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008.使い走りは災難で

 カレンは本日もお忍びで街に出ていた。


 こないだマリグを見たから本当は出たくなかったんだけど……


 銀髪の近衛騎士、マリグ。

 王宮警備が管轄の近衛騎士の彼を街の中で見かけただけで、カレンにとっては屋敷に引きこもる理由は十分だった。


 なのに。


「屋敷の調理器具が壊れたからって、なんで私が持って行かなきゃならないのよ」


 執事の依頼によりクォルツハイム家の調理場のフライパンを修理に出すため、ベンノ鋳物店へ向かっていた。


 カレンの荷物は裸のフライパンがひとつ。


 街を歩く少女の手にフライパン。


 武器か!


「だってぇ、鋳物屋さんに顔が利くのはお嬢様だけですしぃ」

「鍋修理に顔を利かせる必要なんてないわよ。あなたが行けばいいじゃない」

「ひとりは寂しいですぅ」

「二十歳でそれ言ってると引かれるわよ」


 相変わらずの侍女、ハンナには本気で怒ってもこちらが疲れるだけだ。


 カレンは気にしないよう努めながら、被っている帽子のつばの角度を変えた。


 マリグに会ってもばれないよう、今日はつばの大きい帽子をかぶっていた。リボンを顎で留め、風で飛ばないよう対策も万全。

 庶民派ワンピースには少し合わない気もするけど、顔を出すよりはまし。


「まあどうせレイラに頼まれたお菓子も買いにいきたかったし、今回はいいんだけど」


 先日の訪問の際、レイラが内城で人気の菓子屋の限定マカロンについて熱く語っていた。


 一カ月のうち、数日だけ売り出される限定品。

 日によって種類が異なり、レイラ希望のものは今日だけしか売っていない。彼女の喜ぶ顔が見たくて、カレンは内緒でマカロン購入を目論んでいた。

 フライパン修理も、執事のラルフからは早めに、と言われていたし丁度いい。


「マカロン、好きですぅ」

「レイラの分しか買わないわよ。限定品を際限なく食べようとするのはやめて頂戴」

「私ってば信用ないですかぁ?」

「食欲に関して言えば、全くない!」


 とりあえず、先にベンノ鋳物店に行ってフライパンを預けてから買いに行くことにする。


 ベンノ修理店まであの辻を曲がってもう少し、という場所で、二人は道行く人が何かに注目しているのに気付いた。


 視線の先を辿ると、そこにちょっとした人だかりができている。

 好奇心に駆られて中を覗きこんで見た。


「服が汚れちまったじゃないか!」

「どうしてくれる、クソガキ!」

「……ご、ごめんなさい……」


 人垣の隙間から見えるたのは、地面に縮こまる幼い少年の背と、それを取り囲む三人の男性達。


 背から推測するに少年は十歳にも届かないだろう。カレンの角度から見える靴はボロボロで、明らかに粗末な身なり。また転がされたのか、腕には擦り傷もあった。


 そして少年の足元には、少年が持つには少し多い果物が転がっていた。

 お使いか、下働きの仕事中で荷物の重さによろけて男たちにぶつかったのかもしれない。


 男性たちはガタイがよく、腰には剣を指している。ガラが悪い割に身なりは酷く悪い訳ではないので、おそらく下級貴族に雇われた護衛だろう。

 社交シーズン中、地方から来る下級貴族は田舎のゴロツキを護衛として安く雇う。こういう輩がたびたび問題を起こすこともあって、王都警備騎士が忙しくなるのだ。


「あーお前、俺たちがどこの護衛だか分かってんのか?」

「子爵様の護衛は身なりも大事なんだよ。それを汚しちゃまいやがって」

「汚い恰好で目障りなんだよ!」


 言うに事欠いて、身勝手でかつザコ感満載なセリフである。

 男どもが口にした名はカレンには聞いたこともない貴族の名だった。


 だが少年はごめんなさい、と繰り返すばかり。顔は見えないがきっと泣いているだろう。


 周囲には何人もの大人がいたが、少年を助けようとする者はいない。それどころか、騒ぎの原因を見て興味を失ったように離れていく者もいた。


