060.顛末とデレ
東の空が薄明るくなり始める頃。
小高い丘の上の一本木の下で、カレンは小屋の様子を眺めていた。
古い石小屋の周りには、いくつもの松明が灯っていた。
大勢の騎士が動き回り、捕縛したドイブラーの手下たちを次々と護送の馬車へと詰め込んでいる。
小屋には、何人もの騎士がひっきりなしに出入りていた。おそらく、地下通路にドイブラーの手の者が残っていないか確認しているのだろう。
「――ここに居たのか」
振り返れば、ルドルフが丘を登って来るのが見えた。
「王太子殿下の仕事はもういいの?」
「指示は残してきた。あとはマリグがやるだろう。私の仕事は王宮に戻ってからだな」
「あらまあ大変ね」
ふん、と笑ったルドルフは、カレンの横に並んで小屋を見下ろした。
整った横顔を何気に見れば、美形が随分と煤汚れていた。
「モートレイ夫人は、もう帰ったのか」
「ええ。随分泣かれたわ」
レイラは自分と違って荒事に慣れていない。
だから孤児院で救出された後は、てっきり帰らされていると思っていた。
だが、レイラは近衛騎士団と一緒に、ここまでやって来た。やって来て、カレンを見つけたとたん走って抱きついてきた。
綺麗な顔を涙でぐちゃぐちゃにして「ごめんなさい」と「無事でよかった」を繰り返すレイラに、カレンは黙って頭を撫でることしかできなかった。
元公爵家のレイラと、身元不明のメイドな自分。抱き合っている二人は奇妙に見えただろう。
途方に暮れているカレンに「姉さん、どうしてもこっちに来るって言い張って」と説明してくれたのはテオドール。
テオドールは、なかなかカレンを離そうとしないレイラを説得し、帰りの馬車に押し込めた。
『……姉さんを助けてくれて、感謝する』
彼らの出発直前。
長い長い間のあと、カレンはようやくお礼を言われていると理解し、これ以上ないほど驚愕した。
『僕だって、礼くらい言うさ!』
驚きすぎたせいで、テオドールに顔を真っ赤にして怒られた。
『ごめんごめん。いや、意外過ぎて。ええと、貴方も怪我はない?』
『……ない』
不機嫌そうに無傷だと告げるのも、彼の標準。カレンは気にもせず、『そっかよかった。では気をつけて』と笑顔で手を振った。
それで会話は終わったと思ったのに、テオドールはなかなか馬車に乗り込もうとしなかった。
なぜか黙って、不機嫌そうにカレンから顔を背けて、立ったまま。
近衛騎士たちが忙しそうに走り回っている中、二人の間には長い沈黙が溜まっていった。
カレンは、手を振る姿勢のまま静止していた。次にどうしたらいいか分からない。
『……ええと、テオドール様?』
『…………かった』
『え?』
喧騒に紛れて、テオドールが何か言った。そっぽを向いたままの彼の顔に耳を向けて、思わず聞き返す。
『悪かった、って言ったんだよ!』
怒鳴り声だった。耳に直接怒鳴られ、カレンはキーンと鳴る耳を押さえた。
何? 何のこと?
カレンが疑問と耳鳴りでくらくらしているのに、テオドールは助けもせず、ぷんすかと文句を垂れた。
『大したもんだよ、アンタ! 引き籠ってるのかと思ってたらそうじゃないし。ムカつく!』
あ、あれ? 謝られてたのに怒られてる?
