悪魔がサンタになった夜
グループ小説企画の「無茶ぶり企画」です。お題は、ざしきのわらし様より提供していただきました。
その屋敷は、どんよりとした霧が立ち込める湖の畔に建っていた。
屋敷というにはあまりに大きく、お城と表現するには些か華が足りない。強いて言うなら要塞といった感じの堅牢な佇まいである。
四方は岩壁のような高い城壁に囲まれ、正面に構える門前には漆黒の甲冑に身を包んだ門番兵が数名、槍を片手に起立している。
辺りは水をうったような静けさで、見渡す限りの荒野に人気などあるはずもなかった。
そんな殺伐とした中に佇む屋敷である。そこに住まう者が常人であるはずがない。
いや、そもそも此処は人界でもなければ天界でもなく、俗に冥界と呼ばれる世界であった。
そして、その冥界の奥深くに佇むこの屋敷というのが、恐れ多くも魔族の王であるサターンの棲家であったのだが、そのサターンというのがまた風変わりな男であった。
*** ***
「あの、サターン様は先ほどから何をなさっているんです?」
「おぉ! よいところに来たフェレスよ! お前も手伝ってはくれぬか!」
朝の早くから衣装部屋にこもったっきり出てこないサターンを心配して、彼の友人であり側近でもあるフェレスが声をかけた。
このフェレスがサターンの側近となって数百年の時が流れているわけだが、未だにこのサターンの思考は読み取れず、いつもその我儘に振り回されるのはこのフェレスであった。
だから「よいところに来た」などと言われると内心ドキリとする。
一体何をしようとしているのかは分からないまでも、またよからぬことを考え付いたに違いないと、それだけは妙な確信が持てるフェレスであった。
そして当のサターンはというと、コートやローブ、鎧やマントが掛かった衣装棚を手当たり次第に漁りまくっており、フェレスが入室したことも、声をかけられるまで気付かなかったようであった。
「何か、お探しですか?」
「うむ。それがな、赤いコートを探しているのだが見つからんのだ」
確かこの辺りに片付けたはずなんだが――と、サターンはフェレスに一瞥もくれることもなく捜し物に夢中である。
その、さして広くもない背中に魔王の威厳など全くなく、その風采もまたなんら普通の人間の男と変わらない。
平均的な身長に特徴のない薄い顔立ち。髪は茶色で瞳は灰色だ。
本来なら、その姿は今よりも3倍は大きく、強靭な肉体は体毛に覆われ、全身から放つ魔力は同じ魔族出身のフェレスでさえ迂闊には近寄れないほどの偉大さであるのだが、ここ数百年ほど前からはぱったりとその姿を見せなくなった。
というのも、人界に興味を持ち始めて依頼、サターンはすっかり人間かぶれになってしまったのだ。
どこから引っ張り出してくるのか、人界に関する書物を読んではその真似ごとをして楽しんでいる日々である。
そんなこともあって今ではすっかり人間の姿が定着し、魔王の威厳など疾うに失せてしまったサターンはどこからどう見ても壮年を迎えた人間の男にしか見えない。
いや、壮年どころか、その落ち着きのない素行は最早少年のようであり、側近であるフェレスとしては専ら頭の痛いところである。
それでも魔王サターンといえば、この冥界では知らない者はいないほどの人気者だ。
その悪名は冥界にとどまらず、天界や人界までにも及ぶ。
これまでどれだけの悪業を働き、どれだけの危害を天界や人界に及ぼしたことか、今のサターンからは想像もつかないほどであった。
「あの、先ほどから随分と探すのに手間取っておいでのようですが、一体赤いコートなど、どうする気ですか?」
やれやれといった感じでフェレスがサターンの背中に問い掛ける。
「どうするって、今からそれを着ようとしているからに決まってるではないか!」
当然とばかりに言い切ったサターンは、ようやく目当てのブツを見つけたらしく、「あった、あった!」と子供のようにはしゃぎ始めた。
そんなサターンを少し離れたところから眺めていたフェレスは、他の者には決して見せられないお姿であるな、と冷静に思うのであった。
「あ、そうだ! フェレスよ。お前に至急用意してほしいものがあるのだがな」
「はい。なんでしょう?」
