三人目。そして任務へ
結局部屋の惨状が見つかり、破壊の跡から誰の仕業かをあっさり特定され、説教を受けていた紫苑と秋。
あともう少しで演習場が使えなくなってしまうレベルまで破壊し尽くされていたため、研究員からの呼び出しに応じることになったのだ。
もっとも、この二人にとってはいつものことではあるが。
演習場使用禁止の刑を言い渡された午前十時過ぎ。特に何かするでもなく組織内を歩いていると、見慣れた黒髪を見つけた。
声をかけようとする前に向こうも気付き、目を輝かせて紫苑に飛び込んで来た。
紫苑の妹、星空花梨だ。
「お兄ちゃん! なんか秋と呼び出しされてたけど、また何かされたの? 何ならあの女を消すけど」
開口一番に物騒なことを口走る花梨に苦笑しながらも、頭を撫でてやると気持ちよさそうに目を細める。
さらに強く抱きついて紫苑の胸に顔を埋めようとする花梨に、紫苑は何があったのかを軽く説明した。
別に秋が消されるのは構わないが、花梨に手を汚させたくはないということを話したのだが、『お兄ちゃんに付き纏う害虫を排除するだけだよ?』と小首を傾げられてしまった。
もはや人間扱いしていないような気もするが、秋の扱いについてはそれでいい。まともに相手をするのは体力精神力共に無駄だ。
何を言ってものれんに腕押し。アレはそういうものだと思って流すに限るのだ。
しかしそれとは別に花梨を止める理由がある。それは戦力的な問題。
秋は性格こそ残念かつ面倒ではあるが、実力は本物だ。
ただでさえ充分とは言い難い戦力を、仲間内での小競り合いで失うわけにはいかない。
先程の練習試合で紫苑が踏みとどまったのもその理由が一番大きい。
他人のことはどうでもいいが、戦力を無為に減らす意味もない。多少精神を害されるとはいえ、生かしておいた方が都合がいいのも確かだ。
花梨もそれを理解してはいるのだが、秋に対しては容赦が無い。ともすれば本当に殺してしまいかねない程の勢いで突っ込んでいくのだ。
紫苑を取られたくないという心理から来るものなのだが、それにしたってこの状況ではもう少し抑えるべきである。
「消すかどうかはともかく、戦力としては使えるからな。出来ればまだ残しておいてほしい」
「むぅ……私じゃ力不足……?」
小さく頬を膨らませて不満をアピールする花梨の頭に手を置いて、そうじゃないと首を振る。
「どうせ戦線に送るならどうでもいいヤツの方がいいだろ。死んでも心が痛まない兵士はいくらいても困らないからな。少し我慢すれば魔物がどんどん減っていくし、何より花梨を戦場に送り出さなくて済む」
そう。これが最も大きな理由。
戦場に出れば死が必ず付き纏ってくる。ただ一人残った大切な家族を失うわけにはいかない。
だからそのリスクを最小限に抑えるためにも、秋やその他の兵士を無闇に減らすわけにはいかないのだ。
しかしその理由を聞いても花梨は口を尖らせる。
「……秋なんかより私の方が強いもん。お兄ちゃんの役に立てるもん」
花梨にしてみれば形や感情がどうであれ、自分以外が紫苑と行動を共にしていること自体が許せないことなのだ。
ただの任務で行動するなら仕方ないとまだ割り切れる。しかしそれが公私問わず、必要以上に紫苑とくっついているというのだから質が悪い。
あの無駄についた胸の脂肪を、何度捩じ切ろうと考えたかわからない。
幸い紫苑がそれでデレデレしたり靡いたりすることは無いが、それでも兄との時間を取られるのは苦痛だった。
秋が『2nd』になった後、新たな『2nd』に花梨も立候補したのは、自分も戦うことが出来れば、また兄と一緒にいられるようになるかも知れないという考えからだった。
紫苑には何度も止められた。しかしそれを振り切ってまで『2nd』になったのは、偏に兄と一緒にいたいという気持ちがあったから。
兄に逆らったのは産まれて此の方、あの一度だけだと記憶している。
結果的には秋に取って代わることは無かったが、その選択に後悔は無い。
兄はしているかもしれないが、花梨はそのおかげで素晴らしい力を手に入れられたのだから。
「まあ、確かに花梨の魔法は凄いけどな。全距離対応かつ攻守万能。しかも回復まで出来るんだから、純粋なスペックで言えば花梨の方が上かもな」
「――! でしょ! 秋には出来ないもんね!」
花梨の誇り。それは回復魔法にある。
攻撃魔法も確かに便利だが――主に秋への攻撃手段として――それ以上に回復魔法は花梨にとって価値がある。
それは確実に兄の力になれるということ。
もしも紫苑が瀕死の重症を負ったとしても――考えたくもないことだが――回復魔法があれば助けることが出来る。