「こういうところ、嫌いだわ……」

「よくあることですからねぇ」


 カレンの苦々しい呟きに、何てことないようにハンナが答える。


 そう、よくあること。


 豊かに見えるこの国にも大きな身分の差はある。

 カレンが前世で生きた日本になかったものがこの世界には存在していた。

 戦争。貧困。

 そして。


 苛立ったゴロツキ護衛の一人が剣を抜いた。

 少年が、ひっ、と怯えた声を上げる。


 周囲の野次馬たちも、剣が抜かれたのを見て慌てて男たちから距離を取るように円を大きくした。


 男どもはそんな少年と周囲の反応で気分をよくしたのか、ひひひ、と下品に笑って少年に近づく。


 剣が振り上げられた。


 人々はざわりとしたが誰も止めない。こんなのよくあることで、関わると自分が巻き込まれてしまう。


 別段不思議なことでもない。

 日常的に血が流れる。ここはそんな世界だった。


 それでも、


「それでも、嫌いだわ……!」


 周囲に分からないほど小さく叫んで、カレンは自分の左の袖のボタンを引きちぎった。

 そして男に向かい、素早く親指で弾く。


 鋭く飛んだボタンは剣を振り上げる男の左目に命中し、男は予想もしなかった強い痛みに目を押さえてよろけた。

 仲間たちはよろけた男を見て動揺した。


 自分から注意が逸れたと分かると、少年はその隙をついて立ち上がり、男たちと反対――カレンのいる方向に逃げ出した。

 小さな体は器用に人混みを抜け、そしてカレンの横を通り過ぎて行く。

 すれ違い際、目が合ったような気がした。


「待て!」


 少年が逃げたことに気づき、すぐに男たちが走り出した。

 先頭は先ほど剣を抜いた男。

 片目を押さえながら、抜身の剣を手に駆ける。


「どけ!」


 自然にできていく細い人の道を通り、男どもがすごい形相でこちら走ってくる。


 カレンも周りに合わせ、半身分避けて道を開けた。

 そして先頭の男が横を通り過ぎる瞬間、軽くその足を払った。


 男の身体が勢いよく前方に傾く。そして持ったままの剣の上に頭が着地するように地面に倒れ込んだ。


「痛え!あたま、血、血があ!」


 男はパニックになって叫んだ。

 後を着いてきた男たちは慌てて怪我をした男の元に駆け寄る。そして仲間の様子を見て口々に、医者!とか屋敷に戻る!とか言いだし、先ほどとは別の騒ぎとなった。


 カレンは現場からそっと離れ、少年の駆けて行った方向を見た。

 もう姿は見えない。


 よかった。逃げられたみたい。


 ほっとするカレンの後ろで、侍女が口を尖らせて言った。


「危ないからあまり首を突っ込んじゃだめってぇ、ラルフ様がぁ」

「分かってるわよ。バレないようにやったでしょ」

「報告はしちゃいますよぉ」

「どーぞ。さ、行きましょうか」


 誰かを助けて後悔とかしたくないし。きっと自己満足だけど。


 ベンノの店まであと少し。

 フライパンを修理に出してー、マカロン買ってー、と野次馬を抜けながら頭の中でもう一度予定を立てていたら、どん、と固い何かにぶつかった。

 帽子のつばがべしゃりと潰れる。


「う、痛て」

「ああ、申し訳ない」


 壁かと思ったら人だった。固いのは胸の筋肉だったらしい。


「いいえ、すいません。こちらこそ前方不注意で……」


 自分の帽子が邪魔だったが、謝罪するのに目を合わせない訳にはいかず、つばを少し上にずらした。

 フードを被った男性を下から見上げる格好で謝罪する。


「!」


 カレンを見下ろしていたのは、銀色の髪に紫水晶の瞳の美丈夫。

 近衛騎士のマリグだった。


 なんでここにー!?


 青の近衛騎士服ではなく、平服だったので全く気付かなかった。

 そして奥に、フードをかぶった男がもう一人。

 陰になっていて顔は見えなかったが、ちらりと見えた髪が金色に見えた。


「貴女は、」


 そ、総員退避ー!!