「あのな、トナカイとソリを用意して欲しいのだ。できれば綺麗な音の鳴る鈴もつけて欲しいが、そこまでの贅沢は言うまい」
「……は? ……はい?」
余りに突拍子もないことを言い出したサターンを前に、フェレスの声が裏返る。
「あの……今、なんと?」
「だーかーらー、トナカイとソリだよ。サンタさんにトナカイとソリは欠かせないだろう?」
「だろう? と、聞かれましても困ります……。それに、今、『サンタ』と聞こえたような気がしたのですが……」
私の気のせいであってほしい――フェレスの心情は、まさにそんな感じであった。
だがしかし、当のサターンはというと、早速赤いコートに袖を通し、姿見で全身を確認したりして、かなり御満悦のようである。
しかも満面の笑みで振り返ったサターンは、
「俺は今夜、サンタさんになるぞ」
と、完璧な笑顔で宣言した。
その嬉々とした表情は、これが本当に冥界のトップに座る男なのかと疑わしく思えるほど、無邪気な笑顔であった。
「あの、あなたはご自分の立場を分かっておいでですか? あなたはこの冥界の支配者であり、全ての悪魔を統べる王なのですよ?」
そんな立場のサターンがサンタになるなど有り得ない。
悪魔は人間を嫌い、人間もまた悪魔を嫌う。
そんな関係が何千年と続いてきたというのに。
なのにこのサターンにとっては、積み重ねられた歴史も常識も関係ないらしい。
「それがどうした? 俺はやると決めたことは必ずやる男だ」
と、にべもなく言い切った。
確かに、そのセリフだけを聞けば、なんと潔いお言葉であろうかと感嘆するところであるが、実際サターンがやろうとしていることは『サンタ』になることであってして、実に馬鹿げている。
「なぜ急にサンタになるなどと……」
心のぼやきが、無意識のうちにフェレスの口から零れた。
「なぜって、お前は知らんのか。今日は12月25日であるぞ? クリスマスであるぞ? クリスマスと言えば、サンタさんがたった1日だけヒーローになれる唯一の日なのだぞ? そんな日にサンタさんにならずして一体いつサンタさんになれるというのだ!」
もの凄い勢いでサンタへの思いを熱く語るサターン。
右手に拳を作り、ガッツポーズまでして、かなりのヒートぶりである。
もうこうなってくると誰の意見にも耳を貸さない。
というか、さすがのフェレスも呆れ果てて、何も言う気が起こらなかった。
前々から変り者であるとは思っていたが、今日ほど呆れたことはなかったフェレスは、はぁ〜と盛大な溜め息を肩で吐くと、小踊りしそうなくらいにはしゃいでいるサターンをそのままに、静かに部屋を後にするのであった。
*** ***
それから数時間後のこと。
サターンは、とある小さな街にやってきていた。
メインストリートと呼ばれる街の中央に車の往来は一台もなく、一番賑わう繁華街は古いレンガ造りの店舗が並ぶ。
都会と呼ばれる大きな街に比べればとても地味で、人通りもやや少ないかもしれないが、やはり今日はクリスマスということもあって、それなりの賑わいをみせていた。
街を彩る赤や緑の装飾が更にクリスマスムードを高め、街を行き交う人々の足取りも心なしか軽やかだ。
そしてサターンはというと、一番人通りが激しい街中の一角に佇んでいた。
朝からずっと探していたあの赤いコートを纏い、赤いとんがり帽子を被って、眉と口の周りにはフサフサの白い毛をつけている。
それはサターン曰く『どこからどう見ても完璧なサンタ』であるらしい。
サターンの傍らには馬車のようなソリと、トナカイに扮したフェレスの姿があった。
「……なぁ、フェレスよ」
「はい」
「なぜか俺だけ浮いているような気がするのだが……、そう思うの俺だけだろうか?」
「さぁ? 私には分かりかねます」
トナカイに扮したフェレスが、どうでもよさげな態度で答える。
そもそもなぜフェレスがトナカイに扮しているかという話だが、それは単に、冥界にはトナカイという生物は存在せず、また、人界にまで探しに行く時間もなくて、結局出発する時間までにトナカイを用意することができなかったのだ。
それでもサターンはトナカイは絶対に必要だと子供のように駄々をこねるので、仕方なくフェレスがトナカイに扮することになったのである。
