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059.出口

最後はやっぱり、カレンです。

 外城。

 内城壁を遠く見る、小高い丘の下。かつて耕作地だった荒れ果てた土地の真ん中に、石造りの古い建物がぽつりとあった。

 作業小屋か休憩用の小屋か、貧しい耕作人の家よりも小さな建物。

 周囲をぐるりと囲む大人の背丈ほどの石垣も、あちらこちら崩れており、長年使われずに放置されていたのが分かる。


 夜明けの気配迫る、野原の真ん中。

 その石造りの小屋の中に、微かな灯りがぽつんと生まれた。

 灯りは小屋の中をゆっくり移動し、窓から消える。

 周囲を警戒するような間のあと、小屋の扉がゆっくりと開いた。


「かー、ぺっ。相変わらず埃っぽい場所だわい」


 何人かの屈強な男たちの後、口の中の土を唾棄しながらぶつくさ文句を垂れて現れたのは、豪華な服を着た小太りの男――ドイブラー子爵だった。

金だけはかけていそうな悪趣味な服は土にまみれ、脂ぎった顔は煤汚れと疲労が貼りついている。


「――なんだこれは」


 しかし傲慢な態度はすぐに驚愕に変わった。

 外に出たドイブラーが次に目にしたのは、外に累々と転がっている男たち。

 隠し通路の出口に待機するよう命じていた手下たちが、全員見事に伸びていた。


「お、おい、誰か意識のあるやつはおらんのか。何があった」


 本来なら、今夜はトゥーグ鉄鋼会から最後の取引の品を受け取り、ここへ運び出す予定だった。荷物運搬用の馬車と人員を待機させておいたはずなのに……

 愕然とするドイブラーたちの前に、二人の人影が立ち塞がった。


「待っていたぞ。ドイブラー」

「ま、まさか、王太子殿下……!?」


 暗闇で顔は見えなかったが、さすがにこの夜聞いたばかりの、自国の王太子の声は忘れていなかった。


「どうしてここが!?」


 ドイブラーは後ずさりかけ、足元に転がっていた石垣の欠片に躓いて尻餅をついた。

 この古い石小屋は、農作業小屋を装った、秘密地下通路の出口。

 王宮側はこの存在を知らない、とヨハネスが言ったから安心していたのに。


「抜け穴の存在を知ったのは知ったのはついさっきだ。だが、偶然、このマリグが通路の設計図を見ていてな」

「だ、だが、出口は他にもあるはずだ」


 こんな短時間で、ピンポイントにこの出口にたどり着けるわけがない。

 もしかして裏切り者が居たのか、と周囲の手下の顔を見渡したが、カンテラに浮かび上がるのは動揺した顔ばかりだった。


「何、簡単なことだ。この外城に、お前の親戚が数年前に購入した古い屋敷があるのを思い出してな。そこにいちばん近い出口に全力で馬を走らせただけだ」

「そ、それだけで……!」


 確かに一度屋敷に入り、旅の行商を装った馬車でトゥーグの剣を運び出す算段だった。

 件の屋敷は、弟に指示し、いくつも仲介を噛ませて遠縁名義で購入した。だが、資産家のドイブラー一族が大きな買い物をするなど珍しくもなんともないはずだった。

 王太子ルドルフの情報収集の腕と、ドイブラー家の財産を把握する記憶力に戦慄した。


 だが、王太子たちを見たドイブラーは、すぐに動揺を収めた。何かに気づいたようににやりと笑う。


「よく見れば、どうやらここに居るのは、お二人だけのようですな。配下の騎士たちは置いてけぼりですかな? 馬が速すぎるのも考えものだ」


 夜目にも、王太子と近衛騎士が肩で息をしているのが分かる。待機していた手下と一戦交え、今はその直後だろう。

 悠長に言葉を交わしていたのは、どうやら時間稼ぎだったらしい。


 ドイブラーの手下は十人以上残っていた。

 ドイブラーは考えた。

 王太子たちは、ここに来るのが精一杯で、遠縁名義で購入していた屋敷にまで手を回しきれていないだろう。おそらくまだ、トゥーグの剣を運搬するルートは潰されていない。

 だったら、騎士たちが揃う前に彼らを倒し、使うつもりだったルートをそのまま使って国外逃亡したらいい。

 勝ち目は、十分にあった。


「やってしまえ! 王太子だろうが関係ない、相手は二人だ。倒して脱出だ!」


 ドイブラーの鼓舞に、手下たちがいきり立った。

 カンテラが投げ捨てられた。

 二人の前に油が広がり、カンテラの火種で燃え上がる。王太子ルドルフと近衛騎士マリグの姿が闇の中に浮かび上がった。

 ドイブラーの前に、ボウガンを持つ者が進み出た。


「――ちっ、マリグ、別れるぞ!」


 このままではいい的になってしまう。

 二人は、カンテラの炎から二手に分かれて走った。


