058.運命の相手ですか
トンネルの奥は、広々とした空間だった。
「いらっしゃい、カレンちゃん」
ちょっとしたパーティーでもできそうな広さの空間の、上座。
入口からいちばん奥、一段高くなった場所に、青髪のヨハネスと、メイド姿のボウガンの女が立っていた。
彼らの両側には、燃え盛る松明。その舞台の中央で、大袈裟に両手を広げるヨハネスは、下手糞な舞台俳優のようだった。
「お招きいただき、どーも」
ドイブラー子爵と引き離し、わざわざ別の一本道に誘い出すとは手の込んだ仕事だ。
カレンは、白けた顔で入口の土壁に肘を着いた。ヨハネスはカレンとの温度差に「あれ。嬉しくなさそうだねぇ」と残念そうに言った。
「ドイブラーを逃がす時間稼ぎかしら?」
「そうでもないよ。話したいことがあったんだ。もちろん、終わったらご退出いただいて結構。お帰りはあちらです」
わざとらしく丁寧に腰を追って掌で示したのは、舞台右側の、細いトンネル。
きっとドイブラーのいる場所へと繋がっているのだろう。
トンネルの入口の近くには、カレンを強く睨みつけるボウガンの女が立っている。頼んだくらいで通らせてもらえそうな雰囲気ではない。
「ちょうどいいわ。私も貴方に聞きたいことがあったのよ」
「へえ」
ヨハネスは、人好きのする笑顔で首を傾げた。
こうして改めて見ると、やはり女性を惹きつける甘い顔立ちをしている。
集団誘拐事件では、ヨハネスは女性たちをその顔で騙し、誘い出していた。
青い髪は手入れされていて柔らかそうだし、少し眦の下がった金の瞳は、邪気のない色気も感じさせる。話をすれば気安さは感じるのに、上品さもあって。カレンも初対面では下級貴族の子息かと勘違いした。
そういえば貴族のご令嬢たちも、彼に駆け落ちを仄めかされ、家出をしたところを捕えられていた。どうやって近づいたかはしらないが、相手がこれでは、世間知らずのお嬢さんなら騙されても仕方がない。
だがここ何度か――カレンはヨハネスに会うたびごとに、背中が冷えるような危うさを感じていた。本音の見えない、何かに酔ったような空気が、この男を「普通でない」と思わせる。
実際、目の前のヨハネスは、ゆらりゆらりと身体を揺らしながら、歌うようにカレンに尋ねてくる。
「カレンちゃんは、運命って信じる?」
「生憎、占いでいい結果が出たときだけ信じる方でね」
「いいねえ、それ」
下手な俳優の演技のように、けらけらとヨハネスは揺れて笑った。
「人の運命は定められている――中でも僕はどうやら、『死が回避する』強運の持ち主らしくてさ」
唐突に語り出された内容に、カレンは先が見えずに首を傾げる。
「『星』の話だと思います」
隣を見上げれば、ラルフが難しい顔でヨハネスを睨んでいた。どこか不快そうにも見える。
「星、って?」
「グラム皇国のある土地に、それこそ国ができる前からある考え方です。人は、生まれる前から定められた星――つまり運命を持っていると」
「さすが、執事君はグラム出身だけあって説明が上手だね。そういうことだよ。もちろん、誰もかれもがそんなに強い星を持っているわけじゃない。けれど稀に、何からも影響を受ず、全てに影響を与える、強い運命を持つ星が出るらしい。そういった星には名前がつく」
「それが、貴方?」
「そ。『忌死』の星なんて大層な名前がついちゃって」
とぼけたように肩を竦める様子は、ピエロみたいだった。
「ふうん、『死が回避する』なんて随分ラッキーな運命ね」
「――そう?」
ピエロは、怪しい笑みを作った。
ほら、まただ。何を考えているか分からない、得体の知れない笑み。
「ところでさ、僕の『忌死』の星には、対極となる星があるらしくてね」
「……へー」
ヨハネスが、わざわざ別の道に誘導してまでしたかったのは、こんなどうでもいい話なのか。
カレンは気の乗らない返事をした。現実主義のカレンは、占い(?)などこれっぽっちも興味がない。ヨハネスは不気味だが、それとこれとは別。
「僕はずっと、対極の星を探していたんだ。それが、『褒生』の星。生への強運。生み出し、守る星――――君の星だよ、カレンちゃん」
ヨハネスの金の瞳が松明の炎に煌めいた。
ラルフの琥珀の瞳がカレンを見た。いつも細く鋭い目が、僅かに見開かれている。今日は彼のいろんな表情を見るなぁと少し珍しく思った。が。
「ふ~ん」
カレンの感動は極端に薄かった。
ヨハネスの顔が明らかに失望に染まる。
「カレンちゃんさあ、ちょっとさー。もっとこう、喜ぶとか驚くとかさあ~」
「あー悪そうな星じゃなくてよかったー」
「棒読みじゃん!」
運命なのに感動がない、と怒るヨハネスに、ラルフが三日月刀を向けた。呑気なコントなど目に入っていない、真剣な顔だった。
