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053.神の救いか破壊の悪魔か

 暗闇の中、建物の壁に背をつけ、囁き合う人影があった。


「窓が高いわ。誰か台になって」


 いちばん背の低い影が、頭の上の窓を指した。

 石造りの壁の高い位置に、横長の明り取り窓がある。こんな夜半なのに中には人がいるらしく、明かりが煌々と灯っていた。


「お断りだよ」


 二番目に背の低い影が、バカにした声で答えた。


「あ、テオドール様じゃ背が足りないから結構よ」

「言ったなこの、まな板」


 ごち。と固めの音が響いたのは、額同士がぶつかり合ったせいだった。

 額で押し合い、ぎりぎりと至近距離で睨みあう二人を、後ろにいた高身長の影が襟首を掴んで引き離す。


「いい加減にしろ。人質がいるのに揉めてる場合か」

「しかし殿下……」


 言うまでもなく、小さい影から、カレン、公爵令息テオドール、王太子ルドルフの三人である。

 三人は、今、小さな聖堂の脇の壁に引っ付いていた。

 ここは、内城の端にある孤児院の敷地内。

 二日前、カレンの執事ラルフが、クォルツハイム侯爵家の名を出さずに寄付をするという名目で訪ねた場所だった。

 孤児院になる前は貴族屋敷であったというこの施設、多くの貴族がそうしているように、小さな聖堂を敷地内に拵えてあった。

 その中に、人の気配がある。

 声からすると子供もいる。

 孤児院に暮らす、孤児と、施設の大人たちが囚われていた。


「初老の院長、手伝いの若い女性、子供が二十人……ラルフの報告の通りね」

「大人が少ないな」

「さぞかし脅かしやすかったでしょうね」


 ルドルフの肩に乗り、聖堂の中を確認しながら小さく会話を交わす。

 隣でテオドールが「殿下を台にするなんて」と非難しているが、聞こえないふりを決め込む。


「監視は何人だ」

「五人。全員剣を持っているわね。――あと、松明も」


 金のある屋敷でなければ、電灯はつかない。

 窓から漏れる光がろうそくの火にしては明るいと思ったが、男たちのうち、三人が松明を持っているせいだった。


「足元に油壺……焼き殺す気ね」

「なんだって。すぐに助けないと」


 ぶつぶつと非難を垂れていたテオドールが、壁から跳ねるように背を離してカレンを見上げる。


「慌てないの。奴ら、まだ火をつけたりしないわよ」

「なんで」

「ここにドイブラーがいるからよ」

「ドイブラー子爵が?」

「そう。自分の親玉の用事が終わるまで、奴らは火をつけられない。タイミングを間違ったら、用事が済む前に、人が集まって来ちゃうでしょ」


 カレンは、ルドルフの肩から飛び降り、腰に手を当てた。


「聖堂の中に、さらわれた女官はいなかった。たぶん、ドイブラーが連れて行っているんでしょうね。私たちはそちらに向かいましょう」

「子供を放っておくつもりなの」

「別の助っ人が来るわ」