「王太子を狙え! うまくいけば人質にできる!」


 どちらを狙うべきか一瞬迷ったボウガン隊は、ドイブラーの指示でルドルフに狙いを定めた。


「ルドルフ!」


 マリグが案じて呼ぶが、彼の方には、剣を持った男たちが襲い掛かっていた。


「ちぃっ!」


 豚のくせに、ここへきて意外と頭が回る。ルドルフは舌打ちをした。


 ボウガンの第一波は跳んで躱したが、なかなか近づけない。ルドルフは、壊れた石垣を背にし、ドイブラーたちから姿を隠した。

 マリグの方も苦戦していた。

 離れた地面で燃える炎しか明りのない暗闇での、一対多数の争い。マリグも夜戦経験はあるが、カレンほど夜目が効くわけでもなかった。

 あまり時間をかけていると、ボウガンの射手がマリグを狙い始めてしまう。

 何か手はないか。

 ルドルフが唇をかんだ時。

 ドイブラーたちの方から悲鳴が上がり、矢が止んだ。


「なんだこれは。――ナイフ!?」


 ルドルフが覗き見れば、手下たちが持つボウガンに何かが刺さっていた。


「クソっ、これじゃあ使えねえ!」


 ボウガンの発射に必要な弦が、刺さっている何かによって断ち切られたらしい。男たちは、役立たずになったボウガンを地面に投げ捨てていく。

 ふと、近くに気配を感じ、ルドルフは自分が背にしていた石垣を見上げた。

 そこには、濃紺の王宮侍女服を着た黒髪の女が、炎の揺れる明りに照らされて立っていた。


「ハンナさん!?」


 驚いたような声を上げたのはマリグだった。

 ハンナ、とは誰だったか――ああ、カレンの屋敷のメイドだ。

 ルドルフは、女の手に握られた投擲用のナイフを見て思い出した。

 前回の集団誘拐事件の時も、こうやって危機に現れた。

 ルドルフはとっさに当たりを見回した。期待をしたが、カレンはいないようだった。ということは、単独行動か。


「ハンナさん、どうしてここが!」

「お二人にこっそりついて来ましたぁ」


 マリグの問いかけに、気の抜けたような声で返事を返すハンナ。

 ついてきた、ということは、騎士たちを引き離したあの早駆けに漏れず並走してきたということだろうか。

 馬捌きの腕も恐れ入るが、暗闇とはいえ、ルドルフ達に全く気付かれず追い掛けてきたという事実に驚いた。

 カレンの使用人は、あの執事といい、底知れない者ばかりだ。


「ハンナとやら、助太刀、感謝する」


 ハンナの登場で、場が混乱したのは少しの時間だったが、石垣の裏で休むこともできた。

 息を整えたルドルフは飛び出した。

 剣を抜いて襲い掛かってきた男を二人、難なく切り伏せる。

 攻守逆転。

 ルドルフとマリグは、ハンナの援護を受け、次々と男たちを地べたへと這いつくばらせていった。

 元々国内トップクラスの腕を持つ二人。剣対剣なら絶対的に有利だった。


 半数を倒した頃。

 ルドルフの背後から、多くの馬蹄が聞こえてきた。

 馬の嘶きに混ざり「殿下、隊長ー!」と呼ぶ声もする。


「――どうやら、近衛騎士団も追いついたようだ」


 言う間に、喧騒と、闇夜を照らすいくつもの灯りが迫ってきた。

 騎士団が手にするカンテラに照らされ、浮かび上がる王太子の姿に、残り少ないドイブラーの配下は後ずさる。

 小屋に着いた騎士団は立ち止まらなかった。馬から飛び降りてきた騎士たちは、次々と剣を抜き、ドイブラーの一味へと襲い掛かっていった。

 こうなればもう、彼らに万が一の勝機もない。


「ドイブラーはどこだ」


 だが、ルドルフはすぐに気づいた。

 途中まであたふたと逃げ回っていたはずのドイブラーの姿が見えない。動きにくそうな身体をしているくせに、隠れるのが上手いやつだ。


「小屋の裏から逃げようとしてますよぉ」


 ハンナが、石垣の上から気の抜けた声で教えてくれる。

 マリグがはっとなって、指示を飛ばした。


「近衛騎士! 石垣の後ろから回り込んで小屋を包囲しろ、急げ!」



 マリグの指示で、騎士たちは次々と石垣の外側へと走っていく。

 小屋と石垣の間は狭い。集団で騎士が入り込んでも邪魔になるだけだった。マリグは名指しで部下を数人呼んだ。

 ルドルフは、すでに小屋の裏へ向かって駆け出していた。

 打ち合わせもなく、マリグは数名の部下と共にドイブラーを挟み撃ちにするため、ルドルフと反対方向へと走った。



 小屋の裏では、ドイブラーが何かを抱え、ひとりでこそこそと石垣の隙間から外へと逃げ出そうとしているところだった。

 だが、腹の肉がひっかかって上手く登れない。そこにルドルフの足音が近づいてくる。ドイブラーは石垣を諦めて反対方向に逃げようとした。

