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005.叱られっぱなしです

迂闊うかつですね」


「うぐっ」


 ずばっと言い放たれ、胸を押さえてカレンはソファーに手を着いた。


 痛い。言葉が痛い。


 カレンを言葉で突き刺した本人は、涼しい顔で紅茶をカップに注ぎカレンの前に置いた。

 起床直後なので爽やかな柑橘系の香りが心地いい。


「そもそもお嬢様は普段から詰めが甘いのです」

「ラルフ、貴方は相手を思いやる気持ちをどこに置いてきたの」

「教育してくださったお嬢様ご自身がご存知かと」


 むきーっ、可愛くない!


 涙目で執事をキッと見上げた。


 クォルツハイム家の若い執事、ラルフ。

 侯爵家の執事らしく見目もよい。

 灰色の前髪から琥珀色の眼が覗き、いつもながらの冷たい眼差しでカレンを見やる。トレードマークである左目の片眼鏡のチェーンがしゃらんと揺れた。


「この十二年の成果がこれとは、嘆かわしいことです」

「不可抗力よ!だって襲われてる人見たら助けちゃうでしょ!」

「それは構いません。お嬢様は反射的にそう動いてしまう方です。問題はそのあとです」

「あと?」


 カップを持ってこてりと首を傾げる。

 王太子を助けたことを怒られなくて少し安心したが、そのあととは……何かあったっけ?


「王太子殿下に簡単に口づけを許したことです」

「う、それは」


 ラルフには何もかも報告済みである。いつもの通り報告したが、今はちょっと後悔してる。


「淑女が何をやってるんですか。お嬢様の運動神経なら避けられたでしょう?」


 淑女と運動神経のアンバランスさが気になるが、そこは下手に突っ込まないことにする。


「……硬直しちゃって」


 てへ、と頭を掻いて答えた。


「精進なさってください」

「……スミマセン」


 執事の眼がきらりと光った気がしたので大人しく謝ることにしました。




 背中の汗をひかせるため、二口ほど紅茶を飲んで気持ちを落ち着かせていると、廊下が騒がしくなっているのに気づいた。

 足音がバタバタと近づいてくる。


「カレ――ンッ!!」


 ばーん!と勢いよくカレンの部屋の扉が開いた。


「お兄様……ノックくらいしてください」


 そこには出仕前の姿の兄、エルヴィンが肩で息をして立っていた。

 どかどかとカレンの座るソファーに寄ってがしっと両肩を掴む。

 ちなみにラルフは扉が開いた直後に紅茶のワゴンをそっと部屋の隅に避けていた。慣れている。


「カレン、カレン、無事!?昨日夜会場で探したのにどこにも居ないし、私を置いて帰ってしまったって言うから心配して。家に着いたときはもう寝てるって聞いたから心配だったけど部屋に来るのは我慢してたけど、もう心配で心配で!」


