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061.馬子にも

後日談前編。

 ドイブラーの一件から一週間が経ち、カレンには日常が戻ってきていた。


「お嬢様」


 クォルツハイム侯爵家、カレンの寝室。

 瞼に朝陽が透けて入り込み、小鳥の声が軽やかに響いていた。


「お嬢様。そろそろ起床なさってください」


 まだ夢と現を行き来するカレンの耳に、ラルフの無機質な声と、扉を叩く音が交互に聞こえる。


「夜会の準備もありますから、起きていただかなければ間に合いません」


 夜会に出る貴婦人の準備は一日がかり――そして執事はきっと、準備の前に仕事を入れようとしている。

 カレンは無視して二度寝を決め込んだ。夜会は出たくないし、寝心地が良すぎてベッドからも出たくない。

 ラルフは止めることなく扉を叩き続けていた。

 主人を起こすのはラルフの役目。

 扉には鍵が掛かっていない。しかし、成人したカレンが寝ている間、ラルフが入ってくることはない。カレンが返事をするまで、ああやって扉の前に立ち続けるのだ。


「平和って素敵……」


 まどろみの中にある平和を手放したくなくて、もぞ、と動いて、温もりに頬を摺り寄せた。

 二度寝と柔らかな布団が生み出す、幸福な寝心地に頬を緩ませた。


「気持ちいい、最高……」

「そう? ふふふ、嬉しいなあ」


 ……布団が返事をした。

 布団のありえない反応に、カレンは一瞬で覚醒した。

 覚醒した視界に、青と金の色が飛び込んでくる。


「カレンちゃん、お・は・よ」


 枕に半分顔を埋めたカレンの目と鼻の先に、青髪のヨハネスの、気だるげで眩しい笑顔が添い寝している。

 なぜかはだけているシャツの胸元のせいで、お色気増量の空気に、カレンの息が一瞬止まった。

 次の瞬間。


「ぎゃああああああ――――!!」


 令嬢渾身の大絶叫に、クォルツハイムの屋敷が揺れた。


「お嬢様っ!?」


 腕にカレン用の洗顔タオルを掛け、黙々と扉をノックしていたラルフは、主人の滅多に聞かない悲鳴に危機を察した。

 躊躇わず把手に手を掛け、勢いよく開けた執事は―――


「夜這いとはいい度胸ね……!」


 ぜーはーと肩で息をするカレンの前、複数のナイフで見事に壁に張り付けにされているヨハネスを見た。


 青髪のハンサムは、首から下、全関節の衣類を余すことなくナイフで縫い留められていた。


「ははは、ヤだなあ。忍び込んだのはついさっきだよ。夜這いじゃなくて、朝・這・い」

「黙れ変態」


 操り人形のような姿勢でへらへらと笑う頬の五ミリ横に、カッ、と追加のナイフが刺さった。笑顔のままで口を噤むヨハネス。

 ラルフはざっと部屋の中全体に視線を巡らせた。ヨハネスのはだけた胸元、乱れた寝具、怒りまみれの主人の様子。

 ……何があったか、状況はおおよそ理解した。

 ラルフは、とりあえずカレン肩に無言でショールを掛けた。成人女性が、夜着のままのあられもない姿で男の前に立つものではない。

 だが、カレンがショールを当然のように受けたのを確認した後、ラルフは姿勢をただした。

 この状況に介入する前に、確認しておかねばならないことがあった。


「お嬢様。私の今後の対応のために、お教え願いたいのですが」

「何よ」


 怒髪天を突く勢いを遮られてたカレンが、苛立ち気味に執事を見下ろす。

 ラルフはいつも通りの無表情で、しかし至って真剣に問うた。


「この男と同衾されていたように見受けられますが――お嬢様の貞操はご無事でしょうか」


 貴族に仕える執事として、令嬢の処女性は把握しておきたい。

 だが、その真面目な思考が、寝室の気温を一瞬で氷点下まで下げた。

 しばしの沈黙のあと、カレンが笑顔で静かに、すう、と息を吸った。


「見て分からんかこのデリカシーゼロ執事――――!!」


