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051.まさかの相乗り

 耳を疑った。

 次には思いっきり胡乱な目つきになった。

 平和協定を結んでいるとはいえ、グラム皇国は、長年諍いが絶えない隣国。そこに繋がっている人間が、よりによって侯爵令嬢に「一緒に来ない?」とは。


「頭に何か湧いてんじゃないの、貴方ッ」


 つばぜり合いから、剣を弾いて背後に跳び退る。


「ははは。そうかもね」


 カレンは着地そのまま地面を蹴った。接近し、ヘラヘラ笑ってるヨハネスを横薙ぎに切った。

 しかし刃は空を滑っただけ。

 ヨハネスが避けたのではない。カレンの足元に刺さった矢のせいで、踏み込み切れなかっただけである。

 その間に、ヨハネスは、カレンとルドルフ、両方の間合いから離れていた。


「今回、僕の目的って二つあってね」


 ゆるりと窓枠に手を掛けて、ヨハネスは歌うように言う。


「ルドルフ殿下の持つ、この情報」


 隙のない動きで、ヨハネスの横にボウガンの女が並んだ。懐から、ひとつの紙束を取り出し、ヨハネスに手渡す。

 テオドールの顔色が変わった。たぶん書類箱から移動させたはずの機密文書だろう。


「もうひとつは、君。――僕、カレンちゃんが欲しくて欲しくて仕方ないんだ」

「なんだ、カレンはお前の運命の相手とでも言うのか?」


 からかうようにルドルフが言った。が、声は警戒を含んで低い。


「運命――そう、運命かもね」


 笑う顔は、酔っているようでもあった。瞳の金が、光も当たっていないのにゆらゆらと揺れている。

 やはり狂ってるな、この男――

 ルドルフの直感が訴える。この男をカレンに近づけてはならない。

 ヨハネスを中心に、執務室には不気味に沈黙した。

 ホウ……と夜鳥の鳴き声が響く。


「断る!」


 充満した雰囲気をバッサリと両断したのは、快活なカレンの声。


「私にだって――」


 同時に踏み込み、ヨハネスの脳天めがけて、刀を振るっていた。


「やることがあるんだから、ねッ!」

「うああぁ!?」


 カレンの刀が窓枠に食い込む。

 さっきまでの怪しい雰囲気はどこへやら。ヨハネスは半分転びながらカレンの刀をギリギリ避けた。


「ちっ」

「ち、ちょっと! その窓枠、建築家アーノルド直々のデザイン!」


 呆然としていたテオドールが、急に我に返って叫んだ。

 国外にまで名が轟いた、歴史的建築家の作品。そういう意味では王宮は宝の山なのに。当然知っているはずのカレンにためらいはない。


「そんなのあと!」

「今気にしてくんない!?」


 怒鳴るテオドールを無視し、めり込んだ刃を抜いて、再びヨハネスを追い回す。

 壁紙、扉、シャンデリア。歴史ある王宮の建具がじゃんじゃん切り刻まれていく。


「私の苦労が台無しだな……」


 さっきのヨハネスとの攻防、ルドルフは家具にも建具にも傷をつけまいと苦心した。それをすべて無にするカレンの暴れっぷり。口調に苦笑いが混ざるのも仕方ない。


「あああ、匠の作品が……!」


 悲痛な声でテオドールが頭を抱えた。設備は、王宮の歴史。家具は、カルフォーネ公爵家の金と人脈の結晶。それが、カレンの前におがくずと化していく。


「カレンのやつ、一体なにを慌てているんだ」


 この中で唯一、ルドルフは冷静だった。

 カレンの変化は急だった。

 当初、カレンは傍観していた。捕縛をルドルフに任せ、自分はあとでのんびり尋問しようとでも思っていたのだろう。けれど今は、僅かだが、先ほどまでの余裕がなくなっている。