ただ。
その扮装が完璧かというと、これがまた難しいところで。
ハッキリ言えば、トナカイとは似ても似つかぬ姿だったのである。
半月型につり上がった赤い眼に、狼のような鋭い牙。シャープな頭蓋には殺傷能力の高そうな鋭利な角が2本生えていて、艶のある躰や四肢の色はダークグレイだ。
正直、とてもトナカイには見えず、お世辞にも可愛いとは言い難い。逆に、どこの部分がトナカイなのか説明してもらいたいところである。
しかも、サターンのサンタ姿も中途半端で、どこか怪しい。
だから、道行く人は皆、避けるように離れていき、決して近寄ろうとはしなかったのだ。
だが、そんなことがあったにも関わらず、サターンは避けられる理由がわからなかった。
だってサターンは自分が完璧なサンタであると自負していたし、フェレスのトナカイも本物そっくりだと信じて疑わなかったのだから、どう考えても分かるはずがないのだ。
それに、こうして街角に立っていれば、街の子供たちがプレゼント欲しさにわんさか集まってくると思ったし、逆に集まりすぎて押し合いへし合いになりゃしないか危惧したほどである。
だが、現実は誰も近寄ってくる気配がなく、もしかしたらこの街には子供はいないのかもしれぬと思ったほどだった。
だけれど、道行く人々の中には微笑ましい親子の姿も見られたので、それはない。
この街に子供はちゃんといるのだ。
そのことを確認したサターンは、ほっと胸を撫で下ろした。
きっとそのうち集まってくるだろう。
下手に場所を移動して、後から来た子供たちをガッカリさせては可愛そうだ。
そんな思いから、サターンはその場から一歩たりとも動かなかった。
そうして無駄に過ぎていくこと3時間。
道行く人影もなくなり、飲食店の明かりも一つ二つと消えていって、ふと気付けば辺りは真っ暗になっていた。
「もう帰りましょうよ」
石畳に寝そべっていたフェレスがむっくりと起き上がるとサターンを見上げる。
「私たち以外、もう誰もいないじゃないですか」
ぐるりと辺りを見渡すと、冷たい木枯らしが2人の目の前を虚しく横切った。
「いや、まだだ。俺は子供たちにプレゼントを渡すまでは帰らんぞ」
サターンはそう言うと、繁華街を後にし、子供がいそうな住宅街へと足を向けた。
しばらく歩くと徐々に道幅は狭くなっていき、ごみごみとした集合住宅街が見えてくる。
相変わらず、辺りは静かだったが、家々の窓から漏れる明かりは温かく、僅かではあるが談笑の声も時折聞こえてきた。
いくつか家の窓を覗いてみると、どの家の子供もすでに眠りについており、起きているのは大人ばかりであった。
しかも、子供たちはみな、すでにプレゼントを貰っているようで。
真新しいリボンがついたウサギのぬいぐるみを抱いて寝てる子もいれば、お絵かきセットと添い寝している子もいて、それぞれのプレゼントに満足していることは、幸せそうなその寝顔を見れば一目瞭然であった。
どうやらこの様子だと、サターンサンタの出る幕はないらしい。
そう悟ったサターンは窓に張りついたままガックリと肩を落とした。
「そうか……クリスマスプレゼントというのは、当日の夜ではなく、当日の朝、子供たちが目を覚ます時までに用意しとかなければならなかったのだ! なのに俺は当日の夜に来てしまった!」
しかも、その当日の25日もあと少しで終わろうとしている。
せっかく、大量にプレゼントを用意したのに、全てが無駄になってしまった。
でもこれは誰のせいでもなく、サターン自身のミスである。
「仕方ない……。また来年、来るとしよう」
子供たちのヒーローになるのは来年までのおあずけだな、とサターンは白い息と共にそう呟くと、しぶしぶ踵を返した。
と、その時である。
サターンは歩きだしたその足をピタリと止めた。
なぜなら、この閑静な住宅街には不釣り合いな魔の力が漂っていることに気付いたからだった。
今までサンタになりきることに夢中になりすぎて気付かなかったが、確かにこの近くには何者かが潜んでいる気配がする。
サターンはその気配の行方を探るために灰色の瞳をキラリと光らせると、少しの魔力を解放させ、辺りをぐるりと見渡した。