 クォルツハイム侯爵家は、カレンの怒号により今朝二度目の揺れに襲われた。

 カレンの平和な日常は、まだ遠そうだった。



 ◇◇◇



「カレン嬢、お手をどうぞ」


 銀髪の美丈夫が名を呼んだことで、その場に居た貴族たちは、馬車から出てくる令嬢の正体を知った。

 マリグがうやうやしく差し出した手のひらに、深い金の色に染められた絹手袋の、華奢な手が伸ばされる。

 漆黒の馬車から亜麻色の髪の女性の姿が現れると、貴族たちの間に、小さな感嘆がさざ波のように広がった。

 少女は、溶けるように清らかな美しさを放っていた。

 亜麻色の髪は緩く複雑に結い上げられ、艶やかに光を受け輝いている。妙に印象に残る瞳と同じ色の、翡翠であしらった蝶の髪飾りは、金糸の波に泳いでいるかのようだった。


 貴族の目を惹きつけたのは、彼女の髪だけではなかった。

 ほんの少しの違和感が、妙に彼女を気にさせるのだ。

 敏い者なら気づいていただろう。今日が、貴族の筆頭である公爵家のパーティーであるにも関わず、この令嬢に、若い女性に特有の妙な緊張や浮かれた様子がないことに。


 それは、緑から金に変化するドレスのグラデーションが、深く落ち着いた色味だったから、というだけではなかった。

 湖面のような静やかな光を湛える翡翠の瞳が、無意識に見る者を支配するからだ。


 この侯爵令嬢が、まだ十八歳と若く、また社交の場で滅多に見ない人物だと記憶にあるせいで、柔らかい疑問を彼らの心に絡ませている。

 隣に立つ、アベーユ伯爵家長男のマリグが慣れた様子でエスコートしていなければ、参加する貴族たちは、どうして一見控えめで清楚な女性にこれほど目が惹きつけられるのか、疑問を持たずにはいれなかっただろう。

 そうして、ほとんどの者がカレン・クォルツハイムに視線を奪われ、そしてまたすぐ、そんなことも忘れて目の前の煌びやかな夜会へと心を移していっていた。


「――マリグ様、笑いすぎです」


 だが、当の本人は、本日のエスコート役に不機嫌な声で突っ込んでいた。

 腕を組んで会場の入口に向かう途中。すれ違う貴族が多くいる中で、顔だけはすましているところが妙に器用だ。


「すみません、さっきの話が可笑しすぎて」


 今朝のヨハネス無断侵入のやりとりを馬車の中で説明したばかりだった。マリグは思い出し笑いを隠そうともせず、くすくすと笑い続ける。

 いつもの詰襟の騎士服でなく、今日のマリグはジュストコールで長身を包んでいて、まるで王子のよう。だが、カレンが笑顔を一瞬やめ、ひと睨みしてきたことで、銀髪王子は笑うのをやめた。これ以上不機嫌にしてはあとが怖い。


「で、彼の用事は何だったのですか?」


 年上らしい優し気な笑顔に切り替え、マリグは訊ねた。カレンは、余所行きの笑顔を保ったまま、ううん、と首を捻る。


「私の物になりに来た、って言ってました。ただし『今やってる仕事の部分以外で』だそうです」

「一通りのことはルドルフから聞いていますが――彼は確か、一度カレン嬢の申し出を断ったんじゃないんですか?」

「ヨハネスに言わせると、断ったつもりはなかったらしいんです」


『そりゃあね、睨まれただけで燃え尽きちゃうような、カレンちゃんの視線を全身に浴びて斬られて死ぬのも捨てがたいなっては言ったけど』


 ヨハネスは、壁にナイフで縫い付けられたままこう言った。


『カレンちゃんに、自分の物になれ、って言われたとき、僕、本当にぞくぞくしたんだ。だからもらって? あ、でも今仕事中だから、本当に全部、っていうのはまだ勘弁してね』


「――つまり、仕事グラムに関わることは話さないけれど、カレン嬢の周りはウロウロするってことですか?」

「ウロウロするかは不明ですけど、まあ似たようなものでしょう」


 公爵家の玄関前には、夜会に参加するための貴族の馬車が入り乱れていた。侯爵家のカレンと名門伯爵家のマリグのペアは、その中でも優先的に道を開けられ、悠々と歩みを進めている。

