なんちゃって占い師は異世界で無双、させられる2
久しぶりに彩が店を訪れたのは、"最低男"との弁護士を交えての話し合いの夜だった。困惑したような、苛立ちが溜まったような、なんとも言えない顔をしての登場だった。
「こんにちは、マスター。いつもお世話になってます」
「いらっしゃい、さやちゃん。随分おつかれだね」
彩がマスターに業務用のあいさつをかけたのは、自分の弁護士を紹介してくれたのがマスターだというのが大きい。しかも、その弁護士さんが彼の奥さんである。
このまま、どこかの営業のような会話が始まる雰囲気だったが、彩は大きくため息をつくとカウンター席に荷物を放り投げた。
「本当に疲れちゃったんです。もぅ、日本語通じない相手と話さないといけないって、すっごいストレスでした」
よいしょ、と声をあげながら彩が席につく。そのまま「はぁ」とまたため息をついた。
「……そ、そうかい。でも、今日は弁護士を交えての話し合いだったんだろう?」
「う。はい。そうれはそうなんですけど……マスター。とりあえず、さっぱりするのをお願いします。ちょっと強めで」
ぐったりとカウンターにうつ伏せる彩が言う。
甘いもの──とマスターは彩の好みと、店にあるフレッシュフルーツを思い浮かべた。
「はいはい。柑橘系とハーブ系どちらの気分かな」
「甘いのが良いですね。私の頭は糖分を求めています」
「あはは……」
さっぱり甘めということで、マスターが複数の蜜柑を手にする。それだけではさっぱりしすぎるかもしれないので、ねっとり甘くしてやろうとレシピを繰った。
出来上がったのは、蜜柑スペシャル。蜜柑だけで作り上げた、一品である。グラスに飾られた蜜柑は、糖度十二度のメロン並に甘く濃い蜜柑だ。
冬はこたつで蜜柑。というのがマスターの口癖である。
「あー、甘ぁいです。おいしい」
「気に入ってもらえて嬉しいよ」
グラスに口をつけて満足そうに笑う彩の前に、マスターがクラッカーを進める。「何か軽く食べるかい」という言葉には、彩は首を振って答えた。
「大神さんとケーキバイキングしてきたので、結構です」
「奥さん……せっかくご飯作っておいたのに。ひどい」
ケーキバイキングした大神さんとは、弁護士をお願いしているマスターの奥さんのことだ。
「ほんっと大神さんには申し訳ないっていうか。アレと結婚しなくて良かったというか。……あんな人達だったんだなぁって……はぁ」
一気に飲み干してなお、彩のため息はつきない。
「聞いていいのかな? なにがあったの」
「慰謝料を請求されました」
「え?」
現在、彩は婚約破棄についてのあれやこれや、面倒くさい手続きをしているところである。弁護士をつけたのも、相手と徹底抗戦するためであるのだが。
しかし。そもそも、浮気して婚約破棄を言い出したのは相手の男である。相手が有責といえるこの状態で、なぜ慰謝料を請求されるのだろうか。
「勝手に"結婚を止めた"と招待客に連絡したのがいけなかったそうです。当然、理由も合わせて送りましたから? 友人知人に責められて大変だった──それらの、心労への慰謝料だそうです」
「うわぁ……そんなことが」
哀れに思ったマスターが、一口チョコレートを皿にもって差し出した。
「あと、浮気相手への慰謝料だそうで。破棄するとはいえ"私と婚約"していたことに対する迷惑料だとか。
ほんっと、日本語でお願いします」
一口チョコレートが、とっておきのゴディバのチョコレートに変更された。
美味しいものを食べて疲れをとりなさい、というマスターからの好意である。
「ほんっっっっと、最低男なんです。もう! 信じられないったら。