そんなサターンの異変に気付いたフェレスも鼻をクンクンの鳴らし、警戒を深くする。
「どうやら私たち以外にも、冥界から来てる者がいるようですね」
そう言いながら、再び鼻をクンクンさせるフェレス。
サターンは顎の下にぶら下がる白い毛を撫でて頷いた。
「こんな小さな街に、何用でしょう?」
「うむ。そうだなぁ……、やっぱり俺と同じで、サンタさんになるために来たのではないか?」
「いや、100パーセント違うと思いますよ」
それだけは断言してもいい、とフェレスは思った。
いくら冥界広しとも、サンタになりたいなどと夢見る悪魔はサターン一人だけだろう。
そう確信の持てるフェレスだったが、サターンは納得いかないようで首をかしげた。
「うむ……果たしてそうだろうか? お前がそう言うなら確かめに行ってみようではないか。どうやら、すぐ近くにいるようだしな」
サターンはそう言うと、さっそく気配のする方へと歩きだした。
「えっ、あの、ちょっと! 待ってくださいよ!」
どんどんと先を行くサターンの背中にそう喚きながら、必死で後を追い掛けるフェレス。
だが、身体に繋がれた後ろのソリが邪魔をして、なかなか追い付くことができい。
そうこうしてる間にサターンとの差はあっさりと引き離されてしまった。
サターンの背中も目視することができなくなる。
「もう……勝手にしてください」
ちょうど公園の近くにいたフェレスは、本来の姿に戻ると、公園の隅にある木製のベンチに腰掛けた。
ここで待っていれば、そのうちサターンも戻ってくるだろう。
背もたれにゆったりと体重を預けたフェレスは、今日初めての休養をとるのであった。
一方、サターンは小さな家の前までやってきていた。
先ほどよりも数百メートル離れただけであるが、先ほどの住宅街に比べて、この辺りは閑散としていた。古い建物も多く、今まで見てきた家族とは生活水準も大きく違い、貧富の差は見るからに明らかだった。
サターンが玄関のドアノブに手をかけると、簡単に引くことができ、キィと錆びれた錠前の音が鳴る。
中に入ると人の気配はなく真っ暗だったが、夜目のきくサターンにはそんなことは関係なく、中の様子はハッキリと見ることができた。
中に入るとすぐ目の前はキッチンになっており、小さなテーブルがある。
その上には灯り取りのランプがぶら下がっていて、奥の調理場には使い古された釜戸も見えた。
一歩踏み出すたびに軋む床に気を配りながら更に奥へと進むと、一つの部屋からオレンジ色の灯りが漏れていて、それと同時に女の子の声も聞こえてくる。
「ママ、しっかり。明日になったら、パパがお薬持って帰ってくるから、それまでの我慢だよ。あと少しだから頑張って……」
今にも泣き出してしまいそうな少女の細い声が、ドアと床の隙間から漏れていた。
しかも、さっきからずっと感じているあの気配も、その部屋の中からびしびしと伝わってくるのだ。
サターンは自分の存在に気付かれないように最新の気を配りながら、ほんの少しドアを開けると、そっと中を覗いた。
その狭い部屋の中には、ベットに寄り添う少女の姿があり、ベットの上には少女の母親らしき女性が寝たきりになっていた。
母親は熱があるのか頬や額に汗を浮かべていて、苦しそうに顔を歪めている。
看病にあたる少女が懸命に冷やしたタオルで顔を拭いてやるが、あまり効果はないようで、またすぐに汗が吹き出てしまう。
それでも少女はまた冷たい水に手を突っ込み、タオルを絞った。
おかげで少女の手は赤ぎれだらけで痛々しかった。
そんな少女を見ながら、サターンは涙が出そうだった。
世の中はクリスマス一色で浮かれているというのに、少女にはプレゼントもケーキもなく、それどころか母親の看病で手はボロボロなのである。
そんな少女に、何かしてやりたいと思ったサターンは、自分がサンタであることを思い出した。
――そうだ。この少女にクリスマスプレゼントを送ろう。
なんせ、プレゼントは山ほどあるのだ。
一つとは言わず、2つ3つあげても構わないと思った。
だが、サターンはここであることに気付いた。
プレゼントを乗せたソリがないのだ。そのソリを引いているフェレスの姿も。
――何をやっているのだ、あいつは。こんな肝心な時に……!