「星を持つ者をグラムに連れて帰る――それが貴方の目的ですか。ヨハネス」
「ああ、違う違う。お偉いさんの星集めに加担してるわけじゃないんだ。そもそも『褒生』の星は、生み出す星。星本人の意志でしか、その影響が与えられない。だから、拉致したり強制したりしても意味がないんだ。居るだけで他人に影響を及ぼしてしまう、僕の星とは大違いでね」
ヨハネスは、ボウガンの女を残して、舞台からぴょんと飛び降りた。
「僕の星、『忌死』はね――周囲を死に追いやる星。――死は僕に届かないのに、死は僕を襲う」
ひたひたと土の上をこちらに向かって歩いてくる。ラルフの三日月刀も突き刺すような視線も、平然と受けて。虚ろに、笑みを浮かべながら。
「爪も刃も、僕には届かない」
カレンは、孤児院までの道のりを思い出した。
あの暗闇の中、疾走する馬に乗ったまま、ヨハネスは背後からのボウガン一斉射撃を振り返ることも、避けることもしなかった。
自分には当たらないと、分かっていたからか。
「酷いときだと、周りが全員死んじゃって、僕だけ無傷で生き残るなんてこともあるんだ。産まれる前からそう。星を知って、母親の腹の中にいる僕を殺そうとした奴もみんな死んじゃったよ。びっくりだよね」
けらけらとヨハネスは笑った。まるで酔っぱらっているみたいに。
「死なないってさぁ――つまらないんだよねぇ」
立ち止まったのは、カレンの目の前。ラルフが一振りすれば首が斬れ飛ぶ位置に、ヨハネスはぴたりと立った。三日月刀なんて無いかのように、平然と。
「ヘンな気分なんだよ。酔わない酒を飲んでるみたいな? 刺激も何もない、何も心に届かない。世界が、遠い。死どころか、生も僕に届かない。つまらないんだ」
ヨハネスは笑っていた。ピエロみたいに、酔ったみたいに。金の目は虚ろで、虚空で、何も映ってないのに、カレンだけを欲していた。
「死を間近に感じてみたい――――ねえ、僕、死んでみたいんだ」
ころして。とヨハネスは言った。
「おかしい? そうかも。でも、こんなおかしな頭でも、死を求めてるのは本気。カレンちゃん、君だけなんだ。僕の対極。僕の星を打ち消す、『褒生』を持つ君」
カレンの手を取り、うっとりと自分の頬に寄せる。
ラルフが動こうとする気配をカレンは視線で止めた。
「あー、こちらの質問、いいかしら」
「情緒がないなあ。いいよ。ひとつだけね」
カレンの手を頬ずりしたまま、うっとりと微笑んでヨハネスは答えた。
自分の言葉に何も反応しない相手を非難することもなかった。カレンも、ここでヨハネスの要求に返事をするつもりはなかった。
それより、ナチュラルに複数質問してやろうと思ったのに、「ひとつだけ」と先手を打たれてしまった。内心舌打ちをする。
何を質問しようか。
ひとつだけ、と言われてしまったから、複数質問してもはぐらかされるに違いない。かと言って、広く質問しても、肝心なところを隠されては意味がないし、この男のことだから、絶対答えてくれるって保証もない。性格捻くれてるから。
ということは、ある程度絞った質問で、かつ答え方次第でこちらが判断をできるような――
悩んだのはほんのわずかだった。「何を聞いてくるのかなあ」とにこにこ見下ろすヨハネスを見て、決めた。
「――ヨハネス、貴方、グラム皇国が何をしようとしているか、知ってるの?」
「いいや? 偉い人は何を考えてるのか分からないねえ」
よし。カレンは頷いた。
ならば問題ない。
「じゃあ貴方、私のものになりなさい」
「……………………………………へ?」
長い間のあと、ヨハネスの金の瞳が丸くなった。
そして明らかに挙動不審になった。どうしたらいいか分からない様子で、両手を身体の前で彷徨わせる。
「ええと? どういうことかな。あの、僕が言うのもなんだけど……正気??」
「本当に貴方には言われたくない台詞だわね。本気よ」
不本意だ、と眉を寄せたら、ヨハネスは今度こそ本気で驚愕の表情になった。
鬼の首を取ったみたいでちょっと気分が良くなった。が、カレンの隣にはもうひとり面倒な男がいるのを忘れていた。執事が、「お嬢様」と、目を吊り上げて噛みついてきた。
「何を考えてるんですか」
「あっ、今の台詞、さっきの『バカですか』と同じニュアンスを感じる」
「分かってるならさっさと撤回してください。凶星を手元に置くなんて狂気の沙汰です」
「なあに、ラルフったら意外と信心深いのね」
「グラムでは当たり前の反応です」
それだけグラムでは、星への畏怖が強い。名の付く星――中でも凶星への恐怖心は尋常ではなかった。
