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どちらでもないもの  作者: 林公一
プロローグ
2/11

始まりの始まり

 鈍色の空を切り裂くように飛ぶ。空気抵抗やらの物理法則を全く受け付けず、己が思った通りに自由自在に飛んでいるその姿は、まさに『ドラゴン』。

 あの化物の肉を喰らってた時、少年の肉体は変質し、本来人間には存在し得なかったはずの力が目覚めた。いや、取り込んだというべきか。


 魔力。それが力の正体。


 腕を振れば風の刃を生み出し、脚を踏み出せば地が揺れる。口には鋭利な歯が並び、噛み切れないものなどありはしない。

 しかし、その圧倒的な力に反して、少年の肉体そのものは小さなままだった。

 普通に考えれば、これだけの力を行使すればその反動がきてもおかしくはない。ましてこの少年はまだ十四なのだ。身体が出来上がっていないにも関わらず、何故これだけの力を操れるのか。

 その答えが魔力だ。

 読んで時の如く魔の力。それはこの世界には存在していなかった、今までにはない法則。

 それはあらゆる物理法則を凌駕し、改変し、事象として引き起こす。

 故に、例え身体が小さくとも、魔力さえあれば理不尽なまでの力を行使出来るのだ。

 オークの振り下ろした電柱の一撃にしてもそう。確かに筋力も恐ろしく高いが、それ以上にあの力には魔力が大きく関わっている。

 生まれながらに魔力を宿す異界の住人は、無意識にその魔力を行使している。

 それは魔法という、見た目に派手なものだけに利用されるものではない。

 それは例えば筋力の強化。そして魔法に対する抵抗力。

 魔法が使えないと揶揄されるオークら下位種族であったとしても、魔力を宿していることに変わりはない。ただ目に見える形ではないだけで、オークはしっかり魔力を使っているのだ。


 そしてドラゴンの肉を喰らった少年もまた、肉体が変質したことにより魔力を行使出来る。

 オークの一撃を耐えたのも、自動的に魔力が肉体を守ったから。

 そして今飛んでいるのも。その小さな翼に対してありえない空中機動が出来るのもそのためだ。


 空を抉るように飛びながら、地形という言葉を消し去った町を見下ろす。

 仮にこの少年が人間のままであったなら。あまりにも高過ぎる高度に恐怖しただろう。ありえない事象に困惑しただろう。

 しかし少年はもう人間ではない。考え方のそれが異界の者達(モンスター)に近くなってきている。

 空を飛べるのは当然。魔力を使えるのも当たり前。そして――それに比べて人間は弱過ぎる。

 そういう考えが少年の中で、自明の理として浮かび上がっているのだ。

 肉体が化物のそれになったことで、考え方もまた化物と同じになってしまっている。

 同化しているのだ。あのドラゴンと。

 上位種である自身と誇り。下位種族に対する偏見と驕り。

 人間が弱いという考えも、悲観から来るものではなく、単に見下しているだけだ。

 それでも尚、肉親への情だけは消えなかった。

 如何に化物といえど、家族への愛は確かに存在する。でなければその種族は間違いなく絶滅しているのだから。

 故に妹への愛情は変わらない。兄として妹を守るという絶対不変の――星空せらおんとしての『生き方』だけは変わらない。


 それを意識することもなく、紫苑は目的を達成するために動く。妹――星空せらりんを助けるために。

 上空から見覚えのある建物が見えた。かつては二十四時間営業の、便利な場所として機能していたそこも今では見る影もなく、瓦礫が組み合わさった廃墟となってしまっている。

 そこにたむろする緑色の化物達。人間の食料でも構わず貪る彼らの首を瞬時に捩じ切り絶命させる。

 食い散らかされた弁当を見て舌打ちし、残りの食料を探しに廃墟へ入る。

 棚は倒壊し、瓦礫がそこら中に落ちていた。金があちこちに散見しているが、こんな世界では何の役にも立たない。せいぜい鼻をかんだり、用をたす紙の代わりに使える程度だ。

 人の死骸も疎らにあるが、それに対して特に感情も抱かず、踏み越えることはしないまでも目もくれずに、歪んだかごを持って移動する。

 適当に品を手に取って、食べられそうなものを片っ端からかごに放り込み店を出る。

 外に出ると血の匂いが立ち込めていた。どこかで縄張り争いでもやっているのかと適当に想像し、やはり興味も持たずにその場から飛び去る。

 妹と共に隠れていた場所へと全速力で飛びながら紫苑は考える。


 ――果たしてこの姿で会っても大丈夫だろうか。


 食料を渡すだけなら、隠れ家の前にでも置いておけば何とかなる。この状況で選り好みなどできるはずも無く、そこにあるものは利用しなければ生きられないのだから、例え不審に置かれたものであっても食べてくれるだろう。

 しかし問題はその後だ。

 いつまでもあんなところで隠れ続けられる訳が無い。安全な場所も無いだろうが、一箇所に留まり続ければいずれは見つかる。

 ヤツらは嗅覚も鋭い。それはこの姿になってから否応なく気づいた。ならばあの場所が見つかるのもそう遠くはないはずだ。

 翼で強く空気を打つと、ジェット機じみた速度で加速する。かごに入っている食料も魔力でコーティングしているため、速度に押し潰されて爆散することもない。紫苑は焦りと不安を抱えて、妹の元へと飛んだ。