今はその力を、不本意ながら他の兵士にしか使えていないが、いつか必ず役に立つことが約束されている力は、花梨の希望になったのだ。
直接身体に作用させる魔法故に扱いが難しいだが、兄のためなら物の数ではない。
今まで一度も紫苑と共に戦場へ立つことが出来ていないのは残念だが、いずれ機会が来ることを信じて待つと決めているのだ。
しかし、自分の価値を認められて有頂天になった花梨に水を差すかのように、館内に放送が響く。
『星空紫苑君、星空花梨君。至急本部長室まで来なさい』
短い放送が切れると、紫苑は怪訝そうな顔を見せる。二人が同時に呼ばれるのが、今までにほとんど無かったからだ。
「何の用かな? 珍しいね、お兄ちゃんと一緒なんて」
同様に花梨も首を傾げている。何はともあれ行かなければわからない。
二人は連れ立って本部長室へと向かって行った。
「――という訳だ。行ってくれるね」
「わかりました!」
「嫌です」
縁の言葉に対して紫苑のにべもない返答。その理由は『花梨を戦線に送りたい』と言うからだ。
花梨を守る為にこの組織に来たというのに、そんなことをされては元も子もない。拒否するのは自明の理だった。
それに対して花梨はノリノリである。ようやく兄の助けになれるとなれば、そうなるのも無理はないのかも知れない。
相違する二人の意見だが、こうなることがわかっていて何故こんな提案をしたのか。それが縁の口から語られる。
なんでも、元々花梨は戦線部隊になることを希望していたとのこと。
それに紫苑は難色を示すことがわかっていたから、どうせならこの場で説得してもらおうということらしい。
「私もお兄ちゃんの力になりたいの! だから私も戦う!」
「駄目だ。危険な所に花梨を行かせられない。ここに残ってサポートに専念してくれ」
どちらも引く気は無いようで、押し問答が続く。
兄の力になりたい少女と、妹を守りたい少年。どちらも正しい故にどちらも否定が出来ない。
とはいえ、このままでは話がすれ違うだけだ。どこかで妥協案を出さねばならない。
「ふむ。君らの言い分はわかった。ならば今までの紫苑君と秋君のチームに、花梨君を新たに加えるというのならどうだ? 無論、それ以外の出撃は控えさせよう」
「いや、だが……いや……」
否定しようと口を開く紫苑だったが、言葉を止めて思案を始める。
戦闘員になるということは、今後自分達の目の届かない所に行く可能性が出るということ。
組織内にいれば比較的安全だが、何が起こるかわからない外に出るとなれば、それこそ最悪の事態に陥ることも考えなければならない。
だが常に自分達のチームと行動するならどうだ。
戦闘力で言えば最強レベルの『1st』で、『間人』として覚醒した紫苑。
肉体的な強度では紫苑に一歩劣るものの、吸血鬼の魔力に適合した『2nd』であり、『人間』として最上級の力を持った秋。
『DOW』が持つ事実上の最大戦力のチームに入れるのならば、下手な軍隊に守られているよりも余程安全だと言えるだろう。
さらに森人種の魔力に適合した花梨なら、多少の自衛も可能だ。
ここで無理にやめさせて後で勝手に出ていく、なんて事態になるよりはいいかもしれない。
ここまで考え終えた紫苑が結論を出す。
「……わかった。ただし条件がある。必ず誰かと行動すること。危険だと感じたらすぐに逃げること。そして――」
花梨に向けていた視線を縁へと移す。
「――可能な限りオレ達のチームで行動すること。以上だ」
「了解だ。元よりそのつもりだったし、花梨君も君達以外のチームで動く気は無いだろうしね」
部長どころか、組織の人間全員が知る所となった花梨のブラコン度合いが、意外な効果を齎したようだ。
これなら紫苑がいるチーム以外に入れられることは無くなるだろう。
「ありがとう、お兄ちゃん! ……でも秋がいなければもっと良かったのに……」
「悪いがそれは出来ない。あれで腕は立つんだ。花梨を守る盾は多い方がいい」
「むぅ……」
さらっと秋を盾扱いしている紫苑もそうだが、その発言に対して何も言わない縁も色々と思うところはあるのだろう。
さて、と話を切り替え、真剣な顔つきになる縁。
「方針が決まったところで早速任務に当たって貰おう。A地区の方で亜人の混成群を確認した。こちらに攻め込むような素振りは無いが、見つけた以上生かしておく理由も無い。人の反応は無いから存分に暴れてもらって構わないよ」
「了解しました。星空紫苑、任務へ向かいます」
「同じく星空花梨、了解です!」
「うむ、では行ってきたまえ。良い報告を期待しているよ」
敬礼をして、本部長室を後にする。
後は任務のことを秋に話しながらその場所へ向かうだけだ。
どこか浮かれ気分の花梨を制して、紫苑はおちゃらけた血刀使いの元へと歩を進めた。