カレンは知らない。ここルヘクト王国でも有名な『不浄』『地血』と呼ばれた過去のグラム皇帝の名が、功績による二つ名ではなく、星の名だったことを。産まれる前から予言されていた星の通りの道を歩んだことも。
星は、絶対。だからこそ、凶星を持つ者は、生まれる前に処分されることも珍しくなかった。
しかしカレンは、そんな事実など知らない。
現実主義のラルフの主人は、翡翠の瞳を強く輝かせ口答えをした。
「王宮でヨハネスは、私に『一緒に来い』って言ったの。つまり、今すぐ死にたいわけではない。――ヨハネス、そうでしょう?」
「え? あぁ、まあね。仕事終わるまで死ぬなって言われちゃってるから。本当はいつ死んでもいいんだけど、意外に僕、真面目だから」
「だったらいいじゃない。貴方の命、私にちょうだいよ」
「だから、なんでそうなるんです」
怒ったのはラルフだった。
ヨハネスはさらに目を丸くしてカレンを見ているだけ。
「だって、いつ死んでもいいなら、もらっちゃっていいでしょう。まだ使えそうなのに」
「実が残ってる林檎の芯を捨てる時のやりとりじゃないんですよ今は」
「あはは、ラルフったら例えが上手ねぇ」
「冗談を言ってる場合じゃないんです!」
珍しく怒鳴った執事の声に、ヨハネスの弾けるような爆笑が重なった。
見れば、地面の上に、涙を流して笑い転げる青髪の男。どこか演技じみていた彼の表情の中で、初めて素を見たような気がした。
「ぼ、僕、自分で言っちゃなんだけど、性格も人生も普通じゃないのに。そっ、それを『私にちょうだい』って……ホント、カレンちゃん最高」
絶え絶えな息の合間に喋るから、言葉は途切れ途切れ。
ここまで笑われると思ってなかった……カレンは戸惑って頭を掻いた。
と、それで自分がまだ金髪のカツラを被っていたことを思い出して、手を離す。
「んー、貴方たちに合わせて言えば、『褒生』とやらは強運すぎて、貴方の星の影響なんて受けないんでしょ? 私も、その周りの人だって、私がどうにかしたいと思えば」
確かそんなニュアンスで話をしていた気がする。
守りたいと思ったら発動する強運バリアー。なんだか都合が良くてありがたいことだ。
「その通りだよ。さすが、僕の対極」
「ほら、ラルフ。問題ないでしょう?」
「しかし」
まだ不満はありそうだが。ラルフの口調は先ほどより落ち着いていた。
信じているかはともかく、説得の材料に自分の星の解釈を使ったのは正解だった。
「ということで、ヨハネス。私といらっしゃい」
「カレンちゃん、やっぱり最高だね。星なんて関係なく、とても魅力的だ」
まだ目に涙を溜めたままのヨハネスは、よっこらしょ、と立ち上がった。
「うん、とても魅力的なお誘いだった。今までのどんな誘いよりも。でも――」
一転、怪しげに煌めいた金の瞳に、カレンとラルフはとっさに両側に別れて跳んだ。
その地面に、二本の矢が突き刺さる。
着地を待つ間もなく、カレンは刀を抜いた。
構えと同時にヨハネスの斬り込んでくる。ボウガン射手の立つ、舞台に背を向け、着地と同時に押し出されるように地面を滑る。
何合かの打ち込みを危なげなく受け止めるカレン。鍔迫り合いで、ヨハネスは、カレンの瞳を覗き込むように顔を寄せた。
強く光る翡翠の瞳に、映る自分。
「――こんな眼をした君に殺されるのも捨てがたいんだよね」
カレンは答えず、ヨハネスの剣を弾きあげた。一対一の斬り合いなら、ヨハネスよりカレンの方が断然上。
形勢は一瞬で逆転し、カレンがヨハネスを押しだす。すぐにヨハネスの脚が舞台にひっかかった。
最後に一撃、と振りかぶったら、カレンの顔に向かってボーガンが飛んできた。舌打ちして叩き落とす。
その隙にヨハネスがまた襲い掛かってきた。
だが、こちらも一人ではない。背後の気配に気付いたヨハネスが飛んで避けた。そこに、ラルフの刃が真上から落ちて地面を割る。
「お嬢様は、先へ!」
交渉は決裂した。もう話すこともないとなれば、長居は無用。
身を翻し、カレンは舞台横のトンネルへと駆けていった。
それを背中で見送ったラルフは、カレンの足音が聞こえなくなると目を細める。
部屋を明るく照らす松明が、ラルフの真横に立って火の粉を散らし、構えた三日月刀に当たって弾けた。
「――わざと、お嬢様を行かせましたね」
「うん、君とも二人でゆっくり話がしたかったんだ」
松明の炎が、片眼鏡のないラルフの瞳に映って揺れる――その色は、琥珀ではなかった。
「ラルフ――凶星、『与滅』の星を持つ、君と」
瞳は炎を宿したように、赤く、赤く燃え揺れていた。
突然出てきた「星」の話ですが、今後もカレンの思考に大きな影響を与えたりしませんし、不思議な力で何かが起こる、なんてこともありません。
せいぜい、グラム勢の行動の動機になるくらいです。