チィッと舌打ちをしたサターンは、フェレスを探さなくてはと踵を返そうとしたが、運の悪いことに、少女が部屋から出てきてしまい、バッチリ目が合ってしまった。
「……えっ?」
「……あ……」
少女は、水を替えるために部屋を出ようとしたのだろう。手には水の入った桶を持っている。
円らな瞳は大きく見開かれ、開いた口が塞がらない少女は相当驚いているようだ。
サターンもなんと言っていいやら分からず、石のように固まってしまい、「あ……」と言ったっきり言葉がでない。
だが、決して怪しいものではいことだけでも伝えなければいけないと、必死で言葉を探す。
そうしてようやく口を開きかけたその時、以外にも少女の方から話し掛けてきた。
「あの……」
何を言われるのかドキドキする。
――泥棒と間違われていたらどうしよう。警察ざたになったら後処理が大変だ。
などと、そんなことが一瞬にして頭を巡る。
だが、サターンの思いとはよそに、少女の口から紡がれた言葉は、サターンがずっと待っていた言葉だったのである。
「あの……あなたは、もしかして……サンタさんですか?」
その少女の言葉に、サターンは自分の耳を疑った。
今日、この街に来て数時間が経過しているが、サンタさんと呼ばれたのは、これが初めである。
しかも少女の瞳はキラキラと輝いていて、まっすぐに澄んだ瞳でサターンを見上げているのだ。
まさに、これがサターンが思い描いていた理想の構図である。
サターンは心の底から嬉しくなり、満面の笑みで頷いてみせた。
その瞬間、少女の瞳は再び大きく見開かれる。
その少女の反応に満足したサターンは腰を屈めると、少女に話し掛けた。
「お嬢さん、お名前は?」
「ジェナ」
「ジェナか。よい名前だな」
「うん。パパがつけてくれたの」
少女――ジェナが嬉しそうに目を細めた。
「そうか。では、ジェナにサンタさんからプレゼントを渡したいんだが、ご希望はあるかい?」
サターンの問いに、ジェナはしばらく考えたようだが、すぐに首を横に振った。
眉をひそめて、悲しい顔をする。
「私、プレゼントはいらない。それより、ママの病気を治してほしいの。ねぇ、サンタさん、ママの病気を治してもらえませんか?」
ジェナはうるうると濡れる瞳で必死に訴えてきた。
サターンもつられてうるうるしそうになる。
できることならその願いを叶えてやりたかった。
けれど、いくら魔界の王であってしても出来ないことはある。
人を簡単に傷つけることはできても、救うことはその何倍も難しいのだ。
ジェナにそのことを伝えなければいけないのだが、悲しませると分かっているだけに、なかなか言いだせなかった。
――なんと言えばよいのだろう?
――本物のサンタさんなら、あの母親の病気を治してやることができるのだろうか?