はぁ……この間から、ため息ばかり。なにか良い気分転換ありませんか?」
「ケーキバイキング以外で?」
「有名ホテルの限定バイキングです。むちゃ美味しかったですよ。アレで気力が回復して、コレですもん。
そのあたりは、どうぞお察しください」
気分転換ねぇ、とマスターが視線を"扉"へ向けた。
ネタがないわけではない。特に彩にぴったりな気分転換があるのだが、と思考をめぐらせる。
「じゃぁ、外国に仕事に行ってみるのはどう? 三食・個室付きで。だいたい一週間くらいの予定なんだけど、さやちゃんならぴったりだから」
「うぅーん。都合よすぎて、騙されてるような……」
「ただし、食事は現地の郷土料理だから口に合うかはわからない。トイレ事情も、日本とは比べ物にならない。……なにより、給料がでるかどうかわからない。さやちゃんの仕事次第だ」
上げられた悪い条件に、彩はしたり顔で頷いた。
なるほど、希望者がいないのも無理はないという悪条件である。特にトイレ事情は、潔癖な日本人にとっては我慢ならないのだろう。
それ以上に、最低賃金が保証されていないのはどういうことだろうか、と疑問が湧いた。
「つまり"歩合制"ということだよ。最低限の生活の保障はするから、結果を出してくれと言ってきている。
結果さえ出してくれたら、生活レベルも上げるし、給料もでる。という事だね」
「それはまた……実力主義きわまれり、って感じですね」
「とりあえず面接に来て欲しいということだよ。さやちゃん次第だけど、どうかな」
ふむ、と彩は考えた。
気分転換ならいいかもしれない、と。
彩のように仕事をしていた人間には、自由な時間というのはありすぎてもつまらないのだ。一人で家にいてもする事ないし、というのが本音である。
「いいですよ。ちょっと興味ありますし、面接があるなら詳しく話しも聞けますしね。で、どこなんですか?」
「うん。さやちゃんが、"コレ"をもらってきたところかな」
マスターは、バーに保管していたエメラルドの指輪を彩に見せた。
○ ○ ○
「ようこそ、サヤ殿。お待ちしておりました」
正面には豪華な服の王子が立ち。その左右に銀髪と黒髪。彼らを守るように、周囲を幾人もの兵士が円陣を組んでいる。
彩を出迎えたのは、前回と同じ金髪王子様ご一行だった。
「はい。お久しぶりです」
心の準備ができていた彩は、すっとクレールと仲間達にお辞儀をしてみせた。
彩の中では彼らは面接官である。
「まず、こちらをお返しします。前回の忘れ物です」
銀髪が彩にバックを差し出してきた。
彩はお礼を言って受け取ると、財布を確かめて安堵の息をついた。
「ありがとうございます」
「それと、占術の道具もこちらに……それにしても、めずらしい絵です」
銀髪が次に差し出したのは彩のお手製のカードだった。
あ、それなら……と、彩はポケットを探り、新しいカードを取り出して見せた。
「こちらまで保管してもらって、すみません。
占いの道具は繊細で、他の方がさわっちゃだめなんです。だから、せっかくですけどコレは捨てちゃうことになります。
興味があるなら差し上げましょうか?」
「おや、本当ですか」
それならば、といそいそと銀髪はカードを懐にしまいこむ。
嬉しそうな様子に、良いことをしたと彩が笑みを浮かべた。
銀髪と彩の会話が途切れたところで、クレールが彩に話しかけた。
「サヤ殿の世界では"契約"が大切なのだと教えられまして。少しずつでも、我らのことを知っていただこうと、話し合いの場をもうけることにしました」
「なるほど……確かに気分転換にはなりそうです。──確認ですが、この国では"契約"とか"約束"ってどういうものでしょうか?