 会話の内容は敵国グラムに連なる男のこと。決して穏やかなものではなかったが。


「カレン嬢のことですから、彼を拒否なんてしないのでしょうね」

「女に二言はありませんもの」


 きっぱりと言ったカレンに、マリグは困った顔で笑った。

 先ほど聞いたばかりだが、ドイブラー子爵の一件のあと、ヨハネスは密かに重要指名手配されているらしい。

 そんな相手が現れたのに、近衛騎士隊長であり王太子側近のマリグが、ただ笑っていていいのだろうか。カレンの疑問は、顔に出ていたらしい。

 マリグは「隠さずに言うと」と小さな声で顔を寄せた。


「ヨハネスの仕事は巧妙です。実際、ドイブラーと取り調べても『ヨハネスという男が情報をくれた』『案をくれた』と言うだけで、彼が何者なのか、どこと繋がっていたのか全く分からない。我々がいくら捜査の手を延ばしても、雲をつかむような手ごたえです。騎士の中には、ヨハネスという人物などいない、ドイブラー子爵の狂言だ、という言う者も一部いるほど。だが、カレン嬢、貴女の傍に、生身のヨハネスは間違いなく居る」


 マリグの紫水晶の瞳が、じっとカレンを見つめた。普段、紳士で穏やかな彼が、瞳の奥に鋭い光を灯らせる。


「貴女が、そのまま奴と繋がっていてくれたら、とてもありがたい」


 口調の穏やかさとは対極の、加減のない鋭い光に、改めて、ああ、この人はやはり次代の王国を担う人物なのだとカレンは思った。

 何かあれば、獅子が獲物を狩るように、カレンごとヨハネスを捕えることだってするだろう。

 国への忠誠。それが騎士たる彼の本質。

 いい男だなあ、とカレンは素直に思った。


「けれど私、自分の物を、あっさり人に渡す気はありませんの」


 マリグの視線を、カレンは令嬢の微笑みで受け止めた。笑顔に、ほんの少し不敵さが混じっているのは、間近で見たマリグにしか分からない。

 騎士隊長である自分の威圧を笑顔で流した令嬢に、マリグの顔はほころぶ。


「困ったお人だ」

「顔が全然困っていませんよ、マリグさん」


 夜会用にとりつくろった「様」付けを取って砕けた口調になったのは、建物の中に入り、人の少ない玄関広間の隅に寄ったからだ。

 大理石の円柱の前に小柄なカレンが立ち、マリグはその姿を大きな背で遮った。

 それは、恋人同士の語らいのためでもなんでもなく、待ち人が来るまでの会話を他人に聞かれないため。

 背の高い自分が覆うように立っても、少しも警戒を見せないカレンに、マリグはくったくなく言った。


「ええ、意外なことに困っていないんです。ヨハネスが貴方の傍にいると聞いても、俺は危機も覚えない。本当に、なぜでしょうね」

「いや私に聞かれても」


 勝手に仲間だと思っていると伝えたら、この少女は嫌がるだろうか。微笑みに目を細めていたら、「なんですか」と不審な視線を向けられた。


「カレン!」


 玄関広間の高い天井に、弾んだ女性の声が響いた。

 声のした方を見ると、豪華な大階段の上で、一人の婦人がこちらに向かって扇子を振っている。

 カレンはマリグの影から出た。


「レイラ」


 カルフォーネ公爵家の長女、レイラだった。

 結婚してモートレイ子爵夫人となった彼女は、豪華な金髪を上品に全て結い上げている。元悪役令嬢らしい艶めかしいラインの肢体は、露出を減らした、シックなドレスで覆われていた。楚々とした新妻、といった風の美しい人が、ドレスを捌いて小柄な少女に駆け寄っていく。


「カレン、来てくれて嬉しい!」


 跳びついてきたレイラをカレンは危なげなく抱き留めた。

 カレンの方が小柄で薄い身体をしているのに、豊満な美女が猫のように懐いて擦り寄っている。


「レイラ、体調は大丈夫?」


 ドイブラーの一件に巻き込まれたレイラは、ショックのせいでそのまま寝込んでしまっていたらしい。愛しい夫の待つ家にも帰れず、実家でそのままパーティーの日を迎えていた。


