『1st』と『2nd』
部屋の外で響く声。何度も何度も扉をノックする音が聞こえる。
『お〜い、起きてくださ〜い。暇で〜す』
ドンドンと煩く鳴り響く音が、部屋の主の耳を打つ。
別に寝ているわけではない。部屋の主はかなり前に起きているし、ヤツが来た理由もなんとなくわかっている。
ただ、それでも。
あの女の誘いに乗るのは可能な限り避けたい。
故に寝ているフリをして無視を決め込むつもりだったのだが。
『起きてくださいって聞こえてます〜? 何なら扉ぶち破りますけど〜?』
「止めろ失せろ帰れ!」
が、そんなことは向こうにしてみれば知ったことではない。いや、寧ろ知っているからこそ、こうして来ている節すらある。
扉の向こうにいる秋は、そういう女なのだから。
扉をぶち破るという野蛮極まりない発言に、遂に発言を引き出されてしまう。
見えなくても秋がニマァと笑ったのがわかった。
『拒否しまぁす。どうせあなたも暇でしょぉ? だったら私に付き合ってくださいよぉ』
紫苑は『間人』となってからは、あまり睡眠を必要としなくなった。本来人間が七〜八時間、少なくとも六時間の睡眠を必要とするのに対し、魔物の肉を喰らって間人となった『1st』である紫苑は三時間も睡眠を摂れば充分になる。
捕食元のドラゴンがそういう種族だったからなのだろうが、眠る時間が減るというのも一長一短だ。
修行の真似事なんかが出来るのは利点だが、一通り終えると暇になるというのが難点だ。
そういうことをする時間が時間だし、わざわざ起こすのも忍びない。だからこうやって時間を潰しに来ることはある意味望ましいことではある。
が、その理由の大部分は『嫌がらせ』に染まっている。それは今の時刻が朝の五時というところから見てもそうだろう。
『早く開けてくださ〜い。今『血桜』を抜きました〜』
有言実行五秒前。壊すまでは行かないだろうが、液体化を利用して鍵を開けるぐらいのことはやってのけるだろう。そんなことをされるぐらいなら、自分で開けた方がまだマシだと考えながら、紫苑は鍵を開けて扉を開けた。
「おはようございます♪」
「ああおはよう帰れ」
そこにいた秋はいつもの軍服ではなく、上下ピンクのパジャマ姿だった。
見る人が見れば興奮するであろう姿だが、紫苑はそれを全く意に介さず、半分ほど開けた扉から敵意たっぷりに睨みつける。
だが秋本人はどこ吹く風。今までにも散々やってきたやり取りではあるが、未だにこの態度に苛立ちを抑えることは出来ない。
諦めたように溜息をついて、紫苑は目で先を促した。
「いえ、特に用はありません」
「お前マジで帰れ」
何か重要な案件、そうでなくとも鍛錬に付き合えとかそういうものではないかと勘繰っていた紫苑だが、肩透かしにも程がある発言に怒りが再燃する。
怒りに任せて勢い良く扉を閉めようとするが、その隙間に血桜を挟み込まれた。
魔物殲滅用の武器を何て扱いするんだと、武器開発者が見れば大声を上げそうな使用法をした秋は、笑顔のまま閉めることを拒絶する。
「いやいや、せっかく女の子が部屋まで遊びに来たんですから、中に入れてあげるぐらいはしましょうよぉ。理由無く部屋まで来るって相当好感度高いですよぉ? もしかしたら押し倒せるかも知れませんよぉ?」
「黙れ興味ねえっつってんだろ。邪魔だ二度と来んな」
「つれないですねぇ。そのへんの男の子なら余裕で引っかかるのに。『間人』だからですかねぇ?」
間人になった者の特性として、人間には興味を抱かなくなるというものがある。
