プロローグ:女神との出会い
えーそこまで長くはならないと思いますのでどうかお付き合いください
「はぁ……はぁ……」
俺、上名理人は気付けば森の中にいた。傷だらけの身体から流れる血は、夜の闇にまぎれながらも緑を穢している。
「逃げ切れると思っているのか?」
後ろからニヤニヤとした笑い声が聞こえた。
宰相の放った兵、か。
もう帰る場所は無いのかな、とは思っていても。それでも、俺は……
――ここをどこだと心得ているのですか。
瞬間、確かに沈黙は降りた。
「私の神域に足を踏み入れるとはいい度胸ですね人の子よ」
現れたのは、宵闇にも負けない光を伴って降臨する何者か。いや、違う。疑問の余地などありはしない。この存在を、たとえ世界を違えようと見誤りはしない。
女神。人が目を触れることすら能わぬ至上の存在だ。
「く、くくく。その男は異世界からわざわざ呼び寄せた勇者であるというのに我らに仇なした不届きもの。邪魔立てするならば女とて容赦は」
しかし、兵士たちは何を血迷ったのか、好色な目で女神を舐めまわした。何とバカな、そう
「聞こえませんでしたか? 私の神域に足を踏み入れるのであれば、それ相応の覚悟を伴っていると思っていましたが」
血が舞うのが見えた。次に、女神の持つ巨大なハルバードがズシン、と地に着く迫力を。
「……へ?」
先頭に立っていた兵士の、畏れ多くも女神に声を掛けた愚か者の間の抜けた声が響いた。そして、その後に響いたのは恐怖の叫び声だ。
腕を。女神に手を伸ばすなど不遜であると。その腕を斬り飛ばしたのだ。
「本来であれば四肢全てを切り落としてもその不敬、贖いきれるものではありませんが足を斬れば逃げられないでしょう? 去るのであれば追いません。これ以上、私の神域を穢すことを許しません」
兵士たちが逃げていく。
「何をしているのです? あなたも早く去りなさい」
女神は俺の元に座り込み、つまらなさそうにそう警告した。
そうだ。危機は去ってなどいない。女神さまの神域への侵入者は、俺を追ってきた兵士たちだけじゃない。俺も同じだ。
けど、段々と意識すらも遠くなっていく。こうして少しでも生き永らえたことに、泣きたくなるくらいの奇跡に、身を委ねかけてる。
「……女神さま。お願いがあるのです」
「私があなたの願いを聞く義理はありません」
それはそうなのだろう。この美しい女神には、人の切なる願いすら浅まし過ぎる。
「……魔王が現れたのです」
世界を滅ぼすと伝えられる魔の盟主。
「……魔王が? 私が与り知らないそのような存在がいるはずはありませんが」
「信じてください。俺は、その魔王を実際に目の当たりにしたのです」
「だとするならばなぜあなたは生きているのですか?」
それはもっともな疑問だ。しかしその答えは至極簡単だ。それは、
「見逃されたんです。そして、こう言われました」
『今回は見逃してさしあげます。だから、人々に精々触れ回りなさい。魔王と言う存在が、私がどれだけ恐ろしい存在であるのかと』
女神さまも怪訝な顔をしていた。そうだ、こんなもの作り話にしか聞こえない。数多の命を奪うという魔王が、破壊の限りを尽くす魔の盟主が。そのような優しさを見せるなど。
しかし、これは真実だった。伝えなければならないのだと思った。それに……いや、これはいくらなんでも自分には不相応すぎる願いだった。
「恥を忍んでお願いします。どうか……どうか女神さま。世界を救ってください」
「あなた、この世界の人間ではありませんね。であれば、異世界から招かれた勇者であるはず。なのに、あなたからは何の力も感じません」
「……それ、は」
確かに。俺を呼んだ魔法使いもそれについては疑問を呈していたけど。
「まあ、あなたの境遇に興味はありませんが」
「それと……俺の呼ばれた王国の王女さまが。力になりたかったんだけど、宰相が、だから」
ああ、もう。頭が働かない。言いたいことが言えなくて、悔しくて、涙があふれる。
「あなたはさっきから誰かのことばかりですね」
何の気紛れか、女神さまの手が俺の目尻に伸びて、血と涙を拭った。
そしてそのまま、ふふ、と微笑んだ。
「ぁあ……綺麗だな」
最期に見たのは、多分、いや、間違いなくこの世界で一番美しい光景で。
それだけで全て救われたような気がした。
「ま…………待ってください! あ、あああ、あなた、何を……」