007.悪役令嬢とその母と
最後にちらりとあの方々が。
夜会で暗殺者の襲撃に巻き込まれたレイラは、実家の公爵家で療養をしていた。
「かすり傷だったしもう痛みもないのよ。なのにお父様が心配して、実家で静養しなさいって無理矢理連れて来られたの」
困ったように言うレイラの二の腕はドレスの袖で隠されていたが、下には包帯が巻いてあるらしい。
「暗殺者で刀傷よ、レイラだって直後は顔が真っ青だったでしょ。公爵様が心配されるのも仕方ないわ。大人しく療養して頂戴」
「あれは血にびっくりしただけよ。んもう、とんだ災難だわ」
レイラは拗ねたように口を尖らせた。
あれから二週間ほど経ってようやくカレンも見舞いに来れた。夜会直後、公爵家は王宮を巻き込んでてんやわんやだったらしい。
王太子が襲撃された上、公爵家の娘が巻き込まれたのだ。当然と言えば当然だろう。
翌日の夜には、カレンも襲撃の場に居たことが兄のエルヴィンの耳に入っていた。
黙っていたことを怒られるかと思ったが「カレン可哀想に!怖くて言えなかったんだね!」と都合のいい解釈をしてくれたので三日程自室で大人しくしているだけで済んだ。兄の心配バロメーターが三日で治まるなら軽いもんである。
「それで、暗殺者を差し向けたのは誰か分かったの?」
「まだ分からないそうよ。捉えられた犯人も口を割らないらしくて。隣国ではないかって噂があるとお父様は言っていたけど」
「噂、ね。まだその程度なのね」
実行犯も捕まっているのに二週間経ってもこれでは捜査の進展は期待できない。
ん?ということは先日街で見かけた近衛騎士マリグはこの件の捜査だったの?
疑問はよぎったが、マリグの行動をレイラに聞いても仕方ない。
カレンはこれとは別に気になっていたことを質問した。
「二人の暗殺者の雇主は同じなのかしら」
「どういうこと?」
「んー。なんだか二人の動きが違ったのよね。何ていうか、流派が違う?みたいな」
カレンは前世で剣道の経験がある。流れで剣術にも興味を持ち、見る専門ではあるがいくつかの流派について学んでいる。前世の事だから記憶もあいまいではあるが、今回の二人は動きそのものが異なるように感じていた。
「あと、腕のレベルも違ったような……」
一人目はともかく、二人目の気配の断ち方は見事だった。腕も悪くはなかった分、一人目との差を感じる。
「うーん、ごめんなさい。お父様からは何も聞いていないわ。でももし同じ集団の暗殺者だとしても流派が同じだとは限らないんじゃないかしら。あとほら、同じ雇い主が別々の暗殺者に依頼している可能性もある訳だし、ね」
「まあ、そうね」
前者は無きにしも非ずだが、後者の可能性は低いだろう。連携がとりにくい。
とは言えレイラに対して否定もしにくかったのでカレンはあいまいに頷いた。
「それよりシェリル様はどうしてるのかしら」
今度はレイラが聞いてきた。ああ、とカレンが答える。
「何事もなく、また夜会三昧だって」
「元気ね……」
「襲撃もイベントのひとつとしか考えていないんだと思うわ。それより攻略キャラと近づくための人脈づくりをしたいのでしょうね」
「ああ、親友がいないから情報提供者が必要なのね」
「そういうこと」
「彼女はやはり王太子殿下のルートを攻略するつもりなのかしら」
「うーん、今の段階ではまだ分からないわね。イベントひとつでは好感度も危険水域まで上がる事はないし」
このゲーム「悪遊」の恐ろしいところは、攻略キャラでさえライバルになりえるところである。
複数の同時攻略を進めていると、ファンの中で好感度「危険水域」と呼ばれる状態に到達する。そうなるとキャラが急に異様な執着を見せ始め、ヒロインは攫われ(ロマンチックな意味ではない)傷つけられる。下手すると惨死エンドだ。
逆ハーレムルートを目指してプレイし、結果、泣きながらコントローラーを置いた女性が数多くいるとかいないとか。
「ええと、危険水域の条件が何かあった気がするんだけど何だっけ…」