 心配って何回言っただろう。


「お兄様落ち着いて。昨夜は人に酔って気分が悪くなったから先に帰ったの。言付けを頼んでおいたのに伝わらなかったのね……心配かけて本当にごめんなさい」

「気分が悪く!?それは大変だ、ラルフ、ベッドの用意を」

「ちょちょちょちょっと待ってお兄様!もう大丈夫だから!」


 抱き上げて寝所に運ぶ勢いの兄を慌てて押し留める。


「十分寝たからもう元気!完璧に元気だから!」

「本当に……?」

「本当本当!」


 ぶんぶんと首を縦に振る。こうでもしないと本気でベットに監禁されてしまう。


「エルヴィン様。お嬢様は昨夜も大事を取って早めに休まれましたし、本日もお顔の色もよろしいようなので大丈夫かと」

「……本当か」

「はい。それよりお嬢様もご一緒に、朝食を採りながら昨日の報告と本日の予定をお伝えしてもよろしいでしょうか。出仕のお時間も近づいておりますので」

「ああ、そうだな」


 さすが優秀な執事だけあってエルヴィンの操縦方法は心得ている。

 そして二十六歳でエルヴィンより年下なのにこの落ち着きぶり。伊達に長年この家に遣えていない。


「カレン、食事はできるかい?」

「ええ、問題なく」

「それでは朝食に行こう。一緒に食事ができる時間は貴重だから」

「はい」


 差し出された手を取って、カレンはちょっと苦笑しながらエルヴィンと共に食堂に向かった。




「まず昨日夕方以降のご報告です」


 自らの給仕の仕事が落ち着いたタイミングで、ラルフが切り出した。

 昨日の夕方以降はカレンも夜会の準備に追われていたし、エルヴィンも仕事先から戻ってすぐ夜会場の王宮にとんぼ返りだったので来客の対応はすべてラルフが行っている。


「まず商会の紅茶部門長からですが、ランスリー地方の茶園の状況報告がありました。今年の茶葉の発育は順調。例年通り紅茶の生産が可能だとのことです」

「そうか。気候もよかったようだから予定通りだな」

「はい」

「ねえラルフ、計画より多めの納品は可能そうかしら?」

「はい。ただし時間差になるようですが」


 カレンが口を挟んだことに異を唱えることもなく、ラルフはエルヴィンに対するのと同じように答えた。


「こちらで調整するから時間差でも構わないわ。二割多めに仕入れて頂戴。なるべく早めに。新商品用のフレーバーが仕上がったから今春から販売したいの」

「カレン、もう仕上がったのかい?」

「ええ、本当は夏のつもりだったけど。工場の生産調整もスムーズにいきそうだし、社交シーズンも始まって早いに越したことはないから。いいかしら?」

「いいも何も。商会はカレンの領分だ。好きになさい」

「ありがとう、お兄様」


 領地に引っこみ隠居生活よろしく決め込んでいる両親の代わりに、クォルツハイム侯爵家を回しているのはこの優秀な兄妹の二人だ。

 分担としては兄が領地経営、そして妹が商会経営。また貴族院議長補佐として毎日忙しい兄に代わり、カレンも領地経営の手伝いもしている。

 そして当然これらの仕事は、表向き全て兄のエルヴィンが行っていることになっていた。


 カレンは決して自分の存在を表に出そうとしない。

 なぜって、もちろん目立ちたくないから!