 マリグが言いかけたが、カレンはすべてを聞く前に回れ右をして走り出した。


 逃げる以外にいい方法など浮かぶはずもなかった。




 カレンとハンナは、マリグと出会った場所から相当離れた場所の裏路地で一息ついていた。


「ま、撒いたよね……」

「どおでしょうかぁ」


 のんびりとハンナが答える。


「ハンナ、帰ろう!」

「えー。フライパンはどおするんですかぁ?」

「今度!今度また別の日に!」

「駄目ですよぉ。料理長が困っちゃいますぅ」

「フライパン何て山ほどあるでしょう!あなた、私と料理長のどっちが大事なの!?」

「りょ」

「ゴメンやっぱり答えなくていい!」


 聞く相手間違えた!と顔を覆ってさめざめと泣いた。


「ウソ泣きはだめですよぉ」


 そんな主人の気も知らず、のんきに突っ込むこの口調が今はとても憎らしい。


 そもそも、ラルフが悪い。

 フライパンを持って行って欲しいと言われたとき、カレンだって初めは断った。

 そして、何ならラルフが行けばいいじゃないと言ってみたら「私では目立ってしまいますから。お嬢様なら街に溶け込んでいますし」とさらりと答えるし、じゃあ他の使用人にと提案すれば「皆忙しいんです」と言う。


 それって私が暇な平凡顔ってことよね!いいわよ行ってあげるわよ!とやけっぱちになったのが駄目だった。あ、じゃなくて。口が悪いラルフが悪いんだ!


「今日出てこなきゃ、会うこともなかったのに……」

「お仕事は大事ですぅ」

「くっ、こんなときだけ正論を……。そうだ!次に騎士とか王太子殿下に会ったらハンナを身代りに!」

「お断りしますぅ」

「なぜ。ラッキーでしょ?うまく行けば玉の輿よ?」

「そんな嫌そうな顔で必死に言われてもぉ、ラッキーとか思えないですよぉ」

「自分の正直な顔が憎い……!」

「顔が誤魔化せても嫌なものは嫌ですよぉ。そもそもぉ、私の理想の男性は料理長なんですぅ」


 きゃぴいっとハンナは両頰に手を添えた。

 理想とか言ってるけど、食べ物のことしか考えてないに違いない。


「そーゆー理由なのでぇ、王太子殿下とかに会ったら逃げさせていただきますぅ」

「単に巻き込まれるのが面倒なんでしょう!薄情者!」

「早く帰ってぇ、料理長のご飯食べたいぃ」

「ほらやっぱり面倒なんだ!」


 ウチの使用人どもはどいつもこいつも!


「やっぱ私って人に恵まれてない……」

「あれぇ?」


 不幸を嘆いていたら、ハンナが路地の奥を見て声を上げた。


「何?追いつかれた!?」

「違いますぅ。ほらあの人、こないだのぉ……」


 見てみると、カレン達がいる場所からさらに奥、詰まれた木箱の影から青い髪が見えた。


 あれは確か先日カフェで私をナンパしてきた……ええと、ヨハネスって人だっけ。


「女性と一緒に居ますねぇ」


 少し移動して見てみると、ヨハネスの向こうには女性の姿が。

 軽く密着してなかなか親しげである。


「彼女さんですかねぇ」

「かもね」


 自分に言い寄ってくる男性なんてこんなもんだ。


 カレンは肩を竦めて、路地から出ようとハンナに手で示した。

 青髪のヨハネス君。軽そうだったけどまあまあカッコよかった。何となく性格は読めていたのに、少し残念な自分がいる。


 モテたと思ってちょっと嬉しかったのかな、私……


 ため息をついて角を曲がったら、目の前に壁。

 曲がるタイミング間違えた?と思ったけどそのままぶつかってしまった。


「んぶ」


 固い。本日二回目。


「やあ。奇遇だね」


 壁がしゃべっ……た、なんて。


 若干聞き覚えのある低い声にそろりと顔を上げると、そこには輝くような金髪と、蒼の瞳。


 眩しいほどにこやかな、王太子殿下の顔があった。


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