話題が出たので思い出してみようかと思ったけど、だめだった。
いかんなー、年々前世の記憶が薄くなる。
レイラと話してなかったらとっくに忘れてるんじゃなかろうか。
思い出すのは諦めて、分かっていることだけで予想を立てることにした。
「逆ハーは危険度高いから多分ひとつに絞ると思うのよ。でも今は確定できないわね。一定のイベントをこなせばどうするつもりか分かるけど。ひとつだけ言えるのは、伯爵令息ルートは無いってこと」
「あらどうして?」
自信たっぷりに言うカレンに、レイラは不思議そうに尋ねた。
伯爵令息はヒロインの弟。
社交界で公にされていないが、ゲームでは実は伯爵夫人と外の男性の間にできた血のつながらない弟、という設定である。
これを伯爵が知ったことが実子であるヒロインを引き取るきっかけになったのだが。
「伯爵令息は領地に引きこもってるわ。どうやら自分の境遇を結構前から知っているようで、なるべく伯爵やシェリル様と関わらないように暮らしているみたい」
「それを懐柔してフラグが立つんじゃないの?」
「それがシェリル様も興味がないみたいよ。私が調べる限りはほとんど二人は会ってないわ」
夜会で伯爵令息を見なかったから、調べてみたらそういうことだった。
現在、弟は領地でも本宅から離れた別邸で暮らしているようで、社交界デビューの訓練に明け暮れていたシェリルとはほぼ接点を持っていなかった。
伯爵令息のイベントの場所はほとんど王都だ。弟にエスコートされて夜会に出て、そして王都の屋敷で……という流れなはず。
「シェリル様が興味を持っていないっていうのはどういうこと?」
「サーミュラー家の侍女が、シェリル様が"オタクは嫌い"って言っていたのを聞いているわ。侍女はオタクの意味を知らなかったようだけど」
「そ、それはなかなかね……」
ゲーム内の伯爵令息は、準成人ながら王宮に勤める天才肌の研究者だった。
それが現実では領地に引きこもり。何かしら研究しているらしい、という話くらいしか聞かない。これはオタクと言われても仕方ない。
「ということで伯爵令息ルートは消えたわ。とはいえ、悪役令嬢登場のルートはちゃんと残っているけど……」
思わずカレンの声は沈む。
悪役令嬢が登場するのは、王太子ルート、騎士ルート、公爵令息ルートの3つ。
減ってないじゃん!
落ち込んだカレンにレイラは慌てて慰めてきた。
「だ、大丈夫よカレン。ええと、うちのテオと結婚しとく?」
テオとは、テオドール・カルフォーネ。
カレンと同い年でレイラの実弟、つまり攻略キャラの公爵令息である。
「せっかくの申し出だけど心から遠慮しておくわ……。今は殿下以外のルートを作りたくない……」
「ごめんなさい。動揺して悪い冗談を口走ったわ……。そもそも夜会のことだって私が庭園に行こうとしたからよね……」
一緒に落ち込みだしたレイラにカレンは慌てて手を振った。
「レイラは気にしちゃだめよ!大丈夫、全力で悪役ポジション回避に務めるから!そして殿下との勝負にも私は勝つわ!」
この一年を乗り切れば……と考えて、あれ?とカレンは首を捻る。
ゲーム期間は一年。自分が期間の途中で悪役ポジションに立ったとして、同時攻略中のヒロインとどう絡むのだろう。イベント発生と悪役スケジュールが合わないんだけど。
これも何かの強制力が働いて無理矢理イベントに組み込まれてしまうんだろうか。
だとしたらさっさと解決しないと、どんどん予測ができなくなってくるんじゃ……と考えて少し焦る。
「ねえカレン。思うのだけど、本気で王太子妃になってしまうのもアリなんじゃなくて?」
友人の意外な言葉にカレンは思考を止めて目を瞠った。
「冗談!未来の王妃様なんて、そんな重荷耐えられないわ!」
前世では経営企画部門の課長だった。管理部門出身で営業もしたことないのに、とか女のくせに、とか言われながら数字を持ち、部下を抱え。やり甲斐はあったが苦しいことも多かった。胃に穴が空いたことだって何度もある。
それが国レベルなんてとんでもない!
