第1章清めの儀式
はるか昔、この国は閻王と呼ばれる怪異により支配され、人々は恐怖に怯える生活を送っていた。
そんな時、閻王を打倒するため、一組の男女が立ち上がった。
男は閻王の打倒するため剣術を磨き、女は閻王を封印するため呪術を修めた。
そしてついに男と女は閻王との戦いを迎えた。
しかし、閻王は強く2人は敗れそうになる。
そこで女はいつしか愛し合うようになっていた男を守るため、自らの命を捧げ閻王を封印した。
男は、女の死を嘆き、彼女を追って自らも命を絶った。
男の血が染み込んだ刀は軒轅剣といい唯一閻王を殺すことの出来る刀として、現在にも引き継がれている。
そこから長い時が経って現在。
この国の皇帝の仕事は主に二つ。
閻王の封印を維持する事と、帝国の民達のために内政を行うことだ。
そして皇帝である私は、早朝から、一つ目の仕事、閻王の封印を維持するための儀式を行なっていた。
「寒いなー。なんでこんな事やらなきゃいけないんだろう」
私はまだ太陽が出ておらず、寒い中から、聖水を浴びて身を清めていた。
「こんな事で、閻王が抑えられるなら苦労しないよ。でもやらないと怒られるからなー。皇帝もつらいよ」
私は誰も聞いていないことを良いことに、この無駄な儀式に対する悪口を言っていた。
するとそんな私の元へ、妖艶な美女がやって来た。
彼女は妖狐であり、閻王の妻として閻王と一緒に封印されていた。
しかし、色々会って、今は人間に化けており、楊玉環と名乗って私の妃を務めている。
楊ちゃんは水にぬれて凍える私を見ると言った。
「可哀想ねー。こんなに濡れて。」
私は言った。
「楊ちゃん。本当だよ。でもなにしに来たの?正直、楊ちゃん達を封印する儀式だから居ちゃまずいんだけど」
すると楊ちゃんは不思議そうに言った。
「そうなの?でも私はなんとも無いわよ。」
私は苦笑いして言った。
「効果が完全に無いわけじゃないはずだけどね。まあ。楊ちゃんが感じられるほどじゃないみたいだね」
それを聞くと楊ちゃんは狐の尻尾を振っていった。
「ねえ。それ私もやってみちゃ駄目?」
楊ちゃんは楽しそうな事があると、変身が解けて、尻尾が出てしまうことがある。
つまり、尻尾を振ったという事は彼女が清めの儀式に強い興味を持っていることを示していた。
私は考えた。
私が知る限りでは清めの儀式の作法に、封印の対象の一つである妖狐と一緒にしてはならないという規則は無い。
まあそんな事しようとする皇帝、私しかいないからだろうけど。
書いていないという事はやって良いという事だ。
私は言った。
「良いよー」
そして私は水をすくうと陽ちゃんにかけた。
「きゃー」
すると楊ちゃんは悲鳴を上げて倒れた。
(えっ。もしかして清められちゃった?これって効果あったの?)
私は驚いて倒れこんだ陽ちゃんに近づいて言った。
「楊ちゃん。大丈夫?」
楊ちゃんは尻尾を縮こまらせて言った。
「冷たいわー」
(何だ。冷たさにびっくりしただけか。)
私は安心して、言った。
「ねえ。寒いよね」
楊ちゃんは目を潤ませて言った。
「こんな大変な事を一人でやるなんて偉いわねー」
私は少し照れくさくて言った。
「まあ。これでも一応皇帝だから」
すると楊ちゃんは言った。
「そうだ。良いこと思いついたわ。ちょっと待ってなさい」
そして楊ちゃんはどこかに行くと、大きな樽を持ってきた。
楊ちゃんの華奢で綺麗な腕からすると、これだけ大きな樽を持ち上げられる力がある事は不思議だが、まあ楊ちゃんは妖狐だから特別なのだろう。
私は儀式をやりながら楊ちゃんに問いかけた。
「楊ちゃん。それは何?」
楊ちゃんは満面の笑みで答えた。
「お酒よー」
私は楊ちゃんに問いかけた。
「お酒?なんでお酒持ってきたの?」
楊ちゃんは言った。
「水だからつらいのよ。お酒を浴びたら良いわ。お酒を浴びれば全身が温まって気持ち良いわよ」
私は考えた。
お酒は古来から清い物とされている。
きっと、浴びれば水以上に体が清められるだろう。
それに、私が知っている儀式の規則には水を酒に替えてはならないという決まりは無い。
多分、というか絶対、そんな事する皇帝が私しか居ないからだろうけど。
とにかく、書いていないという事はやっても良いという事だ。
「よし。やろう。」
私はそう言うと、樽から酒をすくい全身で浴びた。
皮膚からお酒を摂取したのか、かなり良い気分になった。
楊ちゃんは言った。
「私にもかけて」
「良いよー」
