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心の温もり

作者: トゥケ島

 寒空の下、学生服に身を包んだ俺は、通う学校へと歩みを進めていた。

 コンビニもスーパーもこの辺りにはなく、数十メートル毎に設置されている街灯の光が、唯一の人工的な明るさ。

 腕時計にちらと視線を落とし、発光機能を利用して時刻を確認すると19時を少し回ったところだった。

 こんな時間にわざわざ学校に向かう理由は、正直なところ何もない。ただなんとなくそうしてみようと思ったから、ただそれだけ。

 一応目的地の学校に到着すると、職員室以外の電気は全て消えているようだった。

 冬のこの時間では部活動に励む生徒たちも残ってはいないようだ。

 理由もなく、俺は自分の教室へと向かう。革靴を脱ぐことも忘れ、四階にある真っ暗な教室に着くと、窓際の席に人影があった。

 その人物は窓の外を見つめ、時折鼻をすすっている。

 座っている席と、雰囲気でその人物が誰かを察する。

「成瀬か?」

 俺の問い掛けにその人物、成瀬愛は驚いた様子で勢いよく振り向き、見開かれた目は潤んでいた。

 泣いているのだとわかる。

「あ、山中くん……」

 教師が来てしまったと思ったのだろう。俺だとわかった成瀬の緊張が幾分解かれたように見えた。

「なぜこんな時間に一人泣いているんだ?」

 俺の問いに成瀬はハッとしたように目元を拭った。

「なんでもないの」

「そうは見えないが」

「本当になんでもないの。些細な事だから」

「その些細なことを聞いている」

 普段殆ど会話もしない俺にしつこく問われ、成瀬は少し驚いているようだった。

 俺はふと、ある光景を思い出した。確かあれは、運動会の時リレーでバトンを落としてしまった女子生徒に、ハンカチを手渡して励ましている男子生徒。

 俺は学生服の内ポケットから折り畳まれた藤色のハンカチを取り出し、成瀬に差し出した。

「使って欲しい」

 これはその時男子生徒が言っていた言葉を引用しただけ。

「え?あ、ありがと……」

 おずおずと差し出されたハンカチを受け取る成瀬。受け取った後も数瞬迷っているようだったが、もう一度ありがとうと言って目元を軽く拭った。

 二度もお礼を言う必要はないように思ったが。

「いい香り」

 すうっとハンカチの匂いを嗅ぐ成瀬。

「ラベンダーかな?とってもいい匂い」

「そうか」

 俺と成瀬はいつの間にか椅子を並べて話をしていた。

 ぽつり、ぽつりと何があったのか言葉を紡ぐ成瀬。

 俺はそれを黙って聞いていた。

「…………そういうわけで、ごめんね。

 本当に些細なことなんだ」

 どうやら、同じクラスの片山雄吾が、成瀬と仲の良い椎名明日香と一緒に下校しているということを知ったらしい。その時にあの二人はお似合いだということを皆が口を揃えて言っているのを、笑いながらも辛い気持ちで聞いていた。誰にも打ち明けられないその気持ちが溢れてしまい、こうして一人泣いていたのだと。そういうことらしかった。

「成瀬は片山のことが好きなのか?」

 成瀬は頷いた。はっきりと。

「ならば告白すればいいんじゃないのか?」

「そんな簡単にできないよ。振られちゃったら今の関係も崩れちゃうし、何より明日香とも……」

 最後の方は声が小さくなり、告白することは不可能だと首を振る成瀬。

 もう俺が言えることなど何もない。帰ろうかと思ったが、一つ疑問に思っていることを聞くいい機会だと思った。

「好きになるとはいったいどういうことなんだ?」

 俺の疑問に成瀬はきょとんとして、少し腫れた目を見開いた。

「山中くん……好きな人できたことないの?」

「ああ、そもそも好きという感覚がわからない。成瀬は知っているようだから聞いてみたんだが」

 最初こそ驚いていた成瀬だが、俺が本当にわからないということを理解したのか、小さく頷く。

 桃色の唇の口角がきゅっとあがり、穏やかな微笑みを浮かべる成瀬。

「胸が、暖かくなるの」

 ハンカチを握ったままの手を胸の前で合わせる。

「その人のことを考えると自然に笑顔になれて、その人を見つめるだけで幸せな気持ちになれて、だけどたまに苦しくなる、そんな感じかな?ごめんなさい、上手く説明できないや」

 首を傾げて困った表情の成瀬。

 俺にはいまいち理解のできないことだった。どうやら好きになると苦しくもなるらしい。それでも好きでいたいものなのだろうか?

「山中くんも素敵な人見つけて、素敵な恋愛してね」

 微笑む成瀬。彼女のその笑顔は普段の学校生活の中で見せる、いつもの笑顔となんら変わりはなかったが、一つだけ違うことがあった。

 その笑顔は、俺一人のために向けられたものだった。

 その時、左胸の奥が微かに熱を帯びたような感覚が走った。

 すっかり長く話し込んでしまった俺たちが校舎を後にしたのは、21時も近くなった頃。

「ハンカチ本当にありがとう。汚れちゃったから洗ってから返すね」

「別に構わない。それより送っていこう」

「え?でも、山中くんの家逆方向じゃ……」

「構わない」

「……じゃあ、お願いします」

 躊躇いつつ、頭を下げる成瀬。

 帰り道は特に何かを話すでもなく淡々としたものとなった。

「あの、山中くん。本当にありがとね。この辺りは暗いし、本当は一人じゃ心細かったから」

「ああ」

「あ、私の家ここなんだ」

 家に着くと成瀬は、お茶を出すから時間があったら少し上がっていってと言ったが、それは断った。その場を後にしようとした俺に成瀬の声が掛かる。

「山中くん、私なんかの話を聞いてくれて本当にありがとう。山中くんって優しい人なんだね。これからも仲良くしてね」

「ああ」

 俺の返事を聞き微笑む成瀬。

「じゃあまた明日。学校でね」

 手を振る成瀬を一瞥に留め、その場から去る。その成瀬の笑顔を見たとき、先ほどの感覚がまた訪れた。

 だが、俺にはそれがなんなのかはわからない。

 身を切るような冷たい風が体を包み、それと同時に胸の熱さも消えていった。

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― 新着の感想 ―
[一言] 恋することをまだ知らない男子生徒の心情が、わかりやすく描かれていたと思います。 素敵ですね。 好きな男の子と女友達との間で揺れる女性を慰める主人公は、行動がスマートでかっこいいと思いました。…
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