怒られるかもしれないが、侯爵家に産まれて幸運だと思ったのはその気楽な立場。
商売に関わってしまったのは成り行きだけど、それも侯爵家という基盤があったからこそで。優秀な人材のお蔭で仕事は回っているし、自分の力なんて微々たるものだし。
いや、家のことは今はどうでもいい。王太子ではダメな理由がもっとしっかりある。
「それに、私、俺様ドSとか好みじゃないの!もっとこう、包容力とか優しさが欲しいわ」
「あら同感だわ。癒しって大切よね……その点私の主人は言うことないわ」
レイラがぽっと顔を赤らめる。
確かに彼女の旦那様は守ってくれそうな優しい人だった。
うん、御馳走さまー。
「そうねえ、どうせ政略結婚するならレイラの旦那様みたいに守ってくれる人がいいかな」
「だったら、ウチの息子がよくてよ!」
声と共に、ば――ん!と応接室の扉が開いた。
ん?最近もこんなことあったような。
「お、お母様……」
レイラがちょっと引いている。
現れたのは、社交界のトップ、カルフォーネ公爵夫人だった。
「お久しぶりね、カレンちゃん」
金の髪に茶の瞳。垂れ目に形の良い眉。顔立ちはレイラとそっくりだが、異なるのはそのオーラ。貴族院議長を務めるカルフォーネ公爵の夫人なだけあって人を従わせる雰囲気を持っている。
今の登場の仕方で台無し感は否めないが。
少し慌てたが、カレンはこの親友の母親に対し、すぐに冷静になってにこやかに挨拶をした。
「ご無沙汰しております、公爵夫人」
「ああ、そのままで良いわよ。私たちの間で堅苦しいのは無し」
「ありがとうございます」
「あと、夫人じゃなくて、お義母様って呼んでくださっても結構よ」
「そんな、恐れ多いことですわ」
「もうっ、相変わらずつれないわねえ。でもそこがいいわー。だからテオのお嫁に来ない?」
「テオドール様と私では釣り合いませんわ」
「そんなことないわよー」
「お母様!」
社交界トップとは思えないこのノリは、公爵夫人が家族の前だけで見せるもの。カレンは公爵夫人の気さくさがとても好きで、そして家族に見せる姿を自分にも見せてくれるのがとても嬉しかった。
だが時々振られるこの話題はいただけない。
娘にたしなめられて夫人は口を尖らせた。拗ねる顔はレイラに本当によく似ている。
「もうっ、テオも成人なのよ?しっかりした結婚相手を探さないといけないのよ?」
「分かってます。けれどカレンじゃなくてもいいでしょう?」
「レイラったら、カレンちゃんが義妹になるのが嬉しくないの?」
「そ、それは」
「カレンちゃんのお兄様は議長補佐だし、兄妹そろって我が公爵家を支えてくれることになったら素敵じゃない?それにカレンちゃんがいつも家にいたら、レイラも帰省のたびに会えるのよ!」
「そ、それは素敵ね……」
懐柔されてどうするレイラ!友情はどこいったの!?
「カ、カレン、やっぱりテオのこと前向きに考え……」
「公爵夫人、ボルツ領の新作の扇子を持って参りましたわ」
埒が明かないので会話をぶった切ることにしました。
怒りが伝わったのかレイラの顔が若干ひきつってるけど、見ないことにしましょう。
「カレンちゃんたら……まあいいわ」
夫人はまたちょっと口を尖らせたが、諦めたようで大人しくレイラの横に座った。
「こちらが新作ですわ。今年は羽毛をふんだんに使い、前シーズンより華やかにしています。あと錦糸の刺繍と宝石をあしらった、煌びやかな夜会用の扇子もご用意しました」
「あら素晴らしいわ。軽くて手触りもいいし、さすがクォルツハイムブランドね」
「ありがとうございます。ご入用な色がございましたらまたおっしゃってくださいませ」
「お仕事が上手ね、カレンちゃん」
夫人がOKだったようなので、にこりと笑っておいた。
が、夫人はまだ諦めていないようだった。
「やっぱりウチの嫁に……」
レイラ、パス!
