつめを尖らせ、楊ちゃんに襲い掛かった。
楊ちゃんは悲鳴を上げた。
「やめなさい。この服は良い服なのー。つめを研がないで」
それを見てお義兄ちゃんは言った。
「良い猫だ。やはり狐を捨てて猫にしましょう」
私は楊ちゃんも悠々も飼いたかった。
だから真剣なお義兄ちゃんに言った。
「私ね。小さい頃から猫を飼うのが夢だったの。でもお義兄ちゃんが嫌いだからずっと言い出せなくて。お願い。お義兄ちゃんには近づけないから、この猫を飼わせて」
お義兄ちゃんは笑みを浮かべて言った。
「何だ。それならもっと早く言ってくれれば、猫くらい。連れて来てあげましたのに」
それを聞いて私は驚いて言った。
「でも。お義兄ちゃんは猫が嫌いなんじゃないの?」
するとお義兄ちゃん優しい顔で言った。
「はい。嫌いです。私と悠基様は違う人間ですから、趣味、趣向は当然異なりますよ。ですが我々は家族です。可愛い妹が好きなものですよ。自分が好きになることは難しくても、理解したいとは思います。それをいきなり拒絶したりはしませんよ」
私は思った。
この人は私にはもったいない人だ。
性根の腐りきった私がここまで、真っ当に生きてこれたのは、この人が私の側に居て、私を支えてくれたからだと思った。
私は言った。
「お義兄ちゃん。ありがとう」
するとお義兄ちゃんは厳しい目をして言った。
「但し、一つだけ条件があります」
「条件?」
「はい。その猫鬼を悠基様に送りつけた人間を教えて下さい。」
さすがお義兄ちゃん。
博識だ。
どうやら猫を見ただけで、この猫が猫鬼であると気付いたらしい。
だけど、その提案には頷けなかった。
私はこの事件を深追いする事は避けるべきだと考えているからだ。
この事件を起点に貴族との戦いを始めると相手に先手を取られてしまう。
そんな気がするのである。
だから私は言った。
「李憲。それは教えてやれない」
するとお義兄ちゃんはさらに鋭い目で言った。
「なぜですか?」
私は言った。
「お前は皇帝の決定に理由を求めるのか?」
それを聞くとお義兄ちゃんは言った。
「すみません。失礼します」
そして珍しく、礼に反して急ぎ足で出て行った。
お義兄ちゃんが出て行ったのを見ると楊ちゃんが言った。
「怖いわねー。あんなに怒っちゃって。頭の上に角でも生えているんじゃないの?」
私は笑って言った。
「それは楊ちゃんの夫でしょ」
楊ちゃんは言った。
「そうだったわね。大分会ってないから忘れてたわ。それよりも、あの男。犯人を捜して処罰するつもりでしょうね。出来るかしら?」
私は言った。
「無理だろうね。貴族はそんなに甘くないよ。お義兄ちゃんの方が強いし、頭も良いし、顔も良いよ。でもお義兄ちゃんは真っ直ぐだから。心の穢れた貴族達の考える悪辣な策には敵わないよ。実際、お義兄ちゃんの反乱が失敗して私の反乱が成功したことでも明らかだよね」
すると楊ちゃんは言った。
「その割には嬉しそうねー」
私は言った。
「うん。お義兄ちゃんはね。昔から真っ直ぐなんだよ。私はさ。家庭環境とかも有って小さい時から歪んでるからさ。誰に呪われようが気にしないし、貴族が汚い手をつかってきたらやり返せば良いって考えてるわけ。でもお義兄ちゃんは違うんだよ。大切な私を貴族が汚い手を使って、危害を加えようとしたことが純粋に許せなくて、あそこまで怒ってくれてるんだよ。そうやって私の分まで怒ってくれてる事が凄く嬉しくてね」
すると楊ちゃんが頬を膨らませて言った。
「何よ。私も怒ってるわよ。こんな可愛くて、健気な陛下を虐める人間なんて滅ぼしてやりたいくらいだわ。」
また悠々も自らの存在を示すかのように鳴いた。
「ミー。ミー。」
私は思った。
私はどうやら周りの人間に恵まれているらしい。
そして私は言った。
「ありがとう。2人とも。」
そして私は2人を抱きしめたのだった。