 何か、事情が変わったのか。


「カレンちゃん、容赦ないね!?」


 一方、こっちもこっちでヨハネスは「僕のシリアスが台無し!」とカレンを非難していた。整っていた青髪も、優しい顔立ちも投げ捨てて必死に逃げている。


「君が欲しい理由くらい聞いてくれてもいいんじゃないの!?」

「そんなん聞いて、いいことあるわけないでしょ!」

「わー、正論!」

「ええい! うろちょろ逃げずにさっさと捕まりなさい! そして貴方の企み、今すぐ吐け!」

「――ああ、そっか」


 応接椅子を盾にしてカレンの攻撃を避けたヨハネスが、ぽんと手を叩いた。

 その瞬間、椅子は真っ二つになる。

 割れた椅子の間で、にい、とヨハネスの形の良い口が歪んだ。


「分かった、じゃあ僕は逃げることにするよ」


 何が「分かった」なのか。テオドールたちには理解できなかった。

 対して、カレンは無言。

 それを見てヨハネスは満足そうに笑い、再び窓枠へと飛び退った。


「ねえ殿下」


 窓枠から身を乗り出し、振り向いたヨハネスの金の瞳が光る。最後の台詞がカレンへではなく、自分宛てであったことをルドルフはいささが意外に思う。


「近衛騎士、来なかったでしょう? 貴方の懸念は、当たってる」

「!」


 表情を険しくしたルドルフを愉快そうに見て、ヨハネスは窓の外へと姿を消した。

 すぐに窓に駆け寄ったのは、カレンだった。

 迷わず、窓から外へと躍り出る。

 テオドールの執務室は一階。しかし、半地下が存在するため、実際は中二階ほどの高さがあった。普通の貴族なら飛び降りたりしない高さだが。


「ぐえ」


 軽やかに着地したカレンの隣で、カエルが潰れたような声がした。

 見れば、そこには金髪天使のふわふわ頭。


「え」

「テオドール、さっさとどけ。邪魔だ」


 窓からは、ルドルフが見下ろしていた。

 カレンの勘違いじゃなければ、突き出した彼の腕の形が、テオドールを突き落とした後のように見える。

 顔から着地した天使は、律儀に場所を移動する。そこに華麗に降り立つ金色の貴公子、ルドルフ。

 まさしく鬼畜。カレンはちょっと引いた。


「ちょっと。まさかテオドール様も来るの」

「ああ」


 どう考えても足手まとい。

 しかし問答している時間はない。ヨハネスと女の背が、夜の闇に消えていく。


「好きにすれば!」


 カレンは刀を鞘に収めて駆けだした。文官テオドールが追いつけるはずのない速さで。

 指笛で、近くに潜んでいる『影』に指示を出す。

 とたん、周囲が騒がしくなった。

 ようやく異常に気づいたらしい。近衛騎士の呼び笛が響き、野犬や夜鳥の鳴き声も上がりだす。


「今頃動き出したか」


 他人事のようにルドルフが呟いた。

 なんと、テオドールを小脇に抱えた状態でカレンと並んで走っている。


「……貴方の体力、どうなってんの」


 ヨハネスたちは、それほど速くない。

 カレンは調整し、一定の距離を保って走っていた。とはいえルドルフの速さは異常である。


「それはこちらの台詞だな。荷物があるとはいえ、私と並んで走れた人間は騎士でもいなかったぞ。今度、荷物なしで勝負したいな」

「嫌よ。めんどくさ」


 息も切らさず、相変わらずのやりとり。

 小脇のテオドールは、青ざめたまま声もあげない。たぶん状況が把握できず混乱している。ついでに主人であるルドルフの邪魔にならぬよう必死に大人しくしているのだろう。


 ヨハネスの背を追い、生垣を飛び越えたり、塀を乗り越えたりしているうち、二人(と荷物ひとつ)は王宮の外へとつながる橋に出た。

 王宮の外は、屋敷が並ぶ、貴族の居住区が広がっている。

 塀の間を延びる石畳の道に、ヨハネスたちの姿はない。

 だが、カレンは表情を変えることなく橋を駆ける。


「お嬢様」


 橋を渡り切った場所で、二頭の馬と一人の男が近づいてきた。


「執事か。夜中までご苦労だな」

「……お嬢様、お連れがいるとは聞いていませんが」


 ルドルフを無視し、クォルツハイム家の執事、ラルフが無表情に主人に問いかけた。


「説明は省くけど、ついてきちゃったの」

「省きすぎです。情報が足りません」

「おいおい説明するから不機嫌になるのやめなさい。 それよりラルフ、この人たち以外の状況は分かってるわね?」