私達の世界では大切ということは、この国では大切じゃないのですか?」
彩の言葉に、クレールは目を丸くした。
「まさか! この世界でも約束は大切です。けれど、その──そうですね、サヤ殿の世界に比べれば、もっと融通がきくといいましょうか、きかないと言いましょうか……」
「今回のように、条件を組んで文章に残したりはしないのが普通です。口約束、と申しましょうか、常識と申しますか、目に見えないモノに縛られているのです」
銀髪の援護に、クレールは頷いた。
満足そうな様子に、彩は釘を刺しておくことにする。
「なるほど。お互いの"常識"が違う、ということを忘れなければ上手くいけそうですね」
「ええ、よしなに願います」
彩の一撃を銀髪が受けて流した。
「サヤ殿の実力は承知しておりますが。今回のように契約を結ぶということで、その力を多くの者に理解してもらう必要があるのです」
「ええと。それは、つまり?」
「占いを、お願いしますね」
にっこりとクレールが笑った。
一枚板の分厚いテーブルに向かって、彩がカードを混ぜている。彩の目の前には金髪イケメンが二人座っていて、彩の手元をじっと追っていた。
右手が動けば右手を。
左手が動けば左手を。
無言で見られるのはストレスになる、と彩はカットしながら思っていた。
それは、三人が座ったテーブルの周囲で成り行きを見守っている大勢も同じ気持ちなのだろう。
こそこそと声が聞こえる事もあれば、ほんのかけらも音がしない──静寂が場をつつんでいることもある。
しかも、見つめてくるのは超イケメンという人種だ。
一人はクレールなのでおいておくとして、もう一人がまたクレールに勝るとも劣らない相手である。
どこか子供っぽいクレールとは違い、もう一人は随分と落ち着いた雰囲気で余裕があるように見える。
もう少し年かさなら言うことないんだけど、と彩はこっそり観賞していた。
しかし、静寂の中で耐えきれなかった誰かがいた。
カシャン、とガラスが割れる音がして、小さな悲鳴が上がる。
カットが終わり、ほっとしていた彩は、その音に驚いて「ぴゃっ」と彩が奇妙な声をあげる。タイミング悪く、ヒラリと一枚のカードが机の上に落ちていった。
慌てた彩の姿に周囲から不安の声が上がるが、コホンと咳払いをすると彩はそのカードを手に取った。
何でもないかのように、澄まし顔で取り上げたカードは"皇帝"だった。
「落ちたカードは"補足"であり"特別な意味"があります。今回は"王位"について占っているので、抜けたのでしょう」
じっと落ちたカードを見て彩が宣言する。
"王位"を占うカードから零れたのは"皇帝"──さて、これはどういうことだろうか、と考えながらも彩は言葉を紡ぐ。
「どちらの王子様にも"今"は"皇帝"を指命するつもりがない、ということかもしれませんね。ご精進ください」
彩が思わせぶりにしゃべっていることは、すべて適当だ。
それっぽいことを言い、結果が外れても良いように、逃げ道を作っているのだ。
「これが"現在"」
大袈裟に左腕を振って、彩はまとめたカードから一枚を抜き出した。
「これが"あなた"を選んだ時の"未来"」
二人の王子に分かるように、一枚ずつ配る。
「そして"結果"……つまり、国がどうなるかです」
王子に配ったカードの横に、それぞれ一枚のカードを置く。
合計で五枚のカードが伏せられているのを確認して、現在からカードをめくっていった。
現在にあるカードは"審判"。
クレールの未来は"太陽"。国は"愚者"。
もう一人の王子の未来は"月"。国は"女帝"。
しかし、小さな違和感を感じて彩は首をかしげた。
現在のカードが、腑に落ちないのだ。
否、意味は通らないわけではない。どちらかを選ぼうというのだから"審判"で良いのかもしれない。
けれど──
「もう一度、伺いますけど。……ほんとうに二人で選んでいいんですか?」
審判の絵には、天使の前に立つ三人の男女が画かれている。
三人だ。二人ではない。
「もしかして、他にいたりしないでしょうか? いえ、万が一の確認なんですけど……」
二人の王子に出たカードはかなり悩むものだった。
クレールにでた太陽─エネルギッシュで良いように思えるが、その先にあるのは愚者。自由を象徴し可能性に満ちているが、崖っぷちの綱渡りでもある。
もう一人の王子の月──不安や迷いがある状況で、その先が女帝。あれこれ思い悩んだあげく、結婚相手に牛耳られる未来しか見えない。
「つまり、魔女殿は今の状況に不満があると?」
「こちらは、第一王位継承者と第二王位継承者なのですが。どこに不満が……」