「数日寝込んだけれど、もうすっかり平気よ。それより、来てくれて本当にありがとう」

「いいえ。今回は、お兄様がごめんなさい。代理だけれど、公爵様のお祝いは精一杯させていただくわ」


 今日は、レイラの父、カルフォーネ公爵の誕生パーティーだった。


 本来なら、公爵の第一の部下でもある、カレンの兄、エルヴィンが出席する予定だったのだが、昨夜から高熱を出して寝込んでしまっていた。

 王都のクォルツハイム侯爵の屋敷には、長男のエルヴィンとカレンしかおらず、両親は遠く離れた領地に居る。よって、必然的にカレンが代理となった。

 本音を言えば社交の場に出ず、引きこもっていたいのだが、家同士の付き合いとなればそうもいっていられない。


「あら、滅多に社交に出ないカレンが出席って聞いて、お父様は喜んでいたわよ。いつも顔を合わせている男よりよっぽどいい、って」

「まあ」


 幼い頃、ちょくちょくと公爵家に顔を出していたカレンは、公爵夫妻からも可愛がられていた。人見知りな娘、レイラがカレンにひどく懐いているのがよほど喜ばしいらしい。

 だが、成長するにつれ、カレンはレイラと距離をおくようになる。

 それは、ゲームの記憶を思い出したからというのと、もうひとつ。


「来たのか、まな板」


 靴音を響かせ、レイラの後ろから、ひとりの青年が歩み寄ってきた。

 テオドール・カルフォーネ。公爵家長男で、レイラの弟。

 緩い癖のある金髪は前髪ごと後ろに撫でつけられ、いつもは天使のような容貌が、今日は清廉で凛々しい青年の顔になっていた。

 カレンが公爵家から距離を置いたのは、このテオドールがカレンに何かと嫌味を言い出した時期から。


 同い年だが、カレンより拳一つ分ほど背の高いテオドールは、カレンの着飾った姿を上から下まで検分するように眺めた。


「――馬子にも衣裳だね」

「――貴方もね」


 はん、と笑ったテオドールに、カレンが微笑みで言い返した。

 二人の間に火花が散る。


「テオドールもカレン嬢も、相変わらずですね……」


 レイラに挨拶を済ませたマリグが、睨みあう二人を眺めてため息をついた。

 レイラは「あら」と扇子を口に当てておっとりと微笑む。


「ところがマリグ様、そうでもないみたいなんですよ」

「え?」


 マリグの前で、テオドールはもうすでに広間に戻るそぶりを見せていた。今日はホスト側なので、あまり長居できないらしい。

 マリグには見せない、ツンとした顔で、カレンに言葉をかけている。


「そろそろ始まる。モタモタしてないでさっさと広間に入りなよ」

「分かってるわ。レイラにも会えたし、もう行くわよ」

「マリグさんを手間取らせないでよね。せっかく姉さんが気を遣ってエスコート役をお願いしたんだから」

「はいはい」


 いちいち小姑みたいな男だ。カレンはうんざりとした様子で返事をしていた。


「分かってると思うけど、ダンスは、身分の高い者から始める」

「はいはい、分かってる」

「いちばん初めは、本日の主役である公爵夫妻。そして、僕とアンタだ。踊りが下手そうだから先に言っておくけど――」


 カツ、と踵を鳴らし、テオドールがカレンに半分背を向けた。

 凛々しい横顔に、鮮やかな紅玉の瞳が挑戦的に輝く。


「足、踏んだら許さないからな――カレン」


 広間に消えていく姿勢の良い背中。それをぽかんと見送るカレンの後ろには、同じく驚くマリグと、扇子で口を隠してくすくすと笑うレイラ。


「あの子がカレンのことを名前で呼ぶなんていつ振りかしら」

「それでも、喧嘩腰は変わらないんですね……」

「そこはきっと、男の子の意地ですわ。何にしても、二人が仲良くなったみたいで嬉しくて」

「いや、どちらかというと好敵手ライバル関係が成立しただけのような気が……」


「分からないように、要所要所でヒールで踏んで差し上げるわホホホ」とか妙な怨嗟を漂わせているカレンを見ないようにしながら、マリグはぽつりと零す。


「さあ、マリグ様行きましょう」


 がっちりと腕を組まれ、マリグは観念した。たとえこの令嬢が戦いに赴くような顔をしていても、エスコート役は下りれない。