「大まかには」

「では手はず通り、追うわよ」


 ここで説明の時間を取るのはバカのすることだ。

 今はヨハネスを追わなければならない。

 現に、このわずかな時間で、ヨハネスたちの姿を見失っていた。

 カレンが予想している、行先の候補は数か所。

 この橋は、その中でも最も有力な行先への最短経路だった。


「ヨハネスを追い越さないと」


 でないと、間に合わないかもしれない。

 カレンは空いている馬の手綱を取った。


「なるほど、行先の予想はついているのだな」


 と、カレンのすぐそばで、聴き慣れた低い声がした。


「ひゃっ!?」


 背後から腰に腕が回ってきたと思ったら、ひょい、とカレンの身体が浮いた。

 気付いたら、カレンは馬の背に乗っていた。

 それも、ルドルフを正面にして。


「なにこれ!?」

「二人乗りだな」

「そんなの分かってる。私が聞いてるのはこの姿勢! なんで貴方が騎手で、私が貴方の前に座ってるの」


 正しい方向で鞍にまたがっているルドルフはいい。だが、カレンはルドルフと向かい合い、おまけに正面から抱きつく姿勢で座っていた。

 横座りならまだ格好がついたかもしれないのに、どうして反対向きに跨ってしまったのだ。


「お前を左脇に抱えたまま馬にまたがって、お前を座らせたら勝手にこうなったんだ」

「もう少しやりようがあるでしょ!」

「デートのようだな」

「肋骨へし折るわよ」

「急ぐんだろう? とりあえず追いかけるぞ」

「話を聞きなさいよおおお!」


 ルドルフが馬の腹を蹴った。

 カレンの馬が、前脚を一度上げ、駆けだす。


「ちょっと、誤魔化そうったってダメ……ってラルフ、それ、何」

「テオドール様でいらっしゃいますね」


 ルドルフに文句を言おうと思ったら、後ろを走っている執事の馬が目に入った。

 執事の後ろに、見慣れたモノが乗っていた。


「ら、乱暴に走らせるなよ、執事!」


 ラルフの腰に、天使が腕を回して必死にかじりついている。

 鉄仮面執事の馬に、天使が。


「どういうこと」

「一瞬の間に、殿下に乗せられまして」

「貴方もなの」


 なんだか、灰色悪魔が無垢な天使を拉致した図に見える……。

 唖然と見てたらラルフに睨まれた。

 目を逸らしたカレンは思う。私が悪いんじゃない、執事の日頃の行いが悪いんだ。


「お嬢様に、叩き落としていいか伺う前に、本格的に走り出してしまいましたので」

「叩き落とす前提で聞くのはやめなさい」

「善処します」


 これは間違いなく機嫌が悪い。カレンはそれ以上執事の荷物に触れるのは止めた。

 それより。


「……安定しない……!」


 ありえない騎乗方法に、不満たらたらだった。

 馬が全力で走っているのに、ルドルフが邪魔で身体を固定できない。


「脚、どかしてよ」

「騎手に無茶を言うな。それよりもっとしっかり掴まれ。落ちるぞ」

「なにを偉そうに」


 下から睨んで、掴まる両腕に力を入れた。

 悔しいけれど、自信を持っているだけある。馬の上なのにルドルフの体幹はすごく安定していて、掴まるほどに不安が無くなる。

 けれど対照的に、密着状態になるのが如何ともしがたかった。


「叩き落としたい……」


 心の平穏のために。


「まったく、主従そろって乱暴だな」


 ルドルフが呆れた。

 お前が言うな、と腰をぎゅうぎゅうに絞るが、当の本人は全く平気な顔をして笑っている。


「――ど、どういうことなんだよ!」


 背後から悲鳴混じりの声がした。

 ルドルフの広い肩から背後を覗けば、天使テオドールがラルフの脇からこっちを必死に睨んでいる。

 ようやく冷静になったらしい。

 とはいえ、勾配のある街中を走っているせいで身体は跳ね、首がガクガクいっている。


「なんでアンタ、あんなに戦える!? あのヨハネスってやつとどうして知り合いなの!? グラムに繋がっている男、アンタが追い掛けてどうするんだよ!」

「噛まずに言えてすごいすごい」

「ふざけないでよ!」


 テオドールの質問に答える義理はない。無視する気満々のカレンの茶々に、真っ赤になって怒る天使。顔を青くしたり赤くしたり忙しいことだ。