そう野次が飛ぶと、彩も口ごもるしかない。なんといっても確証があるわけではなく、なんとなくの違和感でしかないのだから。
的はずれなカードではないから、このまま進めてみようか、と彩が息を吐き結果に向き合ったところで、クレールが彩に話しかけた。
「ところで、サヤ殿。この"皇帝"とやらのカードなのだが……」
「あ、はい? なにかありましたか?」
机の横に外しておいたカードをクレールに指差されて、彩はそちらを見た。
皇帝のカードはその名の通り、権力や支配する人をさす。それは前回も伝えたことで、クレールも知っているはずなのだが。
「皇帝は黒髪なのか?」
「え……」
クレールの指摘にぎょっとして彩が絵を見る。
髪の色など気にしたこともなかったが、タロットが西洋発生であることを考えても、黒髪ではなかったと思うのだが。
というか、この絵を描いたのは彩である。それを思うと黒髪でも問題はないのだが──皇帝は白髭のおじいさんだったはず、とカードに視線を送った彩は衝撃をうけた。
皇帝に描かれているのは、黒々とした髪に黄金の冠、黄金の王笏を手にした若い男の姿だったのだ。
ざわり、と見物者達に動揺が走る。
何かを小声で話し合っているザワメキが止まることはなく、皇帝の絵を見ようと身を乗り出す者まで現れていた。
「たしかに、黒髪だ。目は青く、ヒゲもなく、肌は白い……」
「あ……」
もう一人の王子の落ち着いた声が響き渡ると、いくつもの悲鳴が上がった。
そんな落ちつかない雰囲気の中、彩は気がついてしまった。
カードの絵が古い。
皆が見ている、彩の手から落ちたはずの皇帝のカードは、前回彩がこの世界に忘れて帰ったカードだったのだ。
銀髪に渡したはずのカード。それがなぜ机の上にあるのか。
本来、黄色か白色の髪にふさふさの髭の男が書かれているはずの皇帝のカード。
その絵が変わっているのはなぜなのか。
前回とは変わりきった絵であるのに、クレールはためらうことなく"皇帝"だと言いきった──それは、知っていたからなのか。
緊張しきった部屋の中で誰かが割ったガラス──タイミングよすぎたそれは偶然なのか、まさか。
(も、もしかして。またハメられたとか……)
緊張に震える彩は、部屋のどこかにいるであろう銀髪と黒髪を探すことができなかった。
そして、彩は圧迫面接を終えた。
もちろん即採用だ、とにこにこしているクレール達を前に、彩は脱力感を感じざるをえなかった。
「また来ていただけますね?」
「そ、そうですね……」
クレールの念押しが、彩の心を刺激する。
「……せめてネタばらしをしていただけませんか。結局、もう一人の王子様はどんな方だったんですか?」
「ああ、兄上か」
ふむ、とクレールがあごに手を当てた。
「兄上は第二王妃の長男で、第二王位継承権を持っている方ですね。けれど芸術肌で。正直政には向いていないと言われていますよ」
「あぁ、それで月に女帝だったんですね」
月のカードに象徴されるものの一つに芸術的センスがある。
本人が政治に向かないというなら、国を治めるのは配偶者になるだろう。つまり女帝だ。
そう告げると、クレールは嬉しそうに頷き、銀髪と黒髪は複雑そうに顔を見合わせていた。
「さすが、サヤ殿の占いはすごいですね。そういえば、私はどのような結果だったのでしょうか?」
「……王子様ですか? そうですね。明るくエネルギッシュな子供っぽい人だと。国がどうなるかはよくわかりませんでしたけど」
太陽のカードには子供が描かれている。白馬に乗って、無邪気に赤い布をふりまわす子供だ。
大きく画かれた太陽とひまわりの花がエネルギーを象徴しているとともに、子供の無邪気さと自己中心的なエゴまでも含まれているカードだ。
国の未来は愚者だっため、彩には判断できなかった。
けれど、愚者に描かれた男は、小さな荷物袋と犬だけを連れた身軽な旅をしている。
それが何を象徴しているのか。
「愚者なるカードが示すのは無知と自由──サヤ殿の言葉です」
「よ、よく覚えてますね」
笑みを絶やさない銀髪が怖い、と彩は呟いた。
その後、彩は小さな銀貨と金貨を受け取って、世界を渡った。
帰り方は簡単で、心の中で『マスター、終わりました』と声をかけるだけだ。
お手軽な異世界出張に、この短時間でこの稼ぎなら儲けものだと、彩はこの仕事に好意を持ち始めていた。
かなりのストレスがありそうなところが困りものだが、まあ仕事と割り切れば許容範囲でもある。
少なくとも言葉が通じない最低男と浮気女との会話よりは面白かった、と彩は自分を納得させた。
「"自由"ね……確かに」
また来る、と言った彩を見送った後、満足そうに皇帝のカードを撫でるクレールのことなど、彩はまったく知らないのだった。