 時間にしてわずか数分。たったそれだけの時間が途方もなく長く感じられた。

 ようやくの思いで隠れ家へと戻った紫苑は、最低なものを目にする。


 妹が――花梨がオークに襲われている。


 持っていたかごが手から滑り落ちる。

 紫苑も性にはそれなりに興味を持つ年頃だ。情操教育上あまり良くないものも、友達から聞いたり、それを調べたりして見たこともある。

 その中の一部。オークが象徴的な、現実的にはありえない、フィクションの世界で描かれていた行為が、今目の前で行われようとしている。


 必死で泣き叫ぶ花梨。下卑た笑い声を上げるオーク達。ついに行為に及ぼうとした、その時。


 紫苑の中で何かが弾けた。


 紫苑の身体が更なる変貌を遂げた。

 肌はより黒く。爪はより鋭く。角はより長く。翼はより大きく。尾はより強靭に。より禍々しい姿へと形を変える。

 残像すら残すほどの速度で移動し、妹を拘束している穢らわしい手を握り潰す。

 突然自分の手がひしゃげ、何が起こったのかを理解出来ないオークの、驚愕に染まる顔に拳を叩き込み生命活動を停止させる。


 ――殺す。


 残った二匹が、自分達の楽しみの邪魔をした来訪者に向けて殺意をあらわにする。

 しかし紫苑の殺意はそんなものではない。たった一人残った肉親を、目の前で壊されそうになったのだ。その怒りたるや、オーク達の命程度であがなえるものではない。


 ――殺す!


 耳障りな声を上げて迫り来るオークに向けて、烈火の如き怒りと共に手をかざす。

 手に炎が収束する。魔力を炎に変換し、跡形も無く消し飛ばす紅蓮の炎がオークに向けて放たれる。

 肉の焦げる嫌な臭い。悲鳴とも怒号とも取れる断末魔のようなものを上げながら、その肉体を散らしていく仲間を見て、残りの一匹が背を向けた。


 ――逃がす訳ないだろ。


 なるほど、自分の危機を感じれば仲間を置いて逃げる。如何にも下衆がやりそうなことだ。だが――そんな下衆を生かしておく理由も、また生かす必要も無い。

 コンクリートにヒビが入るほどの負荷をかけ、爆発音と共に飛び出す紫苑。道路が砕け、爆散するほどの力を脚に込め、その力をオークの腹に叩きつけた。

 脚がめり込み、そしてオークの体が弾ける。


 血の雨が降り注ぎ、三匹目のオークをこの世から消し去って尚、怒りが収まらない紫苑は、オークの死体を一箇所に集め、息を大きく吸い込んだ。

 身体の中に熱いものが込み上げる。肺の中でチリチリと炎が弾ける感覚。


 そして紫苑は大きくあぎとを開いた。


 吐き出されるのは空気――ではなく、灼熱と形容してまだ足りない程の熱量を秘めた爆炎。

 それはオーク達どころか、その後方数メートルに渡って破壊を撒き散らし、そこを白地はくちへ変えた。

 本気の吐息ブレスを吐き出したことで、多少気分が落ち着いた紫苑が後ろを振り向く。

 服を破かれ、恐怖に震える花梨の姿を紫苑の双眸が捉えた。


 ――そう、だよな。


 あんな目に遭って恐怖に怯えないはずが無い。もしかしたら受け入れてくれるかも、という僅かな希望も、これだけの破壊を巻き起こした者に向けられるはずも無い。

 花梨に残ったのは、怪物への恐怖心と、もしかしたら怒りだけだろう。

 諦観し、前に向き直って飛び去ろうとする。

 すると、背中にほんの小さな衝撃。攻撃かと思ったが、それにしては威力が弱過ぎる。

 何事かと振り返ってみれば、そこには紫苑よりも一回り小さな身体が。――花梨だった。


「……ねえ、お兄ちゃんなんでしょ?」


 耳を疑った。何故、花梨は、オレのことがわかったのか。


 今の紫苑は、人間だった頃の紫苑とはあまりにも違う。風貌がかけ離れ過ぎているのだ。

 さらにこの破壊を巻き起こした張本人でもある。そんなものに対して、『自分の兄だ』などと言える大馬鹿者がどこにいるだろうか。


「なん……で……」


 口をついて言葉が出た。あまりの衝撃に現状の処理が追いつかない。

 思考せず紡いだ言葉は、疑問の言葉であったのかすら紫苑本人にはわからない。

 しかし、梨花は答えた。


「わかるよ……だって、お兄ちゃんだもん……!」


 理由になっていない理由。論理的思考も、間違っていた時のリスクも、あらゆる全ての何もかもを無視した、あまりにも愚か過ぎるその答えは、紫苑の心を強く揺さぶった。


「わかるよ……わからないわけないよ……。だって、お兄ちゃんはお兄ちゃんだもん……花梨の大切なお兄ちゃんだもん……!」


 視界がぼやける。水が目に溜まったような、そんな景色が、自分は泣いているのだと紫苑に自覚させた。

 ずっと泣かないようにしていた。泣く暇も、また泣くためのエネルギーすら勿体無いと断じて、ひたすら泣くのを我慢していたのだ。

 たが、ついにそんな痩せ我慢が決壊した。

 もう止まらない。止められない。

 兄妹は泣いた。涙が枯れ果てても尚泣き続けた。

 人間を辞めた人間と、人間過ぎる人間が。

 この荒廃した世界でも、愛はあるのだと。絆はあるのだと。


 兄は決めた。必ず妹を守り抜くと。


 妹は誓った。必ず兄を支え切ると。


 お互いにたった一人しか頼れる存在がいない中で、二人は自分に使命を課した。


 ――必ず世界を変えてみせると。


 紫苑は翼を大きく広げる。

 花梨はそれを愛おしそうに撫で、その背に寄り添う。

 呪縛から逃れるように、紫苑は一つ羽撃いて重力を断ち切る。

 この空の向こうに、希望があると信じて。

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