家族や恋人等といった特別なものを除いてだが、それ以外のものに対しては一切の慈悲も、容赦も、恋慕も、情けも無くなる。
感情自体は無くならないが、それを向けるに値する対象を無くすのだ。だから人間である秋に何をされようと紫苑は惑わされないし、また、人を惑わす淫魔にも屈しない。
それが紫苑の強さであり、弱さでもあるのだが、秋はそれを知っていてこんな行動を取る。
もっとも、それは恋愛感情でも、まして同情から来るものではないのだが。
「どうでもいい。用がないなら消えてくれ。それが無理ならオレが直接手を下してやる」
「それもいいですね〜。なら室内演習場に行きましょうか。そこでなら存分に楽しめますしぃ♪」
片目を瞑って刀を鞘に収める秋に小さく舌打ちをし、紫苑は黒の上下に着替えて、秋と共に演習場へと向かった。
「さて、ルールはどうしますぅ?」
「どっちかが死ぬまで」
「朝からハードですねぇ。私は貴重な戦力を失いたくはないですけどぉ」
ピンクのパジャマに刀という、ミスマッチ過ぎる出で立ちの秋に対し、紫苑は黒の半袖にハーフパンツの無手。
一見すれば圧倒的に秋に有利な対峙だが、紫苑は『1st』だ。
その特徴は、『喰らった魔物の性質をその身に宿す』というもの。
紫苑は最高位レベルの種族である『翼竜』の肉体を喰らったため、身体にその特徴が顕現している。
身体全体が黒みがかった龍鱗に覆われ、手には鋭い爪。背からは翼膜のある大きな翼が伸び、腰部の下あたりには長く黒い尾がある。更に頭には二本の角。
小さな龍人とでも呼ぶべきその姿からは、凄まじい重圧が放たれている。
対する秋は『2nd』と呼ばれる世代だ。
特徴は『魔物の魔力のみを抽出し、時間をかけて身体に取り込む』というもの。
『1st』と違い、見た目にはその変化は現れないが、身体能力に関してはほぼ遜色無いレベルにまで引き上げられ、魔物の特性もオリジナルには及ばないものの、引き出すことが出来る。
秋が身に宿しているのは『吸血鬼』の魔力。暗黒でしか活動出来ないという弱点はあるものの、高い不死性を持つ高位の魔物だ。
当然その力は秋も使うことが出来る。朝に弱くなるという弱点はカフェインの大量摂取で無理矢理相殺し、起きた後は魔法で光を歪めて自分に当たらないようにすることで、日中の活動を可能にしている。
もっとも、ここは室内であるため日光には当たらないのだが。
「流石に殺すのは忍びないですしぃ、どっちかが降参するまでにしましょうかぁ」
どちらも自分が負けるとは全く考えていない。だからこんなルールを提唱出来る。
しかし無駄に戦力を減らすのも馬鹿のすることだ。殺すのではなく、自発的に負けを認めるまでというルールに変更する。
顎に指を当てて小首を傾げ、目線で答えを聞く秋。紫苑は無言で構えを取り、それを同意と受け取った秋も、刀を抜いてゆらりと立つ。
互いにそれ以降は言葉を発さないまま、ピンと張り詰めた糸のような、危うい雰囲気が周囲を満たす。
緊張が最大にまで高まった瞬間、フッと小さく息を吐いて、紫苑が動いた。
ドラゴンの脚力の全てを地面に伝え、爆発的な推進力が生み出される。一秒にも満たない時間で彼我の距離を詰めて、震脚と共に右拳を撃ち出した。
バギャア! と床が砕けるような音を立てながら、空間が歪んだと錯覚するほどの威力を秘めたその拳を、秋は一歩左にずれて躱し、紅く輝く必殺の刃を、紫苑の首元目掛けて迷いなく振り下ろす。
その刀の腹を引き戻す肘打ちで弾き、捻転力を利用した左が秋の腹に吸い込まれる――直前で、いつの間にか液体化していた『血桜』が細かい飛沫をあげて、針のように固体化して紫苑を穿とうとする。