「私も知りたいな。カレン、追いかけた先に何がある? お前は何を慌てている?」


 ルドルフが少し真剣な顔で見下ろしてきた。

 カレンは、ルドルフの、微妙に内容を変えた質問に逡巡する。

 ここまできたら、ルドルフたちを巻き込んでしまった方が早く片付くかもしれない。

 確かに、カレンの事情は、当初と少し変わっていた。


「……ドイブラーの手先に、この一件に関係のない女性が拉致されたわ」

「なんだと?」


 カレンが慌ててヨハネスを追い詰め始めたのは、そのせいだった。

 自分たちのせいで巻き込まれた女性を絶対に放っておけない。だからカレンはヨハネスを脅し、女官が連れていかれた場所に誘導させたのである。

 ヨハネスもカレンの意図を分かって、まっすぐそちらへ向かった。


「今夜、私は三箇所に仕込みをしていたの。クォルツハイムの屋敷、テオドール様の執務室。そして貴方の執務室」

「私の? 引っ越し作業真っ只中なのにか」

「そう。金髪の女官服を着たハンナを潜り込ませていたの。『身元不明の王太子付き女官が、王太子妃候補になるかもしれない』という噂を社交界に流した上でね」

「なるほど、ドイブラーが動くからか」

「ええ。ハンナなら、暗殺でも拉致でも対処できる。――と思ったんだけど、どうやらまったく関係のない女官が拉致されたわ」

「一体誰だ」

「分からない。私も見てないもの。でも、助けなきゃ」


 顔を見れば分かったかもしれない。

 けれど、確認したのはカレンの『影』。

 捕まったのは、戦う術など持たない、明らかに普通の女性。顔は見えなかったという。

 注意はしていたのに、巻き込んでしまった――。

 カレンの顔に苦さが混じった。

 それを見て小さく笑ったルドルフは、カレンの思考を切り替えさせるように声を掛けた。


「ところでカレン」

「ん?」

「どうやってお前はそれを知ったんだ?」


 とっさにルドルフから目を逸らしてしまった。

 カレンが、女官の拉致を知ったのは、テオドールの執務室でヨハネスと対峙している最中。ルドルフの執務室に張り付いていた『影』が夜鳥の鳴き真似で知らせてきた情報だった。

 王宮に個人的な手先を紛れさせているなんて、王太子サマに知られるのはマズイ。


「まあいいだろう。この件は貸しにしてやる」


 胸を張るルドルフにカチンときた。


「貴方が元凶でしょ。何をえらっそうに」


 そもそもこの男がカレンを女官にして、思わせぶりな行動をとったから王宮の人間が勝手に勘違いをしたのだ。噂は、彼の行動を土台に、信ぴょう性のある話として広がっただけ。

 ギリギリギリ、と再び腕に力を入れ腰を絞るカレンに、相変わらずの涼しい顔でルドルフは笑う。


「おい、アンタ、僕の質問に答えろ!」


 納得していない天使が、また怒ってきた。

 二頭の馬は貴族街を抜け、市街地へとさしかかっていた。

 夜中の市民街で叫ぶなんて、迷惑なことである。


「お嬢様、やはり叩き落としますか」

「やめなさいってば」


 後ろの馬、面倒くさい。

 だが、こちらの馬も面倒だった。  


「ところでカレン、行先が分からん、指示してくれ」

「何で手綱を取ったのよ!」


 ラルフ! と叫んだら、執事が無言でカレンたちを追い越し、前を走り始めた。

 クォルツハイムの馬は、二人乗り程度で見劣りすることはなかった。見事な駆け足で石畳の街を走り抜ける。


「――お嬢様、見えました」


 身体を捻って見れば、前方に青い髪の男が見えた。

 あちらも馬を用意していたらしい。


「女がいないな」


 ボウガン使いの姿がなかった。

 そして周囲から迫る、多数の気配。

 カレンたちの間に緊張が走る。


「カレン、どうする」

「決まってるじゃない」


 カレンはにやりと笑った。


「迎撃一択!」


 カレンの声に、ルドルフとラルフが剣に手を掛けた。

次、カレンの中でルドルフの存在が少しだけ変わります。


12/19追記。今回カレンが壊した部屋の後始末について、小話を上げました。活動報告をご覧ください。

ただ壊したんじゃないよ! というお話。

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