目を白黒させているうちに、テオドールはレイラを乗せた黒塗りの立派な馬車に乗り込んでいく。公爵令息なのに、自分で扉を開けて乗り込み、最後、扉を閉める前、びしっとカレンを指差した。
『負けないからな! バーカ!』
扉は勢いよく閉められ、それを合図に馬車は走り出した。
カレンは、ただただ、唖然と馬車を見送った。
顛末を聞いたルドルフは、ひとしきり笑った。
自分が悪いんじゃない、とカレンは憤慨する。
「だって、ここ何年も、会えば憎まれ口を叩かれるような関係だったのよ? ……あんな、急にデレられたら、どう反応していいか分からないじゃない」
「デレとは何だ?」
「あ。……ええと、素直になるとか優しくなるとか、そういう意味かな」
疲れからか、前世の言葉がぽろりと出てしまった。ルドルフの質問で一瞬遅れて気付かされた。ちょっと慌てたけれど、冷静に返せただろうか……カレンはそろりと横目で見上げた。ルドルフの整った横顔は、頭の中で言葉を当てはめている様子を見せた後「ふむ、なるほどな」と納得した。
「しかし初めて聞いたな。市井の言葉か?」
「そ、そんな感じ」
これ以上追及されたらどうしよう。少しどきどきしたが、ルドルフの興味は、それよりも仕事の方にあるようだった。
「ところで、騎士たちが地下を捜索しているが、ヨハネスは見当たらないらしい。奴には、会わなかったのか?」
「え? ああ、地下で会ったわ」
「何か言ってたか」
「貴方が知りたそうなことは、なんにも。あとは、私が運命の相手だから殺してほしいとかなんとか言ってたわねー」
「…………どういうことだ?」
美形顔には、ありありと「意味が分からない」と書いてあった。
「うん、そんな反応になるわよね。ヨハネスは『星』がどうとか言ってたけど」
「――ああ、グラムの、運命の星とやらか」
「知ってるの?」
「他国文化を知るのも王族の務めだから、一応な。悪い運命を持つ者を殺すこともあると聞く」
「そんなこと言ってたわ。因習ね」
「ヨハネスには、どう答えたんだ?」
「命捨てるんだったら、私の物になりなさいって言ってやった。断られたけど」
「――それは随分と、お前らしい」
ルドルフは押さえた拳の下で、ぷっと笑った。
それは、いつもの尊大さとか威厳とか、王太子として常に残っていた固さを抜いた、随分と砕けた顔だった。
この一晩で、彼の中で何かが変わったように思う。
だけどそれは自分も一緒か、とカレンは思った。
社交シーズン最初の夜会で会ったときは、ルドルフに背中を預けて戦ったり、こんなふうに肩を並べて話をするようになるなんて、考えもしなかった。
「大したものだな」
「何が」
「グラムで根深く信じられている『星』さえも喜劇にしてしまう、お前の才能」
「どういう意味よ」
「こちらが真剣に敵と対面していても、すべてお前がかっさらっていく。三カ月、我々が必死で追い掛けてきたドイブラーをだ、最後に、桶ごと殴って気絶させて捕縛だぞ。脱力する」
近衛騎士団を振り切る速度で馬を駆け、ドイブラーの手下を必死に片付け、追い詰めた自分たちの真面目具合が、途端にばかばかしくなる。
そう言ったルドルフに、カレンは手の甲をひらひらと振った。
「あら、そうでもないわよ。だって、最後にドイブラーを追い詰めたのは貴方たちよ。私じゃ間に合わなかったもの」
「まあ、それはそうだが」
納得いかなさそうなルドルフの声に、カレンは小さく笑った。王太子のくせに、今日は妙に細かいことを気にする。
水平線に、白い光が生まれた。夜明けだった。
光は次第に、広がる様に横へ上へと伸びていく。
カレンは東の空を目を細めて眺めた。
「私だけじゃ無理だったわ。孤児院の小屋でのことも、よ。貴方が私の言葉を聞いてすぐ離れてくれなきゃ、皆助からなかったかもしれない」
カレンはルドルフを振り仰いだ。
夜明けの光に、ルドルフの鮮やかな金髪が煌めく。
昨夜は、散々な一夜だった。
狭い場所に二人で詰め込まれたり、馬に逆向きに乗せられたり、爆風に吹き飛ばされてお互いの安否が分からなかったり。
けれど、何だかんだ楽しかった。危機を感じても、ルドルフがいるから大丈夫だと思えた。
癪だけど、今回はこの男に本当に助けられた――。
カレンの口元が、自然にほころんだ。
「あそこにいたのが、ルドルフでよかった。ありがと」
礼が、するりと口をついて出た。
カレンの素直な礼を真正面から受けたルドルフは――――――これ以上ないほど、驚愕していた。
綺麗な青い目を見開き、形のいい唇が、唖然と丸く開いている。
しばらくそのまま硬直していたルドルフは、ゆっくりと視線を外し――横を向いて、片手で顔を覆った。
カレンはそれを黙って見ていた。
顔を俯かせ、何か悩んでいた様子のルドルフは、長考のあと、眉間に皺を残したまま、カレンを見た。
「……私は今、もしかして礼を言われたのか……?」
「テオドール様の気持ちが、ものっすごい理解できたわ!」
カレンは怒鳴って地団太を踏んだ。
お礼言って損した!