やむなく目標を変更し、紅い針を叩き折りながら魔力を解放。
紅蓮の炎が紫苑の両手に宿り、それを前へと突き出した。
直後、閃光。
消し炭すら残らぬ程の爆炎を放ち、秋を飲み込んだ。
普通の人間ならばまず反応すら出来ないまま瞬殺だったが、秋も魔物の力を得ている。この程度で死ぬような人間――いや、間人は『DOW』にはいない。
半液体化した血液をバリアとして使い、紫苑の炎をやり過ごした秋は血を一点に集中、そして突きを放った。
凄まじい密度の刺突が一直線に紫苑の心臓へと突き進み、それを強引に掴んで、勢いに押し負け床を摩って後退しながらも受け止める。
慣性を完全に殺し切ると、すかさずその手を放してバックステップ。
深紅の槍の先が弾けて散弾を作り出す。腕にまで纏わせた炎を合わせて、それを炸裂させて散弾を焼き払う。
一進一退の攻防。先を読み、読まれ、さらにその先を読み合う。
次第に動きは加速し、常人には見切れぬ程の速さになる。
そんな中でも二人は揺らがない。
正確に急所を狙い、必殺の一撃を互いに撃ち合い続ける。床だけでなく、天井までも足場とする三次元の高速戦闘で、先に均衡を崩したのは秋だった。
「『血刀・七花』」
言葉に呼応するように『血桜』が新たな血の刃を六本生み出し、合計七本に分裂する。
床を踏みしめ、一気に力を爆発させて、瞬時に間合いを詰める秋。
手に持つオリジナル以外の刃も、独自の意思を持つように動き、不規則でありながらも互いがぶつからぬように斬りつけながら紫苑を追い詰めていく。
恐るべきはその手数だ。速さも然ることながら、多方向からの同時攻撃はとてもではないが防ぎきることは出来ない。
超硬の鱗を以てしても斬撃を完全に防ぐことは叶わず、その身体は傷を増やしていく。
そして遂に紫苑が決定的な隙を晒した。ガードしていた手を打ち上げられ、正面ががら空きになる。
そんな隙を見逃す筈がない。
「『烈花――』」
バラバラに動いていた六本がオリジナルの周りに集まり、そして、手に持った一刀を振り抜く。
「『――紅桜』」
僅かに遅れて、残りの六本が追随するように、多方向から紫苑の身体を斬り裂き、威力の余波が衝撃となり地を斬り砕いた。
七つの斬撃一つ一つが必殺の威力を有し、時間差多方向同時攻撃を繰り出す、秋の奥義の一つだ。
少なくとも演習で、しかも味方に放つ技ではないが、こと紫苑に関してはそのルールは適用されない。
それは紫苑自身が望んだこと。
力を抑えた修練に意味など無い。向かい合ったら死力を尽くすのが当然であり礼儀だ。
どうせ魔物と対峙すれば余計な事は考えていられなくなる。ならば手加減を覚えさせないために行動するのが最良だというのが、間人紫苑の考えである。
ここの戦闘員はまず、非情でなければならない。魔物との戦闘において情は不要だ。
殺すか殺されるか。それが全てなのだから手加減など覚えては駄目なのだ。力をセーブすることを覚えると、無意識にそれをやってしまう可能性が出てくる。
それを防ぐために、紫苑はこの役を買って出たのだから。
故に、秋は手心は加えない。殺す気で、全力でその力を如何無く発揮する。
ただ。それでも。
紫苑は殺せない。
もうもうと粉塵が上がり、互いの視界を奪う。
ランクの高い魔物ですら屠る奥義を喰らわせて尚、秋の警戒は緩まない。
そして、果たしてそれは訪れた。
肌を焼く熱気を感じて全力で跳ぶ。
そして爆炎が空間を抉った。
一秒でも遅れれば、間違いなく秋は死んでいた。ほんの僅かの間に膨れ上がった殺気と熱が、秋の生存本能を刺激して生き残らせた。