サターンは少女の肩越しに、ベットで眠る母親を見た。
母親はずっと苦しそうな表情を浮かべている。
だがその母親の容態よりも、もっと気になるものを見つけてしまった。
先ほど戸の隙間から見た時は気付かなかったが、その母親の頭上に何か黒い影が蠢いているのだ。
サターンは制御していた魔力を更に解放して目を凝らすと、みるみるうちに影の正体が顕になる。
その正体とは、黒いローブを纏った死神だった。
死神は母親の頭上に両手をかざし、生気を少しずつ吸い上げている。
死神の両手には金色の光の玉が出来ていて、生気を吸い上げる度に光の玉が大きくなっていき、サターンの見るかぎり、その光の玉はもうすぐ完成されそうである。
つまりは、母親の生命もあと少しで尽きるということだ。
一刻の猶予もないと悟ったサターンはジェナの肩に手を乗せると、優しく声をかけた。
「君の願い、確かにこのサンタが受け取った。絶対に助けてみせるから、ジェナは水を汲んでおいで?」
安心させるようにゆっくりと言葉を紡ぎ、微笑んでみせる。
ジェナはコックリと頷くだけで何も言わず、調理場の方へと消えていった。
その小さな背中を見送ったサターンは死神へと向き直った。
フードを目深に被った死神と目が合うことはなかったが、サターンが近付くとケケケッと擦れた声で死神が笑う。
「あんた、俺のことが見えてるってことは、人間じゃねーよなぁ。あんた何者だ?」
若干、サターンに警戒してるのか、擦れた声色が低くなる。
また一歩サターンが近付くと、死神は威嚇するように背中に背負っていた大鎌を構えた。
だが、神経質になっていくのは死神だけで、サターンは臆することもなく飄々としいる。
サターンは更に間合いを詰めた。
「別に、何もしやしないさ。ただ、俺は今、サンタさんだから、あの子の願いを叶えてやらなきゃならんのよ。だから悪いけど、その生気の玉、俺にくれないかな?」
ニッコリと、言葉通りの笑顔でサターンは言った。
そんなサターンの笑みを余裕の笑みと受け取った死神が、気に入らないとばかりに神経を尖らせる。
「はぁ? てめぇ、何言ってんだ。そんなに欲しけりゃ、力付くで奪ってみな。ま、そんな小せぇ魔力じゃ俺様に適うわけねーがな」
死神も余裕をみせるためか、ケケケッと笑った。
だが、死神の余裕もここまで。
死神が笑い終えるよりも速く、死神の首は吹っ飛んでいた。
サターンは右腕を刀状に変形させると、目に見ぬ早さで死神の首を取ったのだ。
おかげで赤いコートは破けてしまい、右腕部分はボロボロだ。
「あーあ、結構気に入ってたんだかな……」
サターンは足元に転がる死神の屍には目もくれず、切れ切れになったコートを未練がましく眺めた。
しばらくすると屍となった死神は霧散し、跡形もなくなる。母親の生気も徐々に母親へと戻っているようだった。
この様子だと、明日の朝には目を覚ますだろう。
そのことを確認したサターンは窓から外に出た。
いくらなんでもこんなボロボロの姿を見せるわけにはいかないので、黙って去ることにする。
サターンは背中にコウモリの羽根のような翼を広げると、満月が浮かぶ夜空へと飛び立った。
そのシルエットはどこか不気味で、サンタのイメージとは大きくかけ離れてしまったわけだが、窓から見上げたジェナの目にはサンタ以外の何者にも見えず、もしかしたらサンタに化けた天使かもしれないとも思う。
けれど、サターンがそれを知ることはない。
だから来年もまた、サンタの格好をして人界へとやってくるだろう。
一夜限りのヒーローになるために……
〜Fin〜
魔界の王であるサタンは、昔、天使だったと言われています。あの、大天使で有名なミカエルの双子の兄で、ミカエルよりも優秀だったとか。けれど、大罪を犯してしまい、地獄に落とされたそうです。
だから、もしかしたら、魔王になっても天使の頃の純粋な心はどこかに残っていたのかもしれません。
できれば話の中で触れたかったのですが、私にはそれだけの筆力がなく、また、文字数が一万文字までということもあって触れられませんでした。
後半はバタバタと話が進み、まとまりが悪くなってしましましたが、最後まで読んでくださった方には心から感謝いたします。
ありがとうございました。