 そこに、力強い足音が近づいてきた。



 ◇◇



「大人しくしろ、とは言わねえぜ。せいぜい泣き喚いてろ。どうせ誰も来ねえ」


 男がわらう。

 どう見ても、害のない人間ではなかった。


「院長……」


 隣に座る娘が、裾を引っ張ってきた。友人の娘のアンジェリカだった。

 アンジェリカは青ざめていた。それでも気丈に、声を震えさせまいと歯を食いしばっている。


「アンジェ……大丈夫だ」


 心配させまいと、院長は人好きのする顔を優しく微笑ませた。

 しわに覆われた手でアンジェリカの肩をさする。周りの子供たちも縋る様に、いんちょう、いんちょう、と小さい声で身体を寄せてきた。


「どういうことですか」


 院長は声を上げた。剣を持った男が振り向く。


「場所をお貸しするだけで、我々には関わらないという約束だったはずです。それが今夜、急に集まれとはどういうことでしょうか」


 二十人程度の席しかない、小さな聖堂。普段、祈りの場としてささやかに使用しているだけの場。しかし今日は、強面の男たちにより物々しい雰囲気になっている。


「どういうこと、ってなあ」


 男たちがにやにやとした笑みを浮かべる。

 松明の揺れに、壁に映る男たちの影も一緒に揺れた。


「ここは放棄されるんだよ」

「放棄?」


 どういうことだ。この孤児院を使わせろ、と言ってきたのは今期の社交シーズンに入る直前。

 早く手を引いてもらえるのはありがたいが、放棄とは。


「俺たちの雇主が、もう潮時だってよ。あんたたちにゃ、俺たちの顔を見られてんだ。このまま黙って、明日から来ません、なんて言うわきゃねえだろが」


 院長の顔が青ざめる。


「そんな。私たちは誰にも言いません。子供たちだって」

「雇主殿は慎重でな。悪いが、この屋敷ごと燃えて消えてもらうぜ」


 ひっ、とアンジェリカが息をのんだ。何人かの子供が泣き出した。男の言葉の意味が分からない年齢の子供たちは、自分たちの兄や姉にあたる子供が泣き出したのを見て、一緒に泣いた。


「なんてことを……!」

「全員一緒に送ってやるって親切で言ってんだ。感謝しろよ」


 笑う男たちに、聖堂の高い天井に揺れる影。まるで絶望の影が嘲け踊り、取り囲まれていく気分になる。


「院長、ごめんなさい。お父さんのせいで……」


 鳴き声の大合唱の中、アンジェリカは孤児を抱きしめて空いている手で、院長の袖を強く握った。

 こんなこと、今言い出しても仕方のないこと。分かっても言わずにはいれなかった。


「アンジェ……違うんだ」


 けれど、院長は小さく首を振った。


「違うんだよ。サイモスのせいじゃない。アンジェが謝ることではないんだ。これは私の弱さが招いた結果なんだ」


 そう、自分が悪いのだ。

 サイモス――アンジェリカの父は、この孤児院への寄付をしてくれていた。寄付をしてくれていた貴族の家系が二十年前に途絶え、窮地にあえいでいたこの施設を救ってくれたのは、サイモスだった。