「新作のフレバーもいい出来だった。またクォルツハイムブランドのフレバーティは社交界で注目されるだろうね。優秀な妹で私は心配だよ」

「あら。嬉しくないの?」

「そりゃ嬉しいさ。でもこんな優秀で素敵な妹をどこぞかの男がうっかり見初めたらと考えると……潰したくなるね」

「お、お兄様ったら……」


 ほほほ、と冷や汗を垂らしながらカレンはわざとらしく笑った。


 やる、この兄ならやる。恐らく使える権力使って完膚なきまでに潰すだろう。


 私、ちゃんと結婚できるのかしら……


 下手に目立ってゲームキャラに関わらないようにしたつもりだけど、現実に立ちはだかる大きな障害あにに自分の将来がちょっと心配になった。


「続けてよろしいでしょうか」


 兄と妹の会話の間に食後の紅茶の準備を終えた執事が冷静に声を掛けてくる。

 エルヴィンに促され、ラルフは次の報告を行う。


「お嬢様が希望されていたデシル地方への視察は、夏の予定で進めています」

「ああ、温泉視察だね」

「はい。領地の公衆浴場の経営にアイデアをということで温泉地を回る予定です」


 この世界にはちゃんとお風呂の習慣があった。

 貴族の館には個室の風呂、そして平民は大衆浴場が中心。ただしこの大衆浴場は混浴だった。

 カレンは世界史はてんでダメだったのでよく知らないが、たしか日本の江戸時代も混浴だった気がする。

 だがカレンが幼少の時期は、この国の教会が混浴は性を乱すと風呂習慣自体に警告を発し、公衆浴場取り潰しの危機に面していた。


 だめだめ、風呂がなかったら清潔に保てないでしょ!とカレンは奮起をし、親を説得し、まず領地の大衆浴場を男女別に改装させた。

 モデルはもちろん日本の銭湯。何かそんなマンガがあった気がするが、そこは無視だ。

 だって他にいい方法なかったし。


 混浴が駄目だからって風呂自体を無くすという発想の方が無茶だ。それを解消してやれば問題がないのだし、やらない理由がない。


 その方向性は教会にも認められ、各地の浴場がカレンのアイデアを真似た結果、今やお風呂習慣はこの国の娯楽にもなっていた。


 そして、どうせならもっと楽しくお風呂をと、カレンは温泉地が多くある隣国のデシル地方への視察を計画した。

 国から出国許可も出たし、うまくいけば冬にはいいアイデアを利用できるよう動けるかもしれない。


 文化の話のついでに言うと、実はこの国には電気もあった。

 ただ使い道は現状電灯だけの上、供給力も無いらしく、使われてるのは王都の内城地区の一部の街灯だけ。大きな屋敷の灯りも電気だがこれは電池式だった。


 この国、そして世界にまだまだ発展の余力を感じている。それがカレンに火をつけていた。

 日本に産まれ過ごしていたらこの世界の快適度はまだ足りない。

 もっと過ごしやすい環境を作りたいなー。


「私は、視察に連れて行ってくれないのかい……?」


 環境改善と、目の前の温泉視察の話にわくわくするカレンを見て、寂しそうに兄が呟いた。


「いやいや、お兄様は議会の期間中でしょう。視察行っちゃだめです」

「議会なんて……」

「議長補佐がそんなこと言っちゃだめでしょう」

「でも」

「お兄様、カレンは仕事をしているカッコいいお兄様が好きです」

「分かった。議会を頑張る」


 わがままな兄のコントロール方法は、カレンもカレンなりに身に着けていた。

 ただし若干我が身を削る。下手に使うと兄からの熱い抱擁がセットになるので要注意だ。


「あとは本日の予定です」


 このやりとりに慣れ切った執事が手帳を見ながら言った。この兄妹の会話は脱線が多いのでコントロールしないと話が進まない。


「エルヴィン様はこのあと夕方までご出仕。ご帰宅後、十八時にボルツ伯が新商品を持ってお越しになりますのでこちらにご対応いただきます」

「分かった」

「あら、新しい扇子ができたのね。昨日はそんなことおっしゃってなかったのに」


 ボルツ伯は昨日の夜会でカレンがダンスをした相手だ。

 辺境であるボルツ領には特産がなかったが、良質の竹が採れるのに着目したクォルツハイム商会の後押しでドレス用扇子を生産していた。


「確か先日、トラブルがあって納品が遅れると言ってなかったかしら?」

「解消したので生産ペースを上げられたとのことでした。間に合ったので新作をお持ちしたいと」

「そう、よかったわ」

「なるほど了解した。私は問題ないからお会いしよう」

「お兄様、扇子はまた私にくださいね。今度レイラのところへ行くから持っていきます」

「そうだな。またカルフォーネ公爵夫人にお渡しいただかなかくては」


 レイラの実母、カルフォーネ公爵夫人は社交界でご婦人方を束ねるトップである。

 彼女が着たドレス、身に着けた宝飾品、使った小物は最新の流行として社交界に発信されるので使ってもらうのは必須だ。


 夫人も、カレンの事を娘のように思ってくれているのでカレンが持ってくる商品を喜んで使ってくれる。

 もちろんクォルツハイム商会の商品が良質なものであることを理解してのこと。


「ラルフ、レイラに訪問の手紙を書くから出しておいてね」

「畏まりました」


 優秀な執事は腰を折り主人に応えた。




 離れたくないと駄々をこねる兄を宥めすかしてようやく送り出した後、カレンは自室で食後のお茶を飲んでいた。


 この世界の貴族は本当によく紅茶を飲む。

