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どちらでもないもの  作者: 林公一
プロローグ
1/11

一人目

 西暦二〇XX年。世界は大いに変貌した。

 平穏だった日々は別れを告げ、到来したのは魑魅魍魎が跋扈する陰惨な時代。

 突如現れた悪鬼たち。それはありとあらゆるものを奪い、破壊し、喰らい尽くした。

 人類に抵抗する術はなかった。

 打撃は通じず、銃弾は弾かれ、核兵器ですら耐えてみせた。

 前触れもなく現れたそれらに、人類はただ蹂躙されるのみ。






 ――そのはずだった。






 たった一度。

 たった一体、同士討ち――はたまた不運な事故(・・・・・)に遭ったのか――何にせよ、怪物の死体が転がっているのを見つけた者がいた。

 それが幸か不幸かは未だに答えが出ない。しかし、その時にその者が行動していなければ、確実に今の人類は無かっただろう。

 化物(モンスター)共が現れてからというもの、安定した食を摂ることなど不可能に近く、人類はこれまで以上に厳しい食料問題と対峙することとなった。

 わずかに確保できた食料を切り詰め、なんとかギリギリ死んではいない状態であった。

 だが、そんな状態を『生きている』とは言えないだろう。ただ死んでいないだけ。そんな状態がいつまでも続くわけがない。






 世界が変わってから数週間。

 遂に食料が底をつき、覚束無い足取りでフラフラと彷徨う一人の少年がいた。

 家族とは当然のように死に別れ、たった一人生き残った肉親の妹も既に虫の息。

 化物共の目を盗み、コンビニ等からどうにか持ち出してきた食料も、優先的に妹へと分け与えていたため、少年の体力もほぼ無に等しい。

 今から食料を補充するにも、怪物が前以上に蔓延っている今、それはもう難しい。何よりとうに限界など越えているのだ。もはや歩くどころか立っていることすら奇跡に等しい。

 目が霞む。破壊されて舗装されるはずもない道路は、少年の体力を必要以上に奪っていく。

 むせ返るような血の匂い。吐き気がする。しかしここで胃の中を空にすることなど自殺行為だ。

 こみ上げてきたものを無理やり飲み下し、どうにか持ちこたえる。

 だがそれももう限界。遂に少年は地に伏せた。

 涙はとっくに枯れ果てている。それ以前に貴重な水を無意味に流すことなど言語道断だった。故に泣かない。泣けなかった。

 死の気配がすぐ側まで来ている。数分もすれば少年の命はここで朽ちる。あとは化物共の肥やしになるだけだ。


 ――嫌だ。


 少年は強く思った。


 ――嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ!


 こんなところでは死ねない。なぜオレが死ななければならない? 死ぬべきなのはアイツらの方じゃないのか?


 死の淵にあって尚、少年は激情を胸中に吹き荒れさせる。例えそれが負の感情であったとしても、少年を生き長らえさせる材料としては十分であった。


 そして少年は分岐点に立つ。


 霞む視界で何かを捉える。

 死体だ。しかし人間のではない。

 観察してみると、ボロボロではあるが翼のようなものがある。

 体色は赤黒い。しかしそれがその怪物から出た血によってなのか、それとも元々の体色なのかは判断がつかなかった。

 肉体はその半分ほどが抉れており、ピクリとも動かないところを見ると、間違いなく死んでいるのだろう。

 死臭はしない。ごく最近殺された、あるいは死んだのだと少年は推測する。


 少年は分岐点に立つ。


 少年の腹が空腹を訴える。もう一週間も何も食べていない。

 このままだと間違いなく死ぬ。だが――食べれば生きられる。

 何を食べる? 決まっている。そこで死んでいる(・・・・・・・・)化物の死骸(・・・・・)だ。


 ここで何もせずに死ぬか、化物の肉を喰らって生きるか。二つに一つ。どちらを選んでもには戻れない。

 ならば――。


 少年は選択する。


 少年は立ち上がる。


 少年は歩み寄る。


 そして――少年は喰らう。


 ここが分岐点。少年の、ではない。

 人類が進む道を決めたのがこの少年の選択だ。


 抉れて剥き出しになっている分厚い肉を、どこに残っていたのかというほどの力で無理やり噛み千切り、咀嚼し、呑み込む。

 ブチブチと繊維が千切れる音がする。耳に残る不快な音と口の中を満たす鉄の味。そして死体を喰らっているという最低の気分。

 何度も耐えきれずに吐き出した。胃が収縮しきっているため、食料を受け付けない。それでもその度に何度も口に含み続け、やっとの思いで空腹を満たす。


 身体にべっとりと血をつけた少年は空を仰ぎ見る。


 ――オレは生きる。人として死んでも、化物として生きてやる。


 少年は決意した。なんとしてでも生き延びると。例え化物の肉を喰らってでも生き延びてやると。

 しかし生き延びるにしても、まずはヤツらに見つからないための隠れ家のようなものがいる。食料だって必要だ。ではそのためには――


 ドクン。


 少年の内で何かが脈動する。


 ドクン。


 身体が熱い。息が苦しい。

 少年は胸を抑える。心臓が早鐘のように鳴り響く。身体が不調を訴える。次いで――全身に激痛が走った。


「――っがあぁぁああぁぁ!?」


 細胞の一つ一つに傷をつけられているかのような激痛に耐えかね、獣じみた咆哮を上げる。


 ――やはり食べられるものじゃなかったのか!?