 しかし、今年に入り、急にサイモスからの寄付が途絶えた。

 父のいる故郷を離れて施設を手伝ってくれているアンジェリカにも、その理由は分からなかった。

 追い打ちをかけるように、ある日突然、この男たちがやってきた。

『我々は、あんたの息子さんに金を貸している』

 逃げた息子の借金を親が払うのは当然だと、男たちは詰め寄ってきた。

 しかし、毎日の生活にも困っている状態で、金を返すどころではない。


「私が、はっきり言えばよかったんだ。出て行った息子など知らぬ、と」


 男たちを追い出していれば、交換条件に、施設の一部を怪し気な男たちに貸すことにはならなかったのに。

 自分が、息子を切り捨てられないばかりに。


「……おじさまはそんなこと言える人じゃないって、私、知ってるもの」


 アンジェリカが、昔の呼び名で院長を見つめる。恐怖に青ざめていても、瞳から信頼の色は消えていない。

 不甲斐なさと、優しい娘への感謝が院長の喉にこみ上げた。


「――まだ、我々には時間が残されている。助かる方法を考えよう」


 後悔と謝罪は生き残ってからだ。泣いて縋り付いてくる子供たちを抱きしめた。


「はい」


 強張ってはいるが、いつもの優しい笑みを見せる院長に、アンジェリカは小さな安心を抱いて微笑む。


「いんちょう」


 その二人の間で、アンジェリカに抱きしめられていた子供が、聖堂の扉を指さした。


「あっちから、へんな音がするよ」


 言われるがまま、大人二人の視線が向けられたそのとき、艶出しのオイルが剥げた古い扉が弾けたように開いた。


「アンジェちゃ――ん!!」


 現れたのは、眉間から右頬に特徴的な傷が走った凶悪顔。

 カレンが「ボス」と呼ぶ、最近雇ったヤクザ集団の首領だった。






「お、間に合ったわね」


 聖堂の外。高窓から覗き込んでいるカレンは、しめしめと笑った。


「知り合いか?」

「まあね」


 肩を貸しているルドルフの脇。聖堂の入り口を外から覗いていたせいで、扉から猪のように突入していったボスの姿を目にしてしまったテオドールは、固まっていた。


「り、理解不能のイキモノを見た……」





「何だテメエは!」

「キモっっ!」


 聖堂の中も騒然としていた。

 突然乱入してきた男に、というより、その恰好に。


「うっせえ! ドレスくらいで文句言うな!!」


 ヤクザらしく男たちにドスをきかせたボス。

 しかしその恰好は、ドレス姿の女装だった。

 茶髪のカツラだけでなく、ピンクの口紅、アイラインとメイクまでばっちりである。

 ガチムチ、胸毛、腕毛の強面大男が、令嬢の清楚なドレスを身体にミチミチに身に着けている姿は、どう見ても異様。

 院長も、アンジェリカも、孤児たちも硬直していた。


「あ。ガンツのおじちゃんだ」


 先に気づいたのは、子供たちだった。

 アンジェリカも目を瞬かせる。


「ガ、ガンツさん……?」

「アンジェちゃん! 無事だったか!」


 孤児たちの集団の中に想い人を見つけ、ボスの声が若干弾む。


「ど、どうしてそんな恰好を……?」


 ぐ、と返事に詰まったボスの耳に、外から、ゲラゲラ笑う少女の声が聞こえた。

 自分が身代わりとして変装している、茶髪で、翡翠の瞳をした貴族令嬢の顔が浮かぶ。

 すぐ近くにいるくせに高みの見物とは。そして、こんな格好の自分を呼ぶとは!


「こ、細かいことはあとだ! とりあえず助ける!」


 ボスは半泣きで剣を振るった。

 たまたま前を通った孤児院で見かけたアンジェリカに一目惚れし、ここ一カ月毎日通っていた。

 彼女たちが何者かに脅されていたことに、全く気付いていなかった自分に腹が立っていた。

 助けるなら、絶対自分で助けたかった。

 その役割を譲ってくれたのには感謝している。

 だが! こんな姿で助けたかったわけじゃねえ!


「ちくしょー! あとで覚えてろよおおおお!」


 ボスは泣きながら吠えた。

 吠えて、たったひとりで男どもをなぎ倒していく。


「ガンツのおじちゃん、へんたいだけど、つええ」


 子供のおかしな尊敬を集めて。



 ◇◇



 聖堂の五人はボスひとりに任せ、三人は本来の目的地に向かって走っていた。


「お、お腹痛い……可笑しい……」


 ひーひー笑いながら駆けるカレンに、ルドルフが呆れた視線を寄越した。


「熊にドレスを着せた方がまだマシだったぞ」

「あら、上手いこと言うわね」

「哀れな……」

「相手を混乱させるための変装よ。彼も協力してくれたわ」


 指で涙を拭って答える。

 今夜、大きな襲撃を予想し、カレンはクォルツハイムの屋敷に警戒網を引いていた。

 使用人はすべて避難させ、代わりに使用人に変装した護衛兵やボスの仲間を配備。

 屋敷の中に引き入れ、一網打尽に叩きのめしたのだ。


「だからと言って、あの体格の男にドレス着せる?」


 テオドールが半目でカレンを見る。

 彼がまたルドルフの小脇に抱えられているのは、脚が遅いせいだ。

「悪趣味だな(だよね)」と主従揃って感想を述べられたが、カレンは目を輝かせて答えた。


「だって、面白そうだなって思って」


 王太子と側近は夜空を仰いだ。名も知らぬ凶悪面の男へ、哀れみの情が絶えない。


 しかしカレンの方にも理由があった。

 ドイブラー子爵の目的は、カレンの暗殺。となれば、深夜、侵入者たちは間違いなくカレンの寝室を目指す。

 ということで、囮を置く必要があったのだ。

 しかし、ハンナは別の囮になってもらう必要があったし、他に囮の役ができる女性などいない。貴重な『影』を黙って待っているだけの囮に使うなんてもったいなかったし、他の男たちは誰もかれも体格がいい。