視線鋭く、レイラに訴える。
「お、お母様、そう言えばモルドット男爵のご令嬢が駆け落ちなさったっていう話はご存知?」
「ええ勿論。驚いたわ。男性の影なんて無かったって聞いたから」
さすが女性だけあって醜聞への食いつきはすごい。
レイラ、ナイスキャッチである。
少し興奮したのか、公爵夫人は知っている情報を続けて口にした。
「モルドット男爵って最近奥様の浮気が原因で離婚されたばかりだったのよ。だからご令嬢のこの件では大変なお怒りだとか」
話題がそれたことで安心したカレンは、頭の中の貴族情報を引き出す。
モルドット男爵はここ十年で爵位を与えられた地方豪族。男爵は四十代で、娘はひとり。年齢は確かカレンと同じくらいだったはず。
可愛い娘が駆け落ちなどしたらそりゃ心配だろう。
カレンが駆け落ちなんかしたら……兄が領地ひとつくらい焼け野原にするかもしれない。
あり得るだけにちょっと怖くなった。
ちなみにマメ知識だけれど、この国は一夫一妻制だ。これは王族も例外ではない。また、宗教の関係で不貞でもなければ簡単に離婚もできないことになっている。
「お母様、その駆け落ちのお相手はご存じないの?」
「身分も外見も分からないそうよ。どうも隠れて愛を育んでいたみたいで……。置手紙ひとつで出ていかれたらしいわ」
「そうなの。男爵も心配でしょうね」
「そうね。確かにお話としてはロマンチックだけど、親としてはたまったのではないわ。物語の中だけにしてほしいわね」
そう、駆け落ちをロマンティックだとはしゃぐのは世間知らずなご令嬢だけである。
「そういえばレイラ、ラグリード伯爵のご令嬢も駆け落ちされたって知ってる?」
「いいえ、知らなかったわ。駆け落ちが流行っているの?」
確かに政略結婚を拒否する女性は少なくないが、駆け落ちなんて無謀もいいところだ。
温室育ちのお嬢様たちは、駆け落ちして無事にいるのだろうか。
「カレンちゃん!」
「は、はい?」
「貴女は駆け落ちなんてしちゃだめよ。したくなったらウチに嫁に来なさいね!」
「は、はい……」
結局この話題から逃れることはできなかった……
夫人の隣で、レイラがごめんねと手を合わせていた。
◇◇
豪奢な執務室で、金髪の青年が優雅に足を組んで椅子にもたれ、書類の束に目を通していた。
蒼い目が何度か紙の上を滑ったあと、書類はぱさりと執務机の上に置かれた。
青年は机に肘を乗せると、顎の下で長い指を組む。
じっと目を閉じる姿はひとつの美しい彫刻のようであった。
「……マリグ」
低くよく響く声が薄い唇から発せられた。
ルドルフ・フォン・カール=ハインツ。このルヘクト王国の王太子である。
「はい」
隣に佇む長い銀髪の青年が直立不動で答える。
マリグ・アベーユ。近衛騎士で王太子の乳兄弟。
「モルドット男爵令嬢、ラグリード伯爵令嬢。今はこの二件だけか?」
「はい。現状可能性があるのはこのご令嬢方だけです。この社交シーズンに王都入りした後、自筆の書置きを残して姿を消しています」
「駆け落ちと見せかけて……か。なるほど手が込んでいる」
「自主的に姿を消したとなると、"犯人捜し"にはなりませんからね」
「ふむ」
組んでいた指を離し、再び椅子にもたれる。
執務椅子の背がきしりと音を立てた。
「地方の新興貴族だけでなく歴史ある伯爵家の人間もとなると、これは王都警備騎士だけでは手に余るな。近衛が出るのが妥当だと思わないか」
「……王都警備騎士が社交シーズンの警備で多忙を極めているのは事実です」
マリグは直接的な回答を避けるように言葉を返した。
気付かないのか、ルドルフは口角を上げる。
「貴族の結婚は、私の権限下にある貴内省の管轄。そして近衛騎士団の総括は王太子である私だ」
「その通りです」
「この件に関わることはおかしな事ではない」
「……」
無言の乳兄弟に、ルドルフは薄く笑った。
そして答えを待つことなく、一言、告げた。
「私が出よう」