 そんな思考が頭を巡る。しかしどちらにせよあの場ではああしなければ死んでいたのだ。死ぬのが先送りにされただけ。だが折角あそこまでしたのに、これはあんまりではないか。

 地面をのたうち回るが、そんなことでは痛みは誤魔化されない。さらに強くなる痛みが、少年にもう一度叫びを上げさせた。

 咆哮が空に轟く。そして、こんな場所でそんな大声を上げるとはどういうことなのか。


 声に引き寄せられた化物が三匹。緑色の、ぶくぶくと太った体。醜悪な豚のような顔。ゲーム等でよく目にする『オーク』であった。

 醜悪な顔に浮かべているのは嗜虐的な笑み。弱者をいたぶる時の、残虐な笑みだ。

 少年の全身から汗が噴き出る。全身から体液という体液が滲み出す。


 逃げ出すことは叶わない。痛み以前に体力がもう無い。さっきよりも確実な死の気配。精神論でどうにかなる状況ではなく、確実な詰み。

 いっそ痛みで意識を失えればまだ良かったのかも知れない。しかし今尚増す痛みはそれすらも許さない。

 恐怖心が全身を支配する。オークが折れた電柱を肩に担ぎ、それを頭上に振り上げる。


 ――ああ、オレはここで死ぬのか……?


 痛みの中で思考する。いや、それは思考と呼べるものではなかった。

 一種の走馬灯というやつだろう。今まで生きてきた人生が頭の中を駆け巡る。

 楽しいこともあった。悲しいこともあった。嬉しいこともあった。辛いこともあった。

 それがこれからもずっと続くものなのだと思っていた。こんな世界になっても、きっと誰かが変えてくれるのだと。

 そんな楽観的な希望的観測を、今、目の前のオークが握り潰す。


 ――嫌だ。


 思考が止まる。代わりに湧き出てきたものは黒い感情。頭を埋め尽くすのは怒りと――殺意。


 オークが電柱を縦に一閃した。

 道路と激突した瞬間に双方が砕け、土色の煙が上がる。道路が放射状にヒビ割れ、如何にオークの腕力が凄まじいのかを物語る。

 意味などない。ただ、目の前にいたから殺した。オークからすれば人間などそういう存在なのだ。

 人間などオークに比べればどれほど弱い存在か。

 貧弱な肉体。道具に頼らねばろくに反撃もできない。その道具すらもオークの肉体には通じなかった。


 これが人間とオークの差。絶対的な戦力の壁。それを覆すことなどできない。

 さらに言うなら、オークは化物全体で見れば下位の種族だ。それにすら太刀打ちできない人間は遅かれ早かれ淘汰されていただろう。

 オークが嘲笑する。貧弱で目障りな生物を、文字通り叩き潰したという実感がオークに笑みを作らせた。


 さて。ここまでの話はあくまでも人間とオークでの話だ。


 先ほど少年は化物の肉を喰らった。直後、身体に何らかの異変。

 少年は知らない。さっきの激痛が肉体を改変する(・・・・・・・)時の代償だったのだと。

 オークは知らない。少年が喰らっていたのは、化物の中でも最上位種に位置する存在――『ドラゴン』であったのだと。


 土煙の中から、ゆらりと影が浮かび上がる。人のような小さな身体。大きさから見て、先ほどの少年と一致する。


 オークが笑みを止め、訝しげな表情を見せた。


 影が動く。それはただ右手を持ち上げ、左に薙ぐといった、一見何の意味も成さない無意味な行動に見えた。

 強いて挙げるなら、その時に土煙が吹き飛んだことだろうか。

 まるで何かに切り裂かれたように霧散した煙の中から現れたのは、小さな身体。

 真っ黒い肉体。肩から生えたコウモリのような飛膜のある翼。頭には二本の角が伸び、口元からは鋭い牙が覗いており、腰の下辺りからは長く黒い尾が伸びている。


 オークがそれ(・・)を観察しようとした時、視界が動いた。

 自らの意思ではない。勝手に視界がズレたのだ。

 いくら知能が低いオークといえど不審に思い、その足を一歩踏み出そうとした、その時。

 体が後ろに倒れた。

 ――いや、その言い方は適切ではないだろう。正確には、上半身だけが(・・・・・・)後ろへと転がり落ちたのだ。

 上半身を失くしたオークから血飛沫が上がる。それは残りの二匹も同様であり、三匹のオークは断末魔を上げることなく、自らが作った血の海に沈んだ。

 右手を左に薙いだあの行動は、鋭い真空の刃でオーク達を襲い、その体を両断するためのものだった。


 疲れは消えていた。身体に力が漲っている。

 力の使い方が頭の中に流れ込み、先ほどの行動を可能にした。


 もう彼は人間ではない。そして――化物でもない。

 半人半妖。新たに種族名をつけるとすれば――『間人(まじん)』。

 人でも化物でもない『間』の存在。そして魔人の如き戦闘力。


 少年は手を握り感触を確かめる。

 己の姿が今どうなっているかはわからない。しかし、人間の形をしていないのは、先ほどの行動や自分の手を見ればわかる。


 もう、戻れない。いや、戻るつもりもない。


 少年は決意した。この世からヤツらを一匹残らず排除すると。細胞の一片残らず消し去ってやると。そして――。


 その後を形にするのは止めた。今やるべき事はそれではない。妹へ食料を持っていくことが先決だ。

 この力があれば食料を調達することは容易いだろう。

 問題は、この姿のままでは妹に会いに行けないことだが――渡すだけならどうとでもなる。


 翼を羽ばたかせ、空へと飛翔する。


 ――近くのコンビニにでも寄って食料を調達。化物共がいればそれを排除。


 至ってシンプルな、作戦とも言えない考えを浮かべながら、少年は空を叩いた。


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