 結局、「やっぱり最終地点には、ラスボスがいてもらわないとね」「らすぼすってなんだよ、意味分かんねえ!」などというカレンの尤もな意見と、穏やかな話し合いの末に、ボスがカレン役に決まったのである。

 やりとりの詳細をルドルフに言わないかわりに、カレンは別の説明をした。


「屋敷の襲撃が終わった頃だと思って、こちらに向かうように指示をしておいたの。私もあちこち手を掛けてられないし、彼も想い人にいいところ見せられて一石二鳥だものね」

「いいところ……。どちらかといえば、失ったものの方が多いんじゃ」

「あらテオドール様ったら、彼に同情的ね」

「アンタに呆れてるんだよ」

「えーと、ラルフはどこかしら」


 カレンは軽やかに笑ってごまかした。


「お嬢様。こちらです」


 暗い木立の間から、黒い燕尾の執事服が音もなく現れた。

 暗闇で視界が不便になっているテオドールが「ひっ」と声をあげる。


「ラルフ。――いた?」

「おりました。生きています。まだ、後ろ姿しか確認できていませんが」


 短く確認したのは、王宮から拉致された女官についてだった。

 ボスの到着まで聖堂を見張る間に、カレンは女性がいると思われる場所に、ラルフを見張りに向かわせていた。


「中に、ドイブラーもいます」


 ラルフが示した先、木々や低木、蔦が茂る林の奥に、よく見れば小さな明かりが見える。少し先に進めば、木造りの小屋が見えたであろう。

 ここは孤児院の敷地内。孤児院をぐるりと囲んだ塀のそばにある小さな林だった。


「ちゃんと、狙い通りに働いてくれたみたいね」


 誰が、とも言わずカレンは頷いた。

 四人は見張りに見つからないよう、回り込んで小屋に近づいた。


「こんな場所に屋敷があるとは……」


 感心した様子で、一番後ろを歩いていたルドルフがため息をつく。視線は小屋を向かず、上を見上げていた。

 ルドルフには、枝葉の隙間から覗く平垣が見えている。

 彼が驚くのも無理はない。

 平垣はひとつではなかった。一般的な高さである孤児院の平垣の背後、巨人のようにそびえる壁は、王都の二重城壁の内側、内城壁。


「あら、貴方でも知らないことがあるのね」

「城壁は長い。配置と形状は把握しているが、こんな建物が地図上にあった記憶がない」


 見る限り、屋敷は戦闘を前提としたものではなく、至って普通の、生活をするための建物。

 こんなものが、ルヘクト王都の守りの要である城壁にぴたりとくっ付いて建っているとは信じられなかった。


「すぐに全城壁周辺を調査させます」

「そうだな。必要があれば視察も行おう」

「かしこまりました」


 小さく交わされる真面目な会話を背後に、カレンはラルフの背を追う。


 追いながら、微妙な既視感に襲われていた。

 この角度から見た内城壁の風景……来たことはないはずなのに、なぜか懐かしい。

 ただ、記憶にぎる風景は、城壁の背景は、青く晴れた空に小鳥が飛び、雲が流れていたように思う。

 いったい、どこで。


 思考に沈みながらも、カレンは小屋の周りの見張りを音もなく倒し、扉に張り付く。

 飛び込む前に、確認のため、壁に空いた穴から中を覗いた。


 中には、数人の男女がいた。

 一番手前。こちらに背をむせて、恰幅のいい男性。こちらはひとり。

 奥には、小太りの中年男ーードイブラー子爵と、数人の護衛。

 そしてドイブラー子爵の背後には、ロープで縛られた金髪の女官が座っていた。しかし、周囲に積み上げられた大きな木箱に遮られ、顔まで確認するにはいたらない。


「カレン、飛び込むタイミングは任せる」


 ルドルフの低い声は聞こえていたが、カレンはとっさに返事ができなかった。


 ーー思い出した。


「これ、ゲームイベントだわ」

ボスはカレンのおもちゃです。けど、王太子と公爵令息の同情を買えたので、悪い人生にはならない……はず?

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