しかし、もう終わりだ。
「――っ! かっ……は……っ……!」
バキンと何かが折れる音。そして秋の細い首に黒い腕が伸び、そして締めあげる。その正体は当然、翼を使って空を翔んだ紫苑である。
浮遊する六本の紅い刀の全てを叩き折り、反撃の余地を完全に断ったのだ。
咄嗟だったから仕方が無かったとは言える。だが、秋の取った行動は紛れもなく悪手だった。
空を飛べる者を相手に、地に足をつけなければ動く事すら出来ない人間が空中に逃げるとどうなるか。
言うまでもない。そこを射抜かれてその命を散らすことになるだろう。
「――ドラゴン相手に空中に逃げるなよ。それにあの程度の攻撃でオレをやったつもりだったのか?」
「……ふふ……っ……、一応……警戒はしてたんですけどねぇ……ぐっ……」
あれぐらいで殺した等とは微塵も思っていなかった。ただ、一瞬追撃すべきか一度距離を置くかで迷ってしまった。その僅かな思考の隙間にあんな攻撃が飛んできたものだから、思考する間もなく反射的に逃げてしまったのだ。
「ふん。こんなミスをするぐらいなら、どっかで無惨に死ぬよりもいっそここでオレが殺してやろうか?」
「……! ぐ……あ……っ……!」
紫苑の手に力が籠る。もう少しで少女の首が折れてしまうほどに。
それは絶対的な死。巨大過ぎる存在に歯向かってしまった罰。
命を文字通り握られ、恐怖に怯えて最期を待つしかない筈の少女は、しかし笑っていた。
「ふふ……それも……っ、いいですね……。豚とかにやられるぐらいなら……紫苑さんに殺してもらう方が……幸せです……」
殺すと言えば誰でも殺す紫苑の、ありもしない情に期待してとか、状況に絶望して投げやりになったとかではない。秋は本心からそう言っている。
秋に恐れは無い。悲しみも、怒りも、そして希望すらも抱いていない。ただ在るがままにその全てを受け入れ、その決定に従おうとしている。
「……チッ……」
小さく舌打ちをし、乱暴に秋を投げ捨てる。
塞がれていた空気の通り道を解放され、首を抑えて激しく咳き込みながらも肺に空気を送り込む秋。
暫くそうして息を整え、上気した顔に涙を浮かべて紫苑を見上げる。
「ハァ……ハァ……今のは流石に死んだと思いましたよぉ……」
死にかけたと言う割に、笑顔を崩さない。秋の異常性を知っている紫苑は、それでも苛立ちを覚えた。
何故笑っていられるのかと。
そんな胸中などつゆ知らず、息を整えた秋が立ち上がった。
「で、まだやるのか。お前から降参する気配が全く感じられないが」
「いえいえ、降参しますってぇ。今度はホントに殺されちゃいそうですしぃ」
折られて転がっている血の刃を液体に戻し、血桜へと吸い込ませる。元の刀に戻った血桜を鞘に納めて言う秋。
降参していないのをいいことに不意打ちがあるかもと危惧していた紫苑は、溜息をつきながら警戒を解いた。
「やっぱり勝てないですねぇ。『1st』の戦闘力恐るべしです」
「人間に負けてたまるか。ほら、さっさと行くぞ。これ見られたら何言われるかわかったもんじゃねえ」
「それもそうですね。退散しましょ〜」
壁に斬りつけた跡や、砕けてしまった床。修復出来るのかというほどの破壊痕を残して二人は去っていく。
人を超えた力同士がぶつかると、必ずこれと同等かそれ以上の破壊を巻き起こす。
演習室はそれに耐え得るレベルの硬度なのだが、二人はそれ以上の力を持っている。それでいて、まだ本当の本気は出していないのだから恐ろしいものだ。
数時間後、ここを見た研究員が嘆いたのはまた別の話。