私は楊ちゃんにもお酒をかけてあげた。
楊ちゃんも気持ち良さそうにしていた。
「そういえば、小さい桶がもう一つあるから、それでかけ合いっこしよう」
「良いわねー」
私達は互いに樽から酒をすくっては全身にかけ合った。
酔いがどんどんまわってきて凄く良い気分だった。
楊ちゃんは言った。
「ただ浴びるだけじゃ不十分だわ。口からも摂取しなくちゃ駄目よ」
私も言った。
「そうだね。沢山飲まなきゃね」
それからは飲めや、歌えやの大騒ぎだった。
そして、騒ぎも一段落した頃、私がぼーっとしていると、突然桶で、上から水をかけられた。
「お義兄ちゃん」
私の目の前に居たのは私の義兄の李憲だ。
容姿端麗、成績優秀、品行方正、その美しい黒髪と整った顔立ち、長身の綺麗な立ち姿から、世の女達を虜にしている。
今は宰相を務めてくれていて、私に直接会いに来る事の出来る数少ない一人である。
お義兄ちゃんは冷たい目で言った。
「悠基様。なにをなさっておられるのですか?」
私は一瞬焦ったがこういう時は謝ったら終わりなので、開き直っていった。
「清めの儀式だ。李憲こそ何のようだ?」
お義兄ちゃんは言った。
「今朝は冷えますから。温かい飲み物をお持ちしました。」
私はお義兄ちゃんの優しさに思わず、目頭が熱くなった。
そして言った。
「ありがとう。お義兄ちゃん」
しかし、私が手を伸ばして飲み物を受け取ろうとすると、お義兄ちゃんは私の手を払いのけた。
そして言った。
「しかし、飲み物は不要だった様ですね。随分、楽しそうではないですか」
私はやばいと思った。
お義兄ちゃんは基本的に優しい。
しかし、少し所帯じみたところがあり、説教が始まると長いのだ。
それはそれで、こう、愛されている事が実感できて、嫌なわけではないのだけれど。
今は酔っていて頭が痛いので遠慮したかった。
だから私は言った。
「酒で身を清めてはならないという規則はあるまい。規則に無い事はやっても良いのだ。」
しかしお義兄ちゃんは表情一つ変えずに言った。
「ありますよ」
私は驚いた。
もしかして昔にやった人が居るのだろうか。
「えっ。そうなの?」
お義兄ちゃんは続けて言った。
「悠基様が想像する様な規則はございません。しかし、清めの儀式の前にまる一日酒を絶たねばならないという決まりがございます」
私はそれを聞いて感心した。
成る程。
その規則によって、酒を水の代わりに浴びる事も禁止されてしまう。
やっぱりお義兄ちゃんは博識だ。
皇帝になってみてその事をより強く実感する。
私を守ってくれていたこの人は凄い人なのだと。
そして私は今、この人を皇帝として守っているのだと。
私は凄く誇らしい気持ちになった。
私は涙ぐみ、お義兄ちゃんに言った。
「お義兄ちゃん。お前は私の誇りだ。お前のような家臣を持てて誇りに思うぞ。」
それを聞いてお義兄ちゃんはため息をついた。
「これは相当酔っていますね。さっきから感情表現が大げさですし、言葉づかいもめちゃくちゃだ。」
そしてお義兄ちゃんは私をお姫様抱っこすると言った。
「少しお休みになられた方がよろしいですよ」
私はお義兄ちゃんに言った。
「李憲。酔いが醒めるまで一緒に居てくれるか?」
お義兄ちゃんは笑って言った。
「偉そうな言い方で、随分と可愛い事を言いますね。ずっとは難しいですが、落ち着くまでは一緒に居てあげますよ。その代わり、水はしっかり飲んでくださいよ」
私は満足して頷いた。
「分かった。お前の言う通りにしよう。」
私が頷いたのを見ると、お義兄ちゃんは優しげな目から鋭い目に戻り、今度は陽ちゃんをにらみつけた。
「妖狐。これはどういうつもりですか。」
楊ちゃんはお兄ちゃんの眼光にびびったのか狐に戻って言った。
「こん。こん。狐には難しいことは分かりません。日々生きるのに精一杯だ。こん」
お義兄ちゃんは必死にいたいけな狐を演じる楊ちゃんを見て笑顔を浮かべた。
そして言った。
「うちの可愛い妹をたぶらかす、悪い狐ですからね。今晩の夕飯にしましょう。さすがのあなたも胃袋に入ってしまえば悪さは出来ないでしょうし」
楊ちゃんは人間に戻り言った。
「やめて。私は美味しくないわ」
私はお義兄ちゃんに言った。
「楊ちゃんは許してあげて。悪いのは私なの」
お義兄ちゃんは再びため息をついて言った。
「しょうがないですね。ほら、それじゃあ、部屋まで運びますよ」
「うん。」
そして私はご機嫌で、お義兄ちゃんに部屋まで運んでもらったのだった。