 が、そこに、回り込んできたマリグたちが立ちふさがる。

 完全にドイブラーは立ち往生した。


「ドイブラー、これで本当に終わりだ。観念しろ」


 ドイブラーは、じりじり迫る二人の重圧に、次第に震え、脂汗を顔中に滲ませ出した。


「お、おのれえー! これを見ろ!」


 取り出したのは小さな小さな火種。燃えにくい革に包んで持っていたようだ。

 あんなものをどうするんだ。

 ルドルフもマリグも、ドイブラーの行動の意味が分からず、とっさに判断に迷った。


 その数秒の迷いの間に、ドイブラーは火種で、大事に抱えていたものから出ていた紐縄に火をつけた。


「全員道連れにしてやるー!!」


 ドイブラーが抱えていた物を高々と掲げた。

 包んでいた布がはらりと落ち、出てきたのは、小さな樽。

 孤児院の小屋の中に居た者なら、あのときの樽と同じものだと分かったはずだった。


 しかしルドルフは、それを見ていない。

 樽の中身は、爆薬――


 樽から延びた縄は、孤児院のものよりずっと短かった。くすぶったようについた火は縄を辿り、あっという間に樽へと走り寄って行った。

 火が、まさに樽に吸い込まれようとした、その時。


 ぱかぁん!


 空中で、樽の蓋だけが剥がれるように割れた。

 宙を飛ぶ樽の蓋。

 蓋は、ドイブラーから離れた場所で、カランと転がり落ちた。

 蓋と地面に潰され、火種はジュッと小さな音を立てて消える。


「あっぶなー」

「――カレン!」


 着地したメイド服の金髪少女の姿に、ルドルフが声を上げた。

 何が起こったか分からず、騎士たちの視線は、ドイブラーと少女を行ったり来たりしている。

 だが、ルドルフには見えていた。

 小屋の屋根から影のように飛来したカレンが、樽とすれ違いざま、火が吸い込まる直前の蓋だけをきれいに斬り落としたのを。


 ルドルフの歓喜の声とは対照的に、カレンの臨戦態勢はまだ解かれていなかった。


「まだよ!」


 ルドルフの前では、ドイブラーがやけっぱちに樽を投げ捨てていた。

 蓋のない樽からは、黒い砂のようなものが零れて流れ出ている。


「くそ、まだだぁ!」


 ドイブラーはまだ足掻いていた。

 小さな火種のついた縄を、短い腕で振り上げ、黒い砂に向かって投げ落とそうとしている。


「ハンナ!」

「はぁーい」


 気の抜けた返事とともに、カレンに向かって大きな容器が飛んできた。

 ――桶?

 まさしく、大きな桶だった。

 どこかで見た樽だ。たしかあれは、朽ちかけた小屋の横に置いてあった、雨水を貯めた桶――


 ルドルフが目を丸くする前で、カレンが高く跳び、桶を空中でキャッチ。そのままひっくり返して――ドイブラーに頭から被せた。


 ざっばぁー


 大量の水を滝のようにかぶるドイブラー。

 何か生臭い臭いが漂ってきた。長く放置されていた桶だけに、雨水は腐っていたようだった。


「よし、これで全部だめになったわね」


 ドイブラーの足元では、樽からこぼれた黒い火薬が全て水に浸されていた。ドイブラーが隠し持っていた火種も、水溜りのなかにぷかりと浮かんでいる。

 カレンは、全ての始末を終え、満足そうに手をはたいた。


 明るい声のカレンとは対照的に、ドイブラーは自分の身に何が起こったか分かっていないようだった。


「こ、これはなんだ。か、火薬は……!」


 まるで着ぐるみのように、腰まで被ったまま、生臭い空気を振り撒いて、よろよろとカレンの方へと寄っていく桶。

 一連の出来事に唖然としていたマリグは、そこで我に返った。はっとなって部下に捕縛の指示をしようとする。

 だが、カレンはそれを手で制した。


「カレン嬢……?」


 訝し気なマリグの視線に、返事はない。

 カレンは、千鳥足で酔ってくる桶を避けることなく、粛々と、刀を収めた鞘を両手で振り上げた。


 マリグは見てしまった。

 鞘を振り下ろす直前、魔王のごとく笑う侯爵令嬢の顔を。


「寝不足の恨み、ぉ思い知れぇー!」


 闇夜を貫くように、コォーン! といい音が響き渡る。


 打撃と、桶内の反響に目を回し、ドイブラーはその場にぱったりと倒れた。


「寝不足……?」


 小屋の包囲が終わり、騒がしく王太子と隊長を呼ぶ近衛騎士たちの声が大きくなっていく。それに返事をすることなく、ルドルフとマリグは、虚ろにカレンの最後の言葉を繰り返した。

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