「二度と言わない!」
頭を抱えて、まだ金髪カツラを被ったままだと思い出し、怒りのまま脱ぎ剥がそうと掴んだ。
が、カレンよりも早く、ルドルフの大きな手が伸びてきて、笑いながらカツラを丁寧に剥がしていった。
カレンの、亜麻色の長い髪がパサリと落ちて広がった。
「私と揃いの髪色もいいが、やはりこちらの色の方がしっくりくる」
カレンは、笑ったままのルドルフを複雑な顔で見上げた。礼を冗談扱いされた怒りと、丁寧な手つきの差に、不機嫌でいたらいいのか分からない。
ルドルフがカツラを差し出してきたので、両手を出したら、金髪がポンと置かれた。
そのまま、ルドルフの右手は持ちあがり――カレンの小さな頭を引き寄せた。
「!?」
今回は、完全に油断していた。
これまでのルドルフの数々の所業が蘇る。思わず身体を硬直させた。……が、唇が迫って来る、などということはなく、カレンの身体は、ルドルフの肩口にスポンと収まっただけだった。
カレンの頭を抱いた大きな手は、ぽん、と後頭部を軽く叩いた。
「お前も、無事でよかった」
耳元に響いて伝わる、ルドルフの低い声。
その声には、純粋に安堵しかない。
カレンを抱くのも、頭に添えられた片手だけ。しかも、手にも温もりにも、色めいた様子が全くなかった。
まるで心許した仲間同士のような抱擁に、逆にカレンは戸惑った。
ええと、これは突き飛ばしていいの? 逆に抱きしめ……いやいや、それは駄目だ。
徐々に明るくなる夜明けの空を背景に、丘の上で抱き合う二人の男女の影――不意にそんな画像が浮かんだ。
あれ、ええと、こんな風景見たことある。おや、これもゲームスチルだっけな?
脳内は絶賛混乱中だった。
「カレン」
「ひゃいっ?」
そこに、低くていい声がまた響くので、反射的に背を伸ばした。
ルドルフは次の言葉をすぐに続けなかった。珍しく言い淀んで、悩んだ末に、言った。
「……あまり、無防備な笑顔は晒さない方がいい」
ルドルフの声は真剣だった。なんだか苦しみを混ぜたような声音でもあった。
脈絡のない忠告に、頭を抱かれたままカレンは眉を寄せた。
「どういうこと」
「……いや、これがデレか、と思ってな」
「??」
「無自覚だな」
執事も苦労するな、とため息をつくルドルフに、カレンは心の中で首を捻る事しかできなかった。
「お嬢様~ぁ」
気の抜けた声で呼びかけながら、ハンナは丘を上がっていた。
隣には銀髪の近衛騎士、マリグ。
一通りの仕事を終え、撤収の前に、ハンナに付き添ってカレンを探していた。
すっかり朝陽が上った、明るい丘の上の一本木に、メイド服で亜麻色の髪の少女の背が見えていた。
「お嬢様~、もう帰りましょ~。朝ごはんの時間ですぅ~」
ハンナが、少女の背に向かって跳ねるように駆けていく。
彼女の主人は、木に身体を預けて座っているようだった。
ハンナはカレンの前に回り込み、笑顔で話しかけようとして、すぐに戸惑ったような顔になった。
「ハンナさん、どうしました?」
おろおろと、助けを求める子犬のような様子のハンナに、マリグは腰の剣を鳴らしながら近づいた。
「――おや」
そして、木の根元に居るカレンの様子を確認し――目を丸くした後、破顔した。
ハンナが困り切った顔でマリグを見上げてくる。
「朝ごはん、どうしましょぉ~」
木の根元には、幹に背を預けたまま、身体を寄せ合ってすやすやと眠る、カレンとルドルフの姿があった。
カレンは黒い鞘を抱え、ルドルフは剣を膝に置き、すっかり力を抜いて眠っている。座って話し込んでいるうちに眠ってしまったような様子だった。
カレンの頭はルドルフの肩に。ルドルフは、カレンの小さな頭に頬を寄せていた。
マリグは驚いた。ルドルフが、野外で他人に身体を預けて熟睡しているところなど見たことがない。
側近としては失格かもしれないが、こんな二人を起こしてしまうのは忍びないと思った。
「しばらく、そっとしておきましょう。これを我々に見られたと分かったら、貴女のご主人はきっととても慌てるでしょうから」
マリグは口に指を当て、ハンナに向けて片目を瞑った。
朝日が、二人を優しく照らしていた。
デレクラッシャーも、直撃には弱かったという話。