 ホスト側のレイラと別れ、カレンを伴って歩き出す。

 広間の前で、マリグは公爵家の家令に入場の旨を告げた。

 二人の名が広間に向かって伝えられるのを待つ間、マリグはふと思ったことを隣の少女に小声で尋ねた。


「それより、エスコート役は本当に俺でよかったんですか? 余計な誤解を生むこともあるでしょう?」


 マリグも適齢期。しかも将来有望な騎士隊長で王太子側近となれば、社交界で結婚相手が誰になるかと、噂が飛び交う時期だった。

 対してカレンも適齢期の侯爵令嬢。しかも王太子妃候補と噂されている。

 自分と居れば「側近に乗り換えた」「王太子妃に近いことを見せつけるため、側近を侍らせている」など、妙な憶測を呼ぶのではないか。

 だがカレンは「噂などたわいもないことです」と笑って切り捨てた。


「下手な男性にエスコートを頼んで、妙に期待されることの方が困ります。それよりはマリグ様の方がずっといい」

「俺も、期待するかもしれませんよ?」


 カレンの翡翠の瞳が、マリグを見上げた。


「いいえ。貴方はそう(・・)じゃない――でしょう?」


 口元は微笑みは令嬢らしい上品なものなのに、瞳はマリグを優しく見つめている。

 年下のはずの少女の、まるで見守るような瞳に、マリグは一旦瞬いた。そしてゆっくりと正面に向き直って、やれやれ、と観念したようなため息をつく。


「お見通しですか――こんな場で何ですが、応援していただけるとありがたいです」

「さあどうしましょう。こればかりは本人同士のことですから」

「ところで我が近衛騎士団長の馬は、大変な名馬でして」


 突如話題を変えてきたマリグ。何かを察したカレンは、表情を消して無言になった。


「その名馬たるや、王太子の馬や近衛隊長わたしの馬など軽く追い抜かれてしまうような駿足具合でして」


 そろりと見上げる翡翠の視線を見返すこともなく、マリグはしれっと話し続ける。


「ですが、その貴重な馬が、ドイブラーを追った夜に行方不明になりましてね。血眼で探しているんですが……そういえば、さっき某侯爵家に迎えに行ったとき、似たような馬を見かけた気がします」

「……馬なんて全部似たような見た目をしているものですわよ、ね」

「そうですね。もしかして気のせいかもしれません。馬も、綺麗な黒髪の女性に、夜の早駆に誘われて出かけてしまったのかもしれません。きっと明日あたり、厩に戻って来るでしょう。ね?」

「そ、う、ですね。きっと戻ってますわ。ホホホ」


 あの夜、カレンの配下の黒髪メイドがカレンを追うため、勝手に拝借した馬があった。「いちばん速そうだったんですぅ」とは拝借した犯人の弁。その馬は、なんと侯爵家の雌馬を気に入ってしまったらしく、そのまま居付いてしまった。いまだにカレンの屋敷の庭で放牧状態。

 いつか勝手に帰るだろうと放置していたのが仇になってしまった。

 滝の汗を流すカレンの横で、マリグは人の好い笑みを浮かべていた。ただし口元だけ。


「ドイブラー事件の後始末と、馬の捜索で大忙しの私の恋路、心優しい令嬢はきっと応援してくださいますよね」


 ぐぐう、とカレンは喉を鳴らした。誰だ、この騎士が優しい紳士だなんて言ったヤツ。

 次代の王国を担う将来有望な男が、真正直なだけの青年なわけがなかった。

 カレンは観念してため息をついた。悪いが、あの黒髪メイドを売るしかない。


「……彼女、相当手ごわいですよ」

「惚れているのを自覚した時点で、覚悟はしています」


 カレンぱちくりと瞬いた。

 とっさに扇子で隠した口元がじわりと笑みを結んだ。そうか、そこまで本気なら全力で応援しよう。

 悪い気分ではなかった。身内が幸せになるのはカレンの最も望むところ。


「あとで作戦会議をしましょう、マリグ様。国をひとつ取るよりやりがいがありますわ」


 見せあう笑顔は、同志の証。

 広間に、カレンとマリグの名が朗々と響き、二人は脚を踏み出した。

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