 起床直後、食後、間食時、就寝前……カレンが前世から紅茶好きでなかったら耐えられなかったかもしれない。


「まあお蔭でフレーバーティがヒットしたんだろうけど」

「お嬢様の世界ではフレーバーティは当たり前にあったのでしたね」


 ラルフが給仕をしながらカレンの独り言に答えた。

 そして自分の分のお茶も用意し、カレンの前に座る。これはいつもの習慣であった。


 クォルツハイム家に二人いる執事のうちの一人、ラルフ。

 普通執事は一人であることが多いが、領地の両親の元に居る執事に加え、この王都の屋敷用にラルフが仕えていた。


 ラルフを雇ったのはカレンだ。

 そしてラルフの主人はエルヴィンでなくカレンである。イレギュラーではあるが、これはエルヴィンも理解し認めていた。


 雇った時点で信頼し、自分のことはすべて晒した。前世の事、ゲームの事、すべてをラルフには話してある。

 もちろん、ゲーム云々については初めは信じてもらえなかったけど。


「そうよ。大好きなアールグレイティがないなんて信じられなかったわー。だから作った訳なんだけど」

「あれは苦労しました」

「だって私も知識なんてなかったし」

「だからといって人をこき使うのは間違っているのでは?あのとき私はだたの従者でしたのに」

「お蔭でいい経験できたでしょ!」

「国中の柑橘類を集めて搾って刻むのがいい経験かと言えば疑問ですが」


 手についた匂いが取れませんでした、とため息まじりにラルフは呟く。


「まあ、確かにあの時は別邸中がすごい香りになったわね……」


 アールグレイティがベルガモットという柑橘類の香りをつけた紅茶だという知識だけはあった。

 それで似た柑橘類を探し、単純に絞って茶葉に香りをつけようと頑張ったのだが、よく考えてみれば乾物である茶葉に搾り汁をつけたところで紅茶として機能するわけがない。

 結果、皮を乾燥させ混ぜたことで近い香りになった。


 それでも満足せず、ラルフを使ってあらゆる分野の専門家に相談して精油を使って香りを吹き付ける方法を編み出し、せっかくだからと売り出したところヒットしたので本格的に商売に参入した。

 これがクォルツハイム商会の発足の経緯である。


「香りは大事よ!癒しを与えてくれるんだから」

「もう少しご自分でなさってください。人をこき使いすぎです。商会関係の来客もお嬢様がご対応いただければ私の仕事もずいぶん減ります」

「嫌よ。表には出ない。私のモットーは"人の力で効果百倍"よ!」

「人はそれを他力本願と言います」


 口が減らない執事である。


 余談だがカレンの次に欲しいのは緑茶だ。この世界には緑茶がないらしい。紅茶はこの国発祥なのに。全くおかしな話だ。

 緑茶に合わせて饅頭を食べたい。

 アンコもないみたいだけど。


 カレンがお茶とアンコに想いを馳せているところに、ラルフが現実的に王太子の話題を持ち出してきた。


「それでお嬢様は王太子殿下との賭けにうっかり乗ってしまわれた訳ですが」

「一言余計よ」

「それで今後はどうなさるおつもりですか」

「基本は変わらないわ。攻略対象との接点は回避。加えるなら殿下に情報をとられないようこれまで以上に注意することかしら」

「情報とは」

「私の今世の過去……人を殺めてしまってること……ね。それと前世の知識がある事かしら」

「商売のことはよろしいのですか」

「できたら隠したいけど、これは二の次ね。バレるときはバレるでしょ」

「畏まりました」

「あ、でも表に出てもいいってことではないわよ。これ以上に隠れるからね。仕事に関しても絶対顔は出さないし、もちろん社交もしない!よって夜会やお茶会のお誘いはすべてお断りして頂戴」


 どうやら手紙の断りの返事は自分がしなければいけないようだ。

 昨日カレンが夜会に出たことで目をつけた貴族たちからの招待状がどんどん送られてきている。それを捌くことを考えてラルフはうんざりした。

 執事は忙しい。主人の給仕、予定管理、屋敷の管理、来客対応。またラルフはカレン関係とエルヴィン関係の両方の仕事をこなしている。これも、主人はカレンだが、屋敷の現状の主はエルヴィンというちぐはぐさが生み出したものであった。

 多忙さ故、目の前の主人に嫌味でも言ってみたくなるものである。


「お嬢様は迂闊うかつ気味ですから、どこまで隠せるやら」

「"気味"で中和したと思わないでね!ちゃんと嫌味が伝わってるわよ!」

「おやお気づきになられましたか」


 本当にこの執事は主人を敬うということを知らない。

 ラルフのきれいな顔を恨めしく睨んで紅茶をすすった。これ以上相手しても終わらないし、どうせやり込められてしまうんだ。


「しかし、殿下は私を追い掛けて何の得があるんだか。分からないわー」

「王太子殿下は変わったご趣味をお持ちらしいですから」


 ドS性質のことなんだろうが、主人を貶めているように聞こえるのは気のせいだろうか。


「まあ私に魅力がどうとかってことでないのは確かよ。一年間、逃げ切ってみせるわ」


 これには答えず、執事は優雅に紅茶を飲む。


「勝つのは私!」


 淑女らしからぬ、拳を上げて宣言する主人の姿にラルフは嘆息した。


 どうせ何か起こる。

 この方が関わってスムーズに事が運ぶことなどなどないのだから……

カレンはチートじゃなく、人